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追録1の目録

暫定版です。原文との照合により、概要や文書の区切り等を修正する場合があります。

全2,718件中 2201~2300件・23 / 28ページ

  1. 追録1-No.2180 村尾重栄琉球ニ在番ス

    元禄二年三月二十六日、村尾重栄を琉球在番奉行として派遣し、東郷三左衛門らを副役に付け、任期を終えた元禄四年七月十八日に薩摩へ帰ったことを記す記事。

  2. 追録1-No.2181 島津綱貴書状

    島津綱貴が高木伊勢守・藤堂伊予守の家臣へ、江戸および関東筋の川舟に付す極印を改める旨の書付を受け、その内容を承知したと回答した書状。

  3. 追録1-No.2182 島津綱貴書状

    綱貴が寺社・町・勘定の七奉行へ、家来の是枝喜兵衛の中間である伴右衛門が、当正月十七日に江戸大坂町の部屋預所で狼藉し、牢舎を命じられ吟味のうえ江戸追放となった旨を書面で承知したと返答する。

  4. 追録1-No.2183 島津綱貴書状

    島津綱貴が阿部正武へ、歳暮祝儀として小袖を献上し、御内書を頂戴したことへの礼を述べ、その旨を披露するよう求めた書状。

  5. 追録1-No.2184 島津綱貴書状

    島津綱貴が阿部正武の家臣へ、歳暮の御内書を頂戴し、家臣が時服二領を拝領したことへの礼を述べ、主人へ取り次ぐよう求めた書状。

  6. 追録1-No.2185 乾崖梵竺請状

    相国寺林光院の乾崖梵竺が島津久竹らへ、島津義弘の寿像を同院に安置したことに伴う毎年銀十枚の佛餉料寄附を受納し、後代まで勤行を怠らないこと、薩摩側は寺の修覆を負担しないことを請けた文書。

  7. 追録1-No.2186 島津氏家臣御目見人数書上

    島津綱貴の家臣について、綱貴の弟島津久住と従弟島津忠守の御目見を願い、家督後初参勤に供奉した家老として北郷久加・山田有栄を挙げた人数書上。

  8. 追録1-No.2187 島津綱貴請書

    島津綱貴が戸田山城守へ、翌二十六日四時以前に登城し、参勤の礼を申し上げるよう命じた奉書を拝見し、その旨を承知したと回答した請書。

  9. 追録1-No.2188 島津綱貴請書

    島津綱貴が戸田山城守へ、家臣の島津久住・島津忠守を翌二十六日四時以前に登城させるよう命じられ、その旨を承知したと回答した請書。

  10. 追録1-No.2189 綱貴、家臣ヲ伴ヒ綱吉ニ謁ス

    元禄二年四月二十六日、島津綱貴が参府礼のため島津久住・島津忠守らを伴って登城し、将軍徳川綱吉に拝謁して太刀・馬代銀・時服を献上したほか、久住・忠守もそれぞれ太刀・銀・時服を献じ、以後の参府時に氏族一人を将軍へ御目見させる家例となった記事。

  11. 追録1-No.2190 島津久住、綱吉ニ拝謁ス

    島津久住が島津綱貴の参府に供奉して江戸へ赴き、元禄二年四月二十六日に綱貴に従って登城し、将軍徳川綱吉に拝謁して太刀・馬代・時服を献上した記事。

  12. 追録1-No.2191 島津綱貴書状

    島津綱貴が関所担当の四名へ、島津光久の妻に仕える女性一人を国元へ下すため、家臣が願い出た関所切手を整えてもらったことに礼を述べた書状。

  13. 追録1-No.2192 島津綱貴請書

    島津綱貴が大久保加賀守へ、用事があるため翌十一日四時に登城するよう命じた奉書を拝見し、その旨を承知したと回答した請書。

  14. 追録1-No.2193 島津綱貴書状

    島津綱貴が大久保忠朝へ、琉球布・天門冬砂糖漬・泡盛酒・肴一種を献上し、滞りなく披露されたことに礼を述べた書状。

  15. 追録1-No.2194 光久帰国ス

    元禄二年六月、将軍徳川綱吉が島津綱貴を召して島津光久の帰国暇を許し、羽織五領を与えた。光久は同月二十八日に江戸を発ち、大坂から乗船して八月二十八日に鹿児島へ帰着し、帰国礼の使者と献上品を送り、十月に奉書・時服・羽織を受けた記事。

