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追録4の目録
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追録4-No.2074 若菜の祝儀の鯛一折献上への松平乗賢返書
継豊が若菜の祝儀として鯛一折を献上したことについて、松平乗賢は披露を遂げ、喜ばしいと返答した。No.2073の本多忠良書状と同件である。
追録4-No.2075 吉貴の年頭太刀・馬代献上への返書
吉貴が年頭の祝儀として使者を立て、太刀一腰と馬代黄金十両を献上した。酒井忠知らはその品を披露し、喜ばしいと返答する。同じ丁に公方・右大将・大納言宛の年頭献上に関する別の文言も続き、No.2076の松平乗賢返書と対になる。
追録4-No.2076 吉貴の右大将・大納言宛年頭太刀・馬代献上への乗賢返書
吉貴が年頭の祝儀として使者を立て、右大将・大納言へ太刀と馬代黄金を献上したことについて、松平乗賢は披露を遂げ、喜ばしいと返答した。No.2075と同じ年頭献上の一連の文書である。
追録4-No.2077 神社仏閣修造・農事奨励・年貢収納の命令
継豊は神社・仏閣の修造と祭事を行うこと、農事に専念して励むこと、国々の年貢を徴収することの三か条を示し、そのとおり取り計らうよう命じた。年頭に領内の宗教施設・生産・租税について基本方針を示す短い命令書である。
追録4-No.2078 継豊の年頭太刀・馬代献上への本多忠良返書
継豊が年頭の祝儀として使者を立て、太刀一腰と馬代黄金十両を献上した。本多忠良は献上品を披露して喜ばしいと返答した。No.2079は同じ献上への松平乗賢返書である。
追録4-No.2079 継豊の年頭太刀・馬代献上への松平乗賢返書
継豊が年頭の祝儀として使者を立て、太刀一腰と馬代黄金十両を献上した。松平乗賢は披露を遂げ、喜ばしいと返答した。No.2078の本多忠良返書と同件である。
追録4-No.2080 小松安之助と嫡子代々の小松姓使用を許可
継豊は、安之助が禰寝家の猶子となったことに伴い、本家の小松の称号を用いるよう命じた。以後も嫡子が代々小松と称することを許可する。No.2054の忠通の系譜記事に記される小松家継承に対応する。
追録4-No.2081 前年十一月の江戸城内火災鎮火を祝う本多忠良返書
吉貴が公方・右大将・大納言の健勝と、前年十一月二十四日に江戸城の曲輪内で起きた火災が速やかに鎮まったことを喜んだ。本多忠良はその書状の趣旨を老中間で相談し、上聞に達したと返した。No.2082の乗賢書状と同件である。
追録4-No.2082 前年十一月の江戸城内火災鎮火を祝う乗賢返書
吉貴が公方・右大将・大納言の健勝と、前年十一月二十四日の江戸城曲輪内の火災が早く鎮まったことを喜ぶ書状に対し、松平乗賢はその趣旨を言上したと返答した。No.2081の本多忠良書状と同件である。
追録4-No.2083 継豊の病気滞府願が認められたことを伝える消息
豊岡らは吉貴の正月四日付の書状に答え、公方・右大将・大納言が健勝であると伝えた。継豊が病気のため今年も江戸に滞留して養生したいと願い、願いどおり認められたことを喜び、右大将にも礼を伝えたという。No.2055の滞府願の後続に当たる。
追録4-No.2084 三次郎に頴娃・指宿の今和泉を子孫代々与える知行状
継豊は三次郎に薩摩国頴娃郡・揖宿郡のうち、今度「今和泉」と号する一所の地を宛がい、子孫まで領知することを認めた。前年十二月の所領付与(No.2061・2062)を正式な花押付き知行状として確定した文書である。
追録4-No.2085 上巳の祝儀と継豊らの安否を伝える消息
