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追録4の目録

暫定版です。原文との照合により、概要や文書の区切り等を修正する場合があります。

全2,674件中 2201~2300件・23 / 27ページ

  1. 追録4-No.2174 城内出火の早期鎮火を喜ぶ宗信への乗賢返書

    宗信は七月十五日の夜に城の曲輪内で出火したものの、速やかに鎮まったことを喜んだ。松平乗賢はその書状の趣旨を承り、将軍が喜んだと返した。No.2173の本多忠良書状と同件である。

  2. 追録4-No.2175 城内出火の早期鎮火を喜ぶ吉貴への忠良返書

    吉貴が公方・右大将・大納言の健勝を喜び、七月十五日の夜に城内で出火したが早く鎮火したことに安堵した。本多忠良はその書状の趣旨を上聞に達したと返す。No.2173・2174と同じ火災に関する別の宛先への返書。

  3. 追録4-No.2176 城内出火の早期鎮火を喜ぶ吉貴への乗賢返書

    吉貴は七月十五日の夜に城の曲輪内で起きた火事が早く鎮まったことを喜んだ。松平乗賢はその旨を承り、将軍が喜んだと返した。No.2175の本多忠良書状と同じ火災に関する返書である。

  4. 追録4-No.2177 鹿児島城下東口番所付近の崩所四か所の修補許可

    薩摩国鹿児島城下の東口番所付近から北東にかけて、土居四か所が崩れた。継豊が絵図に朱引きで示して願い出た修補について、本多忠良・松平乗邑・酒井忠知は願いのとおり元の形に修復してよいと認めた。

  5. 追録4-No.2178 宗信の国元到着礼の使者を登城させる指示

    宗信が国元に到着した礼を述べる使者の嶋津八郎左衛門を、翌十九日の四時に城へ差し出すよう継豊が留守居に指示した。使者を通じた到着報告の手順を示す短い文書である。

  6. 追録4-No.2179 宗信の国元到着礼の使者を乗賢宅へ出す指示

    宗信の国元到着の礼を述べる使者について、松平乗賢は翌二十日の九時に自宅へ差し出すよう島津家方へ知らせた。No.2178の登城指示とは使者の訪問先と時刻が異なる。

  7. 追録4-No.2180 宗信の初帰国拝領品と国元到着礼への返書

    宗信が初めての帰国に際し、将軍家から巻物・馬などを賜ったことを謝し、国元へ到着した礼のため嶋津八郎左衛門を使者に立てた。本多忠良・松平乗邑・酒井忠知はこれを承知したと連署で返す。

  8. 追録4-No.2181 宗信の初帰国拝領品への乗賢返書

    宗信は公方・右大将・大納言の健勝を喜び、初めての帰国に際して巻物と馬を拝領したことを使者を通じて礼述べた。松平乗賢はその書状を読み、重ねて喜ばしいこととして、使者からの披露を将軍へ伝えたと返す。

  9. 追録4-No.2182 西丸移徙に伴う吉貴の登城・祝儀献上

    吉貴の御譜は、九月朔日に諸侯・旗本らが登城し、老中・若年寄が席次を定めたと記す。吉宗は家重の居所が手狭なため西城へ移し、政務を譲って自らは西城に移る旨を告げた。同月二十五日、家重が本城へ、吉宗が西城へ移ると、吉貴は使節の小松中太兵衛・伊地知千左衛門を通じて鰐口箱等を献じ、移徙を賀した。

  10. 追録4-No.2183 西丸移徙祝いへの上総入道宛返書

    吉貴が西丸移徙の祝いとして使者と目録記載の品を差し出したことを、松平乗賢・本多忠良・酒井忠知が受け取った。三人はこれを将軍へ披露した旨を、上総入道宛に連署で伝える。No.2184は同じ祝いに対する本多忠良単独の返書。

  11. 追録4-No.2184 西丸移徙祝いへの吉貴宛忠良返書

    吉貴が西丸移徙の祝いとして使者と目録の品を献じたことを受け、本多忠良は書状に記された趣旨を承知したと返した。No.2183の三人連署書状と同件だが、こちらは忠良単独の返答である。

  12. 追録4-No.2185 西丸移徙祝いへの薩摩守宛返書

    宗信が西丸移徙の祝いとして使者を遣わし、目録記載の品を献じた。松平乗賢・本多忠良・酒井忠知はその旨を承り、将軍へ披露したことを宗信宛に連署で知らせた。No.2183は同件の吉貴宛返書。

