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追録1の目録
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追録1-No.299 町田久則書状
又三郎の奥方が十月朔日に姫を出産したことを千秋万歳の吉事として急報し、関係者へ知らせるよう求めた町田久則の書状。
追録1-No.300 伊勢貞昭外一名連署書状
前年秋以来の琉球国継目の儀が無事に認められ、使者が役目を果たしたことへの安堵と祝意を中山王へ伝えた連署書状。
追録1-No.301 伊勢貞昭・新納久詮外連署書状
種子島にいた柴春の急逝を受け、遺言・家督・所領処置等について三老の意向と公儀への申上げ方を国許へ伝えた三名連署書状。
追録1-No.302 伊勢貞昭外二名連署書状
北郷式部・島津玄番と同様に私領の山を給された件に関し、公儀用の刀木等の召上げ、山からの収益・給付の扱いについて国許へ指示した三名連署書状。
追録1-No.303 田中国長起請文前書
田中主税之助国長の起請文前書。光久へ別心なく奉公し、今生はもとより来世まで奉公のお供をすること、身の上について疑いを受けた時は糺明してほしいことを誓う三箇条。神文は牛王霊社上巻として省略する。十一月吉日付で、末紙に座主門前の三右衛門のことという注がある。
追録1-No.304 島津氏国絵図を献ず
光久公御譜中に、幕府の命による薩摩・大隅・日向・琉球の領国絵図を諸家で取りまとめ、慶安二年十一月十五日に奉行井上筑後守政清へ献上したと記す。さらに同年十二月六日、家光が下曽根三十郎信由を通じて御鷹所撃の鶴一双を恵んだとの付記がある。
追録1-No.305 伊勢貞昭・新納久詮外連署書状
伊勢貞昭・新納久詮・町田久則が五宛所へ、太守の登城は公方の痛みにより延びたが、同朔日に下曾根三十郎を上使として御鷹の鶴を拝領したと報じる。御姫誕生の使者寺山又右衛門が三日に到着したこと、進物や一門の祝儀、京都・大坂の借銀返済と年内の八百五十貫などの調達・処置も相談する。
追録1-No.306 伊勢貞昭外二名連署書状
又三郎に姫が生まれた祝儀の使者として、国元の衆中から寺山又右衛門が江戸へ来たことを披露し、上意がたいへん満足したと報じる。各方から早く消息を伝えるよう求め、詳しくは島津安芸が説明するという三名連署書状。封面に十二月二十三日付の状を翌年二月二十一日晩に持参した旨の注がある。
追録1-No.307 町田久則書状
又三郎の姫誕生を祝し、青銅五百斤などの進上・祝着の意を伝え、関係者へ披露するよう求めた町田久則の書状。
追録1-No.308 細江吉昌起請文前書
島津光久への無二の奉公、来世までの供奉、身体に関する疑義の糺明などを誓った細江吉昌の起請文前書。
追録1-No.309 二見家嘉起請文前書
島津光久への無二の奉公、来世までの供奉、疑義があれば糺明を受けることを誓った二見家嘉の起請文前書。
追録1-No.310 町田久則・新納久詮・伊勢貞昭連署条書
役人の勤仕、上申・取次の手順、女房衆の扶養、屋敷の火の用心、屋敷内の配置など、家中役人が守るべき事項を列挙した連署条書。
追録1-No.311 琉球国司尚質書状
琉球国司尚質が家光への忠節を述べ、黄門への香奠として銀子十枚・焼酒二壺を進上し、受納を願った書状。
追録1-No.312 新納忠秀、琉球に死す
新納忠秀が琉球国で奉行を務めていた際、病客を殺害した事件をめぐり、関係者の取調べと処罰が行われ、忠秀もその責任を負って死に至った経過を記す記事。
追録1-No.313 島津久通外二名連署書状