上巳の節句に継豊をはじめ家族が健勝で祝ったことを伝え、吉貴方にも目録に記した祝いの品を送る。寒さが残るため吉貴と菊姫らの安否を尋ね、長寿を願う。荻原・岡田・藤らからの儀礼的な消息である。
追録4-No.2086 菊姫らの本丸年礼と将軍下賜品を伝える消息
寒さが続く中、継豊らの安否を問い、正月二十五日に菊姫が姫君とともに本丸へ年礼に出たことを伝える。将軍から拝領した品を箱に入れて届けたことにも触れ、吉貴方の喜びと健康を願う。
追録4-No.2087 伊作家歴代位牌の再興と記録の指示
伊作家の歴代位牌は散逸・損傷していたため、吉貴の意向で再び整え、寺に安置して遷座の法事を行った。位牌再興と寺役の経緯を後代に伝えられるよう、記録所に詳しく記録するよう命じた。
追録4-No.2088 青山からの江戸火災で高輪・南品川の島津屋敷が焼失
二月十二日に江戸青山から出た火が北西風にあおられて広がり、翌朝に鎮火した。島津家の高輪の屋敷と南品川の宅地にも延焼したと記す。前年十一月の城内火災(No.2081・2082)とは別の火災である。
追録4-No.2089 高輪下屋敷・抱屋敷と南品川抱屋敷の類焼届
継豊は前日十二日の青山からの出火で高輪下屋敷が類焼し、北東長屋の一部と西長屋を残して焼けたと報告した。同所の抱屋敷と南品川抱屋敷も焼失した。No.2088の記事で述べる江戸火災の被害を幕府へ届ける文書である。
追録4-No.2090 高輪・南品川屋敷の類焼届を老中へ提出
No.2089の類焼届一通を、留守居の野村大右衛門が酒井忠知の取次・稲留善左衛門へ持参した。高輪下屋敷と抱屋敷、南品川抱屋敷の焼失について、取次から届書を受け取ったとの返答があったことを記す。
追録4-No.2091 歳暮の御内書を翌日城中で渡す旨の通知
本多忠良は継豊に、歳暮についての将軍の御内書を翌二十五日の五半時に城中で渡すため、家来を登城させるよう通知した。短い事務連絡だが、交付時刻と受け手の派遣を明示している。
追録4-No.2092 宗信の初めての国元帰還に向けた暇願
継豊は同氏薩摩守宗信について、今年は初めて国元へ帰らせたいので暇を与えてほしいと願い出た。小笠原縫殿助がこの願書を酒井雅楽頭方へ差し出し、取次が受け取った。No.2093は許可後の出立と旅程を記す。
追録4-No.2093 宗信の初帰国許可・江戸出立・鹿児島到着と謝礼使者
継豊が宗信の初帰国を願い、四月十六日に吉宗・家重から使者と拝領品が届いた。宗信は十八日に登城して馬を拝領し、二十七日に江戸を出立。東海道の出水で道中が遅れ、五月三十日に伏見、六月四日に大坂、七月五日に大里、同十六日に出水を経て、二十二日に鹿児島へ入った。帰国の謝礼使者として島津久丘が江戸に赴き、九月…
追録4-No.2094 朱印・判物拝領時の先例調査と儀礼手順の照会
鎌田政直は、御朱印・御判物の拝領に備え、先例と儀礼の手順を江戸方に照会した。貞享・正徳・享保の過去の拝領時に使者をどう立てたか、継豊が在府する場合の拝礼をどうするかなどを、他家の先例も含めて調べ、国元へ知らせるよう求めた。No.2095がこの照会への返答である。
追録4-No.2095 朱印・判物拝領時の先例調査を引き受ける返答
No.2094の照会を承り、朱印・判物拝領時の使者や拝礼について先例を調べると返した。他家の例も尋ね、継豊へ相談したうえで手順を決め、詳しく知らせる旨を述べる。本文の朱書の返答である。
追録4-No.2096 長野・鹿籠金山の採算悪化と採掘縮小の相談
長野・鹿籠の両金山は近年産金が減り、経費がかさんで損失が増したため、採掘規模の縮小を相談した。鹿籠ではすでに人数を減らしており、長野でも稼働を調整するが、鉱夫の処遇と産金を考えて急な全面停止は避ける。金山は幕府の巡見対象でもあるので、江戸で水野壱岐守らに報告の要否・方法を確かめるよう求めた。長野は地…
