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HP-1659巻之三42頁注記付き公開可

HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE

北郷忠亮

異名・検索語:北郷忠亮/北郷出雲守忠亮/虎菊丸/権頭/大岩正広居士

試験導入中の史料別人物解説です

この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。

注記付き公開可

未確定事項:元服日は忠亮伝が寛永元年8月12日、兄翁久伝が8月22日。「兄翁久同時」とも記すため日付の不一致を保持する。/寛永11年2月の没日は十日とも見えるが横画が不鮮明で確定しない。本文説明では月までとする。/907人は御人数賦の割当であり、戦闘参加や実際の動員数を示すとは断定しない。軍役内訳の細字の計数は全文転記を保留。

DESCRIPTION

本文内容説明

忠能の二男で翁久の同母弟。母は島津右馬頭征久の娘。慶長19年12月27日生、幼名虎菊丸。寛永元年に兄と元服し、権頭忠亮と改名。家久が加冠、伊勢貞昌が理髪を務め、青江の刀を拝領した。同7年、江戸で家光・秀忠に拝謁。翌年父が没し、5月に家督を継いだ。家老久俊らの切腹後、幼少の忠亮を補佐する家老に久根・久永が任じられた。寛永9年の肥後国替に伴う家久の出陣では、907人・二番大将の軍役を割り当てられた。同10年には1万石当たり騎馬20騎などの軍役を命じられ、11月に太守の人質として江戸へ参府。久永と旅家老久孝が同行し、翌正月29日に到着した。寛永11年2月、江戸で病没、21歳。法名は大岩正広居士。元服日は兄の伝と異なり、没日の細字も確定を留保する。

系譜・人物関係

忠能二男、翁久の同母弟。母同前は翁久伝の島津右馬頭征久女。久俊・その父忠泰・弟久仍の処罰は関連家臣記事、久根・久永は補佐家老、久孝は旅家老。次条久直は忠亮養子だが独立伝として分離。

奉公・役職

寛永元年8月12日(翁久伝は22日)兄と同時元服、加冠家久・理髪伊勢貞昌、権頭忠亮へ改名、青江刀拝領。7年江戸参勤、4月18日桜田屋敷で家光、21日秀忠に目見、太刀・鷹等の献上と白銀100枚拝領、6月庄内へ。8年2月忠能没、5月家督。8月6日家老北郷源左衛門久俊鹿児島切腹、7日父小兵衛忠泰・弟平左衛門久仍は都城切腹。同月主膳久根・仲左衛門久永を補佐家老へ。

軍役・事績

寛永9年肥後国替に伴う家久出陣の人数賦は907人・二番大将。内訳に乗馬・手明・夫・鉄炮・弓・鑓等の細字があるが、個別計数は確定せず、説明には合計907人と軍役割当を採用。10年春1万石につき騎馬20騎、軍役人数は100石につき3人を命令。8月巡見上使小出対馬守・城織部・能勢小十郎都城来着。同年11月太守人質として江戸へ、久永・旅家老久孝同行、翌正月29日着。

生没・法名等

慶長19年12月27日生、寛永11年2月江戸病没21歳。没日は十日候補だが不鮮明。法名大岩正広居士。墓所記載なし。

統合人物ID
HP-1659
原人物ID群
03-042-02
氏・分類
北郷
掲載巻頁
巻之三42頁
主題・活動
家督相続・家光秀忠拝謁・肥後国替軍役割当・人質参府・江戸病没
人物関係要約
忠能二男、翁久の同母弟。母同前は翁久伝の島津右馬頭征久女。久俊・その父忠泰・弟久仍の処罰は関連家臣記事、久根・久永は補佐家老、久孝は旅家老。次条久直は忠亮養子だが独立伝として分離。
検索キーワード
北郷忠亮/虎菊丸/権頭/出雲守/忠能/翁久/島津征久女/家久/伊勢貞昌/青江刀/家光/秀忠/桜田屋敷/久俊/忠泰/久仍/久根/久永/久孝/家督/家老/肥後国替/人数賦/907人/二番大将/軍役/巡見上使/人質/江戸/寛永十一年二月/病死/二十一歳/大岩正広居士
公開区分
注記付き公開可
精読・確認状況
AI・通常全1頁と原冊照合済み。元服日条間不一致と没日細字留保。
公開判定根拠
本人の家督・軍役割当・人質参府・江戸病没を確認。元服日不一致と没日細字を注記し公開可。
説明作成区分
AI用PDF全頁追加精読・原冊照合
本文境界判定
既存AI・通常各全1頁を原冊冊子42頁/第1分冊PDF54下と照合。北郷出雲守忠亮の見出しから大岩正広居士まで保持。右の翁久末尾と左の久直見出しは含まない。久俊一族の切腹は忠亮家中の関係記事で独立伝ではない。境界修復・新IDなし。HP-1659/03-042-02維持。
判読保留
元服日は忠亮伝が寛永元年8月12日、兄翁久伝が8月22日。「兄翁久同時」とも記すため日付の不一致を保持する。/寛永11年2月の没日は十日とも見えるが横画が不鮮明で確定しない。本文説明では月までとする。/907人は御人数賦の割当であり、戦闘参加や実際の動員数を示すとは断定しない。軍役内訳の細字の計数は全文転記を保留。

出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』