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追録4の目録

暫定版です。原文との照合により、概要や文書の区切り等を修正する場合があります。

全2,674件中 1401~1500件・15 / 27ページ

  1. 追録4-No.1377 松平乗賢書状

    松平乗賢は松平上総入道島津吉貴に、妻の死去に際して将軍・大納言からの弔意を奉書で伝えたことに対する吉貴の謝意を承知したと返答する。書状の趣を将軍へ伝える。

  2. 追録4-No.1378 浦尾外二名連署消息

    豊岡・八嶋・浦尾の連署消息。吉貴の八月二十六日付書状に応じ、妻の死去が将軍・大納言へ伝わり、双方から届いた弔意の奉書への吉貴の謝礼を披露したと報告する。大納言への謝意も伝えたという。

  3. 追録4-No.1379 うら尾外二名連署消息

    豊岡・八嶋・浦尾は吉貴の八月二十六日付書状に応じ、妻の死去に際し将軍・大納言が増山河内守を使者として継豊へ弔意を伝えたことへの吉貴の謝礼を承知し、その趣を伝えたと報告する。

  4. 追録4-No.1380 うへ松外二名連署消息

    秀小路・櫻井・うへ松は松平上総入道島津吉貴に、妻の死去に際し将軍・大納言から弔意の奉書を受けて吉貴が謝した書状を披露し、一位がそれを喜び、吉貴へ伝えるよう命じたと返答する。

  5. 追録4-No.1381 うへ松外二名連署消息

    秀小路・櫻井・うへ松は松平上総入道島津吉貴に、一位が妻の死去を悼み、吉貴の悲しみを気遣っていることを伝える。吉貴からの書状を披露し、一位の言葉を伝える。

  6. 追録4-No.1382 植松外二名連署消息

    秀小路・櫻井・植松は松平上総入道島津吉貴へ、八月二十六日付の書状を披露したと伝える。妻の死去に際し、将軍・大納言が増山河内守を使者として継豊へ弔意を伝えたことへの吉貴の謝意を、一位が丁重なことと受け止めた。

  7. 追録4-No.1383 植松外二名連署消息

    秀小路・櫻井・植松は松平上総入道島津吉貴へ、八月二十六日付書状で知らせた妻の八月五日の死去と、継豊への見舞いに対する吉貴の謝意を披露したと返答する。一位が吉貴の悲しみを案じ、言葉を伝える。

  8. 追録4-No.1384 うえ松外二名連署消息

    秀小路・櫻井・うえ松は松平上総入道島津吉貴に、一位が健やかであることを伝える。一位が目録の品を吉貴へ贈ったところ、吉貴が礼を述べたので、その謝意を一位に披露したと返答する。

  9. 追録4-No.1385 植松外二名連署消息

    秀小路・櫻井・植松は吉貴の九月二十五日付書状を一位に披露したと伝える。一位が亡妻霊龍院殿へ香奠を贈り、吉貴が国元でその丁重な弔意に礼を述べたことを一位が喜んでいる。

  10. 追録4-No.1386 松平信祝書状

    松平信祝は島津継豊に、重陽の御内書を渡すため、翌日の五つ半時に家来を江戸城へ差し出すよう知らせる。

  11. 追録4-No.1387 竹千代髪置祝儀の記事

    元文四年十一月朔日に竹千代の髪置の儀があり、翌二日に継豊は竹千代、将軍吉宗、大納言家重へ祝儀の品を使者で献じ、御部屋へは二種五百匹を進めた。竹千代からも永井伊賀守を通じて継豊へ品を賜り、島津但馬守が継豊に代わって受けた。