追録4-No.2097 守津西堂に廣済寺住持職を認める判
継豊は守津西堂に廣済寺の住持職を与え、これまでの先例どおり寺務を執り行うよう命じた。三月十六日付で、中将継豊の御判が据えられている。No.2098は同日付の正興寺住持職の判である。
追録4-No.2098 正興寺に住持職の執務を命じる判
継豊は正興寺の住持職について、先例どおり寺務を執り行うよう命じた。三月十六日付で、中将継豊の御判が据えられている。No.2097の廣済寺住持職の判と対をなす。
追録4-No.2099 紅葉山の御宮八講執行を祝う献上品への忠良返書
継豊が紅葉山の御宮八講の執行が済んだことを祝い、使者を通じて目録記載の品を献上した。本多忠良はその旨を披露したところ、将軍が殊のほか喜んだと返答した。No.2100は同じ件についての松平乗賢の返書である。
追録4-No.2100 紅葉山の御宮八講執行を祝う献上品への乗賢返書
継豊が紅葉山の御宮八講を終えた祝儀として、使者に目録記載の品を持たせて献上した。松平乗賢はその旨を披露し、将軍が喜んだと返した。No.2099の本多忠良書状と同件である。
追録4-No.2101 召仕の女二人の関所通行を求める継豊書状
継豊は召し仕える女二人を国元から江戸へ差し越すにあたり、関所で手形を見届けて通すよう牧野備後守方へ依頼した。関所での取扱いと通行後の報告にも触れる。女の人数、移動方向、関所通行のための文書であることを本文から確認できる。
追録4-No.2102 紅葉山御宮八講の祝儀献上への本多忠良返書
吉貴が紅葉山で御宮八講が執行されたことを祝って使者に目録記載の品を献上させた。本多忠良はその旨を披露し、将軍が喜んだと返答した。同日のNo.2103も同じ件の忠良書状であり、宛先と文言を区別した。
追録4-No.2103 紅葉山御宮八講の祝儀献上への本多忠良返書
宗信が紅葉山の御宮八講執行を祝って使者を立て、目録記載の品を献上した。本多忠良はその旨を披露し、将軍が喜んだと返した。No.2102と同じ式典の返書だが、こちらは宗信宛てである。
追録4-No.2104 鯛一折の献上への本多忠良返書
継豊が同日朝に鯛一折を献上した件について、本多忠良は披露したところ将軍が喜んだと返した。短い返礼状で、三月十八日の紅葉山御宮八講に関する返書とは献上品・日付が異なる。
追録4-No.2105 将軍家の御機嫌と東叡山参詣への乗賢返書
吉貴が右大将の健勝を祝い、正月廿日に東叡山へ参詣した後の安否を尋ねた書状に、松平乗賢が答えた。乗賢は将軍家が健勝である旨と、吉貴の書状を披露したことを伝える。No.2106~2108も同じ頃の安否・参詣に関する応答である。
追録4-No.2106 右大将・大納言の健勝と参詣の返答
吉貴の祝儀と安否伺いに対し、乗賢は右大将・大納言が健勝であると伝えた。正月廿四日に増上寺へ参詣したことにも触れ、吉貴の書状の趣旨を披露して喜ばれたと返す。
追録4-No.2107 竹姫の大奥入御と島津家への拝領品を伝える忠良書状
本多忠良は公方・右大将・大納言の健勝を伝え、正月二十五日に竹姫が大奥へ入った際の祝儀と拝領品に言及した。右大将からの拝領、右衛門督・刑部卿からの贈物に加え、公方から大隅守継豊と薩摩守宗信にも拝領品があった旨を伝え、幾重にもありがたいと述べる。文書は原本802頁末から803頁冒頭まで続く。
追録4-No.2108 竹姫の大奥入御と島津家への拝領品を伝える乗賢書状
松平乗賢は公方・右大将・大納言の健勝を伝え、正月二十五日の竹姫の大奥入御に伴う祝儀と贈物に触れた。右大将への拝領品、右衛門督・刑部卿からの贈物、公方から大隅守継豊・薩摩守宗信への拝領品を列挙し、吉貴の書状の趣旨を上聞に達したと返す。No.2107と同件の返書。
