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追録1の目録
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追録1-No.101 島津久通・新納久詮連署書状
大明兵乱に伴う平戸・長崎方面の情報収集と警固、使者・奉書、江戸での諸大名の出仕、家臣の帰国などを国許へ報告・指示した連署書状。
追録1-No.102 島津久通・新納久詮連署書状
阿部重次から留守居衆へ示された書付、長崎奉行高力隆長の指示、大明の争乱と異国船への警戒などを国許へ伝えた連署書状。
追録1-No.103 松平乗寿書状
将軍の病気が快方に向かい政務へ復したことを知らせ、島津光久の見舞い・進上に対する謝意と贈答について伝えた書状。
追録1-No.104 松平信綱外二名連署状
将軍の瘧病が早くも本復し、遊興にも出るまで快復したことを知らせ、見舞いへの謝意を述べた老中三名の連署状。
追録1-No.105 松平信綱外二名連署状
松平信綱・阿部重次・阿部忠秋が、以前、公方から息又三郎へ上使をもって御菓子が贈られたことについて、光久側が喜んだとの書状を受けたと伝える。その礼のため遣わされた使者が来たことを上聴に達し、行き届いた配慮に機嫌が良かったと知らせる。詳しくは使者が説明するという。
追録1-No.106 島津光久、将軍拝領の鶴を受領
老中松平信綱が島津光久の留守居家老新納久詮を召し、将軍から拝領した鶴と老中奉書を光久へ届けるよう伝達した記事。
追録1-No.107 北郷久加・新納久詮連署書状
北郷久加・新納久詮が山田民部・川上因幡・島津図書へ、御礼使者の扱いを述べ、昨晩の御鷹に関する拝領と奉書送付、例年どおり伊豆殿宿所へ留守居一人を参上させる手続きを伝える。又三郎の当日四時分の登城御礼や他家の拝領、国許からの使者は急がなくてもよいこと、児玉作左衛門の道具役一人を付けること等も報じる。
追録1-No.108 薩摩・大隅・日向諸県郡・琉球知行方目録
薩摩・大隅・日向諸県郡および琉球の石高を国別に掲げ、内高・朱印高・山川浦濱役などの内訳と総高二十七万二千九百五十六石余を記した知行方目録。
追録1-No.109 松平乗寿書状
島津光久からの見舞い・献上への謝意を述べ、将軍の機嫌がよく政務を行っていること、砂糖漬一箱の贈答を伝えた書状。
追録1-No.110 島津光久、使者をもって将軍家光の病を見舞う
家光が瘧疾を患った際、在国の島津光久が使者を遣わして幾度か病状を伺ったことを記す。平常に復したと聞くとさらに使者を送り祝賀し、御道服五、唐本書籍六部(計三百八冊)、縮緬を献じた。正保三年十一月二十八日に奉書を賜ったという。
追録1-No.111 松平信綱外二名連署状
老中阿部重次・阿部忠秋・松平信綱が松平薩摩守へ、書状を拝見し、公方の不例がさらに快方に向かったこと、先月一日の玄猪の祝儀と四日の諸大名御目見等に触れて返答し、翌日の大納言による御膳献上と鷹狩のことも述べる。光久が使者又三郎を差し越し、御道服五・唐本の書籍六部三百八冊を目録どおり献じた旨を披露し、入念…
追録1-No.112 松平信綱外二名連署状
島津光久が鉄炮で得た鶴一羽を献上したことへの謝意を述べ、使者への応対を伝えた老中三名の連署状。
追録1-No.113 阿部重次書状
阿部重次が島津光久へ、大明と琉球には以前から通用があるため、大明の事情を知っているであろうとして、たとえ風説でも聞いた場合にはその内容を詳しく書いて知らせるよう求める。追而書では、琉球口へ通じて消息を承るべき旨を申し越したことが上聞に達したと伝える。十二月六日付で、封面に戌十二月二十五日・自江戸とあ…