  12. 追録4-No.1388 松平乗賢書状

    松平乗賢は島津継豊に、竹千代の髪置の祝儀として継豊が使者を通じ、大納言と竹千代へ目録どおりの品を献じ、披露されたことを知らせる。

  13. 追録4-No.1389 本多忠良書状

    本多忠良は松平上総入道島津吉貴に、竹千代の髪置の祝儀として吉貴が使者を通じ目録どおりの品を献じ、披露されたと知らせる。

  14. 追録4-No.1390 松平乗賢書状

    松平乗賢は松平上総入道島津吉貴に、竹千代の髪置の祝儀として吉貴が使者を通じ、大納言と竹千代へ目録どおりの品を献じ、披露されたと知らせる。

  15. 追録4-No.1391 本多忠良書状

    本多忠良は松平又三郎島津宗信に、竹千代の髪置の祝儀として宗信が使者を通じ目録どおりの品を進上し、披露されたことを知らせる。

  16. 追録4-No.1392 松平乗賢書状

    松平乗賢は松平又三郎島津宗信に、竹千代の髪置の祝儀として宗信が使者を通じ大納言と竹千代へ目録どおりの品を進上し、披露されたことを知らせる。

  17. 追録4-No.1393 本多忠良書状

    本多忠良は島津吉貴の書状を披見し、将軍吉宗・大納言家重・竹千代の健勝を喜ぶ吉貴の言葉に応じる。利根姫の安産を祝うため吉貴が使者を差し越したことを受け、書状の趣旨を申し合わせて上聞に達すると伝える。

  18. 追録4-No.1394 松平乗賢書状

    松平乗賢は島津吉貴の書状を披見し、将軍吉宗・大納言家重・竹千代の健勝を喜ぶ吉貴の言葉に応じる。利根姫の安産を祝うため吉貴が使者を差し越したことを受け、書状の趣旨を上聞に達したと伝える。

  19. 追録4-No.1395 菊姫紐解礼の記事

    元文四年十一月十八日、芝の守殿で菊姫の紐解の礼が行われた。これを祝って継豊は女使を通じ、将軍吉宗へ一種一荷、右大将家重へ肴一折を献じた。

  20. 追録4-No.1396 「全上」のみの記載

    原本の冊子556頁でNo.1396の欄は「全上」のみで、独立した本文・差出人・宛先は記されていない。前条No.1395に続く省略表示とみられるが、No.1396固有の用件は原本から確定できない。

  21. 追録4-No.1397 又三郎元服準備に関する連署書状

    島津家の江戸留守居は、又三郎の元服に向けた幕府側との折衝を国元へ報告する。本多忠良から、改名後の名乗り・字と献上物を伺うよう求められ、先例を調べて伺書を提出した。元服儀礼の稽古役や殿中での席次・参列者についても相談し、近く元服の日限が示される見込みを急飛脚で伝える。

  22. 追録4-No.1398 藤え外二名連署消息

    藤え・岡田・とみの連署消息。重陽の祝儀として目録どおりの品を届けたことへの謝意を伝え、又三郎が松平の名字を賜ったことを祝う。継豊・菊姫らの近況を気遣い、年末の安泰と繁栄を祈る。

  23. 追録4-No.1399 藤ゑ外二名連署消息

    藤ゑ・岡田・とみの連署消息。寒中の継豊・菊姫らの健康を問い、十一月十八日に菊姫の紐解の礼が盛大に行われ、将軍・大納言からも使者があったと伝える。目録どおりの祝儀を贈ったことに謝意を述べ、又三郎と菊姫の対面を望む。

  24. 追録4-No.1400 島津吉貴礼状控

    島津吉貴は幕府の諸役人に宛てた礼状の控えで、竹千代の髪置の祝儀に伴い、永井伊賀守を上使として継豊と吉貴がそれぞれ一種一荷を拝領したことに礼を述べる。将軍の御前で謝意を取り次ぐよう依頼し、複数の宛先を列記する。

  25. 追録4-No.1401 又三郎元服後の参詣に関する書状

    又三郎の元服後、五節句と月次の登城が認められた場合の御宮・御仏殿参詣について、島津家内で方針を問い合わせる。先例だけでは決められないとして、忌日や正月・五月・九月などの参詣候補日を挙げ、又三郎の意向と水野壱岐守への相談を求める。

  26. 追録4-No.1402 元服後の参詣に関する返書

    No.1401の参詣相談に対する返書。元服後の又三郎の御宮・御仏殿参詣について、将軍家の先例や東叡山・増上寺への参詣日を調べ、継豊・宗信に適用する日数と日付を検討する。水野壱岐守らへの内談と、どの日に参詣するかの意向を再度問う。

