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追録4の目録

暫定版です。原文との照合により、概要や文書の区切り等を修正する場合があります。

全2,674件中 2501~2600件・26 / 27ページ

  1. 追録4-No.2474 吉貴と総州の近況を気遣う奥向連署返書

    荻原・岡田・藤えから松平上総入道吉貴への返書。吉貴からの便りを受けてその機嫌を喜び、総州様も健勝であると聞いて安堵する。土用の暑さの中で体調に障りがないかを気遣い、今後も無事に過ごされるよう述べる。原文に発信日を明記しないため、月日を確定しない。

  2. 追録4-No.2475 生身玉の祝儀と姫君・菊姫の近況を伝える奥向返書

    荻原・岡田・藤えが吉貴の書状に返す。生身玉の祝儀を仰せ進められたことを喜び、姫君様と菊姫様の様子、大守様の機嫌にも触れる。家族の健康と繁栄を願う奥向の挨拶を伝え、五月十七日付で連署する。単なる宗信の近況報告ではない。

  3. 追録4-No.2476 三御所の機嫌と御用の知らせを受けた奥向返書

    豊岡ら奥向の七人から吉貴への連署返書。吉貴の五月二日付書状を受け、三御所が健勝であることを喜ぶ。書状で伝えられた御用の件も承知し、関係者へよろしく申し上げると返す。五月二日は受け取った書状の日付であり、この返書の発信日としては記さない。

  4. 追録4-No.2477 姫君縁組と家督・養子の内意に関する交渉報告

    五月十八日付の長文の連署報告。姫君の縁組をめぐり、荻原らとの内談、吉貴の御内意をどのように確かめるか、上意を受けて話を進めるための取次や申上げの順序を記す。家督・養子の扱いも関係するため、相手方の意向を確かめながら大御所への申上げの可否を検討している。木様、荻原、豊岡らとの応答や使者を通じた伝達を追…

  5. 追録4-No.2478 判物・領知目録の写しと郷村帳の提出を命じる連署状

    五月二十三日付の連署状。翌二十四日四つ時に大隅守が持参する判物の写し、領知目録とその写しを、使者に託して紀伊守宅へ差し出すよう指示する。あわせて郷村帳の作成状況にも触れ、領知関係の書付を提出するための具体的な時刻・宛先・手順を伝える。

  6. 追録4-No.2479 朱印拝領寺社の調査と私領分該当なしの届

    朱印を頂戴した寺社については寺社領の多少を問わず、境内のみの朱印でも所持する者は、領内・私領の朱印写しを添えて三月から五月の間に届け出るよう、松平能登守から命じられた。これに対し、大隅守の私領には朱印を頂戴した寺社がないと申し出る五月二十四日付の届。境界調査の報告ではない。

  7. 追録4-No.2480 琉球布・砂糖漬天門冬・赤貝塩辛・泡盛献上への返答

    堀田相模守正亮が大隅守へ返す六月十一日付書状。同日朝に琉球布一箱、砂糖漬天門冬一器、赤貝塩辛一器、琉球泡盛酒二壺を献上した旨を披露したところ、格別の御仕合であると伝える。献上品の品目と数量、披露を受けた結果を明記する。

  8. 追録4-No.2481 琉球布・砂糖漬天門冬・赤貝塩辛・泡盛献上への返答

    松平右近将監武元から大隅守への六月十一日付の返書。同日朝、琉球布一箱、砂糖漬天門冬一器、赤貝塩辛一器、泡盛酒二壺を献上した旨を披露したところ、格別の御仕合であると伝える。No.2480・2482と同じ献上に対する別の差出人の返書。

  9. 追録4-No.2482 琉球布・砂糖漬天門冬・赤貝塩辛・泡盛献上への返答

    酒井雅楽頭忠知から大隅守への六月十一日付の返書。同日朝、琉球布一箱、砂糖漬天門冬一器、赤貝塩辛一器、泡盛酒二壺を献じた旨を披露し、格別の御仕合であると伝える。No.2480・2481と同件の書状だが、差出人を酒井忠知として記す。

  10. 追録4-No.2483 酷暑の見舞いと鰹節一箱献上への武元返書

    松平右近将監武元が吉貴の書状を披見し、酷暑の折に三御所の機嫌をうかがったことを承知する。三御所が安全に過ごしている旨を伝え、鰹節一箱の献上について披露したところ、格別の御仕合であると返す。六月十一日付で、No.2484・2485と同件の別返書。

  11. 追録4-No.2484 酷暑の見舞いと鰹節一箱献上への正亮返書

    堀田相模守正亮が吉貴の書状を読み、酷暑の中で三御所の機嫌をうかがった趣を承知する。三御所の安全を伝え、鰹節一箱の献上は披露され、格別の御仕合であったと返す。六月十一日付。No.2483・2485と同件だが差出人を区別する。

  12. 追録4-No.2485 酷暑の見舞いと鰹節一箱献上への忠知返書

    酒井雅楽頭忠知が吉貴の書状を披見し、酷暑の折に三御所の機嫌を尋ねたことを承知する。三御所が健勝であることを伝え、鰹節一箱の献上を披露したところ、格別の御仕合であると返答する。六月十一日付。No.2483・2484と同じ知らせへの別返書。

