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追録4の目録

暫定版です。原文との照合により、概要や文書の区切り等を修正する場合があります。

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  1. 追録4-No.2574 継豊が年末の祝儀として小袖一重を受けた謝礼状

    継豊公の譜に収める十二月二十七日付の松平大隅守継豊宛の書状。年暮の祝儀として使者を通じて小袖一重が贈られたことを承知し、披露して謝意を述べる。差出の形式に家重の黒印を伴う。No.2578とは宛先と同趣の文面を対照できる。

  2. 追録4-No.2575 年末の祝儀の小袖一重を受けた松平武元の返書

    松平右近将監武元が松平大隅守継豊に宛てた十二月二十七日付の返書。年暮の祝儀として使者から小袖一重が献じられたことを受け、関係者で相談して披露したと伝える。No.2574の祝儀に関する別の応答。

  3. 追録4-No.2576 宗信に翌二十八日五つ時の登城と御礼を命じる通知

    十二月二十七日付で、松平薩摩守宗信に翌二十八日五つ時に登城し、少将への任官に伴う御礼を申し上げるよう命じる通知。本多伯耆守・西尾隠岐守・堀田相模守・酒井雅楽頭の名を列記する。No.2577の登城・謝礼記事に先行する文書。

  4. 追録4-No.2577 宗信が少将任官の御礼を将軍家と西城に述べた記事

    宗信公の譜の記事。十二月二十八日に老中の奉書を受けて宗信が登城し、白書院で将軍家重に少将への昇進の御礼を述べる。伊勢守英智の取次を経て退き、さらに西城に登って吉宗にも謝礼を申し上げ、執政らへもそれぞれ礼を伝えた。No.2576の登城命令に対応する当日の儀礼を記録する。

  5. 追録4-No.2578 宗信が年末の祝儀として小袖一重を受けた謝礼状

    宗信公の譜に収める十二月二十七日付の松平薩摩守宗信宛書状。年暮の祝儀として使者から小袖一重が贈られたことを受け、披露して謝意を示す。家重の黒印を伴う文面で、No.2574の継豊宛書状とは宛先が異なる。

  6. 追録4-No.2579 宗信の年末祝儀の小袖一重に対する松平武元の返書

    松平右近将監武元が松平薩摩守宗信に宛てた十二月二十七日付の返書。年暮の祝儀として使者から小袖一重が献じられたので、関係者で相談して披露したと伝える。No.2578と同じ祝儀に対する返書。本文の後には次巻「追録旧記雑録巻九十四」の表紙が続くが、別文書の本文ではない。

  7. 追録4-No.2580 吉貴が新年の祝意と家中への配慮を伝える書状

    吉貴公の譜に収める延享四年正月二日付の書状。年が明けた祝いを述べ、寒さの中でも相手が健やかであることを喜ぶ。菊姫にもよろしく伝えるよう求め、年始の祝いが届いたことに謝意を示す。家中の者や御機嫌を気に掛けつつ、今年も身辺のことを知らせ、支障なく過ごすようにと記す私信。宛名には萩原・岡田らを挙げる。

  8. 追録4-No.2581 若菜と生見玉の祝儀を家老へ指示する宗信の書付

    宗信公の譜に収める正月二日付の書付。若菜の祝儀として鯛一折、生見玉の祝儀として黄金十両を挙げ、松平大隅守の家督のもとへ入った後、私家督への献上として扱う順序を家老へ指示する。まず宗信に伺い、定められた格式に従って差し上げるよう求め、島津家の改代に伴う祝儀の取次を示す。

  9. 追録4-No.2582 若菜・生見玉の祝儀と旧臘の贈物の取次を定める書付

    宗信公の譜に収める正月二日付の家老宛書付。若菜の祝儀として鯛一折、生見玉の祝儀として黄金十両を用意する。前日に大隅守から受けた祝儀の品を宗信に知らせ、旧臘二十一日の用番堀田相模守の付紙に従って総州らの差上げ方を定める。献上の先例と家督移行後の手順を照会し、別紙にも書付を差し越すよう命じる。