  13. 追録4-No.2186 西丸移徙祝いへの宗信宛忠良返書

    宗信が西丸移徙の祝いとして使者と目録記載の品を差し出したことを受け、本多忠良はその趣旨を承知したと返す。No.2185の連署書状と同件で、こちらは忠良単独の返書である。

  14. 追録4-No.2187 西丸移徙当日の吉貴の登城と献上儀礼

    吉貴の御譜は、九月二十五日に吉宗が西丸へ、家重が本丸へ移った際の祝いを記す。吉貴は本丸・西丸への登城と祝儀献上の使節を差配し、鰐口箱・昆布などの贈物を両所に献じた。続いて在国・在府の大名が差し出す太刀・馬・使者・書状の取扱い、格式に応じた献上先や手順を細かく記録する。

  15. 追録4-No.2188 西丸移徙関係記事末尾の年月記載

    分割されたNo.2188の原本切片には「延享二年 九月」の年月だけが確認でき、独立した用件・差出人・宛先を示す本文はない。直前のNo.2187に続く日付部分とみられるが、この切片だけから個別の出来事を特定できない。

  16. 追録4-No.2189 将軍嗣位後の初参勤における鞍馬献上の先例

    御譜は、将軍家が嗣位した後、島津家が初めて参勤する年には鞍馬二匹を献じる先例を記す。家重が江戸城で養病中だった際は将軍家への一匹の献上を優先し、延享二年九月二十七日には一匹を進献したと説明する。今後の献上数・宛先を考えるため、家重の居所と先規を併記した記事である。

  17. 追録4-No.2190 代替わり祝儀の太刀・馬献上をめぐる指示

    代替わりの初祝儀について、太刀一腰・裸背馬一疋を献上できるとする。太刀・馬代の金を進める従前の作法を踏まえ、翌年の参府時には太刀・馬を献じるよう指示した。病中の滞府者の扱いと、参府の時節についても先例に照らして触れる。松平大隅守(継豊)の九月二十七日付書状。

  18. 追録4-No.2191 西丸移徙祝いへの継豊宛返書

    継豊が西丸移徙の祝儀として使者を立て、目録記載の品を献じたことに対する返書。差出人の本多忠良はその旨を承知したと継豊に伝える。No.2192と同文に近い別の返書である。

  19. 追録4-No.2192 西丸移徙祝いへの継豊宛返書

    継豊が西丸移徙を祝って使者と目録の品を献じたことにつき、本多忠良は書状の趣旨を承ったと返答する。No.2191とほぼ同内容だが、原本では別番号の文書として掲げる。

  20. 追録4-No.2193 継豊・宗信の事情による代替礼式の相談

    家重の将軍嗣位に際し、継豊は長年病を養い、宗信も薩摩に在国していて、ともに直接祝いの儀を行えない状況だった。九月二十七日、継豊は執政の本多忠良に相談し、その後、堀田正亮から示された扱いや、宗信の参府時に礼を行う可能性を記す。

  21. 追録4-No.2194 病気による代替礼式・誓詞と拝礼の伺い

    継豊は病気で将軍代替わりの礼式を自ら行い難く、代わりの私儀を早く行いたいと伺った。併せて誓詞の提出、宗信による儀式の代行、翌年参府時の誓詞と拝礼を相談する。付属の記録は、病気による不参・代理出仕・使者の扱い、十六歳以下の誓詞免除、先例を列挙し、どの手順が許されるかを検討している。

  22. 追録4-No.2195 将軍代替礼式での吉貴の登城と使者による献上

    十月朔日から二日に諸侯が登城して将軍代替わりの礼式を行い、吉貴もこれに参加した。吉貴は島津十太右衛門久命らを使者として、大御所・将軍家などへ太刀や鰐口箱などを献上し、退老の大御所へも祝いの品を贈った。品目と使者を相手先ごとに列挙する。

  23. 追録4-No.2196 翌年参府時の誓詞・太刀馬献上の先例照会

    継豊は翌年の参府で将軍家へ出仕する際、先例に従って誓詞と太刀・馬を献じられるかを尋ねた。前例では裸背馬二疋を差し出すところ、病中の者の礼式や将軍家の代替わりに伴い、献上数と作法を確認する必要があった。十月付の松平大隅守の書状は、馬一疋の先行献上と翌年の出仕時の扱いを述べる。

  24. 追録4-No.2197 翌年参府時の誓詞・太刀馬献上に関する申立て

    翌年の将軍家への参府・出仕に際し、代替わりの誓詞を差し出し、太刀と裸背馬を献上したいと申し立てる。先例に照らして馬の献上数に差異があることにも触れ、取扱いを求める。No.2196の照会と連続する短い文書。