追録4-No.2109 種子島蔵人に「久」の一字を与える継豊一字状
継豊が種子島蔵人に「久」の一字を与えた一字状。本文は一字「久」を中心とする簡潔な形式で、三月廿八日付の継豊の花押があり、正文は種子島蔵人所蔵と記される。
追録4-No.2110 西丸萬次郎の誕生を伝える松平乗邑書状
松平乗邑は吉貴の書状に答え、公方・右大将・大納言が健勝であると伝えた。西丸の萬次郎が誕生したことについて、吉貴からの祝いの趣旨を上聞に達したと記す。四月十三日付の書状である。
追録4-No.2111 西丸萬次郎の誕生を伝える松平乗賢書状
松平乗賢は吉貴の書状に答え、公方・右大将・大納言が健勝であることを伝えた。西丸の萬次郎の誕生について、吉貴からの祝いの趣旨を上聞に達したと返す。No.2110の松平乗邑書状と同日・同件である。
追録4-No.2112 酒井忠知を上使として宗信へ初めての告知を行う
四月十八日に酒井雅楽頭忠知を上使として、嗣嫡の薩摩守宗信に初めての告知があったと記す。詳しい経緯は宗信の譜に記すという短い記事である。前日の登城通知(No.2113)と続く出来事として読める。
追録4-No.2113 宗信に翌日の五半時登城と御殿での礼を指示
酒井雅楽頭・本多中務大輔・松平左近将監の連署で、宗信に翌十八日五半時に登城し、御殿で礼を申し上げるよう知らせた。初帰国に先立つ幕府での儀礼に関わる通知である。
追録4-No.2114 香具など二箱の献上への松平乗邑返書
継豊が同日朝に香具一箱と別の品一箱を献上した。松平乗邑はこれを披露したところ、将軍が殊のほか喜んだと返した。No.2115は同じ献上への松平乗賢の返書である。
追録4-No.2115 香具など二箱の献上への松平乗賢返書
継豊が同日朝に香具一箱と別の品一箱を献上したことについて、松平乗賢は披露の結果、将軍が喜んだと返答した。No.2114と同じ献上を扱う別の返書である。
追録4-No.2116 竹姫から宗信への贈物と取次手順をめぐる口上覚
宗信と竹姫に関する縁組・贈答の手順を記す。竹姫から薩摩守宗信へ遣わす品や、贈物をどこで受け渡して披露するかを検討し、右大将・薩摩守らへの伝達の仕方にも触れる。末尾に「口上之覚」と記される。具体的な日付は本文に見えないため月頃とした。
追録4-No.2117 竹姫・宗信に関する別紙を国元へ渡す連絡
別紙の書写を渡し、国元で申し上げるよう求めた。竹姫と薩摩守宗信に関する礼の件はすでに関係先で済んだ旨も伝え、No.2116の口上覚に続く処理を知らせる。四月二十五日付。
追録4-No.2118 西丸萬次郎誕生を祝う吉貴の書状への返答
三月十二日付の吉貴の書状に答え、公方・右大将・大納言の健勝を伝える。西丸で萬次郎が誕生したことへの祝いを受け、吉貴の慶びの趣旨を関係先へ申し上げた旨を記す。吉貴方へ健康を願う女房消息で、本文に確定の日付は見えない。
追録4-No.2119 萬次郎誕生の祝いと将軍家の安否への吉貴返書
吉貴は将軍家の安否と萬次郎誕生の祝いを受けた消息に答え、関係者が健勝であることを喜んだ。贈物や祝いへの謝意を述べ、将軍家・薩摩守らの近況についても触れている。四月二十七日付の女房方への返書。
追録4-No.2120 端午の祝儀を受けた吉宗からの御内書
将軍吉宗は、継豊が端午の祝儀として遠国から届けた品を受け、喜んで見たと伝えた。詳細は松平左近将監乗邑から述べさせると記す。吉宗の御印を据えた五月三日付の御内書である。
追録4-No.2121 端午の祝儀献上への松平乗賢返書