  10. 追録4-No.2583 若菜の鯛一折献上を受けた松平武元の返書

    継豊公の譜に載る正月七日付の返書。松平右近将監武元が松平大隅守継豊から若菜の祝儀として鯛一折を献上された件を受け、関係者で相談のうえ披露したと伝える。No.2584は同じ祝儀について西尾忠直から継豊への返書。

  11. 追録4-No.2584 若菜の鯛一折献上を受けた西尾忠直の返書

    西尾隠岐守忠直が松平大隅守継豊に宛てた正月七日付の返書。継豊の若菜の祝儀である鯛一折の献上を受け、関係者で相談して披露したと知らせる。No.2583とは同件で差出人が異なる。

  12. 追録4-No.2585 若菜の鯛一折献上を受けた松平武元の宗信宛返書

    宗信公の譜に載る正月七日付の返書。松平右近将監武元が松平薩摩守宗信から若菜の祝儀として鯛一折を献上された件を受け、関係者で相談のうえ披露したと伝える。継豊宛のNo.2583とは宛先と献上者が異なる。

  13. 追録4-No.2586 若菜の鯛一折献上を受けた西尾忠直の宗信宛返書

    西尾隠岐守忠直が松平薩摩守宗信に宛てた正月七日付の返書。宗信からの若菜の祝儀として鯛一折が献上されたため、関係者で相談のうえ披露したと伝える。No.2585と同件で、差出人は西尾忠直。

  14. 追録4-No.2587 社寺修造・勧農・年貢収納を命じる宗信の吉書

    宗信公の譜に収める延享四年正月十一日付の吉書。宗信が花押を据え、神社仏閣の修造・興行、農業の奨励、国の年貢の徴納という三箇条を命じる。領内の宗教施設と農政・財政について、各条の趣旨に従い沙汰するよう求める年頭の行政文書。

  15. 追録4-No.2588 年頭の祝儀として太刀と馬代を献じた吉貴への返書

    吉貴公の譜に収める正月十一日付の返書。松平上総入道吉貴が公方様・大御所様へ年頭の祝儀として使者を通じ太刀と馬代を献じた件について、本多伯耆守・西尾隠岐守・堀田相模守・酒井雅楽頭らが相談して披露したと伝える。吉貴の年始の献上手続を示す。

  16. 追録4-No.2589 年頭の太刀と馬代黄金十両の献上に対する松平武元の吉貴宛返書

    松平右近将監武元が松平上総入道吉貴に宛てた正月十一日付の返書。吉貴が年頭の祝儀として使者から太刀一腰と馬代黄金十両を献じたことを受け、関係者で相談して披露したと伝える。No.2588の年頭献上にかかわる個別の応答。

  17. 追録4-No.2590 年頭の太刀と馬代黄金十両の献上に対する松平武元の継豊宛返書

    継豊公の譜に載る正月十一日付の返書。松平右近将監武元が松平大隅守継豊から年頭の祝儀として太刀一腰と馬代黄金十両を献上された件を受け、関係者で相談して披露したと伝える。No.2589とは献上者・宛先が異なる。

  18. 追録4-No.2591 継豊の年頭の太刀・馬代献上に対する西尾忠直の返書

    西尾隠岐守忠直が松平大隅守継豊に宛てた正月十一日付の返書。継豊から年頭の祝儀として使者を通じ太刀と馬代が献上されたので、関係者で相談して披露したと伝える。No.2590とは同じ献上について差出人が異なる。

  19. 追録4-No.2592 吉貴・宗信の登城と家督相続の御礼を記す記事

    吉貴公の譜の記事。前年十二月二十一日、吉貴と宗信が登城し、宗信の襲封について老中から上意を伝えられて謝礼を述べる。吉貴は退出し、宗信は西城に登ってさらに御礼を行った。継豊の隠居と宗信の家督相続に伴う拝礼・使者・贈物の取次を記し、太刀、鯛、昆布、樽などの献上品も挙げる。

