ARCHIVE DIRECTORY
追録4の目録
暫定版です。原文との照合により、概要や文書の区切り等を修正する場合があります。
全2,674件中 1801~1900件・19 / 27ページ
追録4-No.1774 比志島範房による十文字紋の使用許可証状
比志島範房は、島津図書が磯屋敷で元服した際、十文字紋付き時服を拝領したことを証する。以後、嫡子が代々この紋を用いることを許され、子孫に伝えるよう記す。
追録4-No.1775 松平信祝から吉貴への天英院一周忌香奠献上返書
松平信祝は、天英院の一周忌法事に際し、吉貴が使者を通じて香奠を献上し、増上寺に奉納したことを伝える。その旨を将軍へ言上したと返答する。
追録4-No.1776 松平信祝から吉貴への東叡山御霊屋参詣に関する返書
松平信祝は、公方が健勝であると伝え、吉貴から報告された正月十日の東叡山御霊屋参詣を承知したと返答する。書状の内容を関係者で相談して上聞に達したと記す。
追録4-No.1777 豊岡・八嶋・浦尾から吉貴への継豊年頭拝謁返書
豊岡・八嶋・浦尾は、吉貴の二月十一日付書状を受け、公方・右大将・大納言の健勝を伝える。継豊が正月七日に年頭の祝儀を述べて拝謁し、上意と料理を賜ったことを喜び、その旨を披露すると返した。
追録4-No.1778 豊岡・八嶋・浦尾から吉貴への継豊年頭拝謁返書
豊岡・八嶋・浦尾は、吉貴の二月十一日付書状を受け、公方・右大将・大納言の健勝を報じる。継豊が正月七日の年頭祝儀で拝謁し、上意と料理を賜ったことを喜び、右大将へ報告すると返した。
追録4-No.1779 家老座による田之浦・三艘間の浜辺の石取り禁止申渡し
家老座は、田之浦から三艘までの浜辺で石を取ることを禁じた。今後違反者があれば沙汰するとし、組中および諸外城の支配先へ漏れなく知らせるよう御勝手方に命じる。
追録4-No.1780 松平信祝から吉貴への竹姫大奥入りと拝領物に関する返書
松平信祝は、公方・右大将・大納言の健勝を伝える。正月十六日の竹姫の大奥入りに伴う将軍らの厚遇や贈物、継豊・宗信への拝領物について吉貴から受けた報告を承知し、関係者へ伝えたと返答する。
追録4-No.1781 松平乗賢から吉貴への竹姫大奥入りと拝領物に関する返書
松平乗賢は、公方・右大将・大納言の健勝を伝える。正月十六日の竹姫の大奥入りと将軍らからの厚遇・贈物、継豊と宗信への拝領物について吉貴から受けた報告を承知したと返答する。同日付の松平信祝書状と同件である。
追録4-No.1782 松平信祝から吉貴への増上寺御霊屋参詣に関する返書
松平信祝は、公方の健勝を伝え、吉貴が正月二十四日に増上寺の御霊屋を参詣したとの報告を承知したと返す。書状の趣旨を関係者で相談し、上聞に達したと記す。
追録4-No.1783 松平乗賢から吉貴への天英院霊前参詣に関する返書
松平乗賢は、右大将の健勝を伝え、吉貴が二月十日に増上寺の天英院霊前を参詣したとの報告を承知したと返す。書状の内容を関係者へ伝えた。
追録4-No.1784 琉球進貢料銀の吹替請願と幕府許可の経過
元文期の金銀吹替で銀の品位が変わり、琉球の清への進貢料銀の調達が難しくなった。尚敬の訴えを受け、継豊は親類の水野忠定らへ内談したうえで、四月十一日に正徳年間の先例を添えて松平乗邑へ吹替を請願した。二十八日、乗邑が留守居役西八太郎を呼んで許可を伝えた。
追録4-No.1785 琉球進貢・接貢料銀の慶長銀への吹替願書