  25. 追録4-No.2198 将軍家重嗣位の拝礼と島津家の献上品・使者

    家重の将軍嗣位を祝う十月二日の拝礼では、在府の諸侯が登城した。病気で登城できない継豊の分は使者が太刀・馬などを献じ、吉貴・宗信らは大御所と将軍家にそれぞれ品物を奉った。本文は相手先、使者、太刀・馬・鰐口箱・昆布・金子などの品目を列挙し、在府者と留守居による代行を区別する。

  26. 追録4-No.2199 代替祝儀の太刀・馬献上への忠知返書

    継豊が将軍代替わりの祝儀として使者を遣わし、太刀一腰と馬一疋を献じたことを受け、酒井忠知がその旨を承知したと返す。十月二日付で、No.2200と同じ祝儀献上に関する別の返書である。

  27. 追録4-No.2200 代替祝儀の太刀・馬代献上への忠直返書

    継豊が代替わりの初祝儀として使者を立て、太刀と馬代を献じたことを西尾隠岐守忠直が承知したと返答する。No.2199と同日・同宛先だが、こちらは西尾忠直の返書で、本文に馬代とある。

  28. 追録4-No.2201 代替祝儀の太刀・馬代献上への継豊宛返書

    継豊が将軍代替わりの祝儀として使者を遣わし、大御所へ太刀と馬代を献じたことを、酒井雅楽頭忠知が承知したと返す。No.2199・2200と同日の継豊宛返書だが、本文は大御所への献上を明記する。

  29. 追録4-No.2202 代替祝儀の太刀・馬代献上への吉貴宛連署返書

    吉貴が将軍代替わりの祝儀として使者を立て、太刀と馬代を献じた。松平乗賢・本多忠良・酒井忠知はその旨を承り、目録の品を披露したと上総入道宛に連署で返した。No.2203・2204は同じ宛先への個別返書。

  30. 追録4-No.2203 代替祝儀の太刀・馬代献上への吉貴宛忠直返書

    吉貴が将軍代替わりの祝儀として使者を遣わし、太刀と馬代を献じたことにつき、西尾隠岐守忠直がその旨を承知したと返す。No.2202の三人連署書状と同件である。

  31. 追録4-No.2204 代替祝儀の太刀・馬代献上への吉貴宛忠知返書

    吉貴が将軍代替わりの祝儀として使者を立て、大御所へ太刀と馬代を献じた。酒井雅楽頭忠知はその趣旨を承ったと上総入道宛に返す。No.2203とは同日・同宛先で差出人が異なる。

  32. 追録4-No.2205 将軍就任と吉宗隠居を祝う宗信の使者・献上品

    宗信の御譜は、十月二日に家重の将軍就任を祝って香妻助太夫らを使者に立て、太刀・馬代の黄金と鰐口箱を献じたことを記す。吉宗の隠居には川上孫八久通らを遣わして別の祝いの品を贈り、御部屋方などにも使者と品を配した。相手先ごとの使者・贈物を列挙する。

  33. 追録4-No.2206 代替祝儀の太刀・馬代献上への宗信宛連署返書

    宗信が将軍代替わりの祝儀として使者を遣わし、太刀と馬代を献じたことを、松平乗賢・本多忠良・酒井忠知が承り、披露したと連署で返した。No.2207・2208は宗信宛の個別返書である。

  34. 追録4-No.2207 代替祝儀の太刀・馬代献上への宗信宛忠直返書

    宗信が代替わりの祝儀として使者を立て、太刀と馬代を献じたことを、西尾隠岐守忠直が承知したと返す。No.2206の三人連署返書と同件である。

  35. 追録4-No.2208 大御所宛代替祝儀の太刀・馬代献上への宗信返書

    宗信が将軍代替わりの祝いとして使者を遣わし、大御所へ太刀と馬代を献じたことを、酒井雅楽頭忠知が承知したと返す。No.2207と同日・同宛先だが、差出人と献上先の記載が異なる。

  36. 追録4-No.2209 移徙・代替祝儀の近況を伝える家中の消息

    仮名書きの消息は、移徙の祝いを済ませたことや、将軍家の代替わりの祝儀が続くことを述べる。菊姫の容体・気持ち、家中の者の出仕と挨拶、贈物への謝意などにも触れ、関係者に伝言するよう求める。十月四日付で、儀礼の合間の身近な近況を伝える文書である。

  37. 追録4-No.2210 吉宗隠居祝いの献上への吉貴宛忠知返書

    吉貴が吉宗の隠居を祝って使者を立て、上様と大御所様へ目録記載の品を献じたことを、酒井雅楽頭忠知が承知したと返す。将軍代替わりの祝儀への返書が並ぶ前後の文書とは、祝いの対象と日付が異なる。

