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HP-1712巻3:49公開可

HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE

本田親豊(若狭守)

異名・検索語:本田親豊(若狭守)/本田若狭守親豊

試験導入中の史料別人物解説です

この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。

DESCRIPTION

本文内容説明

本田親豊は若狭守で、御使役を務めた。系譜小注では忠昌公の家老・兼親の三男兵部少輔の子孫で、兼賢の嫡子とする。天正三年三月二十四日、以前に子が三ノ山で戦死し、自身は老齢で孫も幼少のため、生活を支える土地を下されたいと家老衆へ願い出た。所領二反を与える旨の上意があったと記される。出典は覚兼日記。本人の生没年・法名・墓所は記載されない。

系譜・人物関係

忠昌公の家老兼親の三男兵部少輔の子孫で、兼賢の嫡子とする小注。子は三ノ山で戦死し孫は幼少。本文中でその子・孫の名は記さない。

奉公・役職

本人の本文上の役は御使役。家老は小注中の祖先兼親にかかる。貴久の名は本項にはないため主君を貴久と断定しない。

軍役・事績

本人の軍功ではなく子の三ノ山戦死を、知行願の事情として記す。天正三年季春廿四日(旧暦三月二十四日)、子の戦死・自身の老齢・孫の幼少を理由に懸命之地を願う。所領二反を与える旨の上意。

生没・法名等

本人の生没年・享年・法名・墓所は不記載。子の戦死地を本人の没地にしない。

統合人物ID
HP-1712
原人物ID群
03-049-04
氏・分類
本田
掲載巻頁
巻3:49
主題・活動
御使役・知行願
人物関係要約
忠昌公の家老兼親の三男兵部少輔の子孫で、兼賢の嫡子とする小注。子は三ノ山で戦死し孫は幼少。本文中でその子・孫の名は記さない。
検索キーワード
本田/親豊/若狭守/兼親/忠昌/兼賢/御使役/天正三年/三月二十四日/三ノ山/三之山/子/戦死/孫/知行願/所領二反/覚兼日記
公開区分
公開可
精読・確認状況
従来記録:精読済(今回の再精読は未実施)
公開判定根拠
従来判定を継承。新基準による個別再判定は未実施。
説明作成区分
AI用PDF全頁精読・原冊境界照合
本文境界判定
一本田若狭守親豊から上意候・覚兼日記の出典注まで三列と小注で完結。子・孫は知行願の事情説明で独立見出しではない。次の〇本田治部少輔とは区別。PDF修正・新規採番不要。
判読保留
判読保留なし。次項治部少輔の親豊子歟は疑問形のため、本項の戦死した子を治部少輔と断定・統合しない。兼賢・兼親等を既存IDに自動統合しない。

出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』