HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
北郷相久
異名・検索語:北郷相久/常陸介/次郎/常徳院殿了山等玄大禅定門/兼喜明神/兼喜大明神
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
未確定事項:生年は本文天文23年。右傍注は数字の配列を確読できないため異記の存在のみ記し、候補を確定値に置き換えない。/没年本文は天正9年、朱注に七トモ。本文の生年と29歳も整合しないため、没年を一意に訂正せず併記する。/神としての霊験・追尊は本文の伝承記述として紹介し、史実性を別途認定したものではない。高城合戦の同行者は本文通り島津征久とし、別名・別人へ推定補正しない。
DESCRIPTION
本文内容説明
北郷時久の嫡子で、母は本田紀伊守薫親の娘。常陸介、次郎と称す。本文は天文23年生とする。天正6年、大友氏との高城合戦で島津征久とともに敵を側面から攻めて破った。父との不和により、天正9年8月晦日に安永金石城で切腹、29歳と記すが、没年には7年ともいう注があり、生年と享年も整合しない。法名は常徳院殿了山等玄大禅定門。没後にたびたび霊験があったとして、若宮八幡宮と号し都城に祠を建てたという朱書がある。慶長13年に霊八幡宮へ改号、明暦元年10月に兼喜明神、天和2年8月に正一位兼喜大明神へ追尊されたと記す。
系譜・人物関係
北郷時久の嫡子。母は本田紀伊守薫親の娘。父との不和を切腹に至る事情として記すが、具体的な争いの内容は本文にない。
奉公・役職
常陸介、次郎。本文に具体的な行政役職の就任・転任は記されず、官途称を独立した役職任官とみなさない。
軍役・事績
天正6年大友との高城合戦で、島津征久と同前に横から撃ち敵を破った。没後の朱書は数々の霊験によって若宮八幡宮と号し都城に祠を建てたとする。慶長13年霊八幡宮と改号、明暦元年10月兼喜明神に昇進、天和2年8月正一位兼喜大明神と追尊と記す。生前の軍功と死後の崇敬を区別する。
生没・法名等
本文天文23年生(生年右朱注の数字は保留)。天正9年8月晦日、父との不和により安永金石城で切腹29歳。9年に朱七トモ。法名常徳院殿了山等玄大禅定門。生年と享年不整合を逆算で補正しない。具体的葬地の記載はなく、都城の祠を墓としない。
- 統合人物ID
- HP-1649
- 原人物ID群
- 03-039-01
- 氏・分類
- 北郷
- 掲載巻頁
- 巻之三39頁
- 主題・活動
- 高城合戦・側面攻撃・父子不和・切腹・没後崇敬・神号追尊
- 人物関係要約
- 北郷時久の嫡子。母は本田紀伊守薫親の娘。父との不和を切腹に至る事情として記すが、具体的な争いの内容は本文にない。
- 検索キーワード
- 北郷相久/北郷時久/本田薫親/常陸介/次郎/天文二十三年/天正六年/大友/高城合戦/島津征久/側面攻撃/父子不和/天正九年/七トモ/八月晦日/安永金石城/切腹/二十九歳/常徳院殿了山等玄大禅定門/霊験/都城/若宮八幡宮/慶長十三年/霊八幡宮/明暦元年十月/兼喜明神/天和二年八月/正一位兼喜大明神
- 公開区分
- 注記付き公開可
- 精読・確認状況
- AI・通常全1頁と原冊・修復後全頁照合済み。側面攻撃の軍功、切腹の場所・事情、法名、没後崇敬を整理。生没年異記留保。
- 公開判定根拠
- 本人固有の高城合戦・父との不和・安永金石城切腹と没後崇敬を確認。生没年の異記と年齢不整合を注記して検索公開。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁追加精読・原冊照合・境界修復
- 本文境界判定
- 既存AI・通常各全1頁を原冊冊子39頁/PDF51上段と照合。右端に欠けていた生年傍注を回復し、隣接する時久の蓮歌と左の忠虎見出しを含めない範囲へ調整。修復候補2の通常・AI各全1頁を確認。〇北郷常陸介相久から正一位兼喜大明神への追尊まで同条。朱書の霊験・祠建立と神号改称は相久の没後崇敬記事で、新人物境界ではない。次の〇北郷讃岐守忠虎は既存別条03-039-02。HP-1649/03-039-01維持、新番号なし。
- 判読保留
- 生年は本文天文23年。右傍注は数字の配列を確読できないため異記の存在のみ記し、候補を確定値に置き換えない。/没年本文は天正9年、朱注に七トモ。本文の生年と29歳も整合しないため、没年を一意に訂正せず併記する。/神としての霊験・追尊は本文の伝承記述として紹介し、史実性を別途認定したものではない。高城合戦の同行者は本文通り島津征久とし、別名・別人へ推定補正しない。
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』