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追録1の目録

暫定版です。原文との照合により、概要や文書の区切り等を修正する場合があります。

全2,718件中 1901~2000件・20 / 28ページ

  1. 追録1-No.1881 徳川綱吉領知判物下賜記事

    光久公御譜中に、諸侯の領知判物・朱印改めに伴い、家光・家綱の旧判物と領知目録を提出し、久輝が持参、忠當の館で臨写して控えを残した経緯を記す。十一月二十日に綱貴が光久の名代として綱吉から薩隅・日州諸県郡・琉球の領知判物を拝領し、後に領知目録も受けた。翌貞享二年に光久が国許で頂戴、久治を江都へ謝使として…

  2. 追録1-No.1882 徳川綱吉領知判物

    徳川綱吉が島津光久へ、薩摩・大隅両国と日向国諸県郡内百六十四箇村六十万五千石余、ほかに琉球国十二万三千七百石を、寛永十一年の先判どおり領知するよう命じた判物。

  3. 追録1-No.1883 領知目録

    領知判物に付属する目録として、薩摩国・大隅国・日向国諸県郡および琉球国について、郡・村ごとの石高と合計を列挙した領知目録。

  4. 追録1-No.1884 有馬新右衛門覚書

    有馬新右衛門が大里按司・伊野波親方・稲嶺親方へ、前年に長崎で唐人・阿蘭陀へ毛織類の持渡し禁止を伝えたため今年は持ち渡さないはずのところ、琉球からの毛氈少量が長崎へ送られて内証で売り捌かれたと伝える。禁制品を内々に売ることは不届きなので、今年以後の渡唐者に、持用のほかは買い渡さないよう厳しく命じる旨を…

  5. 追録1-No.1885 島津光久書状

    島津光久が中城王子へ、年甫の慶儀として送られた書状と嘉例に従う目録どおりの贈物を受け取り、喜びと謝意を伝えた書状。

  6. 追録1-No.1886 島津光久書状

    島津光久が中城王子へ、又三郎が元服したことへの祝詞と、別録どおりの贈物を受け取ったことを喜び、謝意を伝えた書状。

  7. 追録1-No.1887 島津光久書状

    島津光久が琉球国司へ、前年清国から渡来した両勅使による即位その他の諸儀が無事に済み、帰帆したことを喜び、祝儀の使者として派遣された豊見城按司と数品の贈物への謝意を伝えた書状。

  8. 追録1-No.1888 島津光久書状

    島津光久が琉球国司へ、暦甫の嘉慶として使者を派遣し、恒例に準じて別録の品を贈られたことへの喜びと謝意を伝え、詳しくは使者が述べるとした書状。

  9. 追録1-No.1889 島津光久書状

    島津光久が琉球国司へ、又三郎の元服を祝い、その祝詞のため派遣された喜屋武親方と目録どおりの贈物を受け取ったことへの喜びと謝意を伝えた書状。

  10. 追録1-No.1890 島津久治判物礼使参府記事

    島津光久が徳川綱吉から三領国安堵の判物を受けたため、島津久治を謝礼使として江戸へ派遣したが、諸侯の使節には将軍への拝謁が許されず、久治も拝謁できなかったことを記す記事。

  11. 追録1-No.1891 大久保忠朝外二名連署状

    戸田忠昌・阿部正武・大久保忠朝が松平大隅守へ、年頭の祝儀として使者を立て、太刀一腰と御馬代黄金十両を献上したことへの返答を伝えた連署状。

  12. 追録1-No.1892 大久保忠朝書状

    大久保忠朝が松平大隅守へ、姫君の祝言に際して屏風五双を献上した件について、関係者で相談し、上聞に達したことを伝えた書状。

  13. 追録1-No.1893 島津光久参勤記事

    光久公御譜中に、貞享二年二月十三日に鹿児島を発ち、京泊から出帆、三月十七日に大坂へ着き、四月一日に伏見を出て同十八日に江府へ到着したと記す。十九日に上使戸田忠昌が来て労い、二十五日に登営拝謁し太刀一腰・時服二十・御馬一匹を進上する。従行家老久元は太刀一腰・馬代銀一枚・時服三領を献上し、六月には牽来し…