  38. 追録4-No.2211 吉宗隠居祝いへの吉貴宛忠直返書

    吉貴が吉宗の隠居を祝って使者を遣わし、目録記載の品を献じたことにつき、西尾隠岐守忠直がその趣旨を承知したと返す。No.2210の酒井忠知返書と同じ祝いだが、差出人が異なる。

  39. 追録4-No.2212 吉宗隠居祝いへの継豊宛忠知返書

    継豊は吉宗の隠居祝いとして使者を立て、大御所へ目録記載の品を献じた。酒井雅楽頭忠知は献上の旨を承知したと継豊へ返書を送る。No.2213は同日・同宛先の西尾忠直返書。

  40. 追録4-No.2213 吉宗隠居祝いへの継豊宛忠直返書

    継豊が吉宗の隠居を祝って使者と目録の品を献じたことを、西尾隠岐守忠直が承知したと返す。No.2212と同じ継豊宛の隠居祝いに対する別の返書である。

  41. 追録4-No.2214 吉宗隠居祝いへの宗信宛忠直返書

    宗信が吉宗の隠居を祝って使者を遣わし、目録記載の品を献じた。西尾隠岐守忠直はその旨を承知したと薩摩守宛に返す。No.2215は同日の酒井忠知返書。

  42. 追録4-No.2215 吉宗隠居祝いへの宗信宛忠知返書

    宗信が吉宗の隠居祝いとして使者と目録記載の品を献じたことを、酒井雅楽頭忠知が承知したと返答する。No.2214と同じ宗信宛の祝儀に対する別の返書である。

  43. 追録4-No.2216 徳川右衛門督御簾中の安産祝いへの継豊宛返書

    徳川右衛門督の御簾中が安産したため、継豊が祝いとして干鯛一箱を贈った。酒井雅楽頭忠知はこれを承知したと継豊宛に返答する。献上品の「干鯛」は乾燥させた鯛を指し、数量は一箱である。

  44. 追録4-No.2217 安産祝いの大御所宛干鯛献上への継豊宛返書

    徳川右衛門督の御簾中が安産した祝いとして、継豊が大御所へ干鯛一箱を献じた。酒井雅楽頭忠知は献上の旨を承知したと継豊へ返す。No.2216と同じ祝いで、大御所への献上先を明記する。

  45. 追録4-No.2218 徳川右衛門督御簾中の安産祝いへの吉貴宛返書

    徳川右衛門督の御簾中の安産を祝って、吉貴が干鯛一箱を献じた。酒井雅楽頭忠知はその旨を承知したと上総入道宛に返す。No.2219とは献上先の書き方が異なる同件の返書。

  46. 追録4-No.2219 安産祝いの大御所宛干鯛献上への吉貴宛返書

    徳川右衛門督の御簾中の安産祝いとして、吉貴が大御所へ干鯛一箱を献じたことを、酒井雅楽頭忠知が承知したと返す。No.2218と同じ祝いで、本文は大御所への献上を明記する。

  47. 追録4-No.2220 徳川右衛門督御簾中の安産祝いへの宗信宛返書

    徳川右衛門督の御簾中が安産したため、宗信が祝いとして干鯛一箱を献じた。酒井雅楽頭忠知はその趣旨を承知したと薩摩守宛に返答する。No.2216~2219と同件で、こちらは宗信宛である。

  48. 追録4-No.2221 安産祝いの大御所宛干鯛献上への宗信宛返書

    徳川右衛門督の御簾中が安産した祝いとして、宗信が大御所へ干鯛一箱を献じたことを、酒井雅楽頭忠知が承知したと返す。No.2220と同じ祝いだが、この文書は大御所への献上を明記する。

  49. 追録4-No.2222 継豊の御判物拝領と儀礼の取扱い

    継豊は前日に領知の御判物を頂戴したことにつき、吉貴にも承知させた。拝領後の御礼の儀をどう行うか幕府へ伺い、御差図を受けたいと述べる。原本の記述はこの相談に限られ、授与された領地や確定した儀礼の結果までは記さない。

  50. 追録4-No.2223 北郷種五郎所蔵文書の宛名・日付

    原本切片には「正文在北郷種五郎」の所蔵注記、十月十八日の日付、継豊公の印、北郷権八の宛名が見える。独立した本文はこの切片に確認できず、具体的な用件は判定できない。