  13. 追録4-No.2486 三御所の機嫌を知らせる高瀬・清崎の奥向返書

    高瀬・清崎から吉貴への返書。吉貴の五月六日付の文を受け、三御所が健勝である旨を知らせる。近ごろの機嫌を気遣った文を喜び、御表方からも申し上げること、今後もよろしく申し上げることを伝える。五月六日は吉貴の原書状の日付であり、この返書自体の発信日は明記されない。

  14. 追録4-No.2487 三御所の安泰を喜び文の取次を頼む奥向連署返書

    豊岡・梅園ら奥向から吉貴への返書。五月六日付の文を受け、三御所がますます安泰であることを喜ぶ。吉貴からの気遣いに謝意を述べ、近ごろの様子と文の取次を伝えて、引き続き文を寄せてほしいと頼む。五月六日は受信した書状の日付であり、返書の日付とは扱わない。

  15. 追録4-No.2488 四月二十四日の東叡山参詣を報じた吉貴への正亮返書

    堀田相模守正亮が吉貴の書状を披見し、公方様が機嫌よく過ごし、四月二十四日に東叡山の御霊前へ参詣した旨を承知して喜ぶ。書面の内容を関係者で相談し、上聞に達したと返す。六月十六日付。No.2489・2490は同じ知らせに対する別返書。

  16. 追録4-No.2489 四月二十四日の東叡山参詣を報じた吉貴への正亮返書

    堀田相模守正亮が吉貴の書状を受け、公方様の機嫌がよく、四月二十四日に東叡山の御霊前へ参詣したことを承知して喜ぶ。書面の趣を諸役人と相談して上聞に達した旨を返す。六月十七日付で、前日のNo.2488とは別文書。

  17. 追録4-No.2490 四月二十四日の東叡山参詣を報じた吉貴への忠知返書

    酒井雅楽頭忠知が吉貴の書状を披見し、公方様が健勝で、四月二十四日に東叡山の御霊前へ参詣したと聞いて喜ぶ。書状の趣を相談して上聞に達したと返す。六月十七日付。No.2488・2489と共通の用件だが、差出人は酒井忠知。

  18. 追録4-No.2491 翌朝五つ半時の登城を命じる達書

    堀田相模守正亮が松平大隅守に、明朝五つ半時に登城するよう申し渡した六月二十六日付の短い達書。端午の賀儀に関する記述は本文にない。文書別PDFの後半には次の巻の表紙も写るため、本文は達書部分までとして扱う。

  19. 追録4-No.2492 吉貴から忠紀への腰刀拝領を記す記事

    寛保三年七月三日、吉貴から忠紀に腰刀一腰が与えられた。記事はその刀の銘・拵えに触れ、同月二十六日にも贈答を記す。続くNo.2493に脇差の目録が載るため、両文書を照合して刀剣の授受と品目を確認する。

  20. 追録4-No.2493 忠紀へ渡された脇差一腰の目録

    吉貴から忠紀への贈答に伴う目録。脇差一腰を掲げ、作りを「御糸頭猿浪毛彫有」と記す。寛保三年七月二十六日付で、前のNo.2492の記事に記された刀剣授受の具体的な品目を示す。

  21. 追録4-No.2494 五月八日の東叡山御霊前参詣を伝えた吉貴への忠直返書

    西尾隠岐守忠直が吉貴の書状を披見し、公方様が健勝で、五月八日に東叡山の御霊前へ参詣したことを聞き喜ぶ。吉貴の書面の趣を関係者と相談して上聞に達した旨を返す。七月七日付。No.2488~2490の四月二十四日の参詣とは日付が異なる。

  22. 追録4-No.2495 生見玉の祝儀としての黄金十両献上への忠直返書

    西尾隠岐守忠直が大隅守へ、生見玉の祝儀として黄金十両を献上した旨を披露し、格別の御仕合であると返す。七月六日付。No.2496は同じ献上に対する別差出人の返書。

  23. 追録4-No.2496 生見玉の祝儀としての黄金十両献上への武元返書

    松平右近将監武元が大隅守へ、生見玉の祝儀として黄金十両を献じたことを披露し、格別の御仕合であると伝える。七月六日付で、No.2495と同件だが差出人を松平武元として区別する。

  24. 追録4-No.2497 広済寺住持に先例どおりの執務を認める裁許状

    継豊公の譜に収める七月十一日付の裁許状。広済寺の住持職務について、先例に任せて執務するよう命じる。島津継豊の判と永藤西堂の名を記す。既存概要の「御鷹の雲雀を拝領」は本文と一致せず、No.2499の記事と混同したものとみられる。

  25. 追録4-No.2498 領国巡見上使の道程と病気・帰路を記す記事

    七月十九日以降、幕府の巡見上使が薩摩・大隅・日向に入る行程を記す。藩の役人が上使を出迎え、山川・佐土原・宮崎方面を巡る際の宿泊と案内を手配した。途中、上使の一人が病気となって療養し、別の上使の行程と別れて後から追う。藩は病中の見舞い、帰路の送り、関係者への報告も行った。八月末から九月初めにかけての動…

  26. 追録4-No.2499 家重から宗信へ雲雀三十翼を下賜した記事

    七月二十一日、上使島田荘五郎政氏が島津宗信の邸を訪れ、将軍家重からの御鷹にかかわる雲雀三十翼を届けた。宗信がこれを拝領したことを記す。前のNo.2497は広済寺住持の裁許状であり、雲雀下賜の記事は本行に当たる。

