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HP-1711巻三:49注記付き公開可

HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE

本田親武

異名・検索語:本田親武/本田六左衛門親武/本田親昌/本田修仙

試験導入中の史料別人物解説です

この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。

注記付き公開可

未確定事項:父名親孝の正カは異記として保持し、親正に確定しない。兄長十郎の十に七の小注があり、妻の父長七郎と同定しない。/大学親秀の系譜上の位置と兄親宣の早世は確定しない。親宣の御前元服・脇差拝領と、親武の吉利での御前元服を区別する。/冒頭の嫡子六之助親堅と、家中緒書の弥六の同一性は未確定。泰清公の実名を外部知識で補わない。/帰国願の記事に四角形の判読不能箇所があるため補読しない。生没年月日・没地・墓所は記事に記載がない。

DESCRIPTION

本文内容説明

本田親武は六左衛門、初名親昌、修仙。親孝の三男と記すが父名に「正カ」の注がある。大学親秀が大野隼人の養子となり早世したため家督を継いだと記され、妻は長七郎の娘。吉利への御光儀の際に御前元服し、川内高城・福山地頭、御用人、犬追物射手を務めた。家中緒書によれば、泰清公に供奉して江戸へ上り、男子二人が生まれた。本妻の娘が嫁いだ町田源左衛門の子を養子にする内意があったため、弥六の出生を披露せず内々に元服させたが、主命で国元へ伴った。親武没後は弥六が家督を継ぎ、江戸に居住した二男親方も帰国。弥六の早世により親方が跡職を継いだ。冒頭の早世した嫡子親堅と弥六の対応は未確定。本人の生没年月日・没地・墓所は記されない。

系譜・人物関係

親孝三男(正カの異記)。兄親宣、大学親秀の家督記事、妻長七郎女。嫡子六之助親堅早世。家中緒書では本妻の娘婿町田源左衛門とその子、江戸で出生した弥六・二男親方を記す。親堅と弥六の対応は未確定。

奉公・役職

川内高城・福山地頭、御用人、犬追物射手。泰清公の江戸御供。

軍役・事績

吉利御光儀時の御前元服。江戸で男子二人出生、養子内意により弥六を披露せず内々元服。主命で国元へ連れ帰る。死後の弥六・親方の継承は子の事績として区別。

生没・法名等

本人の死後に弥六が相続したと記すが、生没年月日・没地・墓所は無記載。親堅と弥六の早世記事を本人に混同しない。

統合人物ID
HP-1711
原人物ID群
03-049-03
氏・分類
本田
掲載巻頁
巻三:49
主題・活動
地頭・御用人・射芸・江戸供奉・家督
人物関係要約
親孝三男(正カの異記)。兄親宣、大学親秀の家督記事、妻長七郎女。嫡子六之助親堅早世。家中緒書では本妻の娘婿町田源左衛門とその子、江戸で出生した弥六・二男親方を記す。親堅と弥六の対応は未確定。
検索キーワード
本田/親武/六左衛門/親昌/修仙/親孝/親正異記/親宣/親秀/長七郎/吉利/川内高城/福山/地頭/御用人/犬追物/射手/泰清公/江戸/町田源左衛門/娘/養子/弥六/親方/親堅/家督/跡職
公開区分
注記付き公開可
精読・確認状況
通常AI各全2頁・原冊49頁・見出し拡大照合済。本人と兄・子の元服家督記事を区別。
公開判定根拠
役職・江戸御供・家督継承を具体化し、父名異記と子の同定留保を注記して公開する。
説明作成区分
AI用PDF全頁追加精読・原冊照合
本文境界判定
原冊49頁上段左側の○本田六左衛門親武から下段右側の家中緒書引用末「跡職被仰付候云々」まで通常AI各全2頁に連続。前の本田伊予守親正、次の一本田若狭守親豊は含まれない。親方ら子の家督記述は親武条内の関連記述であり、新規境界・採番は不要。
判読保留
父名親孝の正カは異記として保持し、親正に確定しない。兄長十郎の十に七の小注があり、妻の父長七郎と同定しない。/大学親秀の系譜上の位置と兄親宣の早世は確定しない。親宣の御前元服・脇差拝領と、親武の吉利での御前元服を区別する。/冒頭の嫡子六之助親堅と、家中緒書の弥六の同一性は未確定。泰清公の実名を外部知識で補わない。/帰国願の記事に四角形の判読不能箇所があるため補読しない。生没年月日・没地・墓所は記事に記載がない。

出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』