  51. 追録4-No.2224 吉宗隠居に伴う継豊らへの賜物と謝礼

    吉宗は隠居に伴い、十月十九日、継豊の芝邸へ刀一腰と箱入りの品を賜った。継豊は病中、宗信は薩摩に在国していたため、吉貴が取り次いで受領し、家老の島津右平太久郷を通じて謝礼を述べた。吉宗からの賜物と島津家側の受領・謝礼の順序を記す。

  52. 追録4-No.2225 吉宗隠居の賜刀を宗信が拝領するまでの経緯

    十月十九日、吉宗隠居に伴う賜物が島津家に届き、宗信には刀一腰などが与えられた。宗信は在国のため、吉貴らが先に受け取り、使者を通して謝意を伝えた。十月二十五日に受領の報告があり、十一月二十一日に品が薩摩へ着くと、宗信は拝領・奉謝の儀を行った。

  53. 追録4-No.2226 重陽の御内意伝達のための登城指示

    本多中務大輔忠良は、重陽に関する御内意を渡すため、翌日の五半時に城へ参上するよう継豊へ知らせた。用件と時刻を示す短い登城指示である。

  54. 追録4-No.2227 公家衆接待の能に向けた御折献上の覚

    来月三日、公家衆をもてなす能が催される際に、御折一合を献上するよう求める短い覚書。原本は十月付で、実施予定日を翌月三日と記す。

  55. 追録4-No.2228 勝浦山稲荷社の創建と島津忠紀の由緒

    忠紀旧記は、寛保二年十月二十二日、須磨方と忠紀の二人が力を合わせ、勝浦山の別荘に稲荷社を創建したと記す。須磨方が尊崇する浄妙院慧英を導師として遷座の儀を行い、この社を忠紀の生土神としたことや社地の由緒も述べる。No.2229は同じ社の造営者を列挙した記録。

  56. 追録4-No.2229 勝浦山稲荷大明神社の創建と役人一覧

    須磨方と島津周防忠紀が薩州鹿児島の勝浦山に稲荷大明神社を創建した際の記録。寛保二年十月二十二日の日付を掲げ、御隠居御方の家老・大御目附・御用人・普請奉行・大工・石切頭ら、造営に関わった役職と氏名を表に列挙する。後段は社地と祭神の由緒に触れる。

  57. 追録4-No.2230 秋月桂院遷去の知らせに対する宗信返書

    宗信は琉球国司の書状を読み、去秋の秋月桂院遷去について、古田親方を遣わして丁寧に知らせてきたことを承った。知らせへの心遣いに礼を述べる十一月二日付の返書である。原本は使者名と知らせの受領を中心に記す。

  58. 追録4-No.2231 朝の御折一合献上への継豊宛返書

    継豊が今朝、御折一合を献じたことを受け、本多中務大輔忠良がその趣旨を承知したと返す。十一月三日付の短い返書で、No.2227の公家衆接待の能に向けた献上指示と時期が続く。

  59. 追録4-No.2232 年始の使節と別録の贈物への宗信返書

    宗信は琉球中山王の書状を読み、年始の祝儀を使節に託し、別録記載の品を贈ってきたことを承った。心遣いに謝意を述べ、次の祝賀の機会を待つ旨を返す。No.2233は宗信の初御暇への祝儀に対する同日付の別書状である。

  60. 追録4-No.2233 宗信の初御暇への祝儀・贈物に対する返書

    中山王の書状には、宗信に初めての御暇が仰せ出されたことを祝う趣旨が記され、使節の具志川按司を通じて太刀一腰と馬代白銀百両などが贈られた。宗信は品と祝意を受けて礼を述べる。No.2232の年始祝儀とは贈答の理由が異なる。

  61. 追録4-No.2234 重豪の出生と幼名・初期官位

    重豪の御譜は、幼名を忠洪・善次郎・兵庫・善次郎・又三郎としたこと、陸奥守・中将上総介などの官位を列挙する。延享二年乙丑十一月七日に薩府で生まれ、母は島津氏の女性だったと記す。No.2235の別系譜は出生を十一月六日とするため、日付差を残して扱う。

  62. 追録4-No.2235 重豪の異名・官位と十一月六日出生の記録

    別系譜は重豪を「大信公」とし、初諱久方、改忠洪、幼名善次郎・三郎、薩摩守・中将などの名乗りと官位を記す。延享二年乙丑十一月六日に薩府で生まれたとする点は、No.2234の御譜が記す十一月七日と異なる。本文の異同として併記する。

  63. 追録4-No.2236 三御所の健勝と政務・隠居儀礼に関する吉貴宛返書

    吉貴が三御所の健勝を喜び、公方の政務と大御所の隠居儀礼について使者を通じて尋ねた。本多忠良はその意を承り、日出度いこととして書面の趣旨を将軍へ伝えたと返す。No.2237・2238と同件の吉貴宛返書。