  16. 追録1-No.2195 綱貴、馬献上ス

    元禄二年六月、島津綱貴が家督後初参府に際し、祖父島津光久の先例に従って将軍徳川綱吉へ馬二匹を献上した記事。

  17. 追録1-No.2196 島津綱貴書状

    島津綱貴が大久保忠朝へ、馬二匹を献上したところ滞りなく披露されたことに礼を述べた書状。

  18. 追録1-No.2197 島津綱貴請書

    島津綱貴が幕府奉行衆へ、家臣らの下人五人が芝西応寺町で大八車を引き掛けて人を負傷させ、一人が死亡した事件について、評定所の裁許で五人を出牢させ江戸十里四方追放とする旨を承知した請書。

  19. 追録1-No.2198 綱貴、息忠竹ノ縁組ヲ願フ

    元禄二年六月、島津綱貴が嫡子島津又三郎忠竹の妻として、勢州桑名城主松平越中守の娘を迎える縁組を幕府へ願い出た記事。

  20. 追録1-No.2199 島津吉貴縁組願書

    松平越中守の娘と島津又三郎吉貴との縁組について、双方が成立を願い出た文書で、越中守方の小笠原彦太夫、薩摩守方の向井兵庫助を取次として記す。

  21. 追録1-No.2200 島津忠守・喜入久亮連署条書

    島津忠守と喜入久亮が野村太左衛門へ、御物方の収支を小事まで藩の利益にかなうよう勤め、不都合や不合理は報告し、御物銀・諸方続銀・国許からの雑物を滞りなく維持し、金銀支出を慎重に吟味して諸用を滞らせないよう命じた条書。

  22. 追録1-No.2201 島津綱貴書状

    島津綱貴が関所担当の四名へ、家来の母と下女の計二人を国元へ送るにあたり、関所切手を調えてもらったことへの礼を述べた書状。

  23. 追録1-No.2202 島津綱貴書状

    島津綱貴が琉球国司へ、改年の賀状と、恒例により使者濱比嘉親方を通じて目録どおり贈られた品を受け取ったことに謝意を伝えた書状。

  24. 追録1-No.2203 島津綱貴書状

    島津綱貴が琉球国司へ、虎安誕生の祝儀として使者松堂親雲上を通じ別録どおり贈られた品への謝意を述べた書状。

  25. 追録1-No.2204 島津綱貴書状

    綱貴が琉球国司へ、相手方が平穏であることを喜び、自身にも変わりないと知らせる。大清王から到来した天青龍金入織子一巻・天青雲織子一巻・繻子一巻を贈られた厚意に謝する。

  26. 追録1-No.2205 島津綱貴書状

    島津綱貴が琉球国司へ、前年の清国進貢使者越来親雲上が任を無事果たして五月二十日に帰国し、清国が泰平で皇帝拝領物も例年どおりだったとの報告を喜び、同人を通じた贈品に謝意を述べた書状。

  27. 追録1-No.2206 島津綱貴書状

    島津綱貴が中城王子へ、改年の賀詞と、例年どおり別録の表に記した品を贈られたことへの謝意を述べた返書。

  28. 追録1-No.2207 島津綱貴書状

    島津綱貴が中城王子へ、虎安誕生の祝詞と目録どおりの贈物への謝意を述べた返書。

  29. 追録1-No.2208 島津吉貴書状

    島津吉貴(又三郎忠竹)が琉球国司へ、改暦の賀状と、恒例により目録どおり贈られた品への謝意を述べた書状。

  30. 追録1-No.2209 島津吉貴書状

    島津吉貴(又三郎忠竹)が琉球国司へ、虎安誕生の祝詞として使者松堂親雲上を通じ別録どおり贈られた品への謝意を述べた書状。

  31. 追録1-No.2210 島津吉貴書状

    島津吉貴(又三郎忠竹)が中城王子へ、改年の祝詞と嘉例により目録どおり贈られた品への謝意を述べた返書。

  32. 追録1-No.2211 島津吉貴書状

    又三郎忠竹(吉貴)が中城王子へ、虎安出生への祝意を示され、特に別録どおりの品々が到来したことを喜ぶと述べた返書。

  33. 追録1-No.2212 島津綱貴書状

    島津綱貴が戸田山城守へ、御内書を頂戴し、家来の者が時服三つを拝領したことへの礼を述べた書状。

  34. 追録1-No.2213 島津綱貴書状

    島津綱貴が大久保忠朝へ、琉球蒔絵の火鉢を献上し、牧野備後守の取り次ぎで内々に披露が済んだ旨を承知したことと、返答が遅れた事情を述べた書状。

  35. 追録1-No.2214 島津光久書状

    光久が琉球国司へ、虎安出生の祝詞として使者と目録どおりの贈物が届けられた厚意を喜び、謝意を述べる。編者注は虎安丸を綱貴の四男玄蕃忠直の幼名とし、貞享五年四月五日誕生と記す。