継豊は、琉球から清へ渡す進貢・接貢料銀について、元禄銀・宝永銀・慶長銀への過去の吹替を述べる。今回の文字銀への吹替では琉球側が受け取りに難渋するため、従前の慶長銀に替えて渡すよう幕府へ願い出た。
追録4-No.1786 進貢・接貢料銀の吹替と収納に関する先例抜書
正徳二年から享保元年までの進貢・接貢料銀の吹替記録を日付順に抜き書きする。元禄銀四百二貫目・八百四貫目の交付と宝永銀での代納、銀の品位変更に伴う料銀減額、享保銀六百四貫目の交付など、江戸・大坂の御金蔵での受渡しを記す。
追録4-No.1787 琉球進貢・接貢料銀の旧銀位での吹替願書
継豊は、銀の品位変更後も琉球が清への進貢・接貢に必要な銀を調達できるよう、従前の銀位で吹き替えて交付するよう願う。先例と減額の経緯を示し、進貢料銀六百四貫目、接貢料銀三百二貫目の確保を求め、これ以上の減額は困難と説明した。
追録4-No.1788 渡唐銀吹替願書の提出経過を国元へ伝える書状
江戸詰役人は、渡唐銀吹替願の案文三通と先例帳を検討し、水野忠定へ内意を確かめた経過を国元へ報告する。四月十一日、西八太郎を通じ松平乗邑へ願書を提出し、吟味のうえ返答するとされたが、この時点では許可の通知はまだないと伝える。
追録4-No.1789 渡唐銀吹替願書に関する前便への返書
五月二十一日付の返書は、四月二十一日に出した飛脚便で願書提出の経過を詳しく伝えたと述べる。水野忠定への取次ぎや西八太郎を通じた挨拶の件を確認し、願いの処理について引き続き吟味して知らせる旨を記す。
追録4-No.1790 本多忠良から継豊への香具・丸火斗献上返書
本多忠良は、継豊がこの朝、香具一箱と丸火斗一箱を献上したことを伝える。両品を披露して喜ばしいことと返答した。
追録4-No.1791 松平乗賢から継豊への香具・丸火斗献上返書
松平乗賢は、継豊がこの朝、香具一箱と丸火斗一箱を献上したことを伝える。両品を披露して喜ばしいことと返答した。同日付の本多忠良書状と同じ献上に関わる。
追録4-No.1792 松平乗賢から継豊への大納言向け菖蒲兜献上返書
松平乗賢は、継豊が使者を通じ大納言へ菖蒲御兜一飾を献上したことを伝える。滞りなく披露したと返答した。
追録4-No.1793 本多忠良から吉貴への将軍の刑部卿邸御成に関する返書
本多忠良は、公方・右大将・大納言の健勝を伝える。二月二十二日に公方が徳川刑部卿の邸へ御成したことを吉貴が喜んだ書状を承知し、関係者で相談して上聞に達したと返答した。
追録4-No.1794 本多忠良から吉貴への天英院霊前参詣返書
本多忠良は、公方の健勝を伝え、吉貴が二月二十八日に増上寺の天英院霊前を参詣したとの報告を承知したと返す。書状の内容を関係者で相談し、上聞に達した。
追録4-No.1795 有章院二十七回忌と継豊の香奠銀奉納
四月二十五日から二十七日まで、増上寺で有章院の二十七回忌法事が行われた。継豊は五月一日、家臣の樺山左平太久中を使者として送り、有章院霊前へ香奠銀十枚を奉納した。
追録4-No.1796 吉宗から継豊への端午祝儀礼状
吉宗は、継豊から端午の祝儀として帷子の単物が届いたことを喜び、詳しくは本多中務大輔忠良が伝えると記す。
追録4-No.1797 松平乗賢から継豊への端午祝儀献上返書
松平乗賢は、継豊が端午の祝儀として使者を通じ帷子の単物を献上したことを伝える。品を披露して喜ばしいことと返答した。
追録4-No.1798 琉球渡唐銀吹替許可と必要銀量・資金調達の報告
江戸側は、琉球が清へ渡す進貢・接貢料銀を慶長銀相当で吹き替えることが四月二十八日に許可されたと国元へ報じる。進貢料六百四貫目には文字銀約千二百四貫目、接貢料三百二貫目には約六百二貫目が必要で、京都銀座で吹き直す。増銀・吹賃の負担、大坂での借入れと九月までの送金手配が未解決だとして、早急な検討を求めた…
