ARCHIVE DIRECTORY
外伝:島津動物図鑑の目録
人物事典の外伝として作成中の動物図鑑です。史料中の動物の記述を、確認範囲と留保を添えて先行公開しています。
全1,846件中 401~500件・5 / 19ページ
AN000792 馬・御出馬(旧記雑録 後編2 / 後編2-No.842)
琉球国への返書を御出馬の時分に受け納めたため、跡書を加捺して上意に入れることを伝える。
AN000795 鳩・鳩(旧記雑録 後編2 / 後編2-No.848)
落合重次は、前年に申し置いた鳩について、この使者に渡してほしいと依頼した。送付の実施済みまでは確認できない。
AN000802 鷹・鷹(旧記雑録 後編2 / 後編2-No.899)
島津義久譜は、文禄元年六月九日に義久が鷹を豊臣秀吉へ献上したことを記す。
AN000804 馬・馬拝領(旧記雑録 後編2 / 後編2-No.910)
旅程・饗応の日記の十一日条で、御前から太刀と馬を拝領した。
AN000805 馬・騎(旧記雑録 後編2 / 後編2-No.922)
軍事行動に関する記事は、集まった一群を二三百騎と表す。
AN000806 虎・虎(旧記雑録 後編2 / 後編2-No.975)
征韓偉略は、久保が敵へ軽率に突進し、自ら虎を搏つほどであったと記し、義弘が大将の振る舞いではないと戒めて山野で獣を追うことも禁じた。
AN000808 馬・五十五万騎,御出馬(旧記雑録 後編2 / 後編2-No.1017)
朝鮮方面の軍事行動を述べる中で、軍兵を五十五万騎として出馬したと表現する。
AN000809 馬・馬・馬二疋(旧記雑録 後編2 / 後編2-No.1025)
戦況・人員移動を伝える長文には、馬二疋を引かせる手配・予定が記される。別の箇所には戦闘中に馬を乗り入れ、馬を捨てた叙述がある。
AN000811 馬・馬大豆(旧記雑録 後編2 / 後編2-No.1082)
毛利壹岐守吉成の書状は、先の馬大豆拾石の援助に謝意を述べる。
AN000812 馬・小荷駄,一疋二疋分(旧記雑録 後編2 / 後編2-No.1086)
使者の宿次・宿泊を依頼する書状で、小荷駄の継続が滞る場合には一疋、二疋分を用意するよう求める。
AN000813 馬・我等馬・馬大豆(旧記雑録 後編2 / 後編2-No.1097)
書状は日本から来たという馬について留め置くよう依頼し、馬大豆に余剰があれば一夜分でも申し受けるよう求める。
AN000814 虎・猛虎(旧記雑録 後編2 / 後編2-No.1099)
島津久保が金化の警衛中に山へ入った際、猛虎に襲われ、鳥銃で要所を撃って仕留めたと記す。
AN000815 馬・御出馬(旧記雑録 後編2 / 後編2-No.1107)
「覚」には、御人数を遣わし、そのうえ御出馬を命じたという記述がある。
AN000817 馬・栗毛之馬(旧記雑録 後編2 / 後編2-No.1138)
大坂の多鍋屋から得た栗毛の馬を地行所に置き、旅庵の判断で下すよう野添が以前から申し越していたことを記す。渡海・輸送の相談と併記されるが、馬の到着完了までは確認できない。
AN000823 馬・出馬(旧記雑録 後編2 / 後編2-No.1258)
覚書状は、来年の関白の出馬予定と諸勢渡海などへの指示を記す。
AN000824 馬・乗懸馬,拾三疋(旧記雑録 後編2 / 後編2-No.1297)
近衛衆のため、人足百人と乗懸馬十三疋を用意し、奉行以下を付けて道居城まで送るよう命じる。
AN000825 馬・乗懸馬,拾三疋(旧記雑録 後編2 / 後編2-No.1298)
近衛衆のため、人足百人と乗懸馬十三疋を用意し、奉行以下を付けて道居城まで送るよう命じる。
AN000826 馬・鹿毛(旧記雑録 後編2 / 後編2-No.1316)
秀吉が長期在陣の辛労をねぎらい、原文宛所の「羽柴薩摩侍従殿」へ鹿毛の馬一疋を与えた朱印状。石田・大谷・増田が詳細を伝える。