幕府から書物・東鑑の一部や城郭関係の御用について召寄せがあり、平田清右衛門らの派遣、道具・書籍の手配を国許へ指示した三名連署書状。
追録1-No.314 光久、帰国す
島津光久が暇を賜り、松平信綱・松平乗寿らへの挨拶を経て五月二十一日に江戸を発ち、大坂から船で帰国した経過を記す記事。
追録1-No.315 島津久通外二名連署書状
光久の帰国許可と松平信綱・松平乗寿への御礼、帰国準備と期限内の出立について国許へ知らせた三名連署書状。
追録1-No.316 徳川家光御内書
端午の嘉儀として帷子・単物数十が到来したことを喜び、酒井讃岐守からも伝えるとした徳川家光の御内書。
追録1-No.317 新納忠秀への殉死者名
慶安三年五月八日、新納刑部大輔忠秀に殉死した田代諸右衛門、源兵衛、西田亀右衛門を挙げる。田代は大口衆、源兵衛は忠秀の小者、亀右衛門は家臣で同じく殉死した旨の注が付く。
追録1-No.318 琉球国司尚質書状
琉球継目慶賀使の帰国と、将軍・島津家から受けた品々への謝意を述べ、国中へ政道が及ぶことへの感謝を伝えた尚質の書状。
追録1-No.319 琉球国司尚質書状
将軍家からの厚遇と琉球継目の承認を謝し、今後も忠節を尽くす旨を老中へ申し上げた尚質の書状。
追録1-No.320 鎌田政有書状
幕府御用に伴う使者・役人の派遣、城内外の宿所・境目、家臣の配置や袋物の受渡しなど、多岐にわたる実務処置を詳述した鎌田政有の書状。
追録1-No.321 島津久通・町田久則連署書状
御孫が急逝したとの報を受け、祈祷・療治を尽くしたが及ばなかったことを伝え、国許の関係者へ報告した連署書状。
追録1-No.322 島津久通・町田久則連署書状
又三郎の幼い姫が死去し、六月十八日晩に泉岳寺へ取り置き、幼少ゆえ特別な作法を行わなかったことを報じる。葬送に関わる三名への内談と国元からの書状、先物奉行の算用処理、松平右京方との御門番の出合・意見照会を述べる。さらに井上筑後守末の孫の不慮死と、井伊掃部頭の疝気・腫気を伝え、物沙汰や見舞いを慎重にする…
追録1-No.323 松平定行書状
幕府出仕・御座・参勤などの作法と人員交替、紀州大納言らへの対応を説明し、家督相続後の表向きの扱いについて心得を伝えた松平定行の書状。
追録1-No.324 島津久通・町田久則連署書状
八月五日、上使石川弥左衛門によって御鷹の雲雀を拝領し、登城御礼も整ったことを報じる。国元からの御礼や、暇に際する祝物を受けたこと、人員を国元へ差し出すこと、返答の書状・飛脚の相談を述べる。島津中務は前日に首尾よく登城したと記し、奉書が出れば急いで知らせるという。
追録1-No.325 綱久公譜中の久岑誕生・系譜記事
綱久公譜中の久岑の誕生・系譜記事。綱久・女子三人・久定・忠長・久岑を兄弟として系図に示す。久岑を虎松丸・又六と称し、慶安三年八月九日に誕生、母は家臣救仁郷大神房頼重の娘で、家臣島津又六久近の後嗣となったと記す。
追録1-No.326 松平信綱外二名連署状
将軍家らの機嫌を問う島津方の書状に答え、八朔の白書院出御と太刀目録の礼、大納言への礼が例年どおり行われた旨を知らせた老中連署状。
追録1-No.327 松平信綱外二名連署状
将軍家らの安否を問う書状に答え、六月末の帰国が首尾よく済んだことを喜び、使者の口上も取り次いだ旨を伝えた老中連署状。
追録1-No.328 松平乗寿書状
将軍家らの安否を問う書状に答え、その趣意を了承して使者の口上を取り次ぐとした松平乗寿の書状。
追録1-No.329 松平信綱外二名連署状
将軍の城廻りに又三郎が供奉して無事役目を果たしたとの報告を喜び、使者の申上げを将軍へ披露するとした老中連署状。
追録1-No.330 阿部忠秋外二名連署奉書