  64. 追録4-No.2237 三御所の健勝と政務・隠居儀礼への吉貴宛忠直返書

    吉貴が三御所の健勝と公方の政務、大御所の隠居儀礼を喜び、使者を通じて知らせた。西尾隠岐守忠直はその旨を承知し、書面の趣旨を伝えたと返答する。No.2236・2238と同日・同宛先で差出人が異なる。

  65. 追録4-No.2238 三御所の健勝と政務・隠居儀礼への吉貴宛忠良返書

    吉貴から三御所の健勝、公方の政務、大御所の隠居儀礼を喜ぶ書状と使者が届いた。本多忠良はその趣旨を承り、吉貴に返書を送る。No.2236と近い内容だが、原本では別番号の書状として収める。

  66. 追録4-No.2239 三御所の健勝と政務・隠居儀礼への宗信宛忠良返書

    宗信は三御所の健勝を喜び、公方の政務と大御所の隠居儀礼について使者を通じて書状を送った。本多忠良は趣旨を承知し、紙面の意を伝えたと薩摩守宛に返す。No.2240は同件の西尾忠直返書。

  67. 追録4-No.2240 三御所の健勝と政務・隠居儀礼への宗信宛忠直返書

    宗信が三御所の健勝、公方の政務、大御所の隠居儀礼を喜び、使者から書状を届けた。西尾隠岐守忠直はその旨を承り、使者の話と紙面の趣旨を上へ伝えたと返す。No.2239と同日・同宛先で差出人が異なる。

  68. 追録4-No.2241 三御所の健勝と政務・隠居儀礼への宗信宛忠良返書

    宗信は三御所の健勝と、公方の政務・大御所の隠居儀礼を喜び、使者を通じてその旨を伝えた。本多忠良は承知し、紙面の趣旨を上へ伝えると答える。No.2239・2240と同じ話題の別書状で、差出人は本多忠良。

  69. 追録4-No.2242 吉貴の将軍宣下祝儀と太刀・馬代献上への返答

    吉貴が将軍宣下を祝し、大御所へ使者を立てて太刀と馬代を献じた。松平乗賢・本多忠良・酒井忠知は、その献上を披露し、吉貴の祝意を承ったと連署で返す。No.2243は同じ吉貴宛の西尾忠直書状。

  70. 追録4-No.2243 吉貴の将軍宣下祝儀と大御所宛太刀・馬代献上

    吉貴が将軍宣下の祝儀として使者を立て、大御所へ太刀一腰と馬代黄金十両を献じた。西尾隠岐守忠直は品を披露し、その趣旨を承ったと返答する。No.2242の連署状と同件で、こちらは西尾忠直からの返書。

  71. 追録4-No.2244 家重の将軍宣下と宗信の太刀・馬代献上

    家重の将軍宣下に際し、宗信は十一月十二日、太刀一腰と馬代黄金十両を献じ、鎌田六郎太夫政方を使者とした。御譜は吉宗および西城への献上にも触れ、宗信の登城、拝謁、将軍からの言葉と進物について記す。

  72. 追録4-No.2245 宗信の将軍宣下祝儀と大御所宛太刀・馬代献上

    宗信は将軍宣下を祝い、使者を通じて大御所へ太刀と馬代を献じた。松平乗賢・本多忠良・酒井忠知は献上を披露したうえで、祝意を承知したと連署で返す。No.2242とほぼ同内容だが、宛先は吉貴でなく宗信。

  73. 追録4-No.2246 宗信の将軍宣下祝儀と太刀一腰・馬代黄金十両献上

    宗信が将軍宣下の祝儀として使者を立て、太刀一腰と馬代黄金十両を献じた。西尾隠岐守忠直は品を披露し、その旨を承ったと返す。No.2245と同じ宗信の祝儀に対する別の返書。

  74. 追録4-No.2247 宗信の翌三月参府を命じる幕府の回答

    継豊御譜は、宗信が同年四月に初めて御暇を許され帰国した経緯を記す。参勤の時期を伺ったところ、幕府は十一月二十一日、来年三月中に参府するよう松平大隅守へ伝えた。No.2248はこの回答本文に当たる。

  75. 追録4-No.2248 宗信の参府を翌年三月中とする指示

    同姓薩摩守宗信の参府時期について照会があり、来年三月中に参府するよう松平大隅守継豊へ指示する。本文の日付は十一月のみで日を欠く。No.2247の御譜に十一月二十一日の回答として記録される。