AN000828 馬・馬のかい(旧記雑録 後編2 / 後編2-No.1344)
検地衆の大坂出立と薩摩・大隅・日向への派遣に際し、扶持方や馬の飼料、伝馬・人夫などを行程に応じて手配する覚書。馬の実数を示す記事ではない。
AN000830 馬・在陣衆乗馬,一圓無之(旧記雑録 後編2 / 後編2-No.1373)
国元や在陣衆に関する条々の中で、在陣衆には乗馬が全くないと報告する。
AN000832 馬・被出御馬(旧記雑録 後編2 / 後編2-No.1383)
九州の普請・城の備えなどを述べる書状には「重而關白樣被出御馬」と記される。
AN000833 犬・鹿喰犬(旧記雑録 後編2 / 後編2-No.1391)
豊臣秀次は、島津義弘の家中に鹿喰犬が多数いると聞き、御用のため優れた犬を選んで上進するよう命じた。依頼・命令であり、送付完了を示す文書ではない。
AN000836 馬・馬代(旧記雑録 後編2 / 後編2-No.1411)
忠恒主が帰営して進見した際、太刀一腰と馬代を献上した。
AN000837 馬・馬代青銅(旧記雑録 後編2 / 後編2-No.1421)
福嶋左衛門大夫正則の来訪時、太刀一腰、馬代の青銅、衣服二領が持参された。
AN000838 鷹・弟鷹一居(旧記雑録 後編2 / 後編2-No.1423)
豊臣秀吉は島津豊久から弟鷹一居が届き、入念な輸送で尾羽が損傷しなかったことを高く評価した。
AN000839 馬・馬代青銅(旧記雑録 後編2 / 後編2-No.1426)
小西行長の来訪時、太刀一腰と馬代の青銅が持参された。
AN000840 馬・被進候馬,馬可指渡,國元,馬之事(旧記雑録 後編2 / 後編2-No.1429)
進上する馬を石田殿側へ引き渡すことを了承し、国元から上せた馬を当面留め置いて年明けに下送する扱いを相談する。
AN000841 鷹・鷹一居(旧記雑録 後編2 / 後編2-No.1430)
島津家久譜は、島津忠恒が小西行長を訪問して太刀・青銅を進上し、行長から鷹一居を贈られたと記す。
AN000842 馬・馬代青銅(旧記雑録 後編2 / 後編2-No.1430)
島津家久譜は、十二月十九日に五島氏が島津忠恒を訪ね、太刀一腰・馬代青銅・樽酒二箱・鯛魚二尾を持参したと記す。
AN000843 虎・虎;頭;肉;腸(旧記雑録 後編2 / 後編2-No.1432)
浅野長吉・木下吉俊は島津義弘に、豊臣秀吉の養生用として虎を捕らえ、頭・肉・腸まで一頭分を残さず塩蔵して送るよう依頼した。実施済みの記事ではない。
AN000844 虎・虎(参照先による)(旧記雑録 後編2 / 後編2-No.1433)
No.1433の刊行本文はNo.1432と同文として省略され、虎に関する本文は本行には直接収録されない。
AN000845 馬・御馬一疋,白栗毛,御馬相煩,馬代,御馬乗,雁毛(旧記雑録 後編2 / 後編2-No.1440)
高麗滞在中の日記で、寺沢殿からの白栗毛一疋の進上、馬の病気に対する祈念、馬代、御馬乗、雁毛一疋の進上などを日次で記録する。
AN000846 馬・出御馬(旧記雑録 後編2 / 後編2-No.1452)
安宅秀安書状は、来年に関白が「出御馬」する旨を述べ、御道具の用意を促す。
AN000848 虎・猛虎;虎(旧記雑録 後編2 / 後編2-No.1475)
朝鮮在陣中の島津勢は猛虎を追い、負傷者・戦死者を出しながら虎を討ち取った。記事には虎の捕獲と献上計画が記される。
AN000849 虎・猛虎(旧記雑録 後編2 / 後編2-No.1476)
島津彰久の家臣・安田某が剣で猛虎一頭を討ち、島津忠恒からその功を賞して宝刀を与えられたと記す。
AN000850 虎・虎弐つ(旧記雑録 後編2 / 後編2-No.1477)
小西行長は島津義弘が虎二頭を捕らえたことを奇特と称賛した。
AN000851 虎・虎;虎肉;腸;毛皮(旧記雑録 後編2 / 後編2-No.1478)