追録1-No.114 松平信綱外二名連署状
参州の御宮に関する儀式が滞りなく済んだことを知らせ、島津光久の使者による見舞いへの謝意を述べた老中三名の連署状。
追録1-No.115 薩摩・大隅・日向諸県郡・琉球高目録
薩摩・大隅・日向の各郡と琉球について郡別石高を列挙し、薩摩・大隅・日向諸県郡・琉球の都合高を記した高目録。
追録1-No.116 徳川家光御内書
徳川家光が薩摩侍従へ、歳暮の祝儀として小袖十が到来したことを喜ぶと伝え、なお酒井讃岐守が申し伝えるとする御内書。十二月二十七日付で家光の墨印がある。
追録1-No.117 松平信綱外二名連署奉書
翌年四月の将軍・大御所の日光参詣に際し、参府・出仕の時期と年始の御礼・法事等の執行について指示した老中連署奉書。
追録1-No.118 新納久親、島津久章護送の途次に死す
罪を得た島津久章を河辺の寺から谷山福泉寺へ護送する際に出役した新納久親が、肝付兼佳らとともに死んだことを記す記事。関係者として金八・稲弥太・星原孫十郎・坂口金右衛門を掲げる。
追録1-No.119 島津光久犬追物秘伝免許状
島津光久が嶋津中務少輔へ、今回論じた犬追物問答五か条を免許すると伝える。当家の秘伝なので、少しも他人に見せたり口外したりしてはならないと命じる。正保四年正月五日付で、光久の御判と御書判上の朱印の注記がある。
追録1-No.120 島津光久犬追物秘伝免許状
島津光久が仁礼左近将監へ、今回論じた犬追物問答五か条を免許すると伝える。当家の秘伝なので、少しも他人に見せたり口外したりしてはならないと命じる。正保四年正月五日付、光久の御書判がある。
追録1-No.121 殉死者名
正保四年の殉死者として川崎平左衛門助延・川添但馬重次・原田平右衛門・藤田政右衛門を列記する。十月晦日の坂元九郎左衛門入道将安は、主君島津大膳忠紀が江戸で死去したと聞いて殉死し、最期の歌を長崎貞義へ贈ったと小字で記す。
追録1-No.122 池田右近将監奉公覚
山田新城をめぐる戦闘・捕縛・知行、諸士の召寄せや配置、鹿児島城外城での勤務など、池田右近将監の奉公経歴と申し分を詳記した覚書。
追録1-No.123 島津久通外三名連署覚書
八重山島産物の出物高を定め、琉球国司出物仕上船の破損時は公儀負担とし、三司官の相談により免許する事項を定めた連署覚書。
追録1-No.124 松平信綱外二名連署状
旧冬に島津光久から使者を通じて進上された品を受領したことを知らせ、年賀の意を伝えた老中三名の連署状。
追録1-No.125 島津光久参勤
島津光久が参勤のため鹿児島城を発し、種子島・日州細島を経て船で大坂へ着き、三月十七日に江戸へ到着した行程を記す記事。
追録1-No.126 島津光久袖判条書
留守中の諸置目、犯罪人・死罪人の処置、鹿児島外城の訴訟・評定、家中案件の裁許などを家老・留守居へ命じた袖判条書。
追録1-No.127 薩摩・大隅・日向諸県郡・琉球知行目録
薩摩・大隅・日向諸県郡と琉球国の知行高を国別に掲げ、内高と総高二十七万二千余石を記した知行目録。
追録1-No.128 松平信綱外二名連署奉書
異国船来航に備えた長崎奉行の移動・警固に際し、船不足を避けて必要人数を迅速に出すよう命じた老中連署奉書。
追録1-No.129 阿部重次書状
薩摩州・琉球から江戸へ渡る船と帆の扱いについて、前年の琉球唐船渡航後の帰帆時期を照会し、紙面での返答を求めた書状。
追録1-No.130 松平信綱・阿部重次連署奉書
異国船渡海の節は領内を油断なく堅固に守り、前年二月の奉書の趣旨に従って沙汰するよう命じた連署奉書。