継豊が端午の祝儀として使者に品を持たせて献上した。松平乗賢はその旨を将軍に披露し、喜ばれたと返した。翌三日付の吉宗の御内書(No.2120)と同じ祝儀に関わる。
追録4-No.2122 将軍家・薩摩守・菊姫の安否を喜ぶ吉貴の返書
吉貴は二月二十五日付の女房方の書状に答え、公方・右大将・大納言をはじめ、薩摩守宗信や菊姫が健勝であることを喜んだ。贈物と祝いの言葉に礼を述べ、吉貴方の安否も知らせている。
追録4-No.2123 尾張中納言への道中無事を喜ぶ宗信の返書
宗信は尾張中納言の書状を読み、道中を無事に旅した旨を喜んだ。領内からの使者が礼を伝えたことにも触れ、相手の懇切な配慮に感謝して返答した。署名は薩摩少将とある。
追録4-No.2124 薩摩守と姫君の安否を喜ぶ吉貴の返書
吉貴は女房方の書状に答え、薩摩守宗信が健勝であり、姫君もつつがないことを喜んだ。関係者の安否や贈物への謝意を述べ、引き続き将軍家の健勝を願っている。No.2122と同じ女房方への返書だが、別日付である。
追録4-No.2125 琉球往来の船が奥州に漂着した経緯
薩摩から琉球へ渡った船が風波を受けて航路を外れ、奥州の沿岸へ漂着するまでと、その後の乗員・船の扱いを記す。船頭・水主と琉球人が乗り、修理や帰送のための手配が必要になった。No.2126~2129は、この漂着者の移送と幕府への届出を扱う。
追録4-No.2126 奥州漂着の琉球船乗員を長崎経由で帰国させる相談
継豊は、薩摩から琉球へ向かった船が風波で奥州沿岸に漂着した件を報告した。乗員と琉球人を長崎経由で琉球へ帰すため、必要な移送・取扱いを幕府へ相談する。No.2125の漂着記事に続く正式な照会である。
追録4-No.2127 奥州漂着の琉球船について幕府へ伺書を提出
薩州の船頭・水主と琉球人を乗せた船が奥州に漂着した件について、幕府に伺う文書とその提出経過を記す。留守居の野村大右衛門が酒井雅楽頭方の取次へ持参し、受領と追っての返答を確認した。No.2126の相談を具体的な伺書として扱う。
追録4-No.2128 漂着した琉球人を連れ帰るための船・書付の準備
幕府側からの返答を受け、奥州に漂着した琉球人を連れて帰るための船と書付の準備を進める旨を記す。野村大右衛門が、必要な書付を取次へ渡す手順を確認した覚である。
追録4-No.2129 琉球人の帰送に関する幕府の返答と後続の報告
漂着した琉球人を連れ帰る件で、幕府側へ伺ったところ、指示を承知したと記す。受けた返答を国元へ伝え、さらに必要な処理や報告を進める旨を記した五月二十四日付の覚である。No.2128と同じ漂着者帰送の事務処理に当たる。
追録4-No.2130 紅葉山御宮八講の祝儀披露に対する酒井忠知返書
酒井忠知は吉貴の書状を読み、公方・右大将・大納言が健勝であると伝えた。紅葉山の御宮八講の祝儀について、吉貴の書状の趣旨を上聞に達したと返す。
追録4-No.2131 宗信の初見・拝領と御能の節の待遇への忠知返書
吉貴が公方・右大将・大納言の健勝を喜び、八講執行の祝儀と、三月二十二日の御能の節に薩摩守宗信が初見して品と料理を賜ったことを謝した。酒井忠知は吉貴の書状の趣旨を受け取り、上聞に達する旨を返す。
追録4-No.2132 紅葉山の八講を祝う吉貴への松平乗賢返書
吉貴が公方・右大将・大納言の健勝と紅葉山での八講執行を祝った書状に、松平乗賢が答えた。書状の趣旨を将軍に披露したところ、喜ばれたと伝える。
追録4-No.2133 八講祝儀と宗信初見時の拝領への乗賢返書
吉貴は公方・右大将・大納言の健勝を喜び、八講執行を祝うとともに、三月二十二日の御能で薩摩守宗信が初見して品と料理を賜った礼を述べた。松平乗賢はその旨を承り、将軍へ伝えると返した。No.2131と同じ宗信の初見に関わる。