秀吉の養生用の虎肉・腸と毛皮を得るために行われた虎狩りで、島津勢が死傷者を出しながら二頭を仕留めた経過を記す。
AN000852 虎・虎弐つ(旧記雑録 後編2 / 後編2-No.1479)
小西行長は島津家久に、虎二頭を捕らえたとの報告を奇特と称賛した。
AN000853 馬・馬(旧記雑録 後編2 / 後編2-No.1498)
「覚」に独立した箇条「一 馬之事」がある。
AN000854 虎・虎二頭;虎肉;腸(旧記雑録 後編2 / 後編2-No.1504)
昌原で捕らえた虎二頭の肉・腸を塩蔵して樽詰めし、日本へ献上したことと、秀吉が虎肉は十分として再度の虎狩りを禁じたことを記す。
AN000855 虎・虎肉;腸;骨(旧記雑録 後編2 / 後編2-No.1505)
島津家久譜は、昌原で捕らえた虎の肉・腸・骨を塩蔵して日本へ送り、豊臣秀吉が喜んだ一方、虎肉は十分なので再び狩猟しないよう命じたことを記す。
AN000856 虎・虎;肉;骨;腸(旧記雑録 後編2 / 後編2-No.1506)
豊臣秀吉は虎の肉・骨・腸を受け取ったことを喜び、今後は狩猟を一切しないよう島津義弘に命じた。
AN000859 馬・馬代銀子拾枚(旧記雑録 後編2 / 後編2-No.1552)
使札への祝儀として、太刀一腰と馬代銀子十枚が博多へ到来したことを報じる。
AN000864 馬・彼馬・黒(旧記雑録 後編2 / 後編2-No.1608)
龍伯書状は、馬の「爪之われ」がなお治らない旨と、馬についての用件を武庫へ伝えるよう記す。
AN000866 鷹・鷹・弟鷹・兄鷹(旧記雑録 後編2 / 後編2-No.1632)
島津義弘は又八郎殿へ、法元が相手方の鷹を預かり、弟鷹はすでに『入置』、山帰りの兄鷹はまだ『未入』であることなどを伝えた。
AN000868 馬・馬・御馬乘(旧記雑録 後編2 / 後編2-No.1643)
高麗入日々記の十二月条には、小西摂津守への御太刀・馬と、別条の「御馬乘」の記述がある。
AN000870 馬・騎馬;集騎馬(旧記雑録 後編3 / 後編3-No.3)
慶長元年、朝鮮国へ大明勅使が来るとの報を受け、諸侯を徴して騎馬を集め、冊使の見聞に備えて異国への美談としようとした。本文は徴集・集合を実施形で記し、計画語や中止記載を伴わない。
AN000871 馬・騎馬;揃騎馬(旧記雑録 後編3 / 後編3-No.4)
義久は文禄四年十二月二十一日に帖佐を発ち、年を越して慶長元年正月十三日に大坂へ着いた。この時、朝鮮国から来た大明遊撃将軍の遊覧に供するため、人衆を催して騎馬を揃える構想があったが、「此事徒止」と明記され、実施されなかった。
AN000873 鷹・山かへりのおほ鷹(旧記雑録 後編3 / 後編3-No.16)
書状は、相手方の山帰りの大鷹がよく飛び、水鳥三羽を取らせたと聞いたことを記す。
AN000875 馬・騎歩(旧記雑録 後編3 / 後編3-No.33)
大明勅使来朝への対応として、朝鮮在陣の諸将は各城営に勤番兵衆を置き、各主将が少数の騎兵・歩兵を率いて勅使の渡海を待ち、その後に帰陣して京都で秀吉へ謁するよう指示された。これは実施済みの報告ではなく、秀吉の旨として伝達された動員方針である。
AN000876 馬・馬一疋(旧記雑録 後編3 / 後編3-No.35)
三月十日、義弘は又八郎への返書で、又八郎から寄せられた御札、太刀一腰、馬一疋に謝意を述べた。馬は又八郎から義弘への年賀贈答物である。
AN000877 馬・馬・馬面・馬鎧・騎(旧記雑録 後編3 / 後編3-No.45)
「覚」は船供の人衆を十騎か十五騎か召し連れて上洛することと、馬面・馬鎧の携行を指示する。
AN000878 馬・馬;早馬(旧記雑録 後編3 / 後編3-No.51)
近衛前久は、ある馬は早馬ではないが調教次第で相応になるものの義弘の馬の脚には及ばないと評し、別の珍しい馬は疲れているため、吉田前馬場で見せる日取りを相談した。