  14. 追録1-No.1894 北郷忠昭光久参勤供奉記事

    北郷惣次郎忠昭が貞享二年二月十三日、島津光久の江戸参勤に供奉したことを記す記事。

  15. 追録1-No.1895 阿部正武書状

    阿部正武が松平大隅守へ、新春の賀詞と将軍の機嫌伺いに対し、年始の儀式も無事に済んで将軍が健勝であると伝え、使者と両種・双樽の献上を関係者で披露した旨を返答した書状。

  16. 追録1-No.1896 阿部正武書状

    阿部正武が松平大隅守へ、将軍が健勝であることへの喜びと、前年末に御座間の作事が完成した旨を承知したことを伝え、書面の趣を関係者で相談して言上したと返答した書状。

  17. 追録1-No.1897 阿部正武書状

    阿部正武が松平大隅守へ、前年末に領知目録を受け取り、詳細を承知したとの知らせを了解し、念入りな書面を関係者で閲覧した旨を伝えた書状。

  18. 追録1-No.1898 島津光久直書

    島津光久が岡元千右衛門へ、困窮して家の存続が難しい島津丹波について、惣領娘を本丸で他の子どもと同様に養育し、おくまの娘と同居させる案を示し、詳細は大山主馬から丹波へ伝えるよう命じた直書。

  19. 追録1-No.1899 阿部正武書状

    阿部正武が松平大隅守へ、前年末の日光山火災で所々が焼失したものの御宮・御堂が無事だったことへの喜びを承知し、その書面の趣を関係者で相談して将軍へ伝えた旨を返答した書状。

  20. 追録1-No.1900 戸田忠昌書状

    戸田忠昌が松平大隅守へ、将軍の健勝を喜ぶ旨を承知し、将軍が変わりなく健勝であるため安心するよう伝え、書面の趣を関係者で相談して高聞に達したと返答した書状。

  21. 追録1-No.1901 戸田忠昌書状

    戸田忠昌が松平大隅守の留守居へ、領知判物拝領の御礼使を翌九日四時に江戸城へ出仕させるよう命じた書状。

  22. 追録1-No.1902 大久保忠朝外二名連署状

    戸田忠昌・阿部正武・大久保忠朝が松平大隅守へ、将軍の健勝を伝え、領地の判物を下賜されて拝領したことへの御礼使とその書面の趣を受け取った旨を返答した連署状。

  23. 追録1-No.1903 戸田忠昌書状

    戸田忠昌が松平大隅守へ、将軍の健勝と正月十一日の御表への出御を喜ぶ旨および使者派遣を承知し、書面の趣を関係者で相談して高聞に達したと返答した書状。

  24. 追録1-No.1904 大久保忠朝書状

    大久保忠朝が松平大隅守の留守居へ、歳暮の御内書を渡すため、翌日四時に留守居一人を江戸城へ出仕させるよう命じた書状。

  25. 追録1-No.1905 戸田忠昌書状

    戸田忠昌が松平大隅守へ、将軍が健勝で、正月二十日に東叡山、同二十四日に増上寺の両御仏殿へ参詣したことを喜ぶ旨を承知し、書面の趣を関係者で相談して上聞に達したと返答した書状。

  26. 追録1-No.1906 戸田忠昌書状

    戸田忠昌が松平大隅守へ、新院御所崩御の知らせに言葉もないほど悲しむ旨を承知し、そのため派遣された使者と書面の趣を関係者で相談して上聞に達したと返答した書状。

  27. 追録1-No.1907 戸田忠昌書状

    戸田忠昌が松平大隅守へ、姫君の入輿が無事に済んだことへの喜びを承知し、その祝儀として使者を立て、目録どおりの品を献上した書面の趣を関係者で披露したと返答した書状。