  20. 追録4-No.2593 隠居・家督相続を祝う松平武元の吉貴宛返書

    松平右近将監武元が松平上総入道吉貴に宛てた正月二十七日付の返書。三御所が健勝であることを伝え、大隅守継豊の隠居と薩摩守宗信への家督相続を承知し喜ぶ。吉貴がこの知らせに伴う御礼を使者から献じた件を関係者で相談して披露したと述べる。No.2594・2595と同件の別返書。

  21. 追録4-No.2594 隠居・家督相続を祝う西尾忠直の吉貴宛返書

    西尾隠岐守忠直が松平上総入道吉貴に宛てた正月二十六日付の返書。三御所が健勝であること、継豊の隠居と宗信の家督相続を喜び、吉貴から使者を通じて献じられた御礼の品を相談・披露したと知らせる。No.2593・2595と同じ知らせへの個別返書。

  22. 追録4-No.2595 隠居・家督相続を祝う堀田正亮の吉貴宛返書

    堀田相模守正亮が松平上総入道吉貴に宛てた正月二十六日付の返書。三御所の健勝を告げ、継豊の隠居と宗信の家督相続を喜ぶ。吉貴がこれに伴い使者から献じた品を関係者で相談して披露したと伝える。No.2593・2594とは差出人が異なる。

  23. 追録4-No.2596 継豊隠居・宗信襲封への祝意と家中の近況を述べる返書

    吉貴公の譜に収める松平上総入道宛の返書。前年十二月十八日付の書状を受け、三御所が健勝であること、宗信が少将の官位に進んだこと、病中の継豊にも見舞いがあったことなどを喜ぶ。吉貴らが心配していた事柄について無事を伝え、隠居と家督相続の御礼を申し上げるよう求める。家中の者にも書状を取り次いでいる。

  24. 追録4-No.2597 継豊隠居・宗信相続の御礼を吉貴へ促す返書

    吉貴公の譜に収める松平上総入道宛の返書。前年十二月十八日付の吉貴の書状を受け、三御所の健勝と宗信の任官を喜ぶ。病気であった継豊の様子にも触れ、継豊の隠居と宗信の家督相続について御礼を述べるよう促す。家中の者へも取り次ぎ、年長者からの気遣いを伝える。

  25. 追録4-No.2598 継豊隠居・宗信相続と任官を喜ぶ吉貴宛返書

    松平上総入道吉貴宛の返書。前年十二月十八日付の書状に応じ、三御所の健勝、宗信の少将任官、病中の継豊に対する見舞いなどを承知して喜ぶ。継豊の隠居と宗信の家督相続にかかわる御礼を申し上げるよう伝え、吉貴の家中への気遣いを示す。同趣のNo.2596・2597とは筆者が異なる。

  26. 追録4-No.2599 隠居・家督相続の御礼の使者について本多正珍が吉貴へ返答

    吉貴公の譜に載る二月十二日付の本多伯耆守正珍の返書。吉貴の書状を読み、三御所の健勝を伝える。継豊の隠居と宗信の家督相続の御礼のため使者を派遣したことを承知し、紙面の趣を関係者に伝えて上聞に達したと答える。No.2600・2601は同じ御礼について別の老中からの返書。

  27. 追録4-No.2600 隠居・家督相続の御礼の使者について松平武元が吉貴へ返答

    松平右近将監武元が松平上総入道吉貴に宛てた二月十二日付の返書。三御所が健勝であることを伝え、継豊の隠居と宗信の家督相続を祝う御礼の使者が差し越されたことを承知する。吉貴の書状の趣を関係者に相談して上聞に達したと述べる。No.2599・2601と同件の別返書。

  28. 追録4-No.2601 隠居・家督相続の御礼の使者について西尾忠直が吉貴へ返答

    西尾隠岐守忠直が松平上総入道吉貴に宛てた二月十二日付の返書。三御所の健勝を伝え、継豊の隠居と宗信の家督相続を祝う御礼の使者が差し越されたことを承知する。書状の趣を関係者に相談して上聞に達したと述べ、No.2599・2600と同件の別返書を成す。