  27. 追録4-No.1403 又三郎元服登城通知

    本多忠良・松平信祝・松平乗邑は継豊へ、又三郎の元服が命じられたので、翌十一日五つ半時に江戸城へ出向くよう通知する。継豊は島津但馬守を名代として礼を申し上げるよう伝える。

  28. 追録4-No.1404 宗信元服・叙任の記事

    元文四年十二月十一日、継豊の名代島津但馬守忠就が又三郎忠顕を伴って登城し、黒書院で将軍吉宗が加冠して「宗」の字を与えた。又三郎は松平薩摩守宗信と改名し、従五位下から従四位下へ進んで侍従に任じられた。同日、忠就は継豊に代わり吉宗・家重へ太刀や馬代などを献じて謝礼した。

  29. 追録4-No.1405 町田俊雄の宗信名字考

    町田俊雄が、元文四年十二月十一日に与えられた宗信の名について考証する。「宗」を金、「信」を土に配し、土が金を生む五行の相生関係に当たるため吉祥の組合せと説明する。

  30. 追録4-No.1406 宗信元服・叙任の詳記

    元文四年十二月十一日の宗信元服を詳記する。黒書院で吉宗が又三郎に加冠し「宗」の字の折紙、盃・肴・宝刀を授け、松平薩摩守宗信と称した。同日、従五位下を経て従四位下・侍従に任じられ、宗信と継豊の名代忠就が吉宗・家重へ献上物を進めて謝礼した。

  31. 追録4-No.1407 徳川吉宗一字状

    元文四年十二月十一日付、吉宗の花押を付した一字状。「宗」の字を授かった宗信に宛てた文書で、本文は日付・署名・宛所を中心とする短い形式である。

  32. 追録4-No.1408 宗信元服・御目見次第書

    又三郎宗信の黒書院での元服・御目見の次第書。着座、老中からの字の折紙拝受、献上物の進呈、将軍の盃・肴・小刀などの拝領と退席までの所作を順に記し、継豊の名代島津但馬守の進物・礼の手順も付す。

  33. 追録4-No.1409 宗信叙従五位下口宣案

    元文四年十二月十一日、源朝臣宗信を従五位下に叙すべきことを宣する口宣案。伝達に関わる官人の官職・署名を記す。同日付の後続文書No.1413・1414では、宗信を従四位下に進めている。

  34. 追録4-No.1410 宗信叙従五位下位記

    元文四年十二月十一日付、源朝臣宗信を従五位下に叙する位記。宣命形式の本文に関係する公卿・官人の官職と署名、制書の取扱いを記す。後続のNo.1413・1414には、同日の従四位下への叙位が記される。

  35. 追録4-No.1411 宗信任薩摩守口宣案

    元文四年十二月十一日、従五位下源宗信を薩摩守に任じることを宣する口宣案。上卿を中山中納言、口宣を奉じた蔵人を左少弁藤原清胤と記す。

  36. 追録4-No.1412 宗信任薩摩守宣旨

    元文四年十二月十一日付、従五位下源朝臣宗信を薩摩守に任じる宣旨。権中納言兼左衛門督藤原栄親が宣し、大外記中原師守が奉じたと記す。

  37. 追録4-No.1413 宗信叙従四位下口宣案

    元文四年十二月十一日、従五位下源宗信を従四位下に進めることを宣する口宣案。上卿は久我大納言、蔵人頭右大弁藤原規長が奉じた。

  38. 追録4-No.1414 宗信叙従四位下位記

    元文四年十二月十一日付、従五位下源朝臣宗信を従四位下に叙する位記。宣命形式の本文に、官人・公卿の官職と署名、制書の伝達・施行を記す。No.1409・1410の従五位下叙位に続く同日の進位である。