  28. 追録1-No.1908 戸田忠昌書状

    戸田忠昌が松平大隅守へ、姫君が入輿後初めて先頃御奥へ入ったことを喜ぶ旨を承知し、使者派遣と書面の趣を関係者で相談して言上したと返答した書状。

  29. 追録1-No.1909 宮城和庸書状

    宮城和庸が木脇刑部左衛門へ、島津家家老からの知らせにより、前月二十一日に領内の島へ漂着した南京船一艘と唐人百七人を、例どおり警固付きで送られ受け取ったことを報告した書状。

  30. 追録1-No.1910 大久保忠朝書状

    大久保加賀守忠朝が松平大隅守へ、領地の判物を頂戴した礼に派遣した使者へ時服が下された件についての書状を承知し、各人で相談して言上すると返答する。

  31. 追録1-No.1911 大久保忠朝書状

    大久保忠朝が松平大隅守へ、歳暮の祝儀を献上したことに対する将軍の御内書を拝領し、さらに使者へ時服が下された重なる恩恵への謝意を承知し、書面の趣を上聞に達したと返答した書状。

  32. 追録1-No.1912 大久保忠朝書状

    大久保忠朝が松平大隅守へ、将軍が健勝で先頃小石川御殿へ御成りになったことへの喜びと、その祝儀使者派遣を承知し、書面の趣を上聞に達したと返答した書状。

  33. 追録1-No.1913 大久保忠朝書状

    大久保加賀守忠朝が松平大隅守へ、公方の機嫌を伝え、姫君入輿の祝儀に先頃御能を仰せ付けられた喜びと、そのため使者を差し越したことを承知したと返答する。書面の趣を各人から上聞に達すると伝える。

  34. 追録1-No.1914 大久保忠朝口上覚

    大久保忠朝が、島津帯刀の乗物許可について中根主税へ申し達してあるので、帯刀から主税宅へ人を遣わして事情を尋ね、乗輿できるようにするよう指示した口上覚。

  35. 追録1-No.1915 大久保忠朝書状

    大久保忠朝が松平大隅守へ、翌二十五日四時に江戸城へ登城し、参府の御礼を申し上げるよう通知した書状。

  36. 追録1-No.1916 大久保忠朝・戸田忠昌連署状

    大久保忠朝と戸田忠昌が松平大隅守へ、その家人島津帯刀が召し出されたので、翌日に登城させるよう通知した連署状。

  37. 追録1-No.1917 徳川綱吉御内書

    徳川綱吉が薩摩中将へ、端午の祝儀として帷子・単物数十を受け取り喜んでおり、詳しくは戸田忠昌が伝えるとした御内書。

  38. 追録1-No.1918 島津吉貴将軍初謁記事

    吉貴公御譜中に、貞享二年五月十四日、忠竹(吉貴カとの注)が登営して初めて大樹綱吉に拝見し、太刀一腰・馬代黄金十両・時服二十を献上したと記す。

  39. 追録1-No.1919 島津綱貴帰国記事

    島津綱貴が貞享二年六月四日に帰国の暇を賜り、同月二十五日に江戸を発って大坂などを経由し、九月六日に鹿児島へ到着して新宅へ入った経過と、道中・到着時の応接を記した記事。