  29. 追録4-No.2602 継豊隠居・宗信相続に伴う上意と御礼を伝える吉貴宛返書

    松平上総入道吉貴宛の返書。正月六日に差し出された書状に応じ、三御所が健勝であること、継豊の隠居と宗信の家督相続に関する上意を承知したことを伝える。宗信への祝意や御礼を述べるよう求め、吉貴・継豊・宗信の関係を踏まえた家督相続後のやり取りを記す。

  30. 追録4-No.2603 増上寺での法事と香奠献上の取次を吉貴へ伝える書状

    宗信公の譜に載る松平上総入道吉貴宛の書状。増上寺での天英院の御忌法事について、吉貴からの香奠献上を承知したと伝える。また薩摩守宗信からも法事の際に献上する品が届けられ、吉貴の分と同様に差し上げられると知らせる。法事に伴う献上品の取次を示す。

  31. 追録4-No.2604 天英院法事への香奠献上と御忌の取次を伝える書状

    天英院の法事に際し、松平上総入道吉貴が香奠を献上する件と、御忌への対応を承知した旨を伝える二月十六日付の書状。吉貴の献上が所定の手順で受け取られ、薩摩守宗信の分も同様に取り扱われることを述べる。No.2603と同じ法事関係の別文書。

  32. 追録4-No.2605 宗信の少将任官と吉貴・宗信の登城御礼を記す記事

    吉貴公の譜の記事。前年十二月十八日、宗信が登城して左近衛少将任官の上意を受け、執政堀田正亮から伝えられた。宗信は謝礼を述べて西城でも御礼を行い、吉貴も関係者へ礼を尽くした。将軍家と大御所への拝礼、柳生俊峯らの取次を含め、宗信の任官に伴う幕府での儀礼を記録する。

  33. 追録4-No.2606 宗信の少将任官を祝う本多正珍の吉貴宛返書

    本多伯耆守正珍が松平上総入道吉貴に宛てた二月十八日付の返書。三御所の健勝を伝え、薩摩守宗信が少将に任じられたことを承知して喜ぶ。吉貴の書状の趣を関係者に相談して上聞に達したと答える。No.2607・2608と同件の別返書。

  34. 追録4-No.2607 宗信の少将任官を祝う松平武元の吉貴宛返書

    松平右近将監武元が松平上総入道吉貴に宛てた二月十八日付の返書。三御所が健勝であることを告げ、宗信が前年十二月十八日に少将に任じられたことを喜ぶ。吉貴の紙面の趣を上聞に達したと伝える。No.2606・2608とは差出人が異なる。

  35. 追録4-No.2608 宗信の少将任官を祝う西尾忠直の吉貴宛返書

    西尾隠岐守忠直が松平上総入道吉貴に宛てた二月十八日付の返書。三御所の健勝を伝え、宗信が少将に任じられた件を承知して祝う。吉貴の書状の趣を関係者で相談し、上聞に達したと答える。同件のNo.2606・2607とは差出人が異なる。

  36. 追録4-No.2609 宗信の少将任官と継豊への見舞いを伝える吉貴宛返書

    松平上総入道吉貴宛の返書。正月十八日付の書状を受け、三御所が健勝であること、宗信が少将に任じられたことを喜ぶ。大隅守継豊が病気であったため見舞いを受けたことにも触れ、吉貴からの御礼を将軍家へ取り次ぐよう求める。家中への伝言と、祝意・見舞いを併せて記す。

  37. 追録4-No.2610 宗信の任官と継豊の病気に関する吉貴宛返書

    吉貴公の譜に収める松平上総入道宛の返書。正月十八日付の書状に応じ、三御所の健勝、宗信の少将任官、継豊が病気の折に受けた見舞いを喜ぶ。御礼の趣をしかるべき先へ伝えるよう述べ、家中にも書状の内容を取り次ぐ。同趣のNo.2609と宛先は同じだが別の返書。

  38. 追録4-No.2611 宗信の少将任官と継豊の病中見舞いを述べる吉貴宛返書

    松平上総入道吉貴宛の返書。正月十八日付の書状を受け、三御所が健勝であることと、宗信の少将任官を喜ぶ。前年十二月十八日に少将を命じられたこと、病中の大隅守継豊に見舞いがあったことを述べ、吉貴の御礼の趣を伝えるよう求める。No.2609・2610と同趣だが別の返書。