追録4-No.1799 渡唐銀吹替と大坂での銀調達に関する返書
国元側は、吹替許可と必要銀量を記した前便を承知し、御勝手方にも伝えたと返答する。大坂へ銀三百二貫目の借入れを申し越したことを確認し、追加の資金手当てを検討すると記す。
追録4-No.1800 松平乗賢から吉貴への刑部卿邸御成に関する返書
松平乗賢は、公方・右大将・大納言の健勝を伝える。三月十一日に右大将が徳川刑部卿の邸へ御成したと吉貴が喜んだ書状を承知し、紙面の趣旨を上聞に達したと返答した。
追録4-No.1801 大脇為貞による諏訪瀬島船の清国漂着届
大脇為貞は、諏訪瀬島の五百七十石積み船が米を運ぶため琉球へ渡り、使者今帰仁按司も乗ったと届ける。八重山で荷を積んで帰途についた船は暴風で沈み、乗組員は小舟へ移って清国に漂着したと報告した。
追録4-No.1802 富・岡田・藤枝からの暑中見舞いと越後縮贈呈書状
富・岡田・藤枝は、土用の厳しい暑さのなか、吉貴らの健勝を尋ね、大守・姫君・子どもたちの近況を伝える。箱に入れた越後縮を例年どおり贈るので取り次いでほしいと頼む。
追録4-No.1803 荻原・岡田・藤えからの七夕祝い書状
荻原・岡田・藤えは、七夕の祝儀を例年どおり行ったことを伝え、相手方でも祝いが続くことを願う。暑中の吉貴・薩摩守・菊姫らの健勝を尋ね、関係者へ祝意を取り次ぐよう頼む。
追録4-No.1804 荻原・岡田・藤えからの蓮の飯贈呈書状
荻原・岡田・藤えは、厳しい暑さのなか、吉貴らの健勝を尋ねる。目録のとおり毎年の習わしである蓮の飯を贈ると伝え、相手方の人々へよろしく申し上げるよう頼んだ。
追録4-No.1805 継豊による守坤西堂の廣済寺住持職任命
継豊は守坤西堂に廣済寺の住持職を命じ、先例に従って職務を執るよう指示した。同日付の永均西堂宛任命状とは宛先が異なる。
追録4-No.1806 継豊による永均西堂の廣済寺住持職任命
継豊は永均西堂に廣済寺の住持職を命じ、先例に従って職務を執るよう指示した。同日付の守坤西堂宛任命状とは宛先が異なる。
追録4-No.1807 諏訪瀬島船の舟山漂着と乗組員帰国の経過
諏訪瀬島の仲五郎の船は琉球からの帰途、寛保元年七月十二日の暴風で沈み、一人が溺死した。生存者二十人は小舟で十七日に清国舟山へ漂着し、保護を受けて乍浦へ送られ、寛保二年五月に長崎へ帰った。長崎奉行の調査後、薩摩への帰還と漂流者への労い・関係者への謝礼が行われた。
追録4-No.1808 長崎での漂流者預かりと琉球人乗船の届出協議
江戸側役人は、清国から長崎へ送られた漂流者二十人を大脇為貞が預かり、警固して薩摩へ送る手配を報じる。うち二人は那覇で雇った琉球人で、清国では日本人の姿と名を用いていたため、幕府への届出内容を協議した。難破・救助の経過、身元調査、長崎奉行との応答も詳しく伝える。
追録4-No.1809 漂流者の幕府届出と書類返送に関する返書
国元側は、漂流者の処遇を記した前便を承知し、本多忠良へ幕府への届書を提出したところ受理されたと返す。届書写しと留守居の報告書を送り、受け取った別紙一通を返送すると記す。
追録4-No.1810 諏訪瀬島船乗組員の難破・舟山漂着から長崎帰還までの証言
大脇為貞が聞き取った漂流者の証言。琉球八重山からの帰途、寛保元年七月の暴風で本船が沈み、一人が溺死、二十人が小舟で清国舟山へ漂着した。現地で食糧や宿を与えられ、寧波・杭州・紹興を経て乍浦に移り、翌年五月十日に出帆、二十日に長崎へ着いた。二人の琉球人は清国で日本人の装いと名を用いたと記す。