AN000879 猫・猫(旧記雑録 後編3 / 後編3-No.64)
近衛龍山前久は島津義弘に、うつくしい猫三疋を所望し、手配を求めた。
AN000880 馬・馬;鶴毛之御馬(旧記雑録 後編3 / 後編3-No.64)
近衛龍山前久は、馬の血がたまったように見える場合は熟練者に血を取らせて冷やすよう助言し、鶴毛の馬や三光庵という馬の扱いにも触れた。
AN000881 馬・黒毛;馬(旧記雑録 後編3 / 後編3-No.68)
所望された黒毛は三日前に大野が取得しており直ちに調進できないため、青地入道宗与に別の良馬を探させる。体格・乗り気・年齢・爪を確かめ、出京時に北野辺りで実見する案を示す。
AN000887 馬・馬上之衆(旧記雑録 後編3 / 後編3-No.151)
軍役の規定は「馬上之員数ハ不相定」とし、馬上衆の甲・具足を整える旨を記す。
AN000888 馬・馬壱騎之賦;馬數貳百七拾貳足;飼大豆六百拾六石;右馬頭殿馬數九騎;幸侃之馬數六十九騎;馬數合三百五拾騎;馬船之配;合馬百三十六疋(旧記雑録 後編3 / 後編3-No.152)
知行高に応じた馬一騎の賦課を積算し、基礎馬数を二百七十二足、五か月分の飼大豆を六百十六石と記す。これに右馬頭殿分九騎と幸侃分六十九騎を加え、数値上の総数を三百五十騎とする。船配は「二度濟」のうち「一度之分」を示し、馬船十六艘に各五疋、十四艘に各四疋を載せ、一度当たり三十艘・百三十六疋、同じ配分を二度…
AN000889 虎・虎皮一枚(旧記雑録 後編3 / 後編3-No.157)
石田三成は島津忠恒に、虎皮一枚を贈られたことへの謝意を示した。生体ではなく動物由来品の贈答である。
AN000892 馬・下馬(旧記雑録 後編3 / 後編3-No.185)
渡海に際する留守居の置目には「下馬之儀、傍示之外、其沙汰有ましき事」とある。
AN000894 馬・乗馬衆(旧記雑録 後編3 / 後編3-No.227)
書状は軍役人数を壱万人とする命令に触れ、乗馬衆を欠かさないよう整える件を幸侃へ申し送ったと記す。
AN000895 馬・人數馬等(旧記雑録 後編3 / 後編3-No.229)
人員・馬などを早く渡海させるため、八木民部左衛門尉らに申し含めたと記す書状。
AN000896 馬・馬・馬共・馬數・早馬共(旧記雑録 後編3 / 後編3-No.231)
書状には、参会して馬を見せ物語をしたいとの意向と、龍伯には馬が多いとの記述がある。
AN000898 馬・鹿毛;糟毛(旧記雑録 後編3 / 後編3-No.233)
島津義久は、安国寺恵瓊の才覚で鹿毛・糟毛を求め、今回差し渡すと又八郎へ伝える。武具の送付とは別項目である。
AN000899 鷹・初鷹(旧記雑録 後編3 / 後編3-No.241)
慶長二年六月二十一日の和歌会で、『雲間初鷹』を題とし、雲間に聞く初鷹の声を詠んだ。
AN000901 馬・次馬(旧記雑録 後編3 / 後編3-No.287)
連署状は、廿騎三十騎の一行で渡海し、各浦や宿泊地に早舟・次馬などを置くよう指示する。
AN000902 鷹・高麗大鷹一居(旧記雑録 後編3 / 後編3-No.307)
島津龍伯は島津忠恒から高麗大鷹一居を贈られたことを喜んだ。
AN000906 馬・進馬;五百騎;五百餘騎;牛馬(旧記雑録 後編3 / 後編3-No.340)
浅野幸長は馬を進めようとしたが、宍戸・大田に制止され、この行為は未遂に終わる。加藤清正は五百騎を十艘の船に乗せて蔚山城へ入り、さらに五百余騎を率いて幸長の救援へ赴いた。籠城末期には兵粮が尽き、城兵が牛馬を殺して食用にした。
AN000908 馬・馬旗(語義未確定)(旧記雑録 後編3 / 後編3-No.350)
明軍が遺した兵器類の列挙に、馬旗の表記がある。
AN000911 馬・單騎(旧記雑録 後編3 / 後編3-No.361)