  40. 追録1-No.1920 戸田忠昌書状

    戸田山城守忠昌が松平大隅守へ、御馬二疋の献上について堀田対馬守と相談し、首尾よく披露したと伝える。

  41. 追録1-No.1921 戸田忠昌書状

    戸田忠昌が松平大隅守へ、琉球布十巻・泡盛二壺などを献上したところ、将軍が喜んで受け取ったと知らせた書状。

  42. 追録1-No.1922 大久保忠朝書状

    大久保忠朝が松平大隅守へ、家来の駕籠使用許可について関係者と相談し、目付大沢左兵衛へ申し渡したので、家来を遣わして誓詞を提出させるよう通知した書状。

  43. 追録1-No.1923 島津久輝条書

    島津久輝が相良新右衛門へ、武士間の争いなどは偏りなく調査して処置すること、男女の奉公人や衣類・帯などを盗む者を吟味して摘発すること等を命じた条書。

  44. 追録1-No.1924 大久保忠朝外三名連署状

    大久保忠朝ら老中四名が松平大隅守へ、端午の御内書を渡すので、翌日四時以前に家来一人を江戸城へ差し出すよう通知した連署状。

  45. 追録1-No.1925 島津久明系譜抄

    大蔵久明譜中として、島津久明が貞享二年に町田家の番代となることを許され、新恩地千斛と宅地一所を賜り、翌三年に御詰衆役へ任じられたことを記す系譜抄。

  46. 追録1-No.1926 島津光久書状

    島津光久が琉球国司へ、当年の慶賀として恒例どおり使書と目録記載の贈物を受け取り喜んでおり、詳しくは使者が述べると返答した書状。

  47. 追録1-No.1927 島津久竹外五名家老連署条書

    島津久竹ら家老が、南蛮船・唐船等の漂着時の通報、船・人・積荷の保全、救助・曳船、勝手な取引や物品取得の禁止、関係者への褒賞と違反者の処置などを定めた連署条書。

  48. 追録1-No.1928 徳川綱吉御内書

    徳川綱吉が薩摩中将へ、重陽の祝儀として小袖五領を受け取り喜んでおり、詳しくは阿部正武が述べるとした御内書。

  49. 追録1-No.1929 川口宗恒書状

    川口宗恒が木脇刑部左衛門へ、島津家老から通報された領内漂着の南京船一艘と唐人七十三人が警固二人付きで長崎へ送られ、九月六日に着岸して受け取ったことを報告した書状。

  50. 追録1-No.1930 島津光久禁制

    島津光久が、馬の筋を延べる処置は用法上不適切で不仁でもあり、以前から厩の馬に禁じていたが世上でなお行われているとして、今後これを厳禁した禁制。

  51. 追録1-No.1931 戸田忠昌書状

    戸田忠昌が松平大隅守へ、申し渡すことがあるので、当日八時に家来一人を忠昌の私宅へ差し向けるよう通知した書状。

  52. 追録1-No.1932 島津綱貴書状

    島津綱貴が琉球国司へ、改年の祝詞として恒例どおりの書簡と目録記載の贈物を受け取り喜んでおり、後日の吉事を期すと返答した書状。

  53. 追録1-No.1933 島津綱貴書状

    島津綱貴が中城王子へ、改年の慶事として恒例どおりの書簡と目録記載の贈物を受け取り喜んでおり、後日の吉事を期すと返答した書状。

  54. 追録1-No.1934 家老達書

    島津家老が琉球側へ、唐買物について価格・品物の吟味、商人との仲介、積荷・仕分け、抜荷や私的売買の禁止、渡唐商船の取扱い、福州・長崎との関係、報告手続などを詳しく指示した達書。

  55. 追録1-No.1935 有馬新右衛門副状

    有馬新右衛門が大里按司・伊野波親方・稲峯親方へ、池城親方が上国中に唐買物の様子を段々報告した件への返答として、近江方が覚書を池城へ申し渡し、大里按司・三司官へも伝えるよう命じたと知らせる。池城も受けた旨を書付で申し上げたので、同様に二通を写して差し越すと述べる。

  56. 追録1-No.1936 島津綱貴書状

    島津綱貴が琉球国司へ、前年に清国への謝恩使として渡航した池城親方が北京で用務を済ませて帰帆し、清国が泰平であることを喜び、池城が持参した目録どおりの贈物を受け取ったと返答した書状。

  57. 追録1-No.1937 馬の筋延べ禁制遵守・違背時処罰の申渡し

    光久公御譜中に、馬の筋を延べることについての御書付を謹んで承知し、堅く守るよう記す。尾筋まで延べることも停止し、違背があれば拵えた者と持主の主人まで厳しく処罰するとする。持ち来た拵馬の所持については三司官へ申し達し、この旨を琉球方へ申し渡すよう命じる。

  58. 追録1-No.1938 新納久辰達書

    新納近江(久辰の傍注)が稲嶺親方・池城親方・伊野波親方・大里按司へ、天下の禁制を仰せ渡した御書付一通と、それに付く御添書一通の趣旨を琉国へ申し渡して堅く守るよう伝える覚。