追録4-No.1811 宗信の嘉定儀式参列と継豊の謝礼
六月十六日、幕府の嘉定儀式が営中で行われ、継豊の願いが許されて嗣子宗信も参列した。継豊は御菓子六籠を受け、同日、留守居役を老中・若年寄の邸へ遣わして謝意を伝えた。
追録4-No.1812 松平信祝から吉貴への酷暑見舞いと鰹節献上返書
松平信祝は、吉貴が酷暑の折に公方・右大将・大納言の機嫌を尋ねたことに答え、三人の健勝を伝える。吉貴が添えて献上した鰹節一箱を披露し、喜ばしいことと返答した。
追録4-No.1813 松平乗賢から吉貴への酷暑見舞いと鰹節献上返書
松平乗賢は、吉貴が酷暑の折に公方・右大将・大納言の機嫌を尋ねたことに答え、三人の健勝を伝える。鰹節一箱の献上を披露して喜ばしいと返した。同日付の信祝書状と同件である。
追録4-No.1814 松平信祝から吉貴への東叡山御霊前参詣返書
松平信祝は、公方の健勝を伝え、吉貴が四月二十日に東叡山の御霊前へ参詣したとの報告を承知したと返す。書状の趣旨を関係者で相談し、上聞に達した。
追録4-No.1815 松平信祝から継豊への琉球産物献上返書
松平信祝は、継豊がこの朝、琉球布一箱、砂糖漬天門冬一器、赤貝塩辛一器、琉球泡盛酒二壷を献上したと伝える。四品を披露して喜ばしいと返答した。
追録4-No.1816 松平乗賢から継豊への琉球産物献上返書
松平乗賢は、継豊がこの朝、琉球布一箱、砂糖漬天門冬一器、赤貝塩辛一器、琉球泡盛酒二壷を献上したと伝える。品を披露して喜ばしいと返し、同日付の信祝書状と同件である。
追録4-No.1817 本多忠良から継豊への端午御内書渡し通知
本多忠良は、端午の祝儀に対する御内書を渡すので、翌二十五日五ツ半時に家来を登城させるよう継豊へ通知した。
追録4-No.1818 本多忠良から吉貴への増上寺御霊屋参詣返書
本多忠良は、公方の健勝を伝え、吉貴が四月二十九日に増上寺の御霊屋を参詣したとの報告を承知したと返す。書状の内容を関係者で相談し、上聞に達した。
追録4-No.1819 本多忠良から継豊への生見玉祝儀献上返書
本多忠良は、継豊が「生見玉」の祝儀として黄金十両を献上したことを伝え、披露を済ませて喜ばしいと返答した。
追録4-No.1820 松平乗賢から継豊への生見玉祝儀献上返書
松平乗賢は、継豊が「生見玉」の祝儀として黄金十両を献上したことを伝え、披露を済ませて喜ばしいと返答した。同日付の本多忠良書状と同件である。
追録4-No.1821 継豊の諏訪之瀬島船漂着と長崎送還届
継豊は、薩摩領諏訪之瀬島の船が琉球・八重山へ渡った後、那覇への帰帆中に暴風で破船し、一人が溺死したと届け出た。生存者二十人は唐の舟山に漂着して乍浦へ送られ、現地で保護された後、寛保二年五月に長崎へ送還された。長崎奉行の吟味では不審がなく、判断まで島津家の家来に預けられた。
追録4-No.1822 長崎奉行による唐国漂着者二十人の帰国許可
長崎奉行は、唐に漂着して預け置かれた薩摩人・琉球人計二十人について、国元へ帰して差し支えなく生業に就かせるよう命じた。ただし他国へ出さず、領分外に住まわせないこととし、琉球人は琉球へ戻す。唐で贈られた唐銀・錫の指金や衣類などは本人の所持を認めた。
追録4-No.1823 大脇為貞の漂着者引渡し・帰国護送と謝礼報告