  39. 追録4-No.2612 宗信の襲封祝賀と旧臣への任用・謝礼を記す記事

    宗信公の譜の記事。延享四年二月十八日、宗信の襲封を祝う儀礼と将軍家・大御所への謝礼を記す。宗信は家臣の配置を進め、家治・松平武元らの取次を通じて上意を受けた。西城での拝礼や退席、贈答を記し、前年からの家督相続と少将任官に伴う礼を重ねて行った。家臣の名と役目、帰国準備にも触れる長文の記事。

  40. 追録4-No.2613 御内書を受けるため翌日五つ半時の登城を命じる書状

    酒井雅楽頭忠知が松平大隅守継豊に宛てた二月二十日付の通知。将軍の御内書を渡す用件があるため、翌日五つ半時に登城するよう求める。No.2614は薩摩守宗信に対する同趣の別通知であり、宛先を分けて記す。

  41. 追録4-No.2614 御内書を受けるため宗信に翌日五つ半時の登城を命じる書状

    酒井雅楽頭忠知が松平薩摩守宗信に宛てた二月二十日付の通知。将軍の御内書を渡すため、翌日五つ半時に登城するよう求める。No.2613は大隅守継豊に送られた同趣の通知。家督相続後の父子それぞれへの幕府の連絡を示す。

  42. 追録4-No.2615 吉貴の祝儀・帰国と久茂ら家臣の拝礼を記す記事

    吉貴公の譜の記事。前年十一月末に宗信の家督相続と継豊の隠居を受け、吉貴が江戸へ祝儀の使者と贈物を遣わし、将軍家・大御所へ拝礼した経過を記す。久茂は宗信の少将任官にも礼を述べ、吉貴と継豊への贈答を取り次ぐ。正月以降は吉貴の西海への帰国準備と、久茂の江戸・大坂間の往復、家臣らの御目見・取次・献上が続く。…

  43. 追録4-No.2616 宿次奉書への御礼と喜入主膳の献上を受けた返書

    二月二十一日付の松平上総入道宛返書。三御所の健勝を伝え、宿次奉書に対する吉貴の礼を受ける。また喜入主膳が祝儀の品を献じたことを承知し、その趣を関係者で相談して披露したと返す。本多伯耆守・西尾隠岐守・堀田相模守・酒井雅楽頭の連署状。

  44. 追録4-No.2617 宿次奉書への謝礼と喜入主膳の献上を伝える松平武元の返書

    松平右近将監武元が松平上総入道吉貴に宛てた二月二十一日付の返書。三御所の健勝を伝え、宿次奉書に対する礼と喜入主膳からの献上を承知し、関係者で相談して披露したと知らせる。No.2616・2618と同じ礼と献上にかかわる個別返書。

  45. 追録4-No.2618 宿次奉書への謝礼と喜入主膳の献上を伝える西尾忠直の返書

    西尾隠岐守忠直が松平上総入道吉貴に宛てた二月付の返書。三御所の健勝を述べ、宿次奉書に対する礼と喜入主膳からの献上を承知し、その趣を関係者で相談して披露したと返す。No.2616・2617と同件で差出人が異なる。

  46. 追録4-No.2619 奉書への御礼と喜入主膳の献上を伝える吉貴宛返書

    松平上総入道吉貴宛の返書。宿次で届いた奉書への謝意と、喜入主膳が献上した祝儀の品について承知したと伝える。吉貴からの御礼の趣を関係者に取り次ぎ、今後もしかるべく申すよう求める。No.2616~2618と同じ宿次奉書・献上の件を扱う。

  47. 追録4-No.2620 宿次奉書と鶴拝領の御礼を伝える吉貴宛返書

    松平上総入道吉貴宛の返書。吉貴からの御礼の書状を受け、三御所の健勝を伝える。宿次の奉書への礼に加え、御鷹の鶴の拝領、使者による献上や大納言への取次が済んだことを述べる。書状の趣を関係者へ伝え、引き続き礼を尽くすよう求める。