  36. 追録1-No.2215 島津光久書状

    島津光久が琉球国司へ、先年清国へ渡った礼聘物船が任を無事果たして当夏帰帆し、清国からの品々も例年どおり到来したとの報告を喜び、使者が別紙どおり持参した贈物に謝意を述べた書状。

  37. 追録1-No.2216 島津光久書状

    島津光久が中城王子へ、虎安出生の祝意と目録どおりの贈物への謝意を述べた返書。

  38. 追録1-No.2217 島津綱貴願書

    島津綱貴が、八月二十八日に国元へ着いた同姓大隅守の隠居帰国礼について、派遣使者の御目見と使者自身の礼を先例どおり許可するよう願った願書。

  39. 追録1-No.2218 幕府老中問状

    幕府老中が島津家へ、今回の使者の親・祖父の御目見、祖父隠居中の帰国御礼使者、薩摩守部屋住中の帰国御礼使者について、過去の御目見・御暇の先例を項目別に書き出して回答するよう求めた問状。

  40. 追録1-No.2219 赤松則茂覚書

    赤松則茂が、中将の帰国御礼使に関し、老中への献上物・目録・口上書・先例書付の提出、連署衆への書状、使者の礼服・時服・献上品、登城と御目見の手順を記した覚書。

  41. 追録1-No.2220 島津忠守・喜入久亮連署覚書

    島津忠守と喜入久亮が国元へ、中将の帰国御礼使に関し、老中・連署衆への書状と献上物、使者の御目見・礼服・時服、登城、先例照会など江戸での手続と幕府側の意向を条項ごとに報告した覚書。

  42. 追録1-No.2221 島津久寿、佐土原ノ家督代ヲ許サル

    佐土原城主島津忠高の死後、惟久が幼少であったため、祖父島津光久の願いにより再従兄弟の島津久寿が成長まで家督代を務めることを幕府が許した経緯と、久寿家老松木左門らの家中騒動に触れた記事。

  43. 追録1-No.2222 島津綱貴条書

    島津綱貴が島津久寿へ、又次郎の成人に伴う家督相続を進め、家中騒動を止め、公儀に不忠となる事態を避けるため、家臣の処置と家中統制を速やかに行うよう命じた条書。使者として島津新八を派遣した。

  44. 追録1-No.2223 島津綱貴請書

    島津綱貴が土屋相模守へ、重陽の御内書を頂戴するため、翌日五時過ぎに家来を登城させるとの命令を承知した請書。

  45. 追録1-No.2224 島津綱貴書状

    島津綱貴が土屋相模守へ、御内書を頂戴し、家来の者が時服三つを拝領したことへの礼を述べた書状。

  46. 追録1-No.2225 島津綱貴書状

    綱貴が土屋相模守方へ、重陽祝儀として小袖を献上したところ御内書を頂戴し、ありがたく思う旨を述べ、その趣旨をしかるべく披露するよう依頼する。

  47. 追録1-No.2226 島津綱貴請書

    島津綱貴が戸田山城守へ、又三郎忠竹の元服にあたり、翌十五日五時に同人を連れて登城するよう命じられた旨を承知した請書。

  48. 追録1-No.2227 吉貴元服

    元禄二年十二月十四日に奉書を受け、翌十五日に島津綱貴が嫡子又三郎忠竹を伴って登城し、忠竹が松平修理大夫吉貴と称して侍従に任じられ、従四位下に叙された記事。

  49. 追録1-No.2228 吉貴官位昇進

    吉貴公御譜中に、元禄二年十二月十四日に父綱貴が奉書を受け、翌十五日に忠竹が登営し、綱吉の加冠、吉字と松平称号・黒印の授与、叙任を受けて吉貴を称したと記す。吉貴側は礼として太刀一腰・馬代白銀三百枚・小袖二十を綱吉へ献上し、綱吉から腰刀を賜る。同日、御台所へ白銀三十枚を別に献じる。