  27. 追録4-No.2500 巡見上使への案内と病者の帰着を伝える吉貴記事

    吉貴公の譜に収める巡見上使の記事。上使の巡見に際し、藩の役人が領内の案内と宿泊の手配を行う。八月四日に上使が薩摩の宿館に着き、病気のため遅れた者への対応や、伊勢兵部らからの報告にも触れる。上使と病者の移動を確認する内容で、No.2498の長文記事と関連する。

  28. 追録4-No.2501 八朔祝儀の太刀一腰・馬代黄金十両献上への忠知返書

    酒井雅楽頭忠知が大隅守に、八朔の祝儀として太刀一腰と馬代黄金十両を献じた旨を披露し、格別の御仕合であると返す。八月四日付。No.2502は同じ献上に対する松平武元の別返書。

  29. 追録4-No.2502 八朔祝儀の太刀一腰・馬代黄金十両献上への武元返書

    松平右近将監武元が大隅守に、八朔の祝儀として太刀一腰と馬代黄金十両を献上した件を披露し、格別の御仕合であると返す。八月四日付。No.2501と同件であるが差出人を区別する。

  30. 追録4-No.2503 六月九日の東叡山御霊前参詣を伝えた吉貴への忠直返書

    西尾隠岐守忠直が吉貴の書状を披見し、大御所が健勝で、六月九日に東叡山の御霊前へ参詣したことを聞いて喜ぶ。書状の内容を大御所方と相談し、上聞に達した旨を返す。八月九日付。No.2494の五月八日の参詣とは異なる出来事。

  31. 追録4-No.2504 三御所の機嫌と土用見舞いを受けた奥向返書

    高瀬・清崎が吉貴の七月十三日付の文に返答する。三御所が健勝であると伝え、吉貴が土用の暑さを気遣い、菊姫方への土用の見舞いにも触れたことを喜ぶ。御目見や贈答を主題とする文書ではない。七月十三日は受け取った文の日付であり、返書の発信日は本文にない。

  32. 追録4-No.2505 大御所から菊姫への土用見舞いを喜ぶ奥向連署返書

    豊岡ら奥向の八人が吉貴へ連署で返す。三御所の機嫌がよいことを喜び、先月十五日、大御所から菊姫へ初めて土用の見舞いとして拝領品があったと聞いて祝意を述べる。吉貴側もありがたく思う趣を取り次ぎ、菊姫と関係者への挨拶を伝える。本文に返書の発信日は明記されない。

  33. 追録4-No.2506 起請文の判形・血判と宛所を指示する文書

    宗信に対する八月二十四日付の作成指示。二十六日に私宅で起請文を調え、判形は事前に行い、血判は指定された場で行うよう命じる。宛所は老中三人の座順に従って記すよう指定する。単なる提出期日の連絡ではなく、誓詞の体裁と署判の方法を具体的に定める。

  34. 追録4-No.2507 宗信の起請文作成と八月二十五日の提出経過

    将軍家重への起請文を整える経過を記す。八月二十四日に判形・血判・宛所の指示を受け、宗信はその体裁を調える。翌二十五日、起請文と関連書付を持参して所定の役人へ進上し、受取や取次の手順を経た。No.2506の指示とNo.2508の誓約本文、No.2509の名簿を結ぶ提出記事。

  35. 追録4-No.2508 公方への忠節と法度遵守を誓う宗信の起請文

    宗信の八月二十五日付起請文。公方への忠節を誓い、表裏のある行動や家中の不穏を戒める。幕府の法度と命令に従い、異変や謀反の企てを聞けば届け出ること、諸国の大名・親類や公家との私的な結託を避けることなどを条項として記す。違背した場合には梵天・帝釈、四天王、諸社の神罰を受けると誓う。No.2507の提出経…

  36. 追録4-No.2509 起請文を進上した大名らの署名一覧

    No.2508の起請文に続く進上者の名簿。多数の大名・旗本の名と官名を列記し、宗信もその一人として記す。誓約条項を繰り返した文書ではなく、同じ起請文を進上した人々の範囲を示す一覧。

  37. 追録4-No.2510 年始祝儀の使者への贈物を知らせる書状

    琉球国司をめぐる年始の祝儀として派遣した使者について、目録のとおり贈物を授けられたことを知らせる九月三日付の書状。特別の配慮に謝意を示し、使者に渡された品の受取を伝える。贈物の内容は本文では「目録之通」とされ、品目はこの書状単独では列記されない。

  38. 追録4-No.2511 将軍代替の祝儀使節を先例どおり送るよう伝える琉球宛書状

    島津継豊が琉球の中山王に宛て、将軍の代替に伴う祝儀について述べる。来る辰年には先例どおり江府へ使者を遣わし、祝儀を申し上げるよう命じられた旨を伝え、その趣を紙面にして差し遣わす。九月二日付。No.2512と同日だが、こちらは祝儀使節の派遣についての書状。

  39. 追録4-No.2512 大御所への御機嫌伺いと太刀・馬代贈答を伝える琉球宛書状

    継豊が琉球の中山王に宛て、去冬に大御所の機嫌をうかがった際の祝儀を述べる。中山王から遣わされた使者を通じて太刀一腰と馬代白銀百両の目録を贈ったことを伝え、その儀礼を入念に行うよう促す。九月二日付。No.2511と同日だが、具体的な贈答品を扱う別の書状。