大脇為貞は、長崎奉行から唐国漂着者二十人の帰国許可を受けた経緯と条件を報告する。川上蒲右衛門・橋口次兵衛・中馬善右衛門らが足軽十五人を伴い小早二艘で護送し、日帳や所持品も返された。為貞は奉行・役人への謝礼の先例と品目を検討し、唐船の船主に米七十俵、漂着者を世話した三官に米三十俵が長崎奉行所から与えら…
追録4-No.1824 吉宗の御鷹雲雀下賜と宗信の謝礼
吉宗は大久保郷七兵衛教平を芝邸へ遣わし、継豊に御鷹所で捕らえた雲雀を下賜した。同日、嗣子宗信が継豊に代わって老中各位の屋敷へ赴き、拝領の礼を述べた。
追録4-No.1825 松平乗邑から継豊への八朔祝儀献上返書
松平乗邑は、継豊が八朔の祝儀として使者を介し太刀一腰と馬代黄金十両を献上したことを披露し、喜ばしいと返答した。同日付の乗賢書状と同件である。
追録4-No.1826 松平乗賢から継豊への八朔祝儀献上返書
松平乗賢は、継豊が八朔の祝儀として使者を介し太刀一腰と馬代黄金十両を献上したことを披露し、喜ばしいと返答した。同日付の乗邑書状と同件である。
追録4-No.1827 荻原・岡田・藤えの端午祝儀と近況報告
荻原・岡田・藤えは、矢野清右衛門の下向に伴って相手方の近況を詳しく聞き、健勝を喜んだと伝える。端午の祝儀には公方から大守へ拝領物があり、姫君へは公方・右大将から色紙が下賜されたことを知らせ、引き続き様子を伝えるよう頼む。
追録4-No.1828 松平乗邑から吉貴への桂昌院位牌所参詣返書
松平乗邑は公方の健勝を伝え、吉貴が六月九日に東叡山の桂昌院位牌所へ参詣したとの報告を承知したと返す。参詣の件は老中間で相談し、将軍に上聞した。
追録4-No.1829 松平乗邑から吉貴への宗信嘉定初着座返書
松平乗邑は公方・右大将・大納言の健勝を伝え、継豊の嫡子宗信(薩摩守)が嘉定の儀式で初めて着座を許され、菓子を頂戴したことを喜ぶ吉貴の書状を承知したと返す。同日付の乗賢書状と同件である。
追録4-No.1830 松平乗賢から吉貴への宗信嘉定初着座返書
松平乗賢は公方・右大将・大納言の健勝を伝え、継豊の嫡子宗信(薩摩守)が嘉定の儀式で初めて着座を許され、菓子を頂戴したことを喜ぶ吉貴の書状を承知したと返す。同日付の乗邑書状と同件である。
追録4-No.1831 継豊から中山王への年頭使翰・贈物謝礼
継豊は、琉球の中山王から年頭の賀儀として使いの書状と別目録記載の贈物を受けたことを喜び、後日の対面を期すと返答した。進貢料銀の伺いとは別件である。
追録4-No.1832 宗信から中山王への年頭使翰・贈物謝礼
宗信は、中山王から年頭の賀儀として使いの書状と別目録記載の贈物を受けたことを喜び、後日の対面を期すと返答した。同日付の継豊書状と対応する。
追録4-No.1833 継豊の琉球進貢・接貢料銀吹替え謝礼伺い
継豊は、琉球から清国へ渡す進貢・接貢料銀の吹替えが許されたことを受け、中山王による謝礼の仕方を幕府に伺う。正徳三年には吉貴の願いで同数の銀への吹替えが認められ、中山王の謝礼書状を吉貴が薩摩から幕府へ取り次いだ。今回は先例と異なる点があるため、同じ方法でよいか指示を求めた。
追録4-No.1834 正徳三年の琉球進貢料銀吹替えと謝礼手続
正徳三年に琉球の清国向け進貢・接貢料銀を吹き替えることが許され、中山王が翌年、薩摩の吉貴へ謝礼書状を送った先例を記す。吉貴は同書状を使者に託し、井上河内守・土屋相模守・間部越前守・本多中務大輔らへ取り次いだ。
追録4-No.1835 進貢・接貢料銀吹替えの支給方法覚書
正徳三年に琉球の進貢・接貢料銀の吹替えが許された際は、江戸の幕府蔵から同数の銀を渡されたと記す。今回の吹替え許可に対しては、薩摩の蔵から銀を出して琉球へ渡すとの取扱いを示す。