  59. 追録1-No.1939 島津久竹外四名家老連署書状

    島津久竹ら家老五名が伊集院宮内へ、黒貫寺隠居の雲海法印が退院して倉岡天正寺へ移った件について、佐土原側の事情を案じ、先の使者では納得が得られなかったため、家老から改めて返書を送ると伝えた連署書状。

  60. 追録1-No.1940 家老達書

    光久公御譜中の覚に、佐土原黒貫寺隠居雲海法印が退院し、伊集院宮内の許から天正寺へ滞在した経緯を示す。式部少輔方へ出奔することや他所への自由な移動は不宜とし、内輪でゆるりと滞在させるのがよいとの上意を伝える。雲海に用向きがある場合は宮内へ参ることも可能とし、西霧嶋辺での滞在について内談し、佐土原家老へ…

  61. 追録1-No.1941 椛山久孝・酒匂高昌連署書状

    椛山久孝と酒匂高昌が伊集院宮内へ、飛脚の書状を読み、黒貫寺隠居雲海法印を領内に置く件について先の申入れと宮内側の返答を了承したと伝えた連署書状。

  62. 追録1-No.1942 家老達書

    島津家老が伊集院宮内へ、黒貫寺隠居雲海法印の件で、以前から近しい東光坊を改めて召し寄せて支障のない処置を相談し、雲海と佐土原側へ伝えるよう指示した達書。

  63. 追録1-No.1943 相良長清・平山忠知連署書状

    相良長清と平山忠知が伊集院宮内へ、十五・十六日付の書状を受け取り、雲海法印について大乗院から花林寺へ申渡し済みであることなど、関係寺院間の処置を返答した連署書状。

  64. 追録1-No.1944 松平信之書状

    松平日向守信之が松平大隅守へ、御卓二脚と御肴一種の献上を首尾よく披露したと返答する。

  65. 追録1-No.1945 家老達書

    島津家老が伊集院宮内へ、島津右京からの書状と雲海法印との協議記録を受け取り、雲海を疑って拘置する意図はないことを示しつつ、寺院側との調整と今後の報告を求めた達書。

  66. 追録1-No.1946 大久保忠朝外二名老中連署状

    戸田忠昌・阿部正武・大久保忠朝が松平大隅守へ、重陽の御内書を渡すため、翌日四時に家来一人を江戸城へ差し出すよう通知した連署状。

  67. 追録1-No.1947 阿部正武書状

    阿部正武が松平大隅守へ、桜島蜜柑と肴一種を献上した件は、首尾よく披露したと知らせた書状。

  68. 追録1-No.1948 徳川綱吉御内書

    徳川綱吉が薩摩中将へ、歳暮の祝儀として小袖五領を受け取り喜んでおり、詳しくは大久保忠朝が述べるとした御内書。

  69. 追録1-No.1949 宮城和庸書状

    宮城和庸が木脇刑部左衛門へ、領内の浦内という湊へ漂着した南京普陀山船一艘と唐人六十九人が警固付きで長崎へ送られ、前日に着津して受け取ったことを報告した書状。

  70. 追録1-No.1950 大久保忠朝書状

    大久保忠朝が松平大隅守へ、皿五箱と肴一種を献上した件は、首尾よく披露したと知らせた書状。

  71. 追録1-No.1951 島津綱貴参府記事

    島津綱貴が貞享三年二月十三日に国元を発ち、海路・中国路・大坂・東海道を経て三月二十五日に江戸へ着き、同月二十八日に登城して先例どおりの品物を献上した参府記事。

  72. 追録1-No.1952 佐土原騒動一件

    佐土原藩で家老松木左門が藩政を専断して家中の対立と財政難を招いたため、家臣らが薩摩の国老へ訴え、江戸の島津光久が左門の召喚・処置、後任配置、関係者への賞罰などを命じた騒動記事。

  73. 追録1-No.1953 島津光久書状

    島津光久が松平大隅守へ、佐土原の島津式部少輔家で代々家老を務めた松木左門が主家と不和になって退いた事情を述べ、左門を領内へ召し寄せて事情を聞くことを申し入れた書状。