  48. 追録4-No.2621 曲輪内の出火鎮火と三御所の健勝を伝える吉貴宛返書

    本多伯耆守正珍が松平上総入道吉貴に宛てた二月二十三日付の返書。吉貴の見舞いの書状を受け、三御所は健勝であり、去月朔日に城の曲輪内で起きた火災も早速鎮火したと伝える。吉貴の心配と祝意を受け止め、その趣を上聞に達すると述べる。No.2622・2623と同じ火災に関する別の返書。

  49. 追録4-No.2622 曲輪内の火災鎮火を報じる酒井忠知の吉貴宛返書

    酒井雅楽頭忠知が松平上総入道吉貴に宛てた二月二十三日付の返書。三御所の健勝を伝え、去月朔日に曲輪内で起きた出火は早速鎮火したと知らせる。吉貴からの問い合わせと見舞いの趣を承知し、上聞に達すると述べる。同日に出されたNo.2621・2623とは差出人の異なる個別返書。

  50. 追録4-No.2623 曲輪内の火災鎮火を報じる松平武元の吉貴宛返書

    松平右近将監武元が松平上総入道吉貴に宛てた二月二十六日付の返書。三御所の健勝を伝え、去月朔日の曲輪内出火は早速鎮火したと述べる。吉貴が事情を尋ねて見舞った書状の趣を受け、上聞に達すると返す。No.2621・2622と同趣の別書状。

  51. 追録4-No.2624 刑部卿邸の火災鎮火を知らせる吉貴宛返書

    高瀬清崎が松平上総入道吉貴に宛てた延享四年の返書。吉貴の正月十七日付書状を受け、三御所の健勝を伝える。今月朔日に刑部卿の屋敷で火災が起きたが早速鎮火したこと、心配して尋ねた吉貴の趣旨を承知したことを述べる。No.2625は同じ火災についての別人からの返書。

  52. 追録4-No.2625 刑部卿邸の火災鎮火と三御所の安泰を伝える吉貴宛返書

    豊岡梅ぞのが松平上総入道吉貴に宛てた延享四年の返書。三御所は安泰であると述べ、今月朔日に刑部卿の屋敷で起きた火災は早速鎮火したと知らせる。吉貴の見舞いの書状を受け、上聞に達したと伝え、今後も大納言の機嫌を伺う趣を申し上げる。No.2624と同件の個別返書。

  53. 追録4-No.2626 天英院七回忌の法事に継豊が香奠を献じた記事

    継豊公の譜の記事。延享四年二月二十八日、増上寺で天英院殿の七回忌法事が営まれた。故継豊は使者二人を遣わし、香奠として白銀二枚を献納したと記す。法事の日付、場所、使者、献納額を示す短い記事。

  54. 追録4-No.2627 宗信の本国・生国・官位と年齢を記した書上

    松平薩摩守宗信に関する書上。本国を薩摩、生国を武蔵と記し、上総入道吉貴の嫡子で、従四位上・中将の官位を持つと示す。欄外には延享四年、寅四十六と記される。No.2628の領地・石高の書上と対をなす身分事項の記録。

  55. 追録4-No.2628 宗信の領地と表高・外高を記した書上

    宗信公の譜に収める領地・石高の書上。薩摩国一円、大隅国一円、日向国内および琉球国を掲げ、表高を六十万五千石余、外高を十二万三千七百石と記す。本国を薩摩、生国を武蔵、居城を薩州鹿児島とする身分事項も併記する。No.2627に続く宗信の家格・所領を示す資料。

  56. 追録4-No.2629 吉貴・宗信の身分書上を幕府に差し出す経緯を記した書状

    延享四年二月二十九日付の書状。隠居した上総入道吉貴と薩摩守宗信について、幕府へ差し出す御明細書の提出を求められた経緯を記す。先例を参照し、二月十一日に美濃守へ相良弥一兵衛・松田半次郎を差し向けて取次を受け、吉貴の隠居と家督相続後の宗信の官位・所領などを記した書上二通を提出したと報告する。宛先は樺山主…