追録4-No.1836 長崎奉行所の唐国漂着者死亡時の届出指示
長崎奉行所は、前年秋に唐の舟山へ漂着し長崎経由で帰国した薩摩の者たちについて、国元に着いたことを承知したと伝えた。帰国者の中で死者や行方不明者が出た際の届出は、従来の取扱いどおりに行うよう指示した。
追録4-No.1837 吉貴による国書らの年頭・月次拝礼席次の決定
吉貴は、島津国書に家督を命じた後の礼式に関し、年頭の公儀での着座位置や一門・部屋住との関係を定めた。月次の礼では一門が先に出て挨拶し、その後に国書が目見えすること、太郎次郎・入来院千之丞らの席次も示し、家老を通じて申し渡させた。
追録4-No.1838 御咎目者・親族の処分範囲と行動制限の式目
御咎目者と親族に対する処分の及ぶ範囲を、遠方寺入・寺入・逼塞・閉門・遠慮・在宿・禁足・他国出差止めなどの種類ごとに定める。役料・切米の停止、屋敷・家財の取扱い、妻子・親類への連座、門の開閉、外出・普請・月代の可否、科銀の未納時の扱いなどを列挙する。役免後の小普請への編入と奉公制限、家督相続願いでの申…
追録4-No.1839 継豊の唐国漂着者二十人帰国届
継豊は、前年七月に唐へ漂着し保護された諏訪之瀬島船の乗組員二十人が、寛保二年五月に長崎へ送還され、吟味のうえ七月二十三日に引き渡されたと届け出た。家来から八月三日に国元へ連れ帰ったとの報告が届き、幕府へ帰着を報告した。
追録4-No.1840 吉宗の重陽祝儀・小袖献上受領の御内書
吉宗は、継豊が重陽の祝儀として小袖一重を献上したことを受け、喜んで受領したと御内書で伝えた。詳しい返答は松平伊豆守に託すと記す。
追録4-No.1841 松平乗賢から継豊への重陽小袖献上返書
松平乗賢は、継豊が重陽の祝儀として使者に託し小袖一重を献上したことを披露し、喜ばしいと返答した。同日付の吉宗御内書と対応する。
追録4-No.1842 佐土原藩主島津忠就の宗家訪問と領内巡覧
佐土原城主島津忠就は、宗家と吉貴を訪ねるため十月二日に佐土原を発ち、福山を経て七日に鹿児島へ着いた。九日に府城で継豊、続いて磯館で吉貴に面会し、白麻・煙草・鴨・酒などを贈った。継豊から銀三百枚、宗信から重箱、吉貴から饗膳・琉球織物などを受け、十八日に帰路へ出発。薩摩各地の寺社・旧跡を巡り十一月十四日…
追録4-No.1843 島津忠就来訪時の継豊側記録
継豊の御譜は、佐土原城主忠就が宗家と吉貴を訪ねた経過を継豊側から記す。忠就は福山で馬六匹を贈られ、鹿児島で継豊に白麻・煙草・鴨を献じた。継豊は菓子・茶で応対して銀三百枚を贈り、宗信も重箱を贈った。忠就は吉貴との面会・饗応後、薩摩領内を巡って佐土原へ帰った。
追録4-No.1844 継豊の吉貴老病による参府免除願
継豊は、吉貴が数年の病気で参府を重ねて断り、養生しても年々衰えて歩行や遠距離の船旅が難しくなったと届け出た。吉貴本人も六十余歳となり長く将軍に対面できないことを気に掛けているが、回復して旅行できるようになれば参府したいとの意向を伝え、当面の参府免除を願った。幕府は例年どおり承知した。
追録4-No.1845 松平信祝の重陽御内書交付通知
松平信祝は、重陽の祝儀に対する御内書を渡すため、翌二十一日の五ツ半時に家来を江戸城へ登らせるよう継豊へ通知した。
追録4-No.1846 継豊の徳川宗尹婚儀支度と祝儀献上
徳川刑部卿宗尹の婚儀に際し、継豊は松平乗邑の指示を受けて十月二十六日に家臣有川幸右衛門を使者として支度の品を養仙院へ届けた。十一月二十五日に婚儀が整うと、翌二十六日に使者を通じて吉宗と家重へ祝儀の肴を献上し、老中から返書を受けた。
