HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
本田薫親
異名・検索語:本田薫親/本田紀伊守薫親 又二郎/本田紀伊守藤原薫親 又二郎
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
未確定事項:東福寺城守備と向島拝領の時期は本文自身が疑問を示し、干城録大翁公時との注を付す。本文の疑問を消さない。/巻三の天文十七年十月四日発向と巻十三の同月九日退去を区別。公開文は年までとする。/祖先系譜の古い名の一部は印刷欠字・小注があり逐字確定していない。本人の父親安・祖父兼親・曽祖父国親は確認できる。 本文に記された内容と確定した事実を同一視せず、出典も併せて確認してください。
DESCRIPTION
本文内容説明
本田薫親は紀伊守、又二郎。三河守親安の嫡子で、清水を本拠に曽於郡などを領した。享禄三年、祁答院の援兵で曽於郡を奪回し、北郷忠相の攻撃を退けた。天文十一年には貴久から生別府城を与えられた。巻十三は一族・家人の殺害と離反を記し、天文十七年に貴久・忠良方と対立して父子で清水を退去、庄内へ移ったとする。巻三によれば、天文十五年の義久元服で髪を結び、天正二年には義久から川内の天辰一所と山田地頭職を受けた。天正三年には義久御世始と琉球人接待の犬追物で射手を務めた。同六年の日州、十二年の肥後出陣に従い、十四年の岩屋城攻めの際は八代に在陣した。生没年・没地・法名は記されない。
系譜・人物関係
紀伊守、又二郎。三河守親安の嫡子。巻三の先祖系譜は国親→因幡守兼親→三河守親安→薫親。忠国公家老は国親、忠昌公家老は兼親。薫親本人の忠国・立久期国老という旧説明は成立しない。
奉公・役職
天文十一年、樺山善久の生別府城を貴久の命で受領。巻三は近衛植家の褒書を付記。天文十五年、義久元服時に髪を結んだとの元服記引用。天正二年、義久から川内天辰一所・山田地頭を与えられた。天正二年八月廿日の上意、十二月六日御祝言に酒を進上と覚兼日記引用。十二年正月永吉地頭との注は没年月に読み替えない。
軍役・事績
隅州清水領主。曽於郡・大窪・河北・持松・横瀬・帖佐餅田等を領した記事。大永六年に北郷家が曽於郡城を攻め取る。享禄三年、祁答院の加勢で取返し、北郷忠相の西之城攻めを退けた(巻三)。享禄二年十一月二十八日の春山原戦で五十余人戦没は巻十三。別年別記事を同一合戦にしない。 巻十三は大永七年の新納氏の兵と宮内侵入、寺社破壊・八幡宮焼亡、天文六年に東条出羽を鹿児島へ遣わした記事を記す。天文十七年の一族家人殺害と離反を記し、叔父因幡守親貞・治部左衛門の諫言、親貞の子又五郎親知の姫木拠点化に続く。貴久・伊集院忠朗・樺山善久側の攻城は薫親の功績にしない。 天文十七年、嫡子左京大夫親兼が清水七十五町を与えられ旗下に属したのち、北原・祁答院・加治木と再び結んだと記す。日新公父子の攻撃で清水を退去し庄内へ。巻三は十月四日発向と婿北郷時久を頼った旨、巻十三は十月四日出馬・同九日父子清水退去以下不伝。北郷忠相への和議の相談は日新公側の行為であり、薫親の移住先支援者と断定しない。 巻三は天正六年大友領日州へ義久に供奉、十二年九月肥後出陣、十四年七月筑紫岩屋攻めの時は肥後八代在陣と記す。天正三年三月十五日義久御世始の犬追物、同十七日・二十五日の射犬各七疋、四月廿一日琉球人接待の犬追物射手。天正四年四月九日二疋、十二日三疋。
生没・法名等
本人の生没年・没地・法名・墓所は両出典に記載なし。巻十三の以下不伝を死亡としない。巻三にはその後の活動がある。
- 統合人物ID
- HP-1686
- 原人物ID群
- 03-047-02/13-245-01
- 氏・分類
- 本田
- 掲載巻頁
- 巻三:47/巻十三:245
- 主題・活動
- 清水領主・地頭・軍役・犬追物
- 人物関係要約
- 紀伊守、又二郎。三河守親安の嫡子。巻三の先祖系譜は国親→因幡守兼親→三河守親安→薫親。忠国公家老は国親、忠昌公家老は兼親。薫親本人の忠国・立久期国老という旧説明は成立しない。
- 検索キーワード
- 本田/薫親/紀伊守/又二郎/親安/兼親/国親/清水/曽於郡/祁答院/北郷忠相/生別府/貴久/忠良/義久/庄内/親兼/天辰/山田地頭/犬追物/琉球人/日州/肥後/八代
- 公開区分
- 注記付き公開可
- 精読・確認状況
- AI用PDF全頁精読・境界確認済み(判読保留あり)
- 公開判定根拠
- 全頁精読・境界確認済み。記載箇所に案内できるため、判読・系譜等の留保を注記して公開可。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁精読・原冊境界照合
- 本文境界判定
- 両出典とも同じ冊子頁の上段から下段へ続く計2頁。巻三は直前〇本田内蔵介親豊と末尾次の〇本田大炊大夫親兼を除外。巻十三は前の忠勝条と次の菱刈相模守重州を除外。末尾〇薫親兵ヲ遣シ鹿児島東福寺城ヲ衛ル…は薫親の補記で新人物にしない。上段祖先列も本人の系譜叙述で独立見出しなし。PDF変更・新規採番不要。
- 判読保留
- 東福寺城守備と向島拝領の時期は本文自身が疑問を示し、干城録大翁公時との注を付す。本文の疑問を消さない。/巻三の天文十七年十月四日発向と巻十三の同月九日退去を区別。公開文は年までとする。/祖先系譜の古い名の一部は印刷欠字・小注があり逐字確定していない。本人の父親安・祖父兼親・曽祖父国親は確認できる。
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』