  39. 追録4-No.1415 宗信任侍従口宣案

    元文四年十二月十一日、従四位下源宗信朝臣を侍従に任じることを宣する口宣案。上卿は大炊御門大納言、蔵人頭右近衛権中将兼美作権守源重照が奉じた。

  40. 追録4-No.1416 宗信任侍従宣旨

    元文四年十二月十一日付、従四位下源朝臣宗信を侍従に任じる宣旨。権大納言藤原経秀が宣し、大外記中原師守が奉じたと記す。

  41. 追録4-No.1417 従五位下・薩摩守の上卿職事書立

    宗信の従五位下叙位と薩摩守任官に関わる上卿・職事の書立。従五位下では今城中納言と葉室権右中弁、薩摩守では中山中納言と烏丸左少弁をそれぞれ挙げる。

  42. 追録4-No.1418 従四位下・侍従の上卿職事書立

    宗信の従四位下叙位と侍従任官に関わる上卿・職事の書立。従四位下では久我大納言と甘露寺頭右大弁、侍従では大炊御門大納言と庭田頭中将をそれぞれ挙げる。

  43. 追録4-No.1419 宗信元服叙任時の献上物・贈物目録

    宗信の元服・任官に伴い、宗信と継豊から将軍吉宗・大納言家重へ献じた太刀、白銀、馬、馬代金などと、江戸城内の女中衆への贈物を列挙する。御坊主組頭、御納戸組頭、御馬方などへの引渡し先、受取役、進物を届ける手順も記した目録。

  44. 追録4-No.1420 松平乗邑書状

    松平乗邑は松平上総入道島津吉貴の書状を披見し、将軍吉宗・大納言家重・竹千代の健勝を喜ぶ言葉に応じる。吉貴が将軍の十月十四日の増上寺御霊屋参詣を承知したことを受け、書状の趣旨を上聞に達したと返答する。

  45. 追録4-No.1421 島津吉貴書状

    島津吉貴は秀小路・櫻井・うへ松らに、十一月十八日の菊姫の紐解の祝儀として将軍と大納言から使者を通じ、継豊と菊姫へ拝領物があったことに礼を述べる。一位の御前で謝意を取り次ぐよう頼み、大納言方への取次ぎも依頼する。

  46. 追録4-No.1422 松平乗邑書状

    松平乗邑は島津継豊に、継豊が今朝献上した蜜柑二箱と炙鮎一箱を披露したところ、丁重な進物として受け止められたと返答する。

  47. 追録4-No.1423 松平乗賢書状

    松平乗賢は島津継豊に、継豊が今朝献上した蜜柑二箱と炙鮎一箱を披露したところ、丁重な進物として受け止められたと返答する。

  48. 追録4-No.1424 宗信の五節句・月次登城に関する請書

    島津継豊は、嫡子宗信の五節句の登城が願いどおり許され、礼のための御目見後に実施すること、月次の登城は十五歳からと命じられたことを承知し、謝意を申し上げる。十二月二十四日は夜に及んだため、翌朝に留守居西八太郎を使者として返答する旨を付記する。

  49. 追録4-No.1425 松平乗邑書状

    松平乗邑は松平上総入道島津吉貴の書状を披見し、竹千代の髪置の祝儀に際し、十一月二日に上使を通じて継豊と吉貴が樽・肴を拝領したことへの謝意を受け取る。書状の趣旨を申し合わせて上聞に達すると返答する。

  50. 追録4-No.1426 松平乗賢書状

    松平乗賢は松平上総入道島津吉貴の書状を披見し、竹千代の髪置の祝儀に際して上使から継豊と吉貴が樽・肴を拝領したことへの謝意を受け取る。書状の趣旨を上聞に達したと返答する。

  51. 追録4-No.1427 豊岡外二名連署消息

    豊岡・やしま・うらをは島津吉貴の十一月二十五日付書状に返答する。十一月二日に竹千代から上使永井伊賀守を通じて継豊と吉貴へ髪置祝いの拝領物があったことへの吉貴の謝意を披露し、丁重な礼を伝える。

  52. 追録4-No.1428 秀小路外二名連署消息

    秀小路・櫻井・うゑ松は島津吉貴の十一月二十五日付書状を一位に披露したと返答する。竹千代の髪置の祝儀として、上使永井伊賀守から継豊と吉貴へ目録どおりの品が贈られたことへの吉貴の礼を伝え、一位も喜んでいる。