  50. 追録1-No.2229 島津綱貴書状

    島津綱貴が戸田山城守へ、領内の桜島蜜柑二箱と肴一種を献上し、滞りなく披露されたことへの礼を述べた書状。

  51. 追録1-No.2230 島津吉貴叙従五位下口宣案

    朝廷が源吉貴(島津吉貴)を従五位下に叙する旨を伝えた口宣案。上卿は今出川大納言伊季で、蔵人頭右大弁藤原頼重が奉じた。

  52. 追録1-No.2231 島津吉貴任修理大夫宣旨

    朝廷が従五位下源朝臣吉貴(島津吉貴)を修理大夫に任ずる宣旨。外記兼掃部頭造酒正助教中原朝臣師庸が奉じた。

  53. 追録1-No.2232 島津吉貴任修理大夫口宣案

    朝廷が従五位下源吉貴(島津吉貴)を修理大夫に任ずる旨を伝えた口宣案。上卿は今出川大納言伊季で、蔵人頭右大弁藤原頼重が奉じた。

  54. 追録1-No.2233 上卿職事名覚書

    島津吉貴の任官関係文書に伴い、上卿を久我大納言通誠、職事を裏松左少弁と記し、松平薩摩守の名を掲げた覚書。

  55. 追録1-No.2234 島津吉貴叙従五位下位記

    朝廷が源朝臣吉貴(島津吉貴)の忠勤を賞し、従五位下に叙した位記。宣命体の本文に叙位理由、担当官人、年月日、朱印を記す。

  56. 追録1-No.2235 島津吉貴叙従四位下口宣案

    朝廷が従五位下源吉貴(島津吉貴)を従四位下に叙する旨を伝えた口宣案。上卿は清水谷中納言、蔵人頭右近衛権中将藤原定経が奉じた。

  57. 追録1-No.2236 島津吉貴任侍従口宣案

    朝廷が従四位下源吉貴(島津吉貴)を侍従に任ずる旨を伝えた口宣案。上卿は三条大納言実通、蔵人兵部大輔藤原俊清が奉じた。

  58. 追録1-No.2237 島津吉貴任侍従宣旨

    朝廷が修理大夫従四位下源朝臣吉貴(島津吉貴)を侍従に任ずる宣旨。外記兼掃部頭造酒正助教中原朝臣職永が奉じた。

  59. 追録1-No.2238 島津吉貴叙従四位下位記

    朝廷が源朝臣吉貴(島津吉貴)の忠勤を賞し、従四位下に叙した位記。宣命体の本文に叙位理由、担当官人、年月日、朱印を記す。

  60. 追録1-No.2239 吉貴従四位下叙任

    島津家の旧規により、従五位下と従四位下の二通の口宣を同日に賜り、従四位下を初位としたことを記す記事。

  61. 追録1-No.2240 徳川綱吉一字状

    将軍徳川綱吉が松平修理大夫(島津吉貴)へ、名乗りに用いる一字「吉」を黒印状で与えた一字状。

  62. 追録1-No.2241 徳川綱吉松平称号授与状

    将軍徳川綱吉が島津修理大夫(吉貴)に松平称号の使用を許した黒印状。

  63. 追録1-No.2242 飛鳥井雅豊紫組冠免許状

    飛鳥井雅豊が門弟の薩摩侍従(島津吉貴)へ、紫組冠懸の使用を免許した文書。

  64. 追録1-No.2243 装束目録

    島津吉貴の装束として、夏冬の衣冠・束帯・狩衣・直垂各二通と衛府太刀一腰を列挙した目録。

  65. 追録1-No.2244 侍従以上息男目見次第

    侍従以上の息男が初めて将軍に御目見する際の装束、進物、奏者番衆による披露、父・親類の同道、黒書院・白書院での礼席、正月三日の礼法などを定めた次第。

  66. 追録1-No.2245 島津綱貴書状

    島津綱貴が玉置小平太へ、同氏修理大夫吉貴の元服・侍従任官に対する祝詞と使者派遣に謝意を述べ、その礼を伝えるよう求めた書状。

  67. 追録1-No.2246 島津綱貴書状

    島津綱貴が三浦長門守へ、同姓修理大夫吉貴の前年の官位下命に対する祝詞と使者派遣に謝意を述べ、その礼を伝えるよう求めた書状。

  68. 追録1-No.2247 島津綱貴書状

    綱貴が中山備前守へ、年始祝詞の使者を通じて太刀一腰と馬代黄金十両を下されたことへの謝意を述べ、その礼をしかるべく伝えるよう依頼する。十両は金額であり生馬数ではない。