  74. 追録1-No.1954 島津光久書状

    島津光久が松平大隅守へ、松木左門を領内に召し寄せる件に加え、左門の嫡子三郎五郎も別件なく佐土原へ差し置かれているので、父子を召し寄せて事情を聞くよう重ねて申し入れた書状。

  75. 追録1-No.1955 島津久元覚書

    島津久元が、松木左門を召喚して帰参を命じた後も、島津式部少輔家から相反する指示が出て行跡が整わなかった事情を述べ、左門を薩摩へ召し寄せて事情を問い、光久の意向に沿って処置するよう求めた覚書。

  76. 追録1-No.1956 島津久元・北郷忠昭連署書状

    島津久元・北郷忠昭が伊集院宮内へ、佐土原の松木左門を高岡から鹿児島へ護送するため、警固・引渡し・宿泊・随行者を定め、父子らに余計な応対をさせず秘密を守るよう詳しく命じた連署書状。

  77. 追録1-No.1957 大久保忠朝外三名老中連署状

    松平信之・戸田忠昌・阿部正武・大久保忠朝が松平大隅守へ、歳暮の御内書を渡すため、翌日四時に家来一人を江戸城へ差し出すよう通知した連署状。

  78. 追録1-No.1958 松平信之書状

    松平日向守信之が松平大隅守へ、香餅・寿帯香・龍涎香・長寿大官香と御肴一種の献上を首尾よく披露したと返答する。

  79. 追録1-No.1959 家老達書

    家老達が伊集院宮内へ、江戸で決した松木左門召喚の意向を伝え、高岡での警固・引渡し、父子三人の随行、鹿児島までの移送、秘密保持と不要な応対の禁止などを指示した達書。

  80. 追録1-No.1960 椛山久孝外二名連署書状

    椛山久孝・宇宿久輝・酒匂高昌が伊集院宮内へ、松木左門・同姓三四郎・同姓長次郎と召仕の者三人、計六人を高岡へ差し越すと伝える。能勢惣左衛門・酒匂吉右衛門の二人を押添えとし、翌朝卯刻に出発、穏佐筋を通行して高岡へ着いたことを確認するよう依頼する。

  81. 追録1-No.1961 相良長清書状

    相良長清が伊集院宮内へ、佐土原への使者として派遣され、島津式部少輔家の者と会談し、宿所・借地・家中の救済をめぐる難題を聞いた経緯を報告し、関係者と相談して処置するよう求めた書状。

  82. 追録1-No.1962 相良長清口上覚

    相良長清が、島津式部少輔家の所帯が逼迫し、銀借用や家中知行の半分借上げをめぐって難儀している事情、江戸での申立てと救済協議、家中への納得が必要であることを条々に述べた口上覚。

  83. 追録1-No.1963 佐多久逵外三名家老連署覚書

    佐多久逵ら家老四名が、松木左門召喚について江戸で大久保忠朝らと協議した内容を伝え、佐土原から薩摩への移送、宿所・供回り・警固・秘密保持、到着後の事情聴取と処置を細かく指示した連署覚書。

  84. 追録1-No.1964 島津光久達書

    島津光久が島津久元・北郷忠昭・肝付兼柄へ、佐土原で悪意ある者が騒動を起こした件について、近隣への波及を防ぎ、関係者の帰服・処置、家中秩序の回復、妻子等の扱いを道理に従って進めるよう命じた達書。

  85. 追録1-No.1965-1 光久、島津久菊ノ窮乏ヲ救フ(枝番1)

    島津光久が、島津式部少輔久寿の財政窮乏により家臣の采地半分を減じる案が出たため、家臣の食田を減らさずに済むよう白銀二百貫目を五年間に分けて与えることとし、家老らへ伝達して謝意を受けた記事。

  86. 追録1-No.1965-2 島津光久帰国・謝礼使記事(重複印字枝番2)

    光久公御譜中に、貞享三年四月十二日に帰国を許され恩賜を受け、四月二十五日に江戸を辞し、大坂・京泊を経て七月朔日に帰城したことと、家老・用人の随行を記す。家臣桂外記忠剰が命を受け江府へ至り、九月朔日に恒例の錬芭蕉百端・塩鯛一箱・するめ(原鰑)一箱・昆布一箱・樽二荷を献上し、将軍が光久の使者に恒例どおり…