薩摩国鹿児島の城下居所周辺で崩れた石垣について、提出された絵図どおり旧規に従って普請することを許可した老中連署奉書。
追録1-No.331 島津久通・町田久則連署書状
有馬郷兵衛が判紙・絵図を届け、絵図について隠岐守へ伺い、出された奉書の写しを送ったことを報じる。移徙の祝物、諸人への書状、又三郎の下国祝儀の御樽・使者の手配が続く。末尾は昨日の奉書、西御丸の移徙、進上する籠の出来を伝える。封面に御城破損の絵図と移徙に関する抜記、九月十七日持下の注がある。
追録1-No.332 松平信綱・阿部忠秋連署状
松平信綱と阿部忠秋が島津又三郎へ、御用があるため直ちに江戸城へ登城するよう命じた連署状。
追録1-No.333 徳川家光御内書
重陽の祝儀として小袖五領が到来したことを喜び、酒井讃岐守からも申し伝えるとした徳川家光の御内書。
追録1-No.334 島津久通外二名連署書状
飛脚・使者の往来、江戸登城と礼式、帰帆後の報告、琉球使者の礼などを詳報し、関係者への披露と国許での処置を求めた三名連署書状。
追録1-No.335 松平信綱外二名連署状
琉球王の使者が到着し、返書や持参書物の写しを受領した旨を了承し、その趣意を将軍へ披露すると伝えた老中連署状。
追録1-No.336 島津久通・新納久詮連署書状
金銀を添えた書状の到来を報じ、松平和泉守から依頼された祈念と法華経奉納について、その趣旨を関係者へ伝え処置するよう求めた連署書状。
追録1-No.337 光久、家綱の西丸移徙を賀す
慶安三年九月二十日、家綱が西丸へ移ったことを記す光久公譜の記事。光久は家光に籠三十間と肴三種・樽三荷を進め、家綱に太刀一腰・馬代黄金十両を献じて祝賀した。
追録1-No.338 北郷久加、家綱移徙の賀使となる
北郷久加譜中。殿命を受けて武城へ赴き、家綱の西丸移徙を賀して太刀一腰と馬代を献じ、時服六を拝領したと記す。大嶺少兵衛安親らが従い、村岡宇兵衛清定も同行した。末尾に家久・光久・綱久・綱貴が久加亭を訪れ、久加が四代に仕え幾度も褒賞を受けた旨を述べる。
追録1-No.339 松平乗寿・阿部忠秋連署状
家綱の西丸移徙に際して差し越した使者と御太刀目録の献上を了承し、その趣意を披露すると伝えた老中連署状。
追録1-No.340 島津光久書状
王位継承を祝う琉球使者具志川の到着と帰国、返礼品の受領を喜び、琉球国政への意見は了承したので今後も怠りなく務めるよう伝えた島津光久の書状。
追録1-No.341 高力忠房書状
高力忠房が長崎の平穏と、自身の長病・忠庵薬による腹中の回復を伝え、鰹節一箱三百入の贈物に謝す。夏の大雨で破損した居城石垣の修理許可を喜び、当年の大雨・風・虫による領地被害と九州中の損亡、光久領でもとりわけ損害が大きいと聞いたことに触れる。公方の西丸移徙、江戸からの飛脚と両上様の御機嫌も報じる。
追録1-No.342 松平信綱・阿部重次連署状
家綱の西丸移徙に際して使者を差し越し、公方へ祝儀の三種・三荷を献上したことを了承し、その趣意を披露すると伝えた老中連署状。
追録1-No.343 松平信綱外二名連署状
島津方の使者が宗門関係の儀について申し入れた趣旨を了承し、諸国で従来どおり油断なく詮議するよう伝えた老中連署状。
追録1-No.344 松平乗寿・阿部忠秋連署状
西丸移徙の祝儀として使者を遣わし、太刀一腰・馬代黄金十両を献じた志を披露したところ、入念な心配りを喜ばれたと伝える阿部忠秋・松平乗寿の連署状。詳しくは使者が説明するという。
追録1-No.345 島津久通外二名連署書状
幕府軍役に関する命令、家中の追付・登城、若君誕生と永山小兵衛の進上などを国許へ報じ、関係者への披露を求めた三名連署書状。