  40. 追録4-No.2513 将軍代替祝儀への謝意と贈物を伝える琉球宛書状

    島津宗信から琉球中山王への九月二日付の書状。将軍の代替に伴う祝儀の使者を送ったことに謝意を述べ、祝儀の趣を喜ぶ。使者を介して目録のとおり贈物を渡したことも知らせる。具体的な品目はこの書状には列記されず、No.2514・2515と関連する別文書。

  41. 追録4-No.2514 将軍代替祝儀の使者を先例どおり派遣する琉球宛書状

    島津宗信から琉球中山王への九月二日付の書状。将軍の代替を祝うため、例年と先例に従って使者を差し上げる旨を伝える。書面の内容に従って手続きを進めるよう求める。No.2513・2515と同日付だが、主眼は使者派遣の儀礼と先例の遵守にある。

  42. 追録4-No.2515 大御所への祝儀と太刀・馬代贈答を伝える琉球宛書状

    島津宗信が琉球中山王に宛て、去冬に大御所へ機嫌伺いの祝儀を行い、使者を通じて太刀一腰と馬代白銀百両の目録を贈ったことを伝える。入念に儀礼を済ませるよう求める九月二日付の書状。No.2512と共通の贈答だが、差出人は宗信。

  43. 追録4-No.2516 重陽祝儀の小袖一重を喜ぶ将軍家重の御内書

    将軍家重から薩摩中将宗信への九月七日付の御内書。重陽の祝儀として小袖一重が届けられたことを喜び、詳細は西尾隠岐守忠直が伝えると述べる。将軍の印判を伴い、No.2517の幕府役人による披露の返書と区別する。

  44. 追録4-No.2517 重陽祝儀の小袖一重献上への武元返書

    松平右近将監武元が大隅守へ、重陽の祝儀として使者を通じ小袖一重を献じたことを披露し、格別の御仕合であると返す。九月七日付。No.2516の将軍家重の御内書と同じ祝儀に対応するが、こちらは幕府役人の返書。

  45. 追録4-No.2518 継豊の領知判物受領に向けた使者・登城・取次の手順

    薩州の領知判物を受けるための九月八日付の詳細な指図。継豊の代理を立て、判物が渡されるまでの使者、登城の時刻と服装、老中や留守居との取次、判物・目録・写しの扱いを列挙する。樺山主計、伊勢兵部、北郷織部らへ手順を伝え、以前に判物を受けた事例に従うことも求める。No.2519・2520の受領記事に先立つ準…

  46. 追録4-No.2519 将軍代替に伴う継豊の領知判物受領と使者の経過

    継豊公の譜の記事。将軍代替に伴い領知の判物と印章を受けることとなり、継豊の代理として宗信が登城する。幕府からの知らせ、使者による取次、病中の継豊に代わる受領、領知関係の書付の授受を複数の日付で追う。薩摩・大隅・日向の領国について、家重の代に再確認された経過を記す。No.2518の手続指示に対応する。

  47. 追録4-No.2520 宗信が継豊の代理で領知判物を拝領した記事

    宗信公の譜の記事。将軍代替により島津家の領知が先規どおり認められ、病中の継豊に代わって宗信が領知判物を受ける。十月十一日に幕府から登城の命令があり、諸役人の取次と席次に従って拝領した経過を記す。領知の範囲を薩摩・大隅・日向と琉球国を含めて示し、No.2519と同じ儀礼を宗信側の譜で伝える。

  48. 追録4-No.2521 領知判物受領のため翌朝五つ半時の登城を命じる連署状

    西尾隠岐守忠直と堀田相模守正亮が大隅守へ連署で通達する。領知の判物を渡すため、翌十月十一日の明け方五つ半時に登城するよう命じる。No.2518~2520に記された領知受領の手続を実施するための時刻指定であり、十月十日付。

  49. 追録4-No.2522 薩摩・大隅・日向と琉球諸島の領知を認める将軍判物

    将軍家重の代に島津家の領知を確認する十月十一日付の判物。薩摩・大隅両国、日向国諸県郡内の村々と、琉球国諸嶋を領分として掲げ、従来どおり領有することを認める。花押を伴い、次のNo.2523の領知目録が各郡村と石高を詳記する。

  50. 追録4-No.2523 薩摩・大隅・日向・琉球諸島の郡村と石高を列挙する領知目録

    No.2522の領知判物に付属する十月十一日付の長大な目録。薩摩・大隅・日向各国の郡ごとに郷村名、村数、石高を列記し、日向国諸県郡の村々を含める。琉球国諸嶋の石高も別に掲げ、領知の総高を示す。末尾では郡村帳の確認と、先例どおりの領有を認める旨を記し、幕府役人の署名を添える。地名と数量を伝える台帳であ…

  51. 追録4-No.2524 大納言の機嫌と八月十九日の浜御庭行きへの武元返書

    松平右近将監武元が吉貴の書状を披見し、大納言様が健勝で、八月十九日に浜御庭へ出向いたと聞いて喜ぶ。吉貴の紙面の趣を関係者と相談して上聞に達したと返す。十月十五日付。既存概要の「参詣」は本文の浜御庭への御出と異なるため訂正する。