  57. 追録4-No.2630 天英院七回忌の香奠献納を承知した吉貴宛返書

    西尾隠岐守忠尚が松平上総入道吉貴に宛てた二月二十九日付の返書。天英院の七回忌法事が執行され、吉貴が使者を通じて増上寺に香奠を献じた件について、その趣を承知したと知らせる。No.2626の法事の記事に関連する、献納の受理を伝える個別書状。

  58. 追録4-No.2631 宗信の襲封祝賀後の招集と家臣の御目見を記す記事

    宗信公の譜の記事。延享四年三月四日、宗信の襲封を祝ったのち、大書院に松平修理大夫頼淳、松平織部正頼央らを招集した。多数の家臣を列挙して御目見の順を記し、家老・側近・小姓らの役目や続柄を注記する。列席者は一舞曲を奏して退き、別冊の事績に続くと結ぶ。祝儀に伴う家中の儀礼と人員構成を伝える。

  59. 追録4-No.2632 東叡山での御霊屋参詣を受けた吉貴宛返書

    酒井雅楽頭忠知が松平上総入道吉貴に宛てた三月十一日付の返書。吉貴の書状を受け、三御所の健勝を伝える。正月十日に東叡山の御霊屋に参詣した件と、その後の報告について承知し、吉貴の礼の趣を上聞に達すると述べる。

  60. 追録4-No.2633 継豊の妹にあたる女子の出生・婚姻・養育を記す系譜記事

    継豊公の妹とされる女子の系譜記事。延享四年四月に生まれ、母を近藤嘉包の娘と記す。前年十二月二十六日に島津岩袈裟(後の久徴)に嫁したこと、岩袈裟の家で養育されたこと、宝暦四年六月十三日に早世したことを記録する。本文の日付と続柄をそのまま示す。

  61. 追録4-No.2634 宗信の昇進祝儀として黄金・縮を贈ることを伝えた書状

    宗信公の譜に収める書状。差出人が、少将からの昇進祝儀として黄金百両と御縮三十疋を進上すると申し上げる。先にその意を伝えていたことを確認し、相手の意向にかなうよう丁寧に願う。延享四年四月二日付で、昇進に伴う贈答の品目と数量を明記する。

  62. 追録4-No.2635 吉貴隠居後の御目見・献上品の先例を尋ねる書状

    宗信公の譜に収める四月二日付、松平薩摩守宛の書状。国元にいたため先例どおりの隠居祝儀を差し出せなかった者が、今回御目見を許され、献上を望んでいる。大納言への献上品は先格に従って整えるとして、将軍家への献上には何を用意すべきか、また絵図を作成できるかを尋ねる。

  63. 追録4-No.2636 二月十日の城近くの出火後も城内に異状がないと伝える返書

    堀田相模守正亮が松平上総入道吉貴に宛てた四月七日付の返書。吉貴の書状を受け、三御所の健勝を伝える。二月十日に城の近くで出火したが、城内には別条がなく、その知らせを受けて問い合わせた吉貴の意を承知したと述べる。No.2637・2638と同件の別返書。

  64. 追録4-No.2637 二月十日の城近くの出火と城内無事を伝える松平武元の返書

    松平右近将監武元が松平上総入道吉貴に宛てた四月七日付の返書。三御所の健勝を知らせ、二月十日の城近くの出火について城内には別条がなかったと述べる。吉貴からの問い合わせと見舞いの趣を承知したと返す。No.2636・2638と差出人の異なる個別書状。

  65. 追録4-No.2638 二月十日の城近くの出火と城内無事を伝える西尾忠尚の返書

    西尾隠岐守忠尚が松平上総入道吉貴に宛てた四月七日付の返書。三御所の健勝と、二月十日に城近くで起きた出火でも城内に別条はなかったことを伝える。吉貴の見舞いと問い合わせを受け、その趣を承知したと述べる。No.2636・2637と同件の個別返書。