追録1-No.346 島津綱貴誕生
綱貴公譜中。初名延久、虎寿丸・又三郎の呼称と位階を挙げ、慶安三年十月二十四日に江戸の邸で誕生したこと、母は松山城主松平隠岐守定頼の女であると記す。母の没年・法名・菩提寺や生家について注し、家臣島津兵庫忠平が鳴弦番目の役を勤めた旨を付記する。
追録1-No.347 伊勢貞昭外三名連署覚書
前年の琉球王使者への返事が遅れた事情、帰帆・再派遣、使者交替や中村佐五右衛門の処置などを説明した四名連署覚書。
追録1-No.348 松平信綱・阿部重次連署状
大納言に阿部豊後守ら家人が幾人も付けられたことを喜び、使者を通じて申し入れた志を了承し、その入念な趣旨を台聴に達したと伝える阿部重次・松平信綱の連署状。詳しくは使者の説明に委ねる。
追録1-No.349 松平乗寿書状
将軍家らの機嫌がよいことと、大納言に阿部忠秋が付けられた件への祝意を了承し、使者の趣意を披露するとした松平乗寿の書状。
追録1-No.350-1 島津光久公帖(正興寺住持職)
島津光久が、大隅国正興寺の住持職について、先例どおり職務を執行するよう命じた補任状。
追録1-No.350-2 島津光久公帖(建長寺住持職)
建長寺の住持職について、先例どおり執務するよう守栄西堂へ命じた島津光久の補任状。
追録1-No.351 松平信綱・阿部重次連署状
帰国に際して差し越した使者の折、時服・羽織等を下された件を添えて伝えられたことを了承する老中二名の連署状。両上様の御機嫌などを伝える別紙も受け取り、入念な志を台聞に達したと述べる。
追録1-No.352 松平乗寿・阿部忠秋連署状
将軍が九月十七日に紅葉山へ当年初めて参詣したことへの祝意と使者派遣を了承し、その趣意を披露すると伝えた老中連署状。
追録1-No.353 松平信綱・阿部重次連署状
大納言が九月十一日に西丸へ移徙したことへの祝意と使者派遣を了承し、その趣意を披露すると伝えた老中連署状。
追録1-No.354 松平信綱・阿部重次連署状
将軍の九月十七日紅葉山初参詣への祝意と使者派遣を了承し、その趣意を披露すると伝えた老中連署状。
追録1-No.355 松平乗寿・阿部忠秋連署状
大納言の西丸移徙への祝意と使者派遣を了承し、その趣意を披露すると伝えた老中連署状。
追録1-No.356 松平信綱・阿部重次連署状
将軍が九月二十八日に初めて西丸へ御成りになったことへの祝意と使者派遣を了承し、その趣意を披露すると伝えた老中連署状。
追録1-No.357 松平乗寿・阿部忠秋連署状
将軍の西丸初御成りへの祝意と使者派遣を了承し、その趣意を披露すると伝えた老中連署状。
追録1-No.358 島津久通・町田久則連署状
若御前誕生の消息が永山小兵衛を通じて届き、上聞に達したことへの喜びを伝える。虎寿丸が十月二十七日に宮参りし、松平河内守から鞍置御馬一足・道具二本を贈られ、光久にも報告して御礼を求めたという。七夜祝いの刀剣贈答や母子の息災も記す。
追録1-No.359 松平乗寿・阿部忠秋連署状
両上様の機嫌伺いのため伊集院源助を江戸へ差し遣わしたことを了承し、息災を伝え、目録の進物を披露したと返答する老中連署状。
追録1-No.360 松平信綱・阿部重次連署状
伊集院源助の江戸派遣を了承し、将軍の鷹狩りを伝え、道服五領・国焼の皿二十・肴一種の献上を披露したと返答する老中連署状。
追録1-No.361 松平信綱・阿部重次連署状
阿部重次・松平信綱が松平薩摩守へ、御鷹之鶴を遣わすと知らせ、詳細は息又三郎から伝えるとする十一月二十三日付連署状。
追録1-No.362 将軍家より御鷹の鶴一双拝領記事
将軍家から御鷹の鶴一双を賜り、執政が奉書で通知したため、島津光久が伊集院右衛門久国を江戸へ派遣して謝意を奉じた記事。