  52. 追録4-No.2525 領知判物拝領と菊姫の近況を喜ぶ奥向返書

    荻原・岡田・藤えが吉貴へ返す十月十七日付の奥向書状。大納言様の健勝、上使による御座敷の祝儀、領知判物の拝領を聞いて喜ぶ。菊姫の機嫌や三御所の様子にも触れ、寒さの折の無事を願う。領知の知らせだけでなく、奥向の家族への挨拶と祝意をあわせて伝える。

  53. 追録4-No.2526 重陽の御内書を渡すため翌朝の登城を命じる書状

    西尾隠岐守忠直が大隅守へ、重陽の御内書を渡すので明日五つ半時に登城するよう知らせる十月二十一日付の書状。扱うのは九月の重陽祝儀に関する御内書であり、領知判物の受領手続ではない。

  54. 追録4-No.2527 家重から宗信へ鷹二羽を下賜した記事

    十月二十二日、上使山口勘兵衛直意が宗信の邸を訪れ、将軍家重からの鷹二羽を届けた。宗信がこれを拝領し、執政各位へ謝意を伝える。受け取った品目と羽数、使者、謝礼を記す短い記事。

  55. 追録4-No.2528 吉貴らの機嫌と菊姫の近況を気遣う奥向返書

    荻原・岡田・むめらの奥向返書。吉貴からの文で機嫌のよいことを知り、菊姫の近況も聞いて喜ぶ。寒さの強い時期であるため吉貴と家族の体調を気遣い、引き続き便りを寄せてほしいと述べる。贈物の授受が主題ではなく、本文に発信日は記されない。

  56. 追録4-No.2529 吉貴と菊姫の機嫌を喜び祝儀を述べる奥向返書

    荻原・岡田・むめらが吉貴へ返す十一月十七日付の書状。吉貴の機嫌がよく、菊姫も健やかであると聞いて喜ぶ。さらに、家中の祝儀が整い、関係者が所定の儀礼を済ませたことを伝える。寒中の体調への気遣いと今後の音信を添えた奥向の消息。

  57. 追録4-No.2530 吉貴の機嫌と年末の寒さを気遣う奥向返書

    荻原・岡田・むめらが吉貴の文に返す十一月十七日付の奥向消息。吉貴の機嫌のよいことを喜び、家中の無事を聞いて安心する。寒さが厳しい折、吉貴と家族に気をつけて過ごすよう願い、引き続き便りを寄せるよう述べる。No.2529とは同日付だが別の返書。

  58. 追録4-No.2531 継豊病中の宗信代理と将軍への祝儀・登城を記す記事

    継豊公の譜の記事。継豊が享保年間に国元で病み養生していたため、宗信が代理として登城した先例を述べる。その後も将軍への祝儀と登城の代行が行われ、使者が太刀一腰と馬代金十両などを献じ、幕府役人を介して謝意を伝えた経過を記す。継豊の病気と宗信の代理という背景を示す記事で、単一の致仕願いではない。

  59. 追録4-No.2532 継豊の隠居・宗信家督の許可と幕府への謝礼経過

    宗信公の譜の記事。継豊の隠居と宗信への家督相続が許可された後、宗信らが将軍家重と幕府役人に謝意を表した経過を記す。十一月十八日に役人の指示を受け、二十一日には宗信が登城し、将軍と大納言へ拝礼して献上物を差し出す。諸役人への挨拶と取次の手順も記し、家督許可後の儀礼を具体的に伝える。

  60. 追録4-No.2533 宗信が家老らに先例どおりの勤めを命じる達書

    継豊の隠居に伴い家督を継いだ宗信が、家老・重臣らへ出した十一月二十一日付の達書。家老の内外の役目、国元と江戸の務めを先例に従って行い、家中の者もそれぞれの職分を守るよう命じる。疑問があれば家老間で相談し、奉公の手順を乱さないよう求める。

  61. 追録4-No.2534 継豊の隠居・宗信家督願いの提出と取次を記す連署報告

    十一月十八日付の家老らの連署報告。継豊の病気による隠居と宗信への家督譲渡を願う書付を、留守居・家老を通じて幕府役人に提出した経過を詳記する。老中からの返答、願書の写し・控え、佐土原藩を介した書状の差出し、取次の順序、本人が病中のため代理を立てる事情を追う。許可に向けて必要な文書と口上を整えた過程を家…

  62. 追録4-No.2535 継豊の願書について控えを置いた旨を伝える返書

    継豊の隠居願書に関する短い返書。家中からの書状を受け、その内容を承知したことを伝える。願書は自方で控え置いたと付記し、佐土原へ返書を送る手順にも触れる。十二月十一日付。前後のNo.2534・2536と同じ隠居・家督問題の書類の一つ。

  63. 追録4-No.2536 長病を理由に継豊の隠居と宗信の家督相続を願う書状

    継豊が十一月十八日に出した隠居・家督譲渡の願書。かつて国元で患い養生したが全快せず、病を押して参府した後も体調がすぐれないと経過を説明する。長病のため政務を続けることは難しいとして隠居を願い、同氏薩摩守宗信へ家督を命じてほしいと求める。病歴、隠居の理由、後継者を一通で明示する。