蔚山の攻防を述べる譜記事は、豊久について「單騎馳于諸兵」と記す。
AN000914 鷹・大鷹;若大鷹(旧記雑録 後編3 / 後編3-No.385)
島津龍伯は又八郎に、前年の若大鷹は見事だが扱いにくいと聞いたと述べ、当年または前年の若大鷹があれば法賀へ手配を命じるよう依頼した。
AN000915 馬・馬代(旧記雑録 後編3 / 後編3-No.390)
慶長三年三月二十日午時、義久は松平家康卿の門戸を初めて訪ね、御太刀、馬代、巻物五十端を献じた。同行した伊集院右衛門大夫入道幸侃は、別に伽羅一斤を献じた。
AN000916 馬・漢南人数万騎;馬ノ上;馬より落る;馬乗三人;馬ニ打乗;馬乗ヲ八騎;馬勢ノ中;唐人一騎馬(旧記雑録 後編3 / 後編3-No.405)
朝鮮戦役の記事で、四月五日を起点とする前半には漢南勢を数万騎と数え、騎乗した敵が馬上から七郎左衛門を射撃した後に落馬して討ち取られる場面を記す。六月二十八日午刻からの後半には馬乗三人、馬に乗った攻撃、目立つ馬乗八騎の討取り、馬勢への突入、唐人一騎馬との戦闘など、実施された騎乗戦闘を連続して記す。
AN000917 馬・馬(旧記雑録 後編3 / 後編3-No.408)
豊臣秀吉が小西行長の先鋒の功を賞し、剣と馬を賜ったと記される。
AN000918 馬・東國馬;月毛;栗毛;馬數(旧記雑録 後編3 / 後編3-No.411)
書状は、治部少輔から東国馬として月毛・栗毛の二疋を預かったと記す。別に他方からの馬数四五疋への言及もある。
AN000919 馬・馬之事;不入馬;進上申候御馬;栗毛年七歳;こたへ馬;馬形(旧記雑録 後編3 / 後編3-No.429)
前半の馬は龍伯自身はまだ乗らず、源兵衛尉・平七らに試乗させ、歩様や速さを見て好みに入らないと評した。後半の「兼又」以下では、皆河山城守と称する者が進上し、龍山様から龍伯へ下された栗毛七歳の馬について、爪・持久力・歩様を評価する。龍伯は返進も考えたが現に留め置き、又八郎が望むなら譲るとして返答を求めた…
AN000923 虎・虎皮(旧記雑録 後編3 / 後編3-No.463)
豊臣氏奉行衆連署目録は、進上品目の一つとして虎皮を列記する。
AN000924 鷹・馬鷹(旧記雑録 後編3 / 後編3-No.468)
竜山は又八郎殿が馬と鷹を多く所持していると聞き、うらやましく思うと述べた。
AN000925 馬・馬鷹(旧記雑録 後編3 / 後編3-No.468)
差出人は、宛先が馬と鷹を多く所持していると聞き、うらやましく思うと述べた。
AN000926 馬・人馬(旧記雑録 後編3 / 後編3-No.478)
敵の人馬が河水へ入る時を待って伏兵に鉄砲を撃たせたとする叙述がある。
AN000927 馬・馬牛;乗馬之名人;島津殿馬二ツ;悪き馬;競馬;二騎;太郎三郎馬ニ而;百五六十騎(旧記雑録 後編3 / 後編3-No.487)
慶長三年春頃からの回想中、島に馬牛がいること、武庫様の乗馬を太郎三郎らが手本として見習ったことを記す。越年後の在京期には、賀茂祭で社人が悪馬として乗らなかった島津殿の馬二つに、太郎三郎と『矢野と云人』が一つずつ乗り、二騎で競馬のまねをして称賛された。さらに高麗では、百五、六十騎が殿として退くところを…
AN000928 狐・白狐;赤狐(旧記雑録 後編3 / 後編3-No.488)
『島津義弘譜』は泗川・新寨戦で白狐一疋と赤狐二疋が敵中へ走り、義弘父子が稲荷神の加護と受け止めて出撃したと記す。
AN000929 狐・白狐;赤狐(旧記雑録 後編3 / 後編3-No.490)
『島津家久譜』は新寨戦で白狐一疋が東門から敵中へ入り、赤狐二疋も現れたため、忠恒らが稲荷神の加護と受け止めたと記す。
AN000930 馬・兩馬之間;馳馬來(旧記雑録 後編3 / 後編3-No.504)
慶長三年十月一日の泗川新寨城攻防で、三久が明兵と組み落ち、二頭の馬の間で死にかけた。忠恒公が馬を馳せて来て明兵を斬ったため、三久は危機を脱し、その後は忠恒公とともに明兵を追撃した。