追録1-No.131 松平信綱・阿部重次連署状
島津光久の見舞いに謝し、将軍が平常どおり機嫌よく政務を行っていることを知らせた老中二名の連署状。
追録1-No.132 松平定頼書状
琉球大島内で二度にわたり破損した寄船について、前年からの経緯を詳しく書付で報告するよう求めた書状。
追録1-No.133 評定所覚書
評定所が、一門・縁者のもとへの参会や往来に際し、諸士および百姓・町人・浦浜の猟師等に礼法を守らせる覚書。馬を追いかけて下馬しない行為を戒め、下馬脇を通ることや鎗の扱いを定める。町人の長刀と一尺八寸を超す脇差を禁じ、横目による違反者の取調べを命じる。下馬しない者を馬から引き下ろし、なお抵抗する場合の制…
追録1-No.134 秋月種重書状
琉球嶋々の絵図を延引なく提出したことに謝し、持参者の登城と将軍への披露、後日の御座・御目見の見通しを伝えた書状。
追録1-No.135 長崎表陣立之覚書
長崎防備に際する物頭・人数の定め、軍大将と佐渡守・筑前守らの役割、船・兵具・騎馬・歩行衆の編成、異国船取懸り時の指揮手順を定めた陣立覚書。
追録1-No.136 琉球国司尚賢書状
薩州侍従島津光久の高恩に報いるため、琉球で霊社を建立して起請文を納めたい旨を申し出て、老中の検討と披露を願った書状。
追録1-No.137 琉球国司尚賢起請文
島津氏の恩を忘れず、薩摩に背き他国と同心せず、薩州の御幕下として忠節を尽くすことを霊社に誓った琉球国司尚賢の起請文。
追録1-No.138 島津久通・新納久詮連署書状
島津図書頭久通・新納右衛門佐久詮が山田民部少輔・北郷佐渡守へ、当地の両殿の安否を伝え、犬追物御上覧の時期がまだ分からず、公家の下向のため延引するのではないかと報じる。上洛に際して早く時期を知らせるよう求めるほか、御兄弟らの御目見、頼朝御日筆の提出、岡宮内太輔方の書状、大山主税の赦免、黒川民部の道具役…
追録1-No.139 徳川家光御内書
徳川家光が薩摩侍従へ、端午の祝儀として帷子・単物数十が到来したことを喜ぶと伝える御内書。なお酒井讃岐守が申し伝えるという。正保四年五月三日付で、家光の墨印がある。
追録1-No.140 幕命により領国絵図を提出
寛永二十一年十二月十六日に受けた領国絵図作成の命について、日向の相給領主伊東大和守祐久・有馬蔵人康純・秋月長門守種春・島津但馬守久雄の草稿を家臣肥後長左衛門盛行に総括させた経緯を記す。盛行は正保四年四月十七日に鹿児島を発ち五月二十四日に江戸へ着いた。七月四日に井上筑後守政清の邸で図の可否を伺い、清書…
追録1-No.141 松平信綱外二名連署状
訴訟に関係する船が長崎へ着いたため加々爪民部少輔・野々山新兵衛を派遣したことを知らせ、領内の浦々を調査して報告するよう命じた老中連署状。
追録1-No.142 松平信綱外二名連署状
先日の大地震による江戸城内外の被害状況を知らせ、島津光久からの見舞使者への謝意と将軍の無事を伝えた老中三名の連署状。
追録1-No.143 松平乗寿書状
松平乗寿が島津光久へ、四月二十一日に大地震があったものの、城内には別条がなかったと知らせる。光久が息又三郎を遣わした配慮を喜び、ますます安泰なので安心するよう伝える。六月六日付の返書である。
追録1-No.144 加々爪忠澄・野々山兼綱連署書状
長崎へ向かう任務につき大坂から船で渡海すること、江戸での指示に従い家老一人の派遣を求め、現地での協議を依頼した連署書状。
追録1-No.145 高力忠房書状
南蛮の黒船が長崎へ入港したことを知らせ、島津方の船と人数の派遣を求め、交替の要否を含め対応を指示した書状。
