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HP-1654巻之三34〜36頁注記付き公開可

HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE

北郷忠相

異名・検索語:北郷忠相/左衛門尉/讃岐守/竜峰寺殿仙岩浄永大禅定門

試験導入中の史料別人物解説です

この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。

注記付き公開可

未確定事項:文明19年生と永禄3年没・73歳は整合しないため本文通り併記し、逆算して補正しない。旧説明の永禄2年没は本文照合により訂正。/葬寺を幸祥寺と記し姓イと読める異注が付く。寺名の正字・異注の適用範囲は留保。塔於竜峰寺の記載と区別し、改葬などを補わない。/惟新公御自記から引く城主配置、元服時の贈答細字の一部は確定せず、人物の主要事績には影響しない。

DESCRIPTION

本文内容説明

北郷数久の子で、母は島津季久の娘。資忠から八代の子孫。左衛門尉・讃岐守を称す。文明19年生。都城・安永を拠点に伊東・北原・新納・本田氏と争い、享禄元年の冷水合戦では伊東方に加勢して新納勢を破った。天文3年に高城を得て嫡子忠親へ家督を譲り、自身は高城へ移った。その後も軍事を主導し、野々美谷・山田・志和地などを攻略。天文14年、島津忠広とともに貴久を守護として仰ぐよう諸家を調整し、翌年は義久元服の加冠役を務めた。加治木征伐では肝付・蒲生・渋谷らの帰服を取り成し、永禄元年に曽於郡を太守へ献上。本文は永禄3年11月16日に高城で病没、73歳とするが、生年と享年は整合しない。法名は竜峰寺殿仙岩浄永大禅定門。幸祥寺への葬送と竜峰寺の塔を記すが、葬寺名には異注がある。

系譜・人物関係

父は北郷尾張守数久、母は島津豊後守季久の娘。北郷資忠から八代。嫡子忠親へ家督を譲る。二男北郷左馬・三男又五郎久厚などは関連する使者・合戦記事として記載し、祖先の築城・戦死を本人の事績へ転用しない。

奉公・役職

左衛門尉・讃岐守。天文3年に高城を得て家督を嫡子忠親へ譲り、高城に移るが以後も軍事・交渉に関与。天文14年3月18日、島津忠広と同心して貴久の守護職を諸家に申し調え、伊集院で太守として仰ぐ。天文15年14歳の義久元服で、加冠を再三辞退したのち命に従い務める。義久の髪を結った本田紀伊守や同日の義弘元服と役割を混同しない。

軍役・事績

都城・安永を領し、伊東・北原・新納・本田の四家と争う。大永6年清水攻取、享禄元年冷水合戦では伊東に加勢して新納忠勝を破る。天文元年不動寺合戦、同3年高城獲得、その後の諸城攻略、同11年野々美谷・12年山田と志和地の攻略を記す。高城城代の内通は他人の行為。長倉兄弟への加勢を承諾せず、豊州家の援軍敗北も本人へ転用しない。天文17年本田薫親父子の和睦を取り成すも太守は許さず、のち父子は庄内で忠相を頼る。同18年飫肥出陣・加治木征伐、肝付・蒲生・渋谷帰服の調整、菱刈との同心・清水での御目見を記す。永禄元年曽於郡を太守へ進上。

生没・法名等

文明19年誕生、母季久女の傍注。末尾は永禄元年の記事に続く同三年十一月十六日於高城病死七十三歳。従来の永禄2年没を訂正するが、生年と享年は不整合として留保。法名は上段末竜から下段冒頭峰寺殿仙岩浄永大禅定門へ続く。葬幸祥寺(姓イと読める異注)と塔於竜峰寺を区別して保持。先祖数久の没日や合戦での一族の戦死は本人の没年ではない。

統合人物ID
HP-1654
原人物ID群
03-034-01
氏・分類
北郷
掲載巻頁
巻之三34〜36頁
主題・活動
北郷氏系譜・都城領主・冷水合戦・諸城攻略・貴久守護職調整・義久加冠・帰服仲介
人物関係要約
父は北郷尾張守数久、母は島津豊後守季久の娘。北郷資忠から八代。嫡子忠親へ家督を譲る。二男北郷左馬・三男又五郎久厚などは関連する使者・合戦記事として記載し、祖先の築城・戦死を本人の事績へ転用しない。
検索キーワード
北郷忠相/数久/資忠/島津季久/忠親/左衛門尉/讃岐守/都城/安永/高城/伊東/北原/新納忠勝/本田薫親/清水/冷水合戦/不動寺/野々美谷/山田/志和地/島津貴久/島津忠広/守護職/島津義久/元服/加冠/加治木/飫肥/肝付/蒲生/渋谷/菱刈/帰服/曽於郡/文明十九年/永禄三年十一月十六日/七十三歳/病死/竜峰寺殿仙岩浄永大禅定門/幸祥寺/竜峰寺
公開区分
注記付き公開可
精読・確認状況
通常・AI各全6頁と原冊照合済み。系譜と本人事績、惟新公御自記引用、義久元服の役割、没年・法名・葬送を整理。
公開判定根拠
本文に即して具体的軍歴・貴久と義久への関与・高城病没を確認。没年を訂正し、生年享年の不整合と葬寺異注等を明示して検索公開する。
説明作成区分
AI用PDF全頁追加精読・原冊照合・境界修復
本文境界判定
全6頁をAI用PDFで精読し、通常PDFと原冊34〜36頁を照合。第1分冊PDF45・47・48頁を使用し、46頁の原表紙は対象外。先祖の系譜、親族の軍役、惟新公御自記の引用は忠相条の関連記述。〇惟新公御自記を独立人物としない。法名・葬送・塔の記載までを忠相条とし、次の〇北郷尾張守忠親は既存03-036-01で分離。修復候補4の通常・AI各6頁で見出し傍注と頁末本文の保持、隣人条の混入除去を確認。03-034-01/HP-1654維持、新番号なし。
判読保留
文明19年生と永禄3年没・73歳は整合しないため本文通り併記し、逆算して補正しない。旧説明の永禄2年没は本文照合により訂正。/葬寺を幸祥寺と記し姓イと読める異注が付く。寺名の正字・異注の適用範囲は留保。塔於竜峰寺の記載と区別し、改葬などを補わない。/惟新公御自記から引く城主配置、元服時の贈答細字の一部は確定せず、人物の主要事績には影響しない。

出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』