追録4-No.1847 土岐頼稔から吉貴への宗尹婚儀祝儀返書
土岐頼稔は、徳川刑部卿宗尹の婚儀が済んだことへの祝儀として、吉貴が鯛一折を献上した件を老中間で相談・披露し、喜ばしいと返答した。
追録4-No.1848 松平乗賢から吉貴への宗尹婚儀祝儀返書
松平乗賢は、徳川刑部卿宗尹の婚儀が済んだことへの祝儀として、吉貴が鯛一折を献上した件を披露し、喜ばしいと返答した。同日付の土岐頼稔書状と同件である。
追録4-No.1849 土岐頼稔から継豊への宗尹婚儀祝儀返書
土岐頼稔は、徳川刑部卿宗尹の婚儀が済んだことへの祝儀として、継豊が鯛一折を献上した件を披露し、喜ばしいと返答した。吉貴宛の同日付書状とは献上者が異なる。
追録4-No.1850 松平乗賢から継豊への宗尹婚儀祝儀返書
松平乗賢は、徳川刑部卿宗尹の婚儀が済んだことへの祝儀として、継豊が鯛一折を献上した件を披露し、喜ばしいと返答した。同日付の土岐頼稔書状と同件である。
追録4-No.1851 土岐頼稔から宗信への宗尹婚儀祝儀返書
土岐頼稔は、徳川刑部卿宗尹の婚儀が済んだことを祝って宗信が鯛一折を献上した件を披露し、喜ばしいと返答した。同日の吉貴・継豊宛書状と同じ祝儀を、それぞれ別の献上者について記す。
追録4-No.1852 松平乗賢から宗信への宗尹婚儀祝儀返書
松平乗賢は、徳川刑部卿宗尹の婚儀が済んだことを祝って宗信が鯛一折を献上した件を披露し、喜ばしいと返答した。同日付の土岐頼稔書状と同件である。
追録4-No.1853 屋久島・七島の流人等への貸米返済規定
島に住む隠居・流人や島へ派遣された者の家来・下人が米を借りる際は、原則として島で返済させ、故郷での返済扱いにしないと定めた。飢えに及ぶなどやむを得ない場合は、屋久島では庄屋、七島では郡司らが事情を確認して貸し、証文を取り故郷での返済を申し渡す。以後、証文なしに故郷払いの米を渡さぬよう各島と外城へ通達…
追録4-No.1854 継豊の病気による翌年江戸滞在継続願
継豊は病気のため前年の帰国を延期して江戸で養生していたが、なお回復せず、翌年の暇年に薩摩へ帰る長旅にも耐えられないとして、翌年も江戸に滞在し養生することを願い出た。幕府は願いどおり滞府を許可し、十二月七日に伝達した。
追録4-No.1855 松平乗邑から継豊への蜜柑・炙鮎献上返書
松平乗邑は、継豊がこの朝に蜜柑二箱と炙鮎一箱を献上したことを披露し、喜ばしいと返答した。同日付の乗賢書状と同件である。
追録4-No.1856 松平乗賢から継豊への蜜柑・炙鮎献上返書
松平乗賢は、継豊がこの朝に蜜柑二箱と炙鮎一箱を献上したことを披露し、喜ばしいと返答した。同日付の乗邑書状と同件である。
追録4-No.1857 松平乗邑から吉貴への増上寺御霊屋参詣返書
松平乗邑は公方の健勝を伝え、吉貴が十月十四日に増上寺の御霊屋へ参詣したとの書状を承知したと返す。その内容を老中間で相談し、将軍に上聞した。
追録4-No.1858 吉貴の老病と参府延期をめぐる幕府への届出
吉貴の御譜は、十月十八日に継豊が吉貴の老病と参府困難を老中本多忠良へ届けた経緯を記す。吉貴自身も参府延期の趣旨を改めて老中へ書状で伝え、将軍への対面がかなわないことを詫び、回復すれば参府したい意向を示した。これに対する乗邑・乗賢の十二月十九日付返書が続く。
追録4-No.1859 松平乗邑から吉貴への参府延期承知返書
