HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
本田親貞(出雲守)
異名・検索語:本田親貞(出雲守)/本田出雲守親貞/兵助/次郎左衛門尉
試験導入中の史料別人物解説です
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
DESCRIPTION
本文内容説明
本田出雲守親貞は、兵助・次郎左衛門尉とも記される。伊賀守入道道伯の子。高麗へ渡海し、慶長四年、庄内の安永で伏兵に遭った際に戦死した。五十七歳。法名は節岩道忠庵主で、墓所として南林寺を記す。子の親右衛門親盛も庄内で父とともに戦死し、二十二歳。親盛にも南林寺の注記がある。本文には親貞の生年・戦死月日・主君名・具体的な役職は記載されない。
系譜・人物関係
伊賀守入道道伯の子。子は親右衛門親盛。原氏と本田氏の複雑な系譜・子孫小注があるが、中間世代を省略して親子関係を作らない。同名の親貞とは別ID維持。
奉公・役職
出雲守、兵助、次郎左衛門尉の呼称。具体的役職・主君名は本文に記載なし。
軍役・事績
親貞は高麗へ渡海。慶長四年、庄内安永の伏兵戦で戦死。子親盛も庄内で父と戦死。子の高麗渡海歴は本文から補わない。
生没・法名等
親貞は慶長四年戦死、五十七歳。節岩道忠庵主、南林寺。子親盛は二十二歳で戦死、南林寺注記あり。親貞の生年・戦死月日は無記載。
- 統合人物ID
- HP-1709
- 原人物ID群
- 03-050-08
- 氏・分類
- 本田
- 掲載巻頁
- 巻3:50
- 主題・活動
- 高麗渡海・庄内戦死
- 人物関係要約
- 伊賀守入道道伯の子。子は親右衛門親盛。原氏と本田氏の複雑な系譜・子孫小注があるが、中間世代を省略して親子関係を作らない。同名の親貞とは別ID維持。
- 検索キーワード
- 本田/親貞/出雲守/兵助/次郎左衛門尉/原氏/伊賀守/道伯/高麗/渡海/慶長四年/庄内/安永/伏兵/戦死/五十七歳/節岩道忠庵主/南林寺/親右衛門/親盛/二十二歳
- 公開区分
- 公開可
- 精読・確認状況
- 従来記録:精読済(今回の再精読は未実施)
- 公開判定根拠
- 従来判定を継承。新基準による個別再判定は未実施。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁精読・原冊境界照合
- 本文境界判定
- 全1頁。其子以下の親盛は父子の戦死を記す家族補記で独立見出しなし。見出し脇の子孫小注も同記事。右の親長続文・左の甲斐守親良を含めない。通常・AI PDFは保持し、分割・新規採番不要。
- 判読保留
- 戦死年は慶長四年、父親貞は五十七歳、子親盛は二十二歳。旧十七歳と若年父子の疑義を解消。子の通称は甚二郎と読めるが旧甚一郎との差と法名冒頭は内部留保し、公開説明から省く。同名の親貞と統合しない。
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』