追録1-No.146 高力忠房書状
薩摩守の留守中に黒船が長崎へ入港したため、飛脚で急報し、先例に従って速やかに人数を長崎へ送るよう求めた書状。
追録1-No.147 島津久通外三名連署書状
領内の浦々で異国の流船を発見した場合の報告、江戸からの奉行衆召寄せ、黒船対応について照会し、早急な指示を求めた連署書状。
追録1-No.148 高力忠房外二名連署書状
高力摂津守・日根野織部正・馬場三郎左衛門が松平薩摩守と家老中へ、南蛮国から黒船二艘が御礼のためと称して長崎へ来航し、今のところ異状はないと伝える。ただし人の入込みなどもあり得るため、隣国から人数を少し差し越すよう連絡しており、薩摩側も関係先と相談し、まず近辺での不慮に備えるよう求める。
追録1-No.149 島津久通外三名連署書状
長崎の黒船警固に向け、薩摩から召寄せる人数、鉄炮衆二百人、烽火・早船などの準備と配置を命じた連署書状。
追録1-No.150 黒船長崎入港警固覚書
長崎へ入港した黒船への警固について、軍勢配置、江戸からの指示、帰帆時の押留め、鉄炮衆の指揮、戦場での軍法を定めた覚書。
追録1-No.151 異国船警固陣立賦
加治木新納家由緒抜書。正保四年夏、長崎の黒船に対応して久見崎へ差し越した人数と役組を記す。一番は大筒頭東郷肥前守・伊集院右衛門ら、二番は弓頭平田大監物・上原小十郎ら、三番は新納加賀守・川上左近将監ら、四番は島津大膳大輔の組とし、多数の人名を列記する。各組に土衆を多人数付け、新納仲左衛門には二十一人を…
追録1-No.152 高力忠房外二名連署書状
高力摂津守・日根野織部正・馬場三郎左衛門が、別紙と猿渡大炊助・相良杢助の口上を承知したと返答し、少人数を各所へ差し出した措置を了承する。黒船が帰帆しようとする場合は事前に知らせ、そちらへ来れば押し留めるよう求める。江戸からの上意は今月末までは来ない見込みで、当面は待つこととし、詳しくは両使が説明する…
追録1-No.153 島津久通・新納久詮連署書状
長崎黒船警固、諸役人の処遇、知行・免許、寺社・外城・琉球関係、家臣の進退など多数の案件を国許へ報告・指示した連署書状。
追録1-No.154 島津久慶外三名連署書状
黒船警固に伴う人数差越し、内場衆の派遣、鉄炮衆百五十程の召集、兵具・火矢・玉薬の準備と京泊での調整を命じた連署書状。
追録1-No.155 島津久慶覚書
長崎黒船警固に関し、浦々の油断なき監視、船の配置・交替、鉄炮・烽火・早船、兵糧と指揮系統などを詳細に指示した覚書。
追録1-No.156 酒井忠勝書状
長崎の黒船入津に伴う人数派遣、薩摩からの使者、鉄炮二百挺の配置、国元の家老・留守居への指示について了承を伝えた書状。
追録1-No.157 長崎黒船対応覚書
松平信綱らの意向を受け、長崎への黒船来着時の人員・鉄炮・浦方警固、出船・帰帆監視、薩摩方家老への通達手順を定めた覚書。
追録1-No.158 北郷久加、黒船警固のため長崎へ赴く
南蛮黒船が平戸・長崎方面へ来航したため、北郷久加が筑後守を名乗り、長崎へ赴いて諸将を指揮し警固に当たったことを記す記事。
追録1-No.159 有馬康純書状
有馬康純が、薩摩守の無事を伝え、長崎異船の着岸について配慮されたことに謝す。付き添う家来たちへも時々心得を伝えてほしいと頼み、変わったことがあれば留守居の者に知らせてもらえれば、さらに連絡を添えると述べる。八月朔日付で、嶋津弾正・川上因幡守・北郷佐渡守に宛てる。
追録1-No.160 高力忠房外三名連署触状