追録4-No.2134 八講祝儀と姫君らの健勝を喜ぶ女房消息
女房方は公方の祝儀を喜び、関係者が健勝であることを吉貴方へ伝えた。薩摩守宗信や姫君の安否に触れ、贈物への謝意と引き続きの健康を願う。本文に確定の日付は見えない。
追録4-No.2135 宗信の初帰国に伴う吉宗・家重からの贈物と謝礼
宗信の初帰国に際し、四月十六日に吉宗が酒井雅楽頭忠知を芝の島津邸へ遣わし、薩摩守宗信へ品を賜った。十八日には右大将家重からも忠知を通じて贈物があり、宗信は登城して礼を述べた。吉貴らがこれに謝礼を伝えた経過を記す。No.2093の初帰国記事と関連する。
追録4-No.2136 宗信初見時の拝領品に対する本多忠良返書
吉貴は公方・右大将・大納言の健勝を喜び、薩摩守宗信が初見時に巻物などを賜ったことを謝した。本多忠良は重ねてありがたいとの趣旨を受け取り、将軍に伝えると返答した。No.2137は同じ件の松平乗賢書状である。
追録4-No.2137 宗信初見時の拝領品に対する松平乗賢返書
吉貴が薩摩守宗信の初見と、その際に将軍家から巻物や馬を賜ったことを謝した。松平乗賢はその旨を承り、上聞に達するよう取り計らうと返した。No.2136の本多忠良書状と同件である。
追録4-No.2138 宗信の初見と竹姫らの拝領品を喜ぶ消息
女房方は公方・右大将・大納言の健勝を伝え、宗信の初見や竹姫らの祝儀・拝領品を喜んだ。右大将からの贈物や関係者からの配慮にも触れ、吉貴の書状の趣旨を上聞に達したと返す。本文に確定の日付は見えない。
追録4-No.2139 東叡山御霊前参詣への本多忠良返書
吉貴が四月十日に東叡山の御霊前へ参詣したことを祝う書状に、本多忠良が答えた。参詣の趣旨を披露したところ、将軍が喜んだと伝える。
追録4-No.2140 端午の御内書を翌日に渡す登城通知
松平左近将監乗邑は継豊に、端午の御内書を翌十五日の五半時に城中で渡すので、家来を差し出すよう通知した。御内書の交付時刻と受取りの手順を示す短い文書である。
追録4-No.2141 琉球布・砂糖漬・塩辛・泡盛の献上への忠良返書
継豊が琉球布一箱、砂糖漬天門冬一器、赤貝の塩辛一器、琉球泡盛酒二壺を献上した。本多忠良は披露したところ将軍が喜んだと返した。No.2142は同じ献上品への松平乗賢の返書である。
追録4-No.2142 琉球布・砂糖漬・塩辛・泡盛の献上への乗賢返書
継豊から琉球布一箱、砂糖漬天門冬一器、赤貝塩辛一器、琉球泡盛酒二壺が献上された。松平乗賢はその旨を披露し、将軍が喜んだと返した。No.2141と同日・同件の別返書である。
追録4-No.2143 暑中見舞いの献上品への本多忠良返書
宗信が公方・右大将・大納言の安否を伺い、暑中見舞いとして使者に品一箱を持たせて献上した。本多忠良はこれを披露して返答した。No.2145も宗信宛てで、同じ暑中見舞いの件を扱う。
追録4-No.2144 暑中見舞いの献上品への松平乗賢返書
吉貴が公方・右大将・大納言の健勝を問い、暑中見舞いとして使者に品一箱を持たせて献上した。松平乗賢はその旨を披露し、喜ばれたと返した。同日の宗信宛ての返書(No.2143・2145・2146)とは宛先が異なる。
追録4-No.2145 暑中見舞いの献上品への本多忠良返書
宗信が暑中見舞いのため将軍家の安否を伺い、使者を通じて品一箱を献上した。本多忠良は披露したところ将軍が喜んだと返した。同日付のNo.2143と関連し、No.2146は松平乗賢の返書である。
追録4-No.2146 暑中見舞いの献上品への松平乗賢返書
宗信が公方・右大将・大納言の安否を伺い、暑中見舞いとして使者に品一箱を持たせた。松平乗賢はその旨を披露し、喜ばれたと返した。No.2145の本多忠良返書と同件である。