  87. 追録1-No.1966 大久保忠朝書状

    大久保忠朝が松平大隅守へ、渡すべき書物があるため、翌朝五時に家来一人を自邸へ差し越すよう求めた書状。

  88. 追録1-No.1967 徳川綱吉御内書

    徳川綱吉が薩摩中将へ、端午の祝儀として帷子・単物数十が届いたことを喜び、詳しくは大久保忠朝が述べるとした御内書。

  89. 追録1-No.1968 光久、家綱ノ七週忌ニ香奠ヲ献

    徳川家綱(厳有院)の七回忌にあたる貞享三年五月八日、東叡山で法会が営まれ、島津光久が使者を通じて香奠の白銀を献じた記事。

  90. 追録1-No.1969 戸田忠昌書状

    戸田忠昌が松平大隅守へ、厳有院七回忌法事に際して使者を通じて香奠を献じた件は、東叡山へ首尾よく奉納され、その趣旨を将軍へ伝えたと知らせた書状。

  91. 追録1-No.1970 大久保忠朝書状

    大久保忠朝が松平大隅守へ、厳有院七回忌法事が東叡山で滞りなく行われ、将軍が五月八日に仏殿へ参詣したこと、紅葉山御宮の修復と正遷宮・参詣が済んだことを知らせた書状。

  92. 追録1-No.1971 島津久記、綱貴ノ参府ニ従フ

    頼母久記譜中に、貞享三年六月四日、綱貴が鹿児島城を発って参覲し、久記が番頭役を勤めたと記す。翌年八月七日に綱貴が登営して家督の事を拝謝し、久記も将軍家に奉謁して太刀・御馬・御衣服等を献上したと記す。

  93. 追録1-No.1972 阿部正武書状

    阿部正武が松平大隅守へ、酷暑につき将軍の機嫌を伺う使者を受け、将軍は健勝であると知らせ、琉球布一箱・肴一種・泡盛酒二壺の献上を披露したと伝えた書状。

  94. 追録1-No.1973 阿部正武書状

    阿部正武が松平大隅守へ、将軍が健勝であること、紅葉山御宮の修復が完成して先月十六日に正遷宮が滞りなく済み、翌日に将軍が参詣したことを知らせた書状。

  95. 追録1-No.1974 佐土原騒動始末

    佐土原で松木左門の余党がなお治まらず、村上三太夫らが徒党を組んで家政を批判したため、光久が使者を派遣した。捕縛時に三太夫らが松木三郎五郎宅へ籠もり放火・抵抗して死傷者が出たので、光久が幕府老中へ使者を送り経緯を報告した騒動記事。

  96. 追録1-No.1975 家老覚書

    島津家老衆が伊集院宮内へ、佐土原の内情について届いた覚書・返書を検討し、島津久寿・久也らへの聴取、家臣・関係者の取扱い、江戸への伺い、疑わしい者への慎重な対応を指示した覚書。

  97. 追録1-No.1976 家老存寄書

    島津家老衆が伊集院宮内へ、佐土原騒動の処理について、家老・家臣への尋問、密談・風説の究明、関係者の召喚・留置、島津久寿・久也間の調整などの存寄を条々に示した書。

  98. 追録1-No.1977 家老覚書

    島津家老衆が伊集院宮内へ、佐土原から届いた覚書・書状を踏まえ、久寿・久也らへの聴取と使者派遣、関係者の退去・留置、吉良作左衛門らの扱いについて早急な返答を求めた覚書。

  99. 追録1-No.1978 島津久寿書状

    島津久寿が島津久元・北郷忠昭へ、黒貫寺隠居を以前から自身の考えで置いていたこと、同人に呪詛の風聞があるため家老と相談し、阿部十蔵から事情を聞いて潜かに留置・吟味する意向を伝えた書状。

  100. 追録1-No.1979 島津久当、家老職ニ任ス

    島津久当が貞享三年七月二十四日に家老職へ任じられたことを記す譜中記事。