長崎へ着岸した南蛮黒船二艘が近く帰帆したいと申し出たため、高力摂津守・日根野織部正・馬場三郎左衛門・山崎権八郎が警戒を指示する。風によって岸近くへ来ても船員を上陸させず、日本人が黒船と通用しないよう、浦々・島々へ厳重に申し付ける。政所長尾左太夫を通じて仰せ出されたという。
追録1-No.161 島津久慶・川上久国連署条書
島津久慶・川上久国の黒船警戒条書。南蛮の新王交替に伴う使船と通常船の違い、帰帆の指示を伝え、日本人の乗船と黒船からの上陸を禁じる。琉球・甑島でバテレンを発見して長崎へ送った先例と発見者への褒賞に触れ、黒船が日本人を隠して夜中に上陸させる恐れがあるとして警戒を命じる。昼は遠見、夜は二人が各々乗馬で巡回…
追録1-No.162 島津久慶・川上久国連署覚書
夜間警戒の人数、遠嶋・崎洲の番、船影を発見した場合の通報・渡海、外城への指示などを補足した連署覚書。
追録1-No.163 北郷久加・新納久詮連署書状
阿部重次からの御用、飛脚派遣、家臣三人の国許到着、幕府の許可と期限、役儀などを国許へ報告した連署書状。
追録1-No.164 島津久慶・川上久国連署廻状
長崎政所の指示により浦々へ張番を置いたが、黒船帰帆後は番衆を帰し、今後も船の往来を監視するよう各地へ回達した連署廻状。
追録1-No.165 島津久通・新納久詮連署書状
急使と飛札による江戸からの連絡、夜中の登城・死亡に伴う御用など緊急案件を国許へ伝えた連署書状。
追録1-No.166 新納忠清書状
黒船が無事に帰帆して役目を果たしたこと、長崎での用務と人員配置を知らせ、関係者への申達を求めた書状。
追録1-No.167 島津久通・新納久詮連署書状
家臣の縁組・婚姻、役儀・知行、親族関係、江戸での御目見など複数の家中案件について承認・照会した連署書状。
追録1-No.168 島津久通・新納久詮連署書状
島津久通・新納久詮が十一月十一日、犬追物の上覧日を明後日の十三日とする旨が昨日仰せ出されたと国許へ伝える。国許一同も喜んでいるであろうとして、当日の首尾は追って知らせるという開催予定の通知である。封面に、十一月十一日の状を本田内膳が十一月十六日朝に持ち下った旨がある。
追録1-No.169 島津光久、武州王子村で犬追物を執行
将軍家光の台覧に備え、光久が武州王子村に犬追物の馬場・仮御殿・桟敷を設けた記事。当地は将軍家の放鷹地で茶亭があった。十一月十三日、光久・久平らが上覧に供し、上手・次手・下手と追加二手について犬匹数・中矢数を記す。家光の称賛、刀剣等の進献と拝領、会食、申刻の還御までを述べる。
追録1-No.170 犬追物手組
正保四年十一月十三日の犬追物手組。上手・次手・下手について射手名と各人に付された足数を配列し、検見・喚次の担当者も記す。複数の手組表を掲げる。
追録1-No.171 島津光久、犬追物上覧の恩を謝す
犬追物上覧後、十一月十六日に光久・久平と射手・関係者が登城して礼を述べる。光久は家光へ太刀・御馬一匹・小袖・白銀、久平も刀剣・猩々皮等を献上し、その後、家臣や射士らへ褒賞が分与された。関係者四十二人と支給の差、病欠二人にも触れる。十二月二日は家綱への謝恩として光久が御馬一匹、久平が馬代黄金一枚・御服…
追録1-No.172 島津綱久、徳川家光に拝謁
綱久公御譜中。家伝射術である犬追物を光久が十一月十三日に王子村で家光の台覧に供し、綱久も随従した由緒を記す。家光が綱久へ宝刀一腰を賜り、綱久も脇指一腰を進献した。十六日に登営して犬追物上覧の恩を謝し、十二月二日には西丸で謝恩し家綱から宝刀一腰を賜った。詳しくは光久の譜に見えるという。
追録1-No.173 島津久通、犬追物に参加