  69. 追録1-No.2248 島津綱貴書状

    綱貴が内藤大和守方へ、公方の健勝を喜び、同姓修理大夫が旧臘に元服し侍従を命じられたことへの謝意を述べる。奉書を受けて修理大夫が差し上げる使者の扱いについて差図を求め、太刀・馬代黄金十両・時服十を祝儀の印として進覧する。

  70. 追録1-No.2249 亀姫(綱貴女)誕生、記事

    島津綱貴の娘亀姫が元禄三年正月晦日に武州芝で誕生し、元禄十三年冬に将軍徳川綱吉の許可を得て、近衛家熙の嫡子大納言家久との婚約が定められた記事。

  71. 追録1-No.2250 島津綱貴書状

    島津綱貴が進藤修理亮へ、関白宣下を承知して祝意を述べ、使札を送り、肴三種と樽二荷を進上した書状。

  72. 追録1-No.2251 島津綱貴書状

    島津綱貴が進藤筑後守へ、関白宣下を承知して祝意を述べ、使札とともに太刀一腰、馬代黄金十両、紗綾三十巻を進上した書状。

  73. 追録1-No.2252 島津綱貴書状

    島津綱貴が内藤大和守へ、同姓修理大夫吉貴の任官に際し、使者が宣旨・口宣を頂戴できたのは取持ちによるとして謝意を述べた書状。

  74. 追録1-No.2253 島津綱貴書状

    島津綱貴が平松右衛門督へ、勅許により右衛門督となったことを祝い、祝儀として目録記載の品を進上した書状。

  75. 追録1-No.2254 島津綱貴書状

    綱貴が中将へ、書状を拝見したと返答し、自身の厄年にあたり愛宕山へ祈祷のため百味を差し上げる予定だと述べる。また中将の厄年に立願された趣旨を詳しく承知し、その返答を送る。

  76. 追録1-No.2255 島津綱貴書状

    島津綱貴が三輪山先達へ、自身の前厄に際して祈祷札などを贈られた厚意に謝意を述べた書状。

  77. 追録1-No.2256 島津綱貴書状

    島津綱貴が進藤筑後守へ、関白から年頭祝儀の書状と調合した御薫二香合を拝領したことへの謝意を述べ、関白へ伝達するよう求めた書状。

  78. 追録1-No.2257 島津綱貴書状

    島津綱貴が大久保加賀守忠朝へ、香具数品と肴一種を献上し、滞りなく披露されたことへの礼を述べた書状。

  79. 追録1-No.2258 島津綱貴書状

    島津綱貴が進藤筑後守へ、祝儀使者が料理を賜り、祝物を拝領したことへの謝意を述べ、その旨を披露するよう求めた書状。

  80. 追録1-No.2259 大久保忠朝書状

    大久保忠朝が松平大隅守綱貴へ、将軍の健勝と正月二十日の東叡山御仏殿参詣を喜ぶ綱貴の書状を受け、その趣旨を関係者で相談して将軍へ伝えたと返答した書状。

  81. 追録1-No.2260 戸田忠昌書状

    戸田忠昌が松平大隅守綱貴へ、将軍の機嫌がよく、正月十四日に増上寺御仏殿へ参詣したことを綱貴が喜んだ旨を承知し、書状の趣旨を関係者で相談して上聞に達すると返答した書状。

  82. 追録1-No.2261 戸田忠昌書状

    戸田忠昌が松平大隅守へ、公方の機嫌を伝え、年始御礼の際に同姓修理大夫が初めて着座を命じられたことへの謝意を承知したと返答する。差し越した使者の件は、紙面どおり各人で相談して上聞に達したと述べる。

  83. 追録1-No.2262 綱貴暇ヲ賜ハル

    綱貴公御譜中に、元禄三年四月十八日、上使阿部豊後守正武を通じて綱貴へ告知があり、恒例の恩賜品を受けたと記す。綱貴が登営して謝した際、さらに御馬一匹を賜った。

  84. 追録1-No.2263 島津綱貴請書

    島津綱貴が大久保加賀守忠朝へ、歳暮の御内書頂戴に伴い、翌日五時過ぎに家来を登城させるよう命じられたことを承知した請書。

  85. 追録1-No.2264 島津綱貴書状

    島津綱貴が大久保加賀守忠朝へ、御内書を頂戴した際に家来の者が時服二領を拝領したため、謝意を述べた書状。

  86. 追録1-No.2265 大久保忠朝外三名幕府老中連署状

    土屋政直・戸田忠昌・阿部正武・大久保忠朝の四名が松平修理大夫吉貴へ、翌月朔日は例月の御礼がないため登城に及ばないと通知した連署状。

  87. 追録1-No.2266 光久参勤ス

    光久が元禄三年五月十二日に参勤へ出発し、同月二十二日に薩摩西岸を解纜、六月十四日に大坂へ着船、七月二十三日に江戸へ着き、島津久寛らが随従し、同月二十八日に上使阿部正武が労問した記事。

