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HP-1707巻三:48公開可

HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE

本田親知

異名・検索語:本田親知/本田刑部少輔親知/本田又五郎

試験導入中の史料別人物解説です

この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。

DESCRIPTION

本文内容説明

本田親知は刑部少輔、初め又五郎。忠昌の家老・因幡守兼親の二男、親貞(入道一恕)の嫡子。家嫡薫親に属して姫木城を守った。天文十七年、薫親による無罪者の誅戮を父が諫めたが容れられず、二月二十五日に父は清水を退去。親知は三月十一日から姫木城に籠り、上井城主と清水への通路を断った。十三日の薫親の攻撃にも落城せず、後見島田民部・一族本田式部大輔らが伊集院大和守に貴久への服属を申し入れた。九月五日夜に大和守勢を城へ迎え、北原方の番衆を追い出して貴久方の姫木城取得につながった。生没年・没地は記されない。

系譜・人物関係

祖父は忠昌の家老・因幡守兼親。父は兼親二男の因幡守親貞(入道一恕)。本田薫親に属した。子孫に本田六右エ門と記す。

奉公・役職

家嫡薫親に属して姫木城を守る。薫親は本田氏であり旧島津薫親は誤り。家老小注は祖父兼親に属し本人や父の役職としない。

軍役・事績

天文17年、薫親の無罪者数十人誅戮を父が諫めたが容れられず、2月25日に父親貞は清水を退去。3月11日から親知は姫木城に籠り上井城主と清水への通路を遮断。13日薫親攻撃も落城せず。後見島田民部・一族本田式部大輔らが貴久への服属を伊集院大和守へ申し入れ、9月5日夜に大和守勢を姫木へ入れ北原方番衆を排除。

生没・法名等

生没年・没地・法名・墓所の記載なし。

統合人物ID
HP-1707
原人物ID群
03-048-01
氏・分類
本田
掲載巻頁
巻三:48
主題・活動
姫木城守備・貴久帰属
人物関係要約
祖父は忠昌の家老・因幡守兼親。父は兼親二男の因幡守親貞(入道一恕)。本田薫親に属した。子孫に本田六右エ門と記す。
検索キーワード
本田/親知/刑部少輔/又五郎/兼親/忠昌/親貞/一恕/薫親/姫木城/上井/清水/島田民部/本田式部大輔/伊集院大和守/貴久/北原/天文十七年
公開区分
公開可
精読・確認状況
従来記録:精読済(今回の再精読は未実施)
公開判定根拠
従来判定を継承。新基準による個別再判定は未実施。
説明作成区分
AI用PDF全頁精読・原冊境界照合
本文境界判定
原冊48頁上段、一の見出しから姫木御手ニ入ナリまで7列。右の元親・左の親治は別記事。右端系譜小注の欠落を原冊から修復、通常・AI各全1頁を再確認。父祖・薫親・後見等は関連人物で独立新人物伝ではない。
判読保留
判読保留なし。

出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』