図書頭久通譜中。冒頭に荒木元満から久元・元政を介する馬書共九冊免状と久通への伝授、正保四年冬の返進を記す。続いて、十一月十三日に光久が王子村で張行した犬追物を家光が台覧し、久通・新納右衛門らが射手となったと述べる。十六日は登城・白書院での礼と衣服三重、十二月二日は二丸で衣服二重を賜り、後に太守からも…
追録1-No.174 島津忠広、犬追物の射手に列す
正保四年十一月十三日、王子村の犬追物で忠広が射手に列し、将軍家光の台覧に備えた。十六日に登城して奉拝し小袖三襲を賜り、十二月二日には二丸で家綱に拝謁して小袖二重を拝戴したという市正忠広譜の記事。
追録1-No.175 島津久弘系譜抄
薩州家島津久弘の出生・系統を掲げ、武州王子村の犬追物で射手に列して将軍家光へ奉仕したことを記す系譜抄。
追録1-No.176 川上久慶、犬追物の検見を勤む
川上久慶入道芳安譜中。正保四年十一月十三日の王子村犬追物で芳安が検見を務めた。十六日に登営して家光に拝謁し衣服四領、十二月二日に二丸で家綱に拝謁し衣服三領を賜る。さらに太守光久が犬追物の無故障を褒め、太刀と白銀五十葉を与えたと記す。
追録1-No.177 新納久了、犬追物の検見を勤む
武州王子村の犬追物で新納久了が検見役を勤め、将軍家光の上覧後に拝謁して衣服を拝領した記事。
追録1-No.178 樺山氏譜中の犬追物射手・拝謁記事
樺山諸右衛門尉久広譜中の記事。十一月十三日、光久が王子村で張行し将軍家の台覧に備えた犬追物に、本文では久列が射手に列したとあり、小字に久広かとの注が付く。登城して奉拝し衣服を拝戴したと記す。別注では樺山長門忠則もこの時の射手と譜中にあるという。
追録1-No.179 島津久通・新納久詮連署書状
十一月十三日の犬追物は三手を終え、さらに所望による一手も首尾よく整い、将軍が満足したと国元へ報じる連署書状。御兄弟衆をはじめ一万石から上の大名衆・旗本まで見物を許されたこと、当家の面目と家中の喜び、詳細を後便で伝える旨を述べる。
追録1-No.180 島津久通・新納久詮連署書状
十三日の犬追物が首尾よく行われ、大名・旗本まで広く見物したことを国元へ報じる。茶屋御殿で吸物を受け、光久が貞宗の脇指、又三郎が国行の刀を拝領した旨を記す。十六日は射手・役者・家老談合衆らが登城して御目見し、小袖を各々拝領した。進上・拝領物や組別の詳細を別紙とし、橋口松浦介の口達に委ねる。封面に十二月…
追録1-No.181 島津久通・新納久詮連署書状
前日十六日の登城に伴う騎馬は五十七、八騎ほどで、家中衆まで広く登城を許されたことが家の名誉となり、江戸中でも評判となったと報じる。消息を領国の諸士・寺社家・山伏にも披露するよう求めた、霜月十七日付の連署書状。
追録1-No.182 犬追物射手組・褒賞記
十一月十三日の犬追物について上手・次手・下手と所望による二手の射手・検見・喚次、犬奉行・犬放し・馬の配置等の諸役、会場手配・食事・進行を列記する。公方・大納言への進上物には鯛の折、後日の進上物には栗毛の御馬一疋などがあり、拝領小袖の明細も続く。翌日以降の御礼・登城を経て、十六日の乗馬衆を五十七、八騎…
追録1-No.183 犬追物御覧記
正保四年十一月十三日、光久が将軍家光の犬追物上覧に備えた王子村放鷹地の馬場・桟敷等の設営、装束・馬具、三十六騎の射手組と諸役、犬放し・射法・検見と追加の手組を詳述する。松鶴を描いた瓶子、平魚・鯉の進物、鹿皮行縢、鷲羽・鷹羽なども記す。刀剣等の進献・拝領、十六日および十二月二日の登城御礼・御馬と馬代の…
追録1-No.184 島津久通・新納久詮連署書状
