HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
北原兼守
異名・検索語:北原兼守/北原又八郎兼守/又八郎/兼守/天陽昌春居士
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
未確定事項:叔父兼孝が兼守の幼年中に家督を担ったという部分は本文に「か」を含む推測で、確定事実としない。/久兼・祐兼らの歴代事績と兼守本人の軍歴を区別する。応永・文明・長享年間の活動は本人の事績でない。/永禄五年の兼守没後に続く兼孝殺害、横川落城、兼親再興・移住は本人の活動でない。没月日・享年・墓所は本文に記載を確認できない。
DESCRIPTION
本文内容説明
北原兼守は又八郎と称し、祐兼の子で北原家十二世。妻は伊東義祐の娘。三ノ山(小林)に居城し、飯野・加久藤・高原・志和地・馬関田などを領した。天文十一年八月、伊東氏と小山河原で北郷忠相と戦い、将の白坂下総守ら数百人を失った。同十七年には本田氏を助ける兵を送り、同二十三年には渋谷・蒲生氏らと加治木を攻めた。弘治元年正月二十八日、溝辺へ出兵。永禄五年に三ノ山で没し、嗣子なし。法号は天陽昌春居士。没月日・享年・墓所は記されない。本文は幼年中に叔父兼孝が家督を担った可能性を述べるが確定していない。没後、伊東氏が家督へ介入し家中が分裂した経緯も載せる。
系譜・人物関係
又次郎祐兼の子。妻伊東義祐女。嗣子なし。叔父兼孝の幼年中家督代行は本文の推測。長い先祖系譜を本人事績と区別。
奉公・役職
三ノ山(小林)を居城とし、飯野・加久藤・高原・志和地・馬関田等を領する。伊東氏との連携。
軍役・事績
天文十一年小山河原で北郷忠相と戦い白坂下総守らを失う。十七年本田氏へ援兵。二十三年加治木攻め。弘治元年正月二十八日溝辺出兵。
生没・法名等
永禄五年、三ノ山で死去。嗣子なし。法号天陽昌春居士。没月日・享年・墓所は本文に記載を確認できない。
- 統合人物ID
- HP-1664
- 原人物ID群
- 13-241-28
- 氏・分類
- 北原
- 掲載巻頁
- 巻13:241~242
- 主題・活動
- 三ノ山領主・伊東氏との連携・北郷氏との交戦・援兵・没後の家督争い
- 人物関係要約
- 又次郎祐兼の子。妻伊東義祐女。嗣子なし。叔父兼孝の幼年中家督代行は本文の推測。長い先祖系譜を本人事績と区別。
- 検索キーワード
- 北原兼守/又八郎/祐兼/兼孝/伊東義祐/三ノ山/小林/飯野/加久藤/高原/志和地/馬関田/小山河原/北郷忠相/白坂下総守/本田/加治木/渋谷/蒲生/溝辺/兼親/天陽昌春居士
- 公開区分
- 注記付き公開可
- 精読・確認状況
- 通常AI各全3頁・原冊241~242頁を追加照合済。祖先・本人・没後の家史を区別。
- 公開判定根拠
- 本人の軍役と死去を具体化し、幼年中の家督代行に関する本文の推測と没後記事の区別を注記して公開する。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁追加精読・原冊照合
- 本文境界判定
- 通常AI各全3頁。冊子241頁下段の北原又八郎兼守見出しと歴代系譜から、242頁の本人軍歴・死去、没後の兼孝殺害・家中分裂・兼親再興と移住まで。末尾の北原兼守一族家臣は次節の見出しで、次人物本文は混入していない。関連家史内の人物を新たな独立伝として分割しない。PDF変更不要。
- 判読保留
- 叔父兼孝が兼守の幼年中に家督を担ったという部分は本文に「か」を含む推測で、確定事実としない。/久兼・祐兼らの歴代事績と兼守本人の軍歴を区別する。応永・文明・長享年間の活動は本人の事績でない。/永禄五年の兼守没後に続く兼孝殺害、横川落城、兼親再興・移住は本人の活動でない。没月日・享年・墓所は本文に記載を確認できない。
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』