  53. 追録4-No.1429 松平乗邑書状

    松平乗邑は島津吉貴からの寒中見舞いの書状を披見し、将軍・大納言・竹千代はいずれも健勝であると答える。吉貴が鯛一箱を献じたことを披露し、丁重な進物として受け止められたと伝える。

  54. 追録4-No.1430 松平乗賢書状

    松平乗賢は島津吉貴からの寒中見舞いの書状を披見し、将軍・大納言・竹千代はいずれも健勝であると答える。吉貴が鯛一箱を献じたことを披露し、丁重な進物として受け止められたと伝える。

  55. 追録4-No.1431 秀小路外二名連署消息

    秀小路・櫻井・うゑ松は島津吉貴の十一月二十五日付書状を一位に披露したと返答する。竹千代の髪置の儀が無事に済んだことへの吉貴の祝意を伝え、一位も喜んでいる。

  56. 追録4-No.1432 「去ル十八日、御守殿に従…」の断片

    原本の冊子573頁でNo.1432の欄は「去ル十八日、御守殿に従…」という冒頭断片だけで終わる。独立した連署書状の本文・差出人・宛先は確認できず、後続No.1433との境界も要確認である。

  57. 追録4-No.1433 宗信元服時の振舞いを伝える連署書状

    島津家の江戸役人は国元へ、宗信の元服に際して将軍から仕舞いや礼儀を繰り返し褒められたことを報告する。大奥の女中を通じ姫君と継豊にもこの言葉が伝えられ、宗信の落ち着いた振舞いに一同が安堵した。十二月二十一日の大奥でのやり取りや報告の経路も詳述する。

  58. 追録4-No.1434 継豊、鷹の捕らえた鶴を拝領

    元文四年十二月二十七日、上使松平新八郎を通じ、将軍の鷹が捕らえた鶴一羽が芝邸の継豊へ下賜された。島津但馬守忠就が継豊に代わって拝領の役を務めた。

  59. 追録4-No.1435 徳川吉宗御内書

    将軍吉宗は松平薩摩中将島津宗信へ、歳暮の祝儀として小袖一重を献じたことを受け取ったと伝え、詳しい返答は本多中務大輔から申し述べるとする御内書。

  60. 追録4-No.1436 松平乗邑書状

    松平乗邑は松平上総入道島津吉貴の書状を披見し、十一月朔日に竹千代の髪置の儀が無事に済んだことを祝う吉貴の意向を受ける。吉貴が差し越した使者の口上と書状の趣旨を上聞に達すると返答する。

  61. 追録4-No.1437 松平乗賢書状

    松平乗賢は松平上総入道島津吉貴の書状を披見し、十一月朔日の竹千代の髪置の儀を祝う吉貴の意向を受ける。使者の口上と書状の趣旨を上聞に達したと返答する。

  62. 追録4-No.1438 松平乗賢書状

    松平乗賢は島津継豊に、継豊が歳暮の祝儀として使者を通じて小袖一重を献じ、披露されたことを知らせる。

  63. 追録4-No.1439 松平乗賢書状

    松平乗賢は島津継豊に、継豊が竹千代へ破魔弓一飾を使者を通じて献じ、滞りなく披露されたことを知らせる。

  64. 追録4-No.1440 ふちえ外二名連署消息

    ふちえ・岡田・とみの連署消息。寒中の薩州様や継豊・菊姫らの健康を問い、宗信の元服と薩摩守への改名・官位拝受が無事に済んだことを喜ぶ。宗信の落ち着いた振舞いを祝い、年末の祝儀と家中の安泰を祈る。

  65. 追録4-No.1441 藤え外二名連署消息

    とみ・岡田・藤えは、寒気の中で薩州様や継豊らが無事であることを喜び、宗信の元服と薩摩守への改名が済んだとの知らせを祝う。宗信の心強い振舞いを聞いて安心し、歳暮の祝儀を述べ、上様へも祝意を伝えてほしいと頼む。

  66. 追録4-No.1442 島津宗信吉書

    島津宗信が元文五年正月元日に記した吉書。