十二月二日、大納言から犬追物の射手衆を召し列ねる旨の指示があり、父子と関係者が二丸に登城して御目見したと報じる。薩州は刀一腰、又三郎は脇指一腰、射手衆・使者衆は小袖を四つ・三つ・二つずつ拝領した。国元にも慶事の様子を推察するよう伝え、近日さらに諸慶を報じるという。封面注に同月二十五日参着とある。
追録1-No.185 島津久通・新納久詮連署書状
江戸在府中の家臣召加え、射手衆・諸役者の褒賞、翌年の在府・参勤・御暇、外城衆の取扱いなどを国許へ指示した連署書状。
追録1-No.186 しゅりん消息
近況への返答、日常の奉公・守殿への取次、贈物や礼、帰国・再会への希望などを仮名書きで伝えた私的消息。
追録1-No.187 松平乗寿書状
松平乗寿から松平薩摩守への書状。牧野内匠頭が病中で登城しないため判を加えられないと断り、大納言の御機嫌を伝える。使者の嶋津市正を介した白砂糖三桶・田雞一羽・琉球酒二壺の献上を取り次ぎ、詳しくは使者が説明すると述べる。
追録1-No.188 松平信綱外二名連署状
徳松殿の御移徙が滞りなく済んだことを知らせ、島津光久の使者による祝意への謝意を伝えた老中三名の連署状。
追録1-No.189 島津久通・新納久詮連署書状
肥後長左衛門の帰国、知行・屋敷移転、家臣の扱いと長左衛門への申合せなどを国許へ伝えた連署書状。
追録1-No.190 有馬康純書状
有馬康純から嶋津弾正への書状。絵図の件で使者を差し出したところ、特に心配りを受け、指図も添えられたことへの礼を使札で述べる。尚以に鮎鮓一桶を進献すると記す。
追録1-No.191 山崎正信書状
年頭の祝状に謝し、当地に変わりがないと伝える。旧冬、江戸王子で薩摩守殿が犬追物を学び上覧に供して首尾よく成就し、薩州守父子が名物の腰物などを拝領、家来衆も多数御目見して小袖を拝領したことを祝う。各々満足したという消息を述べた、山崎正信から嶋津弾正への書状。
追録1-No.192 阿部忠秋・阿部重次連署奉書
台徳院の遠忌に際して軽罪人が赦免されたため、領国内の在々所々でも趣旨に従い放免するよう命じた老中連署奉書。
追録1-No.193 阿部忠秋・阿部重次連署奉書
台徳院遠忌に伴う軽罪人赦免を領国内でも実施するよう命じた老中連署奉書の別収録。本文注記により御譜不収録本であることが分かる。
追録1-No.194 島津久通・新納久詮連署書状
台徳院遠忌に伴う軽罪人赦免の老中奉書を受け、領内で速やかに赦免と触達を行い、対応を書面で報告するよう国許へ命じた連署書状。
追録1-No.195 光久、秀忠の十七年忌に香奠を献す
台徳院秀忠の十七年忌が増上寺で営まれ、国許にいた島津光久が家臣島津久守を江戸へ名代として派遣し、香奠を供えた記事。
追録1-No.196 松平信綱外二名連署状
年始の礼に応じ、台徳院遠忌に伴う赦免の御法事が済んだため、今後は通常どおり出仕してよい旨を伝えた老中三名の連署状。
追録1-No.197 綱久、松平定頼女と婚す
島津綱久が伊予松山城主松平隠岐守定頼の娘と婚姻し、江戸芝の島津邸で婚礼の大礼を行った記事。
追録1-No.198 島津久通・新納久詮連署書状
又三郎綱久の祝言が前日に首尾よく整ったことを知らせ、国許からも早く祝儀を申し上げ、猶期後喜の際に意を尽くすよう指示した連署書状。
追録1-No.199 怡三起請文前書
怡三の起請文前書。二世の奉公を偽りなく堅固に行い、常々の奉公方につき別心や油断なく勤めることを誓う二箇条で、偽りの場合の牛王神文・霊社の文言は省略してある。閏正月吉日付、文中に正保五年とある旨の注が付く。
追録1-No.200 光久帰国す
上使松平信綱・松平乗寿が将軍家と大納言家の命を伝え、島津光久に早期帰国を命じた。光久は二月十三日に江戸を発ち、大坂を経て三月七日に薩摩へ帰着し、島津久通が随行した記事。