追録4-No.2147 将軍家の安否と姫君の祝儀を伝える消息
五月二十三日付の吉貴の書状に答え、公方・右大将・大納言が健勝であると伝える。姫君に関する吉慶を喜び、吉貴の書状の趣旨を上聞に達した。女房方から吉貴への消息で、本文に確定の日付は見えない。
追録4-No.2148 宗信の初見・拝領を喜ぶ女房方の返書
五月二十七日付の吉貴の書状に答え、公方・右大将・大納言の健勝を伝えた。薩摩守宗信の初見と拝領、竹姫らに関わる贈物を喜び、吉貴の書状の趣旨を上聞に達したと記す。
追録4-No.2149 菊姫・薩摩守らの近況を伝える女房消息
女房方は将軍家が健勝であることを伝え、菊姫や薩摩守宗信らの近況と今後の行事について知らせた。吉貴方からの気遣いと贈物への礼を述べ、先々もよろしくと結ぶ。本文に確定の日付は見えない。
追録4-No.2150 男王子誕生の祝儀として黄金十両を献上したことへの乗邑返書
継豊が男王子の誕生を祝って黄金十両を献上した。松平左近将監乗邑はその旨を披露し、将軍が喜んだと返した。七月六日付の返書である。
追録4-No.2151 男王子誕生を祝う黄金十両の献上への乗賢返書
継豊が男王子の誕生を祝って黄金十両を献上した。松平乗賢はその旨を披露し、将軍が喜んだと返した。No.2150の松平乗邑による返書と同じ祝儀に関わる。
追録4-No.2152 東叡山での浄国院御位牌所参詣への乗邑返書
宗信が公方・右大将・大納言の健勝を喜び、六月九日に東叡山の浄国院御位牌所を参詣したことに礼を述べた。松平乗邑はその趣旨を披露したと返答した。
追録4-No.2153 菊姫・薩摩守らの安否と贈物を伝える消息
女房方は吉貴方からの書状に答え、公方・右大将らの健勝、菊姫と薩摩守宗信の近況を伝えた。六月・七月の行事や贈物にも触れ、吉貴方の厚意を喜び、将軍家へ礼を伝えると記す。
追録4-No.2154 病気の継豊に代わる島津但馬守の謝礼使者
七月二十八日以降、上使の興津帯刀を通じて継豊が拝領を受けた。継豊は病気であったため、島津但馬守忠就が代わって執政らの邸を訪れ、謝礼を述べたと記す。
追録4-No.2155 八朔の太刀・馬代献上への酒井忠知返書
継豊が八朔の祝儀として使者を立て、太刀一腰と馬代の黄金十両を献上した。酒井忠知はこれを披露し、将軍が喜んだと返した。No.2156は同じ献上への松平乗賢の返書である。
追録4-No.2156 八朔の太刀・馬代献上への松平乗賢返書
継豊が八朔の祝儀に太刀一腰と馬代の黄金十両を献上した。松平乗賢はその旨を披露し、将軍が喜んだと返答した。No.2155の酒井忠知書状と同件である。
追録4-No.2157 宗信の八朔の太刀・馬代献上への老中連署返書
宗信が八朔の祝儀として使者に太刀一腰と馬代の黄金十両を持たせて献上した。酒井忠知・本多忠良・松平乗邑が連署し、披露したところ将軍が喜んだと返した。継豊宛てのNo.2155・2156と対になる。
追録4-No.2158 宗信の八朔の太刀・馬代献上への乗賢返書
宗信が八朔の祝儀として太刀一腰と馬代の黄金十両を献上した。松平乗賢はこれを披露し、将軍が喜んだと返した。No.2157の老中連署書状と同件の別返書である。
追録4-No.2159 島津家一行の国元到着を喜ぶ尾張中納言返書
尾張中納言は宗信の書状を受け、道中が無事で、前月十六日に同氏大隅守殿が国元に着いたと知って喜んだ。気遣いへの謝意と自身も無事であることを伝える。宛先は薩摩守宗信である。
追録4-No.2160 東叡山の浄国院御位牌所参詣への酒井忠知返書
吉貴が公方・右大将・大納言の健勝を喜び、六月九日の東叡山浄国院御位牌所参詣に礼を述べた。酒井忠知はその旨を承知し、書状の趣旨を上聞に達すると返した。No.2152は宗信宛ての同じ参詣に関する返書。