  64. 追録4-No.2537 前文と同文であることを示す「全上」注記

    原本のNo.2537は「全上」とだけ記す。直前のNo.2536と同内容であることを示す注記で、独立した願書本文や新しい事情説明は載らない。文書別PDFが短いのは原本の記載量に対応しており、分割漏れではない。

  65. 追録4-No.2538 継豊隠居と宗信家督の願書を幕府へ取り次ぐ手順の詳細報告

    継豊の病気による隠居と宗信への家督譲渡を願う書付の取次を記す長文の連署報告。願書の差出しに際して老中・留守居・家老がどの順で会い、本人の病気をどう伝えるか、写しと控えをどこへ置くかを細かく協議する。先例を確認し、宗信の代理登城、献上物の準備、家中への報告までを整理する。複数の日付の書付と口上を含み、…

  66. 追録4-No.2539 宗信らに翌二十二日四つ時の登城を命じる連署状

    西尾隠岐守忠直、堀田相模守正亮、酒井雅楽頭忠知が宗信へ連署で伝える。十一月二十二日四つ時に関係者が一同に登城するよう命じる十一月二十一日付の書状。継豊の隠居と宗信の家督相続に伴う将軍拝謁・謝礼の準備につながる。

  67. 追録4-No.2540 将軍と東山御宮の健勝・修復について吉貴へ返す書状

    松平右近将監武元が吉貴の書状を披見し、三御所が健勝であることを喜ぶ。将軍も健やかで、東山の御宮の修復が成り、正遷宮の報告を受けた旨を伝える。吉貴の紙面の趣は関係者と相談して上聞に達したと返す十一月二十五日付の書状。既存概要の「城中での対面」だけでは本文の主題を捉えていない。

  68. 追録4-No.2541 紅葉山御宮の修復と正遷宮を伝えた吉貴への忠知返書

    酒井雅楽頭忠知が吉貴の書状を披見し、三御所が健勝である旨を伝える。紅葉山の御宮の修復が成り、正遷宮が済んだことを喜び、吉貴の紙面の趣を関係者と相談して上聞に達したと返す。十一月二十五日付で、No.2542と同件の別返書。

  69. 追録4-No.2542 紅葉山御宮の修復と正遷宮を伝えた吉貴への忠直返書

    西尾隠岐守忠直が吉貴の文を受け、三御所が健勝であること、紅葉山の御宮の修復と正遷宮が済んだことを承知して喜ぶ。紙面の趣を相談のうえ上聞に達したと返す。十一月二十五日付。No.2541と同じ知らせに対する差出人の異なる返書。

  70. 追録4-No.2543 家督相続後の役人配置と勤め方を家老へ指示する書状

    宗信が家督相続後、継豊に仕えてきた家老・重臣へ勤め方を示す。先代以来の奉公に謝意を述べ、国元と江戸の役人がそれぞれの職務を継続し、先例に従って相談・報告するよう命じる。役人の任免や取次、文書の差出しについても家老間で協議し、疑義があれば申し出るよう求める。十一月二十五日付で、No.2533と関連する…

  71. 追録4-No.2544 三御所の機嫌と御鷹の鶴拝領に関する連署返書

    西尾隠岐守忠直、堀田相模守正亮、酒井雅楽頭忠知が吉貴に連署で返す。三御所が健勝である旨を伝え、御鷹の鶴を拝領した件を承知したと述べる。宿次を通じて書状を差し越す十一月二十九日付の返書。既存概要の登城・拝謁の指示は本文にない。

  72. 追録4-No.2545 江戸から鹿児島への急使を宿継ぎで通す証文

    酒井雅楽頭忠知が十一月十九日に出した宿継ぎ証文。江戸から薩州鹿児島の松平上総入道のもとへ急使を通し、書状箱と宿札を持つ使者に駅伝馬を用意して遅滞なく送るよう宿駅に命じる。経路と急行の必要を示す交通文書で、家督関係の知らせを運ぶ手段にも関わる。

  73. 追録4-No.2546 隠居の御礼を伝えるため翌朝五つ時の登城を命じる書状

    西尾隠岐守忠直らが松平上総入道へ、隠居に伴う御礼を申し上げるため、翌朝五つ時に登城するよう命じる十一月晦日付の連署状。No.2547は薩摩守宗信に同じ翌朝の御礼を命じた別文書。

  74. 追録4-No.2547 宗信に翌朝五つ時の登城と御礼を命じる書状

    西尾隠岐守忠直らが薩摩守宗信へ、翌朝五つ時に登城し、家督相続に伴う御礼を申し上げるよう命じる十一月晦日付の連署状。No.2546は隠居した上総入道に宛てた同日の別書状であり、宛先と儀礼上の立場を分けて記す。

  75. 追録4-No.2548 宗信襲封後の登城・拝礼と将軍家への献上品を記す記事

    宗信公の譜の記事。十二月朔日、継豊の隠居と宗信の襲封が認められた御礼のため、宗信らが登城し、将軍家重と大納言へ拝礼した。宗信は太刀一腰、馬代金十両、白銀、縮緬などを献じ、継豊方の代理や諸役人の献上物も取り次がれる。殿中の席次、拝礼、老中への謝辞、国元の関係者からの贈答まで順を追い、家督相続後の祝賀儀…