追録1-No.363 松平乗寿・阿部忠秋連署状
松平乗寿と阿部忠秋が島津光久へ、大納言が健勝なので安心するよう伝え、薩摩から献上された蜜柑を披露したと返答した老中連署状。
追録1-No.364 松平信綱・阿部重次連署状
両上様が息災であることを伝え、薩摩から献上された蜜柑を披露したと返答する老中連署状。
追録1-No.365 島津久通・町田久則連署状
島津久通・町田久則が、琉球書簡の返事や対馬への返事、御鷹之鶴拝領の御礼使伊集院右衛門が二十五日に江戸へ着き、今朝久通同道で老中へ出仕したことを報じる。国元の干鮑一箱ずつを両上様へ献上するため老中へ預け、披露を見込む。鶴送御手形、返書、家臣の帰国・処遇の相談、喜楽の件を御目付衆へ申し入れたこと等を伝え…
追録1-No.366 松平乗寿・阿部忠秋連署状
旧冬の御鷹の鶴拝領への謝意を了承し、伊集院久国の派遣と国産の肴一種の献上を披露したと返答する老中連署状。
追録1-No.367 島津久慶殉死者名
慶安四年八月十八日、荻田隨右衛門を掲げ、島津弾正久慶の家臣で殉死した旨を注す。下に続く上村求馬助・松元山右衛門・奥甚助の三人も同じと記す。
追録1-No.368 島津光久参勤記事
島津光久が二月二十日に鹿児島城を発し、薩摩西岸から解纜して大坂を経由、四月五日に江戸に着いた参勤の経過。島津久頼・新納久詮らが随行した。
追録1-No.369 島津光久袖判留守条目
参勤留守中の番所警固、器用と寺領の管理、宗旨・番人・死罪などの取扱い、公儀への相談原則を定めた十一か条の留守条目。
追録1-No.370 松平信綱・阿部重次連署状
旧冬の御鷹の鶴拝領への謝意、伊集院久国の派遣、肴一種の献上を了承し、披露の結果を返答する老中連署状。
追録1-No.371 松平信綱・阿部重次・阿部忠秋連署状
琉球中山王の使者具志川の謁見と、謝使兼城の派遣・献上を受け、返簡の奉書と返礼を付し、琉球へ伝達するよう求めた三名連署状。
追録1-No.372 松平信綱・阿部重次連署状
将軍の不例を気遣い使者を派遣したことに対し、快方に向かっていると伝え、光久が参勤で江戸へ向かうことも了承した老中連署状。
追録1-No.373 島津忠高略系
島津忠高(初名久英、国久、又四郎、飛騨守)の系譜と、慶安四年三月四日に武州江戸桜田で誕生したこと、母方の系統を記す略系。
追録1-No.374 松平信綱・阿部重次連署状
二丸で大納言が将軍へ御膳を献じ、両上様が息災であることへの祝意を了承し、光久が二十一日に大坂へ着いたとの報告も上聞すると返答した老中連署状。
追録1-No.375 徳川家光薨去記事
将軍徳川家光が病床に伏し、慶安四年四月二十日に薨去して大猷院殿と号されたこと、島津光久が諸侯とともに江戸城へ登り弔意を表したことを記す。
追録1-No.376 島津久通、大猷院殿霊前拝礼記事
徳川家光の薨去・日光山への葬送後、島津久通が藩主の命を受けて日光へ赴き、五月九日に大猷院殿の霊前を拝礼した記事。
追録1-No.377 島津久通外三名連署状
将軍家光の薨去を国元へ急報し、公務停止、城内警固、役替えや雑説への戒めなど、非常時の心得と対応を指示した連署状。
追録1-No.378 島津光久・島津綱久起請文前書
阿部忠秋のもとで光久・綱久父子が差し出した起請文の前書。表裏なく奉公し、徒党・讒言・争論を避け、幕府の命に従うことなど七か条を誓う。
追録1-No.379 松平信綱・松平乗寿・阿部忠秋連署状
代替わりの御礼として太刀・目録を献上するため、二十五日四つ時に登城するよう島津光久へ通知した老中三名の連署状。
追録1-No.380 塩津道悦起請文前書
