HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
北郷忠虎
異名・検索語:北郷忠虎/讃岐守/弾正忠/天室常清居士/天清寺
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
未確定事項:本人の没地は本文芦島、在番および遺骸出船地は唐島。地理的同一視や誤植訂正はせず表記を区別する。/殉死者は鎌田飛弾貞明と記し、鎌に鶴の朱注、一書に市右衛門とする注がある。既存鶴田市右衛門貞明HP-1226/06-104-12と対応する。別条との没地表記差は留保し、新人物を重複採番しない。/渡海・戦死家臣名簿の一部字形、軍役日数や討取数の細注は留保。本文の軍記的数量を別史料で検証したものではない。
DESCRIPTION
本文内容説明
北郷時久の二男。母は本田薫親の娘。弘治2年生、讃岐守・弾正忠と称す。18歳で住吉原合戦に参加し、高原・水俣・堅志田などを転戦。島津忠辰に代わって熊本城を守り、岩屋城攻めでは先登して義久から助広の太刀を賜った。豊後・豊前境の警衛を命じられ、秀吉軍との戦いにも父と出陣した。上洛して大坂で秀吉に拝謁し、大仏殿造営用の柱材を末吉で求めて献上。文禄元年に朝鮮へ渡り、毛利壱岐守と金化城を警衛、のち唐島城を守った。いったん帰国し、同3年7月に再渡海。12月14日、本文に「芦島」と記す地で病没、39歳。遺骸は18日に唐島を出船し、翌年正月5日に都城着、9日に十念寺で葬送された。法名天室常清居士、号天清寺。石塔は竜峯寺にあると記す。末尾に家臣の殉死と朝鮮戦死者の一覧を付す。
系譜・人物関係
北郷時久の二男、母は本田紀伊守薫親の娘。妻の没日文禄3年3月9日と朱注新納忠元女を本人の没日と区別。三久・忠頼は弟、忠能は後続別条の嫡子。父時久の交渉や弟三久の小田原派遣を忠虎単独の事績としない。
奉公・役職
讃岐守・弾正忠。天正4年21歳で軍代を受け高原へ。9年水俣では義虎と湯川原に陣し大将の列、忠平の手に属して肥州竹宮口在番。11年3月29日忠辰に代わり熊本城を守る。14年豊後府内から豊前境まで警衛大将。文禄元年朝鮮で毛利壱岐守と江原道金化城を警衛。2年7月唐島城在番。
軍役・事績
天正元年住吉原合戦18歳、4年高原、6年大友侵入、9年水俣、10年吉利下総・伊集院下野守と肥後戦、13年堅志田、14年鷹取・岩屋に出陣。岩屋先登により義久から助広太刀。豊後・豊前方面で弟三久と義珍に従い、15年退却と秀長軍との戦いで父と働く。諸城を捨て都城安永末吉財部に兵を配ったのち三成・安国寺を介し野尻で秀長に見参、安堵。父の朱印・弟忠頼の人質・三久の京都奉公は家の関連事情。16年大坂で秀吉目見と衣服拝領、大仏殿用の一大柱献上を請け17年末吉城下で大杉を求めて献上。原冊拡大で前段は一ノ大柱と確認、旧注の大樟という読みは採用しない。18年小田原の騎馬15騎への選抜は三久。文禄元年名護屋・壱岐・対馬経由で渡海、金化城警衛。2年都・竜仁・釜山・昌原・唐島へ転陣し9月帰朝。3年7月2日再渡海、11月帰朝する三久へ高城を付属。
生没・法名等
弘治2年生。文禄3年12月14日芦島にて病死39歳。18日唐島から遺骸出船、翌年正月5日都城着、9日十念寺葬送。法名天室常清居士、号天清寺、石塔竜峯寺。妻の3月没は別事件。葬送に家臣鎌田(鶴の朱注)飛弾貞明が切腹殉死、一書に市右衛門とあり既存HP-1226へ対応。末尾朝鮮戦死家臣一覧は本人没記事と区別。
- 統合人物ID
- HP-1650
- 原人物ID群
- 03-039-02
- 氏・分類
- 北郷
- 掲載巻頁
- 巻之三39~40頁
- 主題・活動
- 九州軍役・熊本城在番・岩屋先登・豊後豊前警衛・秀吉目見・大仏殿柱材献上・朝鮮在番・病没葬送
- 人物関係要約
- 北郷時久の二男、母は本田紀伊守薫親の娘。妻の没日文禄3年3月9日と朱注新納忠元女を本人の没日と区別。三久・忠頼は弟、忠能は後続別条の嫡子。父時久の交渉や弟三久の小田原派遣を忠虎単独の事績としない。
- 検索キーワード
- 北郷忠虎/北郷時久/本田薫親/弘治二年/讃岐守/弾正忠/住吉原/高原/水俣/湯川原/忠平/竹宮口/熊本城/島津忠辰/堅志田/鷹取/岩屋/先登/助広太刀/義久/豊後豊前警衛/三久/秀長/秀吉/大仏殿/大柱/大杉/末吉/金化城/毛利壱岐守/唐島城/芦島/文禄三年十二月十四日/病死/三十九歳/十念寺/天室常清居士/天清寺/竜峯寺/鎌田飛弾貞明/鶴田市右衛門貞明/HP-1226/殉死/朝鮮戦死家臣
- 公開区分
- 注記付き公開可
- 精読・確認状況
- AI・通常全4頁と原冊照合済み。軍役・警衛・秀吉拝謁と柱材献上・朝鮮在番・再渡海病没・葬送を整理。
- 公開判定根拠
- 本文に即して具体的軍歴・奉公・病没と葬送を確認。芦島と唐島の表記差、殉死者の異名注等を示して検索公開。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁追加精読・原冊照合
- 本文境界判定
- 既存AI・通常各全4頁と原冊冊子39~40頁/PDF51~52上下段を照合。〇北郷讃岐守忠虎から戦死名簿末尾以下数百人まで同条。第4頁は前頁朝鮮戦死家臣一覧の続きで新しい人物紹介ではない。殉死者の短注は忠虎葬送の関連記載として保持し、既存鶴田市右衛門貞明HP-1226/06-104-12へ参照する。次の〇北郷讃岐守忠能は別条。本文・注の欠けや隣人の本文混入を認めず今回PDF変更不要。HP-1650/03-039-02維持、新番号なし。
- 判読保留
- 本人の没地は本文芦島、在番および遺骸出船地は唐島。地理的同一視や誤植訂正はせず表記を区別する。/殉死者は鎌田飛弾貞明と記し、鎌に鶴の朱注、一書に市右衛門とする注がある。既存鶴田市右衛門貞明HP-1226/06-104-12と対応する。別条との没地表記差は留保し、新人物を重複採番しない。/渡海・戦死家臣名簿の一部字形、軍役日数や討取数の細注は留保。本文の軍記的数量を別史料で検証したものではない。
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』