  66. 追録4-No.2639 宗信襲封後の将軍家への礼と献上を記す長文記事

    宗信公の譜の記事。延享四年四月十六日、吉貴の隠居と宗信の襲封・家督相続を受け、将軍家へ報告と謝礼を行った経緯を記す。先例の書上を調べ、宗信と家治の使者が登城し、紗綾・白銀、太刀・馬代などを献上した。西城での拝礼や取次、若年寄・老中らへの贈物も列挙する。使者伊勢守英智らの往復を日付順に追い、祝儀の式次…

  67. 追録4-No.2640 翌朝五つ半時の登城と城内での御暇の礼を指示する書状

    本多伯耆守正珍・堀田相模守正亮・酒井雅楽頭忠知から松平薩摩守宗信への四月十八日付の通知。翌朝五つ半時に登城し、城内で御暇の礼を申し上げるよう指示する。宗信が帰国する前の拝礼日程を伝えた短い連署状。

  68. 追録4-No.2641 登城時に家来一人を召し連れて御目見させる旨の通知

    松平薩摩守宗信宛の短い通知。登城する際には家来一人を伴うよう求め、その者に御目見を許すことになったため、召し連れて出向くよう伝える。直前のNo.2640で指示された登城・御暇の礼に伴う家臣の取扱いを示す。

  69. 追録4-No.2642 宗信帰国前の御暇と将軍家への礼・贈答を記す記事

    宗信公の譜の記事。延享四年四月十九日、宗信が家督相続後初めて帰国するにあたり、登城して御暇の礼を述べた。大樹家重は宝刀一振と時服を賜り、吉宗は将軍家への礼の先例を踏まえて贈刀したと記す。宗信の側からも礼物を献じ、御目見・拝礼・退席の順をたどる。

  70. 追録4-No.2643 宗信帰国時の御暇・献上品に関する先例を示す書状

    松平薩摩守宗信宛の四月二十一日付書状。宗信の帰国に際する御暇の礼と献上について、先例を調べて答える。大御所への御暇物の献上と賜り物、家督相続後初めての帰国時に必要な礼を説明し、松平加賀守や上杉大炊頭の例を挙げる。将軍家と大御所への拝礼・贈答をどう整えるかを示した実務的な回答。

  71. 追録4-No.2644 吉貴隠居後の国元在住と実弟の家督継承を願う書付

    松平薩摩守宗信が四月二十二日に提出した書付。父吉貴が隠居して以降、私用の御暇を得て国元へ帰っていることを述べる。自身に男子がなく、万一の際には実弟の嶋津兵庫に家督を継がせたいと願い出る。兵庫は当年十九歳で養子として認められており、跡職相続を望むと記す。

  72. 追録4-No.2645 御暇を得て翌日江戸を出立する旨の宗信の書状

    松平薩摩守宗信の四月二十二日付書状。三御所が健勝であることを喜び、自身に御暇が下されたことに礼を述べる。翌日、当地を出立して国元へ向かうため、旅中の無事と在国中の動静を書状で報告すると伝える。将軍家の御目見と帰国許可を受けた直後の挨拶状。

  73. 追録4-No.2646 宗信の江戸出立から薩府帰着までの行程と帰国祝儀を記す記事

    宗信公の譜の長文記事。延享四年四月二十三日に江戸を出立し、東海道・水路・九州路を経て六月二十五日に薩府鹿児島城へ帰着するまでを日付順に追う。島津久用ら家臣の随行、各地の宿泊・乗船・出迎えを記す。帰国後は家治・吉貴らへの拝礼と贈物、将軍家からの御暇・拝領品への謝礼、老中らへの取次を記録する。帰着後の儀…

  74. 追録4-No.2647 福昌寺で宗信が掲げた仏法に関する偈

    宗信公の譜に収める、延享四年四月二十八日付の偈。福昌寺で少将宗信が記した詩句で、玉龍山の仏法をたたえ、祖師の宗風と仏日が長く続くよう祈る。冒頭の「夫以玉龍山高」の句から末尾の「唯期祝延」まで、禅寺への敬意と法統の継承をうたう。