  76. 追録4-No.2549 病中の継豊に鶴を届け宗信が代理で謝礼を述べる記事

    十二月三日以後、上使が病中の継豊の邸を訪れ、将軍からの御鷹にかかわる鶴を届けた。継豊は病気のため直接応対しにくく、宗信が代理で受領の謝意を伝え、幕府の執政らにも礼を述べる。下賜品、病中の応接、宗信による代理の謝礼を記す記事。

  77. 追録4-No.2550 宗信の襲封に伴い家伝の重物・文書を譲り受けた記事

    宗信公の譜の記事。十一月十一日、宗信が継豊らから家督を受け継ぐに際し、島津家伝来の刀剣・武具・家宝・書物・記録を引き継いだことを記す。島津左衛門久甫や伊勢兵部らの立会いのもと、旧蔵の品を次代へ渡す手続が進められた。家督相続が領国だけでなく家の重物と文書の継承を伴うことを示す。

  78. 追録4-No.2551 家督相続に際し先祖伝来の家宝・重物を宗信へ譲る書状

    継豊が薩摩守宗信に宛てた十二月十一日付の譲状。宗信の家督相続が首尾よく命じられたことを喜び、先祖代々伝わる家財を別録の目録に従って譲る。宗信に確固として保管させ、子孫に至るまで譲り伝えるよう求める。No.2552の重物目録を添えた家督継承上の文書。

  79. 追録4-No.2552 宗信へ譲渡する家宝・重物の詳細目録

    No.2551の譲状に付属する十二月十一日付の「家宝重物目録」。家康・秀忠の墨印や感状、家康の朱印状、御判物の目録などの文書類、源氏重代の太刀や顕朝・国宗らの刀剣、旗・鎧・兜・脇指、琴・茶入・香炉・金具などを品目と数量で列記する。異なる作刀者や伝来・来歴を注記し、家督相続に伴って宗信が受ける品の範囲…

  80. 追録4-No.2553 鯛一箱献上を取り次いだ堀田正亮の吉貴宛返書

    堀田相模守正亮が松平上総入道吉貴の書状を披見して返す。三御所がいずれも健勝であることを知らせ、吉貴から鯛一箱が献上された件を関係者で相談して披露したところ、よい仕合いであったと伝える。延享三年十二月十三日付。No.2554・2555は同じ献上についての別の老中からの返書。

  81. 追録4-No.2554 鯛一箱献上を取り次いだ松平武元の吉貴宛返書

    松平右近将監武元が松平上総入道吉貴の書状を受けて返す。三御所が健勝である旨を伝え、吉貴からの鯛一箱の献上を関係者で相談して披露し、よい仕合いであったと知らせる。延享三年十二月十三日付で、No.2553・2555と同じ献上に対する個別の返書。

  82. 追録4-No.2555 鯛一箱献上を取り次いだ酒井忠知の吉貴宛返書

    酒井雅楽頭忠知が松平上総入道吉貴の書状を披見して返す。三御所が健勝であることを述べ、吉貴の献上した鯛一箱について関係者で相談のうえ披露し、よい仕合いであったと知らせる。延享三年十二月十三日付で、No.2553・2554と同じ件に対する別返書。

  83. 追録4-No.2556 宗信の襲封に伴う領知判物拝領と謝礼の経緯

    宗信公の譜の記事。将軍家重の代替わりによる旧領国郡の改めと印章交付の先例に従い、延享三年十二月十一日に宗信の領知判物が下された経緯を記す。継豊以来の領知として薩摩・大隅両国、日向国諸県郡内百六十四箇村、琉球国を挙げる。宗信は執政堀田正亮の指示で黒書院に登り、領知判物を直接頂戴したのち、将軍家、諸執政…

  84. 追録4-No.2557 宗信の領知判物拝領を祝う松平武元の返書

    松平右近将監武元が松平上総入道吉貴の書状に返す。三御所が健勝であることを伝え、十二月十一日に宗信が大隅守継豊の名代として将軍の前に召し出され、領知の御判物を頂戴したことを承知したと述べる。家督相続後の領知確認を喜ぶ十二月十五日付の返書で、No.2558・2559と同じ件を扱う。

  85. 追録4-No.2558 宗信の領知判物拝領を祝う堀田正亮の返書

    堀田相模守正亮が松平上総入道吉貴の書状に返す。三御所が健勝であることを伝え、十二月十一日に宗信が大隅守継豊の名代として将軍の前に召し出され、領知の御判物を頂戴したことを承知したと述べる。十二月十五日付で、同じ儀礼に関するNo.2557・2559とは差出人が異なる。

  86. 追録4-No.2559 宗信の領知判物拝領を祝う酒井忠知の返書

    酒井雅楽頭忠知が松平上総入道吉貴の書状に返す。三御所が健勝であることを伝え、十二月十一日に宗信が大隅守継豊の名代として将軍の前に召し出され、領知の御判物を頂戴したことを承知したと述べる。十二月十五日付で、No.2557・2558と同件の別返書。

  87. 追録4-No.2560 宗信が家臣へ家督後の謁見順と贈答の扱いを指示した書状

    宗信公の譜に収める十二月十一日付の家臣宛書状。宗信が太守としての座に着き、家臣からの御代替わりの御祝儀・御譲物について、身分と先例に応じた謁見・贈答の順序を命じる。家老らからの祝いは国元の御対面所で受け、次の役層は中殿、さらに別の記録に載る者は休息所で受けるなど、各組の取次と謝礼の扱いを区別する。来…

