HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
本田親豊(若狭守)
異名・検索語:本田親豊(若狭守)/本田若狭守親豊
試験導入中の史料別人物解説です
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
DESCRIPTION
本文内容説明
本田親豊は若狭守で、御使役を務めた。系譜小注では忠昌公の家老・兼親の三男兵部少輔の子孫で、兼賢の嫡子とする。天正三年三月二十四日、以前に子が三ノ山で戦死し、自身は老齢で孫も幼少のため、生活を支える土地を下されたいと家老衆へ願い出た。所領二反を与える旨の上意があったと記される。出典は覚兼日記。本人の生没年・法名・墓所は記載されない。
系譜・人物関係
忠昌公の家老兼親の三男兵部少輔の子孫で、兼賢の嫡子とする小注。子は三ノ山で戦死し孫は幼少。本文中でその子・孫の名は記さない。
奉公・役職
本人の本文上の役は御使役。家老は小注中の祖先兼親にかかる。貴久の名は本項にはないため主君を貴久と断定しない。
軍役・事績
本人の軍功ではなく子の三ノ山戦死を、知行願の事情として記す。天正三年季春廿四日(旧暦三月二十四日)、子の戦死・自身の老齢・孫の幼少を理由に懸命之地を願う。所領二反を与える旨の上意。
生没・法名等
本人の生没年・享年・法名・墓所は不記載。子の戦死地を本人の没地にしない。
- 統合人物ID
- HP-1712
- 原人物ID群
- 03-049-04
- 氏・分類
- 本田
- 掲載巻頁
- 巻3:49
- 主題・活動
- 御使役・知行願
- 人物関係要約
- 忠昌公の家老兼親の三男兵部少輔の子孫で、兼賢の嫡子とする小注。子は三ノ山で戦死し孫は幼少。本文中でその子・孫の名は記さない。
- 検索キーワード
- 本田/親豊/若狭守/兼親/忠昌/兼賢/御使役/天正三年/三月二十四日/三ノ山/三之山/子/戦死/孫/知行願/所領二反/覚兼日記
- 公開区分
- 公開可
- 精読・確認状況
- 従来記録:精読済(今回の再精読は未実施)
- 公開判定根拠
- 従来判定を継承。新基準による個別再判定は未実施。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁精読・原冊境界照合
- 本文境界判定
- 一本田若狭守親豊から上意候・覚兼日記の出典注まで三列と小注で完結。子・孫は知行願の事情説明で独立見出しではない。次の〇本田治部少輔とは区別。PDF修正・新規採番不要。
- 判読保留
- 判読保留なし。次項治部少輔の親豊子歟は疑問形のため、本項の戦死した子を治部少輔と断定・統合しない。兼賢・兼親等を既存IDに自動統合しない。
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』