松平乗邑は公方・右大将・大納言の健勝を伝え、吉貴が病気のためまだ参府できないこと、少しでも回復すれば参府したいことを継豊から聞いて承知したと返答した。吉貴本人の書状も老中間で閲覧した。
追録4-No.1860 松平乗賢から吉貴への参府延期承知返書
松平乗賢は公方・右大将・大納言の健勝を伝え、吉貴が病気のためまだ参府できないこと、少しでも回復すれば参府したいことを継豊から聞いて承知したと返答した。同日付の乗邑書状と同件である。
追録4-No.1861 松平乗邑から吉貴への寒中見舞い・鯛献上返書
松平乗邑は、吉貴が寒中に公方・右大将・大納言の機嫌を尋ねたことに答え、三人の健勝を伝える。添えて献上された鯛一箱を老中間で相談して披露し、喜ばしいと返した。
追録4-No.1862 松平乗賢から吉貴への寒中見舞い・鯛献上返書
松平乗賢は、吉貴が寒中に公方・右大将・大納言の機嫌を尋ねたことに答え、三人の健勝を伝える。鯛一箱の献上を披露して喜ばしいと返した。同日付の乗邑書状と同件である。
追録4-No.1863 吉宗の歳暮小袖献上受領の御内書
吉宗は、継豊が歳暮の祝儀として小袖一重を献上したことを喜んで受領したと御内書で伝えた。詳しい返答は土岐丹後守に託すと記す。
追録4-No.1864 松平乗賢から継豊への歳暮小袖献上返書
松平乗賢は、継豊が歳暮の祝儀として使者を通じて小袖一重を献上した件を披露し、喜ばしいと返答した。同日付の吉宗御内書と対応する。
追録4-No.1865 松平乗賢から継豊への大納言宛破魔弓献上返書
松平乗賢は、継豊が使者を通じて大納言へ破魔弓一飾を献上したことを、滞りなく披露したと知らせた。
追録4-No.1866 松平乗賢から継豊への若菜祝儀返書
松平乗賢は、継豊が若菜の祝儀として鯛一折を献上したことを披露し、喜ばしいと返答した。同日付の信祝書状と同件である。
追録4-No.1867 松平信祝から継豊への若菜祝儀返書
松平信祝は、継豊が若菜の祝儀として鯛一折を献上したことを披露し、喜ばしいと返答した。同日付の乗賢書状と同件である。
追録4-No.1868 荻原・岡田・藤えの年始祝賀と近況の消息
荻原・岡田・藤えは年始の祝儀を述べ、吉貴をはじめ薩摩の一同が健勝で新春を迎えたことを喜ぶ。自分たちも大守らとともに無事に年を越したと伝え、菊姫からの祝いの言葉も届け、相手方の様子を引き続き知らせるよう求めた。
追録4-No.1869 土岐頼稔ら老中から吉貴への年頭祝儀返書
土岐頼稔・本多忠良・松平信祝・松平乗邑は連署で、吉貴が年頭の祝儀として使者に託し太刀二腰と馬代黄金十両を献上した件を披露し、喜ばしいと返答した。
追録4-No.1870 松平乗賢から吉貴への右大将・大納言宛年頭祝儀返書
松平乗賢は、吉貴が年頭の祝儀として使者を通じ、右大将と大納言へ太刀・馬代黄金を献上した件を披露し、喜ばしいと返答した。太刀二腰・黄金十両を記す同日付の老中連署状とは、献上先の記載が異なる。
追録4-No.1871 継豊の神社仏閣修造・農事・年貢に関する吉書
継豊は正月の吉書で、神社仏閣の修造を進めること、農事に励むこと、国々の年貢を徴納することの三カ条を示し、その趣旨に従って沙汰するよう命じた。
追録4-No.1872 松平信祝から継豊への年頭太刀・馬代献上返書
松平信祝は、継豊が年頭の祝儀として使者を通じ太刀一腰と馬代黄金十両を献上した件を披露し、喜ばしいと返答した。
追録4-No.1873 松平乗賢から継豊への大納言宛年頭祝儀返書
松平乗賢は、継豊が年頭の祝儀として使者を通じ大納言へ太刀と馬代黄金を献上した件を披露し、喜ばしいと返答した。