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HP-1680巻之三51頁注記付き公開可

HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE

堀之内久規

異名・検索語:堀之内久規/堀之内日限坊/日限坊/藤原久規/民部左衛門

試験導入中の史料別人物解説です

この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。

注記付き公開可

帰国年は本文文禄5年と朱記「四年乙未」を併記。薬師堂との位置小注の方向字形は留保。卒都婆「三十三尋」は原記載で、数値の実態・換算は未確定。久保の没年月日は久規本人の没年ではない。

DESCRIPTION

本文内容説明

藤原姓、俗名は民部左衛門。文禄2年9月8日に又一郎久保が朝鮮で没すると、平山作右衛門忠統と菩提を弔うため山伏となり、久規は日限坊、忠統は一忠坊と改名した。久保の位牌を背負い、文禄3年2月11日に羽月を出立。六十余州を巡歴して一国ごとに法華経三部を納め、本文では文禄5年7月29日に帰国したとするが、朱記に「四年乙未」の異注がある。大口の小苗代原で供養し、供養塚と『廻国通道日記』一巻が伝わる。朱記は十間四方の塚と「三十三尋」の卒都婆を記すが、その数値は換算・補正せず原記載として扱う。本人の生没年・没地は記されない。

系譜・人物関係

藤原姓。父母・出自詳細は記載なし。又一郎久保の菩提供養を平山作右衛門忠統と行う。

奉公・役職

俗名民部左衛門、藤原姓。山伏となり日限坊へ改名。同行平山作右衛門忠統は一忠坊。具体的役職・知行は記載なし。

軍役・事績

久保の菩提のため位牌を背負い巡国。文禄3年2月11日羽月発、六十余州を巡り一国三部の法華経奉納。帰国本文同5年7月29日、朱異注四年乙未。大口小苗代原供養塚と廻国通道日記一巻。朱十間四方の塚・三十三尋卒都婆・今其跡有之。

生没・法名等

久規本人の生没年・享年・没地・墓所は記載なし。文禄2年9月8日朝鮮没は久保の記事。日限坊は山伏の名。供養塚を久規の墓としない。

統合人物ID
HP-1680
原人物ID群
03-051-05
氏・分類
堀之内
掲載巻頁
巻之三51頁
主題・活動
久保供養・山伏巡国・法華経奉納・供養塚
人物関係要約
藤原姓。父母・出自詳細は記載なし。又一郎久保の菩提供養を平山作右衛門忠統と行う。
検索キーワード
堀之内久規/日限坊/民部左衛門/藤原/又一郎久保/朝鮮/平山作右衛門忠統/一忠坊/菩提/山伏/位牌/羽月/六十余州/法華経/一国三部/文禄三年/二月十一日/文禄五年/四年乙未(異注)/七月二十九日/大口/小苗代原/供養塚/廻国通道日記/十間四方/三十三尋(原記載)
公開区分
注記付き公開可
精読・確認状況
通常AI各全1頁・原冊照合済み。俗名・同行者・六十余州・一国三部・帰国年異注・供養塚を確認。
公開判定根拠
本人条全頁と朱記を照合。帰国年異注・位置小注・卒都婆数値の扱いを明記し、具体的供養行動を公開する。
説明作成区分
AI用PDF全頁追加精読・原冊照合
本文境界判定
一堀之内日限坊藤原久規から本文供養塚・廻国通道日記一巻と朱帰国仕則…今其跡有之まで。通常AI各全1頁を原冊63上と照合。平山忠統は同行者、久保の没日は供養の契機。次項本郷伊予守源義則は含まない。内部の朱引用は供養関連記事で新人物見出しではない。PDF修復・新ID不要。
判読保留
帰国年は本文文禄5年、朱記イ四年乙未を併記。/薬師堂との位置を示す小注の方向字形は留保。/朱記の卒都婆三十三尋は原記載として保持し、数値の実態・単位換算を断定しない。

出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』