  76. 追録4-No.2249 継豊の病気による将軍宣下祝儀の名代拝礼

    十一月二日の家重将軍宣下に当たり、継豊は病気で登城できず、宗信を名代として祝儀を述べさせた。四日の在府諸侯の登城と、十一日から十三日にかけた拝礼・献上の手順を記し、家重・吉宗・西城への太刀と馬代、家臣を介した取次を列挙する。

  77. 追録4-No.2250 継豊の将軍宣下祝儀と大御所宛太刀・馬代献上

    継豊が将軍宣下を祝い、使者を通じて大御所へ太刀と馬代を献じた。本多忠良は献上を披露し、祝儀の趣旨を承ったと継豊へ返答する。No.2249には継豊が病気で登城できず、宗信に名代を務めさせた事情が記される。

  78. 追録4-No.2251 継豊の将軍宣下祝儀と太刀・馬代献上への返書

    継豊が将軍宣下の祝儀として使者を立て、太刀一腰と馬代黄金十両を献じた。西尾隠岐守忠直は品を披露し、その趣旨を承ったと返す。No.2250と同じ継豊の祝儀に対する別の返書。

  79. 追録4-No.2252 家重将軍宣下後の賜物と御礼の使者

    家重の将軍宣下後、上使の三浦志摩守忠次が継豊のもとに到来して賜物を伝えた。病中の継豊に代わる受取や、吉貴・宗信にも及ぶ品の授与が記される。継豊は返礼の使者を出し、賜物への謝意を述べさせた。

  80. 追録4-No.2253 献上馬の入厩・調教・道具の取扱いをめぐる相談

    将軍家への献上馬を厩へ移す段取りについて、飼育・調教を担う者との相談、馬の状態、付属する馬具や馬番の配置を詳しく述べる。馬の受渡しを急ぐ一方で、相手方の指示と実際の手順に食い違いがあり、右衛門らを通じて確認を求めた。十一月八日付で、No.2254はこの相談への返答。

  81. 追録4-No.2254 献上馬の相談を受けた返答

    献上馬の件について前便を承知し、馬の取扱いと引渡しをめぐる相談に返答する。相手の意向を聞き取って対応する旨を述べる、No.2253に続く短い返書。本文末に十二月廿一日とあり、差出人の連署は目録の標題に基づく。

  82. 追録4-No.2255 家格不相替のまま献上馬・残馬を扱う伺い

    継豊は、家格が相替わらないまま献上馬を扱う手順を伺う。先規に従って馬を差し出し、残る馬をいったん引き取る扱いにするか、関係する役所への引渡しをどう進めるかを尋ねる。No.2256も同じ献上馬に関する別の伺書。

  83. 追録4-No.2256 献上馬と残馬の引渡し手順に関する再伺い

    継豊は献上馬と残馬をどの役所へ渡すか、御用が済んだ後の扱いを改めて伺う。将軍代替に伴う献上と、在府中の家格・慣例を踏まえた引渡しについて指図を求める。No.2255の伺いを受け、日を改めた問い合わせ。

  84. 追録4-No.2257 継豊の病気と翌年参勤の在府願い

    継豊は私儀病気のため、当年の参勤に際して保養が難しい事情を述べ、来年の参勤年をどのように扱うか、在府することを願い出た。本文は病状と参勤時期を結びつけた届出で、No.2258に回答が続く。

  85. 追録4-No.2258 継豊の病気と翌年参勤に対する回答

    継豊の病気と当年の在府、来年の参勤年に関する伺いに対し、在府してよい旨を知らせる。書面での届出を受け、相達するとの短い回答で、日付は十一月のみ。No.2257と一組の文書。

  86. 追録4-No.2259 将軍代替に伴う献上馬と馬具・厩への引渡し

    継豊御譜は、将軍代替に際する献上馬の準備と江戸での受渡しを詳述する。厩の担当者、馬の呼称・毛色・馬具、屋敷からの出発と城中での引渡し、老中らへの書状・使者の往復、宗信との役割分担を記録する。馬の扱いをめぐる伺いと返答はNo.2253~2256にも見える。

  87. 追録4-No.2260 吉貴の御代替祝儀使者の登城時刻を指示

    吉貴が御代替の祝儀を献上するため差し出す使者について、酒井雅楽頭忠知が翌日四時に登城へ差し出してよいと伝える。宛先の松平上総入道は吉貴であり、No.2259の献上馬記録とは別の祝儀使者の日程連絡。

  88. 追録4-No.2261 宗信の御代替祝儀使者の登城時刻を指示

    宗信が御代替の祝儀を献上する使者を差し出す件について、酒井雅楽頭忠知は翌日四時に登城へ差し出すよう伝える。No.2260は同日付・同内容の吉貴宛書状で、こちらは宗信宛。