AN000931 馬・二百五六十騎;走馬;御馬之術(旧記雑録 後編3 / 後編3-No.506)
慶長三年十月一日の泗川新城戦で、敗走する敵軍の二百五、六十騎が殿を務めた際、樺山太郎三郎忠征は馬を走らせて前途を遮り、深谷へ追い落として一人も逃さなかった。本文はこの働きを優れた馬術として称賛する。
AN000932 狐・白狐;赤狐(旧記雑録 後編3 / 後編3-No.511)
『旧記抄』は新寨攻防で白狐一疋・赤狐二疋が敵中へ走り、戦場で死んだ赤狐を新寨に埋めて弔祭したと記す。
AN000935 狐・白狐;赤狐(旧記雑録 後編3 / 後編3-No.537)
島津忠恒は、泗川の戦いで白狐・赤狐が戦場へ走り出たことを神仏の加護に関わる出来事として記した。
AN000936 馬・騎(數万騎)(旧記雑録 後編3 / 後編3-No.541)
戦勝を称える書状には「數万騎被打捕」と記される。
AN000937 馬・騎(人數万騎)(旧記雑録 後編3 / 後編3-No.543)
書状は江南の人數万騎を差し出すとの伝聞と、勝利の知らせを記す。
AN000938 狐・白狐;赤狐(旧記雑録 後編3 / 後編3-No.555)
島津義久は、泗川戦で白狐一疋・赤狐二疋が敵へ向かったとの報告を稲荷神の霊験とし、神楽と本地供百座を命じた。
AN000939 狐・白狐;赤狐;野狐(旧記雑録 後編3 / 後編3-No.556)
島津龍伯義久は泗川防戦の勝利を祝い、白狐・赤狐の出現と戦場で野狐が死んだことを稲荷の霊験として、稲荷への礼を命じた。
AN000940 牛・牛玉(旧記雑録 後編3 / 後編3-No.561)
長陣の祈禱をめぐる書状は、御札と牛玉が参ったので進上すると記す。
AN000941 馬・薩摩船六端帆;馬五疋;合而拾壱人;帰朝(旧記雑録 後編3 / 後編3-No.563)
嶋津又八郎が船改御奉行中に宛てた通行状。船頭四郎左衛門の六端帆の薩摩船に、中乗五人、馬五疋、船子五人を載せ、船頭を含む合計十一人を帰朝させるため、異儀なく通すよう求めた。
AN000942 鷹・鷹(旧記雑録 後編3 / 後編3-No.565)
慶長三年十一月十四日の覚書は、痩せた鷹の餌として人参・甘草・茯苓、搗栗の実、蝉の抜け殻を用い、煎じて七日ほど餌に掛ける方法を記す。
AN000954 馬・競馬之馬;島津殿出馬;馭馬;一匹者太郎三郎;一匹者矢野休二郎;爲競馬之似(旧記雑録 後編3 / 後編3-No.617)
慶長三年冬の朝鮮からの帰還後、小倉で越年して伏見に滞在した時期の賀茂祭で、諸侯が競馬の馬を出した。島津殿の馬は『百曲』があるといわれて乗る者がいなかったが、社人の許可を得て、太郎三郎と矢野休二郎が一匹ずつ騎乗し、序破急に滞りなく馳走して競馬のような見事な騎乗を示し、見物人から称賛された。
AN000957 馬・野馬;牧(旧記雑録 後編3 / 後編3-No.658)
掟書は各地の牧を以前のように取り立て、野馬に荒く当たらないよう命じる。
AN000959 鷹・はいたか(旧記雑録 後編3 / 後編3-No.669)
近衛前久は、龍伯から相手へ渡った『はいたか』が長く患っていたため養生させていることを述べ、鷹の送付・返却時期を相談する。
AN000961 馬・御出馬(旧記雑録 後編3 / 後編3-No.685)
伊集院氏の叛逆を記す譜には、忠恒の御出馬と久村が従って出陣した旨が記される。
AN000962 馬・御牧;御馬;馬數(旧記雑録 後編3 / 後編3-No.688)
瀬さき野の御牧に三十疋余がいると伝え、御馬見廻り役による再調査と各地の馬数確認を求める。
AN000963 馬・御牧;御馬;馬數(旧記雑録 後編3 / 後編3-No.690)
正文は瀬さき野の御牧に三十疋余がいるとの伝聞と、御馬見廻り役の再調査・各地の馬数確認を記す。