  88. 追録4-No.2561 家来九人を御目見に召し連れるよう命じる書状

    宗信公の譜に載る「家来九人御目見被仰付候間、召連可被罷出候」という短い通知。幕府が島津家臣九人の御目見を許したので、宗信に当人たちを連れて出頭するよう命じる。家督相続後の家臣の拝謁にかかわる文書で、前後の御礼・登城記事に続く。

  89. 追録4-No.2562 十八日四つ時の登城を宗信に命じる通知

    松平薩摩守宗信に、御用があるため翌十八日四つ時に登城するよう命じる十二月十七日付の通知。本多伯耆守・西尾隠岐守・堀田相模守・酒井雅楽頭の名を記す。No.2563の官位昇進の儀礼に先立つ登城の指示である。

  90. 追録4-No.2563 宗信が黒書院で左近衛少将への転任を告げられた記事

    宗信公の譜の記事。十二月十八日、老中の奉書を受けて宗信が登城し、白書院縁頬で堀田相模守正亮から左近衛少将への転任を告げられた。宗信は場内で謝礼を述べて退出し、そのまま西城でも礼を述べ、吉宗・家重らへの謝辞を伝えた。No.2564~2566に収める朝廷側の宣旨と関連する。

  91. 追録4-No.2564 宗信の左近衛権少将任官を告げる宣旨

    延享三年十二月十八日付、宗信に「宜任左近衛権少将」と命じる宣旨。文面には上卿として転法輪大納言、奉職者として蔵人左中弁藤原資興を記し、幕府での転任告知を記したNo.2563に対応する朝廷の任官文書である。

  92. 追録4-No.2565 左近衛権少将任官宣旨の上卿・職事を記す付記

    宗信の左近衛権少将任官に関する短い付記。宣旨の上卿を「薩摩少将」、職事を「日野西左中弁」と記す。No.2564の任官宣旨と同じ官位関係の記録として、手続に関わった役職者の表示を補う。本文は役職と名を列挙するのみで、任命の経過は記していない。

  93. 追録4-No.2566 宗信の左近衛権少将任官を命じる口宣案

    延享三年十二月十八日付の口宣案。侍従源朝臣宗信に対し、正二位行権大納言藤原朝臣實顕が勅命を奉じて「宜任左近衛権少将者」と伝える。蔵人左近衛権少将が記した形式で、No.2564の宣旨とともに宗信の任官を裏付ける文書。

  94. 追録4-No.2567 鯛一箱の献上を受けて取次を伝える堀田正亮の返書

    継豊公の譜に載る十二月十九日付の返書。堀田相模守正亮が松平大隅守継豊から朝鯛一箱を献上された件について、関係者で相談のうえ披露し、よい仕合いだったと伝える。No.2568・2569は同じ鯛一箱に関する別の老中からの返書。

  95. 追録4-No.2568 鯛一箱の献上を受けて取次を伝える松平武元の返書

    松平右近将監武元が松平大隅守継豊に宛てた十二月十九日付の返書。朝鯛一箱の献上を受け、関係者で相談して披露したところ、よい仕合いだったと伝える。同じ献上について堀田正亮・酒井忠知も個別に返書している。

  96. 追録4-No.2569 鯛一箱の献上を受けて取次を伝える酒井忠知の返書

    酒井雅楽頭忠知が松平大隅守継豊に宛てた十二月十九日付の返書。継豊から朝鯛一箱が献上されたため、関係者で相談して披露し、よい仕合いだったと伝える。No.2567・2568と同件の別返書であり、差出人を区別して記す。

  97. 追録4-No.2570 蜜柑二箱と寒鮒一箱の献上に対する堀田正亮の返書

    堀田相模守正亮が松平薩摩守宗信に宛てた十二月十九日付の返書。宗信から蜜柑二箱と寒鮒一箱が献上されたので、関係者で相談して披露したところ、よい仕合いだったと伝える。No.2571は同じ贈答について松平武元が出した返書。

  98. 追録4-No.2571 蜜柑二箱と寒鮒一箱の献上に対する松平武元の返書

    松平右近将監武元が松平薩摩守宗信に宛てた十二月十九日付の返書。宗信の献上した蜜柑二箱と寒鮒一箱について、関係者で相談して披露したところ、よい仕合いであったと伝える。No.2570は同じ献上に対する堀田正亮の返書。

  99. 追録4-No.2572 吉貴の近衛少将昇進祝賀への堀田正亮の返書

    堀田相模守正亮が松平上総入道吉貴の書状に返す。吉貴の身内である宗信が近衛少将に任じられたことと、十月二十四日に東叡山深徳院へ参詣する儀が認められたことを承知したと述べる。紙面の趣を関係者へ伝える十二月二十一日付の返書。

  100. 追録4-No.2573 寒気の折も油断せず務めると答える宗信の書状

    宗信が御宿所の尾張中納言宗勝に宛てた十二月二十三日付の書状。宗勝の命を受け、寒い季節でも怠りなく務めるようにとの教えをありがたく承り、今後も無懈怠に両種の事を進めると答える。家督相続後の心得と、年長の家との応答を示す。