  89. 追録4-No.2262 三御所の健勝と九月廿五日の大御所移徙への宗信宛返書

    宗信は三御所の健勝と、九月廿五日に公方・大御所に関する移徙の儀があったことを喜び、使者を通じて書状を送った。本多忠良はその意を承り、紙面の趣旨を上へ伝えたと返す。No.2263・2264は同件の別返書。

  90. 追録4-No.2263 三御所の健勝と大御所移徙への宗信宛忠直返書

    宗信が三御所の健勝と九月廿五日の大御所の移徙を喜び、使者から伝えた。西尾隠岐守忠直はその旨を承知し、紙面と使者の趣旨を伝えたと返答する。No.2262・2264と同じ祝意に対し、差出人が異なる。

  91. 追録4-No.2264 三御所の健勝と大御所移徙への宗信宛忠良返書

    宗信の使者は、三御所の健勝と九月廿五日の大御所の移徙について祝意を伝えた。本多忠良は祝意を承り、その内容を披露したと宗信へ返す。No.2262と近い文面だが、原本では別番号の書状として収める。

  92. 追録4-No.2265 宗信側からの祝儀申上げと返答の記録

    宗信御譜は、十一月の祝儀に関する文面と、家中を通じた返答を収める。使者・書状を介して御礼と近況を伝え、先方からの返事や取次の手順を記す。本文に十一月と十二月の記載があり、単一日の書状ではなく一連の応答を記録した記事である。

  93. 追録4-No.2266 老中松平乗賢が留守居野村盛完へ召状を伝達

    十一月廿九日、執政松平能登守乗賢が島津家留守居の野村盛完を招き、継豊に関わる令書を伝えた。続くNo.2267が領知の御判物・朱印をめぐる令書本文に当たる。

  94. 追録4-No.2267 一万石以上の領知判物・朱印交付と朱印改めの指示

    幕府は一万石以上の大名に領知の御判物・朱印を下すに当たり、朱印を持参し、所領の内訳や差異を申告するよう命じる。国郡村と高の帳面を整え、加増・寄進など変動のある領知を区別して届ける手続きも示す。No.2268は島津家側の具体的な相談記録。

  95. 追録4-No.2268 領知朱印改めに際する金山・山林の権利照会

    領知の御判物・朱印改めを受け、島津家は金山と山林の扱いを照会する。過去の金山開発・採掘、御用金と御用木、林野の利用や境界を挙げ、従来の許可と新しい朱印との関係を検討する。留守居を通じて幕府へ口上を伝えた経過を記す長文で、No.2267の令書に対応する。

  96. 追録4-No.2269 三御所の健勝と右衛門督家の安産への宗信宛返書

    宗信は三御所の健勝を喜び、右衛門督家の御簾中が無事に出産したことにも祝意を述べ、使者を立てた。本多忠良はその意を承り、書状と使者の趣旨を上へ伝えたと返す。No.2270は同じ宗信宛の西尾忠直返書。

  97. 追録4-No.2270 三御所の健勝と右衛門督家の安産への忠直返書

    宗信の使者は三御所の健勝を祝い、右衛門督家の御簾中の安産を喜ぶ意を伝えた。西尾隠岐守忠直は祝意を承り、紙面の趣旨を上へ伝えたと返答する。No.2269と同じ話題だが差出人が異なる。

  98. 追録4-No.2271 三御所の健勝と右衛門督家の安産への宗信宛忠良返書

    宗信は三御所の健勝を喜び、右衛門督家の御簾中が無事に出産したことにも祝意を述べた。本多忠良は、宗信の書状と使者が伝えた趣旨を承り、大御所へ伝えたと返す。No.2269・2270と同じ祝意に対する別書状。

  99. 追録4-No.2272 豊岡から宗信への三御所・安産に関する消息

    豊岡は宗信側からの書状を受け、三御所の健勝と九月廿五日の出来事を喜ぶ意を伝える。右衛門督家の御簾中の安産にも触れ、祝意が上へ届いたことを述べる。十月廿七日付の先便への応答を含む、女房奉書風の消息。

  100. 追録4-No.2273 十月三日の御曲輪内出火と三御所健勝への宗信宛返書

    宗信は三御所の健勝を喜び、十月三日に御曲輪内で出火した際に早速使者を差し出した。酒井雅楽頭忠知はその配慮を承り、紙面と使者の趣旨を上へ伝えたと返す。出火の日付は本文の「十月三日」に従う。