  88. 追録1-No.2267 阿部正武書状

    阿部正武が松平大隅守へ、公方の機嫌を伝え、二月十日の山王参詣からの還御時に牧野備後守邸へ御成になった件を喜ぶ旨を承知したと返答する。紙面どおり各人で相談して上聞に達したと述べる。

  89. 追録1-No.2268 阿部正武書状

    阿部正武が松平大隅守綱貴へ、将軍の健勝と、先頃の知足院御成を綱貴が喜んだ旨を承知し、書状の趣旨を関係者で相談して上聞に達すると返答した書状。

  90. 追録1-No.2269 阿部正武書状

    阿部正武が松平大隅守綱貴へ、将軍の健勝と、先頃の孔子堂御成を綱貴が喜んだ旨を承知し、書状の趣旨を関係者で相談して上聞に達すると返答した書状。

  91. 追録1-No.2270 島津久寿家督譲渡ヲ願フ

    元禄三年五月二十二日、日向佐土原城主島津久寿が家督を又次郎惟久へ譲りたいと綱貴に相談し、願書草稿を提出したため、綱貴も書付を添えて幕府へ訴願した記事。

  92. 追録1-No.2271 島津久寿願書

    島津式部少輔久寿が老中三名へ、先年、同姓飛弾守の願いどおり自分へ跡式相続を命じられた厚意に謝する。又次郎が当年十五歳になったため、その家督相続を願い、自分もまだ若いので登城を許されたいと求める。

  93. 追録1-No.2272 島津綱貴願書

    島津綱貴が幕府老中へ、久寿の願いどおり十五歳の又次郎惟久へ家督を相続させ、久寿には惟久から三千石を分知し、なお若年の久寿には登城を許すよう願った願書。

  94. 追録1-No.2273 島津綱貴請書

    綱貴が老中四名方へ、御用があるので翌二十九日四時に登城するよう命じられた旨を承知したと返答する請書。

  95. 追録1-No.2274 大久保忠朝外三名幕府老中連署状

    土屋政直・戸田忠昌・阿部正武・大久保忠朝の四名が松平修理大夫吉貴へ、翌月朔日は例月の御礼がないため登城に及ばないと通知した連署状。

  96. 追録1-No.2275 島津久寿家督代ヲ辞ス

    元禄三年五月二十九日、惟久が登城して父忠高の遺領相続を命じられ、久寿が家督代を辞したうえで、惟久の相続地から三千石を久寿へ分知し、綱貴も登城して謝礼した記事。

  97. 追録1-No.2276 島津惟久家督ヲ許サル

    元禄三年六月、幕命により島津惟久の家督相続が許され、佐土原領三千石を久寿へ分知して久寿も別家として将軍に仕えることとなり、綱貴がその旨を惟久・久寿へ書面で伝えた記事。

  98. 追録1-No.2277 島津綱貴申渡書

    島津綱貴が島津久寿へ、惟久の家督相続と久寿への三千石分知を伝え、所務不足を補うため毎年米二千俵を給すること、公儀勤仕では倹約し、領内を公平・廉直に治めて飢寒を防ぎ、難事は綱貴や家老と相談するよう申し渡した書面。

  99. 追録1-No.2278 島津綱貴達書

    島津綱貴が新たに家督を継いだ島津惟久へ、若年のため当面の参府を控え、家中へ幕府の掟を厳守させること、久寿の公儀勤仕を支えるため毎年米二千俵を給すること、依怙贔屓なく領民を憐れみ、久寿・綱貴・家老と相談して政務を行うことを命じた四か条の達書。

  100. 追録1-No.2279 綱貴帰国ス

    綱貴公御譜中に、元禄三年六月二十九日江戸発、家老喜入久亮らを伴い七月十八日伏見、二十二日大坂、八月晦日乗船、翌二日出船して赤間関・脇元を経て西海を巡見し、九月三日に鹿児島へ着いたと記す。島津壱岐久侶を武都へ派遣し、帰州を許された礼に例の幣物を進上する。久侶自身も将軍に拝謁して太刀・銀馬代・時服三を献…