← 『本藩人物誌』人物検索へ戻る
HP-1627巻之三52頁注記付き公開可

HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE

辺牟木国時

異名・検索語:辺牟木国時/辺牟木助四郎/国時/助四郎

試験導入中の史料別人物解説です

この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。

注記付き公開可

国信の年記は字形留保。討死地は加世田。普請奉行・大力は国次の朱記として読み、国家へ転用しない。比志島家庶流は本文の推定。

DESCRIPTION

本文内容説明

助四郎。兵庫家国の子で、川内で戦死した。比志島氏祖・上総法橋栄弁の五男栄慶が辺牟木氏を称した家の後裔で、本文は比志島家の庶流と推定する。子の助四郎国信は日新公に従い加世田で討死したが、年記の字形は留保する。孫の国次は天正十五年、宮部陣の合戦で討死。朱記は国次を普請奉行で大力の人とする。その子利右衛門国家には朝鮮渡海の功があり、さらにその子国明(右衛門兵衛・平右衛門)は、家嫡の比志島義貞の許可により川田を号した。本人と子孫の軍役・役職を区別する。国時の没年・享年・法名・墓所は記されない。

系譜・人物関係

栄慶→義行(善慶尊)→義英(頼秀)→義国→久家→家昌→家国→国時。国時の子国信、孫国次、国家、国明へ続く。庶流と見えたりは本文の推定。

奉公・役職

国信は日新公に従う。普請奉行・大力の朱記は国次に係る配置で国家へ転用しない。国明は家嫡比志島義貞の免許により川田を号す。

軍役・事績

国次は天正十五年宮部陣合戦打死。国家朝鮮渡海功あり。子孫の軍功を国時に転用しない。

生没・法名等

国時於川内戦死、年齢法名墓所不記。子国信は朱加世田打死で加治木ではない。国信の年記字形留保。国次天正十五年宮部陣打死。

統合人物ID
HP-1627
原人物ID群
03-052-10
氏・分類
辺牟木
掲載巻頁
巻之三52頁
主題・活動
川内戦死・子孫系譜・軍役
人物関係要約
栄慶→義行(善慶尊)→義英(頼秀)→義国→久家→家昌→家国→国時。国時の子国信、孫国次、国家、国明へ続く。庶流と見えたりは本文の推定。
検索キーワード
辺牟木国時/助四郎/家国/比志島/栄弁/栄慶/川内/国信/日新公/加世田/国次/天正十五年/宮部陣/普請奉行/大力/国家/朝鮮/国明/比志島義貞/川田
公開区分
注記付き公開可
精読・確認状況
通常AI各全1頁と原冊拡大照合。国信加世田、国次普請奉行の帰属訂正、国信年記留保。朱標識復元後全頁確認。
公開判定根拠
本人全記事と子孫記事の帰属を確認。国信年記の疑義を注記し検索公開する。
説明作成区分
AI用PDF全頁追加精読・原冊照合・境界修復
本文境界判定
一辺牟木助四郎国時から依免許号川田まで。通常AI各全1頁・原冊64下段を照合。右端3pt拡張で朱標識復元、全頁視認。子孫は其子で続く関連系譜で新番号不要。隣の独立朱記一辺牟木佐吉は含めない。
判読保留
国信の討死年記は大正七年のようにも見え、従来の大永七年という読みに字形上の疑義を残す。年の確定は留保する。

出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』