HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
本田親正(伊賀守)
異名・検索語:本田親正/本田伊賀守親正/本田親政/伊賀守/一葉
試験導入中の史料別人物解説です
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
DESCRIPTION
本文内容説明
本田伊賀守親正(親政とも)は信濃守盛親の子で、入道一葉。帖佐地頭を務め、朝鮮・庄内・関ヶ原に供奉した。大垣曽根で味方が苦戦した際に駆けつけ、無事撤退した功で惟新公から藤島の腰物を拝領。慶長八年に家久の下国の使礼を務め、十四年には琉球へ渡り、市来八左衛門とともに律儀を賞された。慶長十六年、浪人の流入や切支丹潜伏が懸念される甑島へ地頭として赴いた。寛永三年に高奉行、系図には領高五百四十五石とある。朝鮮泗川では鎌田次右衛門・木脇三右衛門と忠恒の馬の口を取った。寛永十六年七月二十日没。法号徳室竜陰居士、墓は南林寺。没地は記載されない。
系譜・人物関係
本田信濃守盛親の子。見出しの親正に政トモの小注。伊予守のHP-1703、助之丞のHP-1704とは統合しない。
奉公・役職
帖佐地頭、慶長十六年甑島地頭、寛永三年高奉行。家久の下国の使礼。系図に領高五百四十五石。
軍役・事績
朝鮮・庄内・関ヶ原に供奉。大垣曽根で味方を助け無事撤退し惟新公から藤島の腰物を拝領。琉球渡海で律儀を賞された。泗川では鎌田次右衛門・木脇三右衛門と忠恒の馬の口を取った。
生没・法名等
寛永十六年七月二十日没。法号徳室竜陰居士、墓は南林寺。没地・生年・享年は本文に記載なし。旧説明の慶長十六年没を訂正。
- 統合人物ID
- HP-1696
- 原人物ID群
- 03-048-06
- 氏・分類
- 本田
- 掲載巻頁
- 巻三:48
- 主題・活動
- 軍役・地頭・高奉行
- 人物関係要約
- 本田信濃守盛親の子。見出しの親正に政トモの小注。伊予守のHP-1703、助之丞のHP-1704とは統合しない。
- 検索キーワード
- 本田親正/本田親政/伊賀守/一葉/盛親/大垣曽根/惟新公/藤島/琉球/甑島/帖佐/高奉行/泗川/南林寺
- 公開区分
- 公開可
- 精読・確認状況
- 従来記録:精読済(今回の再精読は未実施)
- 公開判定根拠
- 従来判定を継承。新基準による個別再判定は未実施。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁精読・原冊境界照合
- 本文境界判定
- 全1頁。見出し脇の父祖・子孫小注を含み、各〇は本人の事績・役職・没年等の補記。次の本田下野守親尚の独立記事は含めない。政トモ小注と末尾黒赤威を保持。新規採番なし。
- 判読保留
- 弘治三年岩剱陣と読める年号は寛永十六年没との年代幅を留保し説明では省略。父祖小注の全系統・軍役人数に続く語句は未確定。旧名親札は作業上の誤読で史料異名ではない。登場頻度8は現行値を保持し改名後の再同定は未実施。
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』