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HP-1708巻三:48~49注記付き公開可

HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE

本田親貞

異名・検索語:本田親貞/本田弥八/本田右衛門佐/本田下野守親貞/本田三省

試験導入中の史料別人物解説です

この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。

注記付き公開可

未確定事項:利満様の合戦地名字形。利光など既知地名に無根拠置換しない。/鏡奉籠記事の神社名・割注の一部。/亀寿供奉記事は妻を召し連れる本文を保持し、妻のみの随行かどうかの追加解釈を避ける。 本文に記された内容と確定した事実を同一視せず、出典も併せて確認してください。

DESCRIPTION

本文内容説明

本田親貞は親尚の二男。初め弥八、右衛門佐、下野守。兄民部少輔とその子志摩助が家督相続に適さないとされ、家督を継いだ。天文二十三年の岩剣陣と義久初の犬追物で太刀役を務めた。天正八年頃から家老となり、御使役、吉田地頭を歴任。磯・吉野を領知し磯山下に住んだ。天正十四年は八代在陣、家久配下で豊後三重・緒方城の軍役、翌年は根白坂陣に従った。同年五月、竜伯と剃髪して三省と号した。秀吉から一万石下賜の朱印を受け、さらに竜伯から示された加増は他の功臣に譲るよう願って辞退した。後に加世田地頭・西目八ケ外城惣押となる。亀寿の人質上京には妻を伴い供奉したと記される。慶長元年五月二十三日没。法名は本立三省庵主、墓は加世田武田村本立院。没地は記されない。

系譜・人物関係

親尚二男。初弥八、右衛門佐、下野守。親尚嫡子民部少輔とその子志摩助父子が家督相続の器なしとされ、親貞が家督を継いだ。養子との記述ではない。

奉公・役職

天文23年9月岩剣陣で義久太刀役。義久初犬追物も太刀役。天正8年頃から家老、天正年中御使役。隅州吉田地頭、磯・吉野領知、磯山下居住。後に加世田地頭、西目八ケ外城惣押、加世田竹田村に数年居住。八ケ所諸士の出仕を名代として受けた。亀寿人質上京に際し親貞妻を召し連れて供奉し腰物拝領との本文。

軍役・事績

天正14年8月筑紫岩屋発向の供、八代在陣。同10月家久の手で豊後三重に打入り緒方城攻略。次の合戦名は利満様の字形で保留。九州出馬時球摩脇大将。天正15年4月根白坂陣供。岩屋城直接攻略に参加したとは補わない。 天正15年5月竜伯と剃髪し三省。太平寺出御供奉時に太閤から一万石下賜の朱印。その上、竜伯から御高を与える旨申し出があったが、持高相応につき他の功ある小舟之衆へと辞退したと続く。秀吉一万石自体を辞退したという断定は避ける。御朱印は後年焼失の小注。 星谷の御正躰鏡を吉野七社等に分置・奉籠した記事あり。細かな社名と小注は確認保留、断定して公開文へ加えない。

生没・法名等

慶長元丙申5月23日卒。本立三省庵主。加世田武田村本立院に墓。居住地の本文は竹田村、墓所注は武田村。没地・生年・享年は無記載で墓所から没地を推定しない。

統合人物ID
HP-1708
原人物ID群
03-048-08
氏・分類
本田
掲載巻頁
巻三:48~49
主題・活動
家督・家老・地頭・軍役・加増辞退
人物関係要約
親尚二男。初弥八、右衛門佐、下野守。親尚嫡子民部少輔とその子志摩助父子が家督相続の器なしとされ、親貞が家督を継いだ。養子との記述ではない。
検索キーワード
本田/親貞/弥八/右衛門佐/下野守/三省/親尚/民部少輔/志摩助/義久/太刀役/犬追物/家老/御使役/吉田/磯/吉野/八代/家久/豊後三重/緒方城/根白坂/竜伯/秀吉/一万石/朱印/加増辞退/加世田/西目八ケ外城惣押/亀寿/本立三省庵主/本立院
公開区分
注記付き公開可
精読・確認状況
AI用PDF全頁精読・境界確認済み(判読保留あり)
公開判定根拠
全頁精読・境界確認済み。記載箇所に案内できるため、判読・系譜等の留保を注記して公開可。
説明作成区分
AI用PDF全頁精読・原冊境界照合
本文境界判定
原冊48頁下段の〇本田下野守親貞入道三省から49頁上段の法名・墓所注まで。AI全2頁に続文が入り、次の〇本田内蔵允親孝は別条。今回新番号・PDF修復不要。掲載範囲は48~49頁、原冊PDF60~61頁へ訂正する。
判読保留
利満様の合戦地名字形。利光など既知地名に無根拠置換しない。/鏡奉籠記事の神社名・割注の一部。/亀寿供奉記事は妻を召し連れる本文を保持し、妻のみの随行かどうかの追加解釈を避ける。

出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』