光久への奉公で別心を持たず、公儀の命を守り、虚偽や後日の異議を立てないことを天智霊社に誓った起請文前書。
追録1-No.381 島津光久、徳川家綱襲封祝賀記事
島津光久が諸侯とともに柳営へ登り、太刀・目録を献上して徳川家綱の将軍襲封を祝賀した記事。
追録1-No.382 島津久通外三名連署状
家綱の将軍襲封と拝謁・献上、諸役人の叙任、病気・交代、家中の参府と帰国など幕府・江戸の動静を国元へ詳報した連署状。
追録1-No.383 加久藤衆連署書状案
孫兵衛の罷越しや通手形、肥後熊庄町を経由する使者の往来について事情を伝え、必要な取次ぎと返答を求めた加久藤衆の連署書状案。
追録1-No.384 加久藤衆連署書状案
御番留被遊の間の取扱い、境目や宿・通行、弥右衛門らの往来と使者への手形などについて状況を報じ、指示を仰いだ加久藤衆の連署書状案。
追録1-No.385 新納忠清廻状
急度の命を受けた際の出動・通行・取次ぎについて、加久藤・小林など関係地域へ遅滞なく対応するよう求めた廻状。
追録1-No.386 由井正雪・丸橋忠弥ら慶安事件記事
浪人丸橋忠弥・由井正雪らが徒党を結び、江戸攪乱と久能山城奪取を企てたが発覚し、正雪は駿府で自殺、忠弥は江戸で捕縛され、余党も処断された記事。
追録1-No.387 島津久通ほか連署書状(四名)
先月下旬の江戸の一揆企図について、百人余りが召し捕られ、噂の段階から明白となったと国元へ知らせる。雑説を聞いても、もはや心配はないと伝え、企図に関する書物を別紙とし岩切六右衛門便で送る旨を述べる。後便で経緯を報じるとし、松平能登守が隠岐守預かりとなったという件は、詳しい実情がまだ分からないと断る。
追録1-No.388-1 慶安事件悪党覚書(印刷388の1)
由井正雪・丸橋忠弥ら首謀者、駿河・江戸での企図と逮捕、関係者の出所・宿所・奉公先、探索と召捕りの経過を列挙した覚書。
追録1-No.388-2 慶安事件探索・吟味覚書(印刷388の2)
駿河から江戸に及ぶ正雪一党の捜索、宿所・奉公先の調査、捕縛、取調べ、関係者の出入りや手形、証言を詳記した覚書。
追録1-No.388-3 由井正雪書置(印刷388の3)
謀反の風聞を否定しつつ自身の不肖と行動を弁明し、天下泰平を願い、扶持者・身内への配慮を求めて自害前に残した書置。
追録1-No.388-4 正雪党類召捕覚書(印刷388の4)
正雪に与した者の召捕り、江戸・宮崎方面の関係者、宿・奉公先、同類の取調べと処置を列記した党類召捕りの覚書。
追録1-No.389 正雪党類書上
「一揆徒党之者召捕分」として正雪一党の捕縛者、親類・奉公先・宿所・身分、探索経過を多数列挙し、八月四日現在の状況をまとめた書上。
追録1-No.390 松平信綱・松平乗寿・阿部忠秋連署状
翌十八日の将軍宣下につき、五つ半時に装束を整えて登城するよう島津光久へ通知した老中三名の連署状。
追録1-No.391 島津光久、徳川家綱将軍宣下祝賀記事
徳川家綱が征夷大将軍・正二位内大臣兼右近衛大将に任じられ、島津光久が衣冠束帯で登城し、太刀・目録を献じて祝賀した記事。
追録1-No.392 島津久通外三名連署状
家綱の将軍宣下と官位、諸大名の拝謁、能興行、幕府の褒賞・取次ぎなど江戸の儀礼進行を国元へ詳報した連署状。
追録1-No.393 島津又三郎久平書状
綱久公譜中に収める、島津又三郎久平から中山王への書状。男子誕生を喜び、祝詞を伝える玉城を遠路遣わし、太刀一腰・馬一足と数品を贈られた厚意に謝す。
追録1-No.394 島津光久書状
光久から中山王への書状。又三郎方の子息誕生を祝い玉城を使者として遣わされたこと、特に太刀一腰・馬一足の厚意に謝意を表す。