追録4-No.2161 吉宗の将軍職譲与と宗信による祝儀の使者
九月朔日、吉宗が政務と将軍職を右大将家重に譲り、二十五日に西城へ移った。国元にいる宗信も知らせを受け、翌二十六日に小林中太兵衛を使者として江戸城へ差し出し、祝儀の品を献上した経緯を記す。
追録4-No.2162 家重への将軍職継承を受けた島津家の祝賀使者
吉宗が家重に政務と将軍職を譲り隠居したことを受け、島津家で祝賀の手順を整えた。継豊は病気のため自ら出向けず、酒井忠知らへの相談と代理の使者によって礼を述べた。No.2161と同じ将軍職継承に関する記事である。
追録4-No.2163 琉球中山王からの贈物に礼を述べる継豊書状
継豊は琉球中山王からの書状と、目録どおりの贈物を受け取った。特に武具に関する品を差し送ったことへの心遣いを喜び、礼を述べる。九月二日付で「中将継豊」の御判を据える。
追録4-No.2164 中山王からの弔意と贈物に応える継豊書状
継豊は中山王の書状を読み、前年の不幸について弔意と贈物を届けた心遣いに謝意を示した。使者が島津家側と面会し、品を受け取った経緯にも触れる。No.2163と同日付の中山王宛書状である。
追録4-No.2165 重陽の祝儀に小袖を受けた吉宗の御内書
吉宗は継豊が重陽の祝儀に小袖二重を献上したことを喜び、見たと伝えた。詳細は本多中務大輔忠良から述べさせると記す。吉宗の御印を据えた九月七日付の御内書である。
追録4-No.2166 重陽の小袖献上への酒井忠知返書
継豊が重陽の祝儀として使者を立て、小袖二重を献上した。酒井忠知はその旨を披露し、喜ばれたと返答した。No.2165の吉宗御内書と同じ重陽祝儀に関する。
追録4-No.2167 宗信の安否伺いと品一箱の献上への忠良返書
宗信が公方・右大将・大納言の健勝を問い、使者に品一箱を持たせて献上した。本多忠良はこれを披露し、将軍が喜んだと返した。No.2168は同じ件の松平乗賢返書である。
追録4-No.2168 宗信の安否伺いと品一箱の献上への乗賢返書
宗信が公方・右大将・大納言の安否を伺い、使者を通じて品一箱を献上した。松平乗賢はその旨を披露し、喜ばれたと返した。No.2167と同件の別返書である。
追録4-No.2169 宗信の国元到着を報告する使者の登城指示
宗信が国元に到着したことを幕府へ報告する使者として嶋津右衛門を立て、翌十五日に登城させるよう継豊が留守居に指示した。使者自身も礼を申し上げるよう命じる。
追録4-No.2170 和泉家相続に伴う家譜・古文書の記録所への預け
島津三次郎が和泉家の跡を相続したため、和泉家の家譜を記録所で編纂することになった。関係する文書・古文書の巻物を記録所へ預け、後日の取扱いを定めた九月十五日付の預状である。
追録4-No.2171 宗信の初帰国を祝う中山王への継豊返書
継豊は琉球中山王の書状を読み、薩摩守宗信が初めて国元へ帰ることへの祝意と、使者による品の贈呈を受けた。馬代など目録記載の品を喜び、礼を述べる。九月十五日付の中山王宛書状である。
追録4-No.2172 宗信の初帰国・拝領品に対する返書
宗信が公方・右大将・大納言の健勝を喜び、今回の初帰国に際して巻物や馬などを賜った礼を伝えた。松平右京大夫はその趣旨を承り、書状のとおりに取り計らうと返答した。
追録4-No.2173 城内の出火が速やかに鎮まったことへの本多忠良返書
宗信が公方・右大将・大納言の健勝を問い、七月十五日の夜に城の曲輪内で出火したが早く鎮まったことを喜ぶ書状を送った。本多忠良はその趣旨を上聞に達したと返した。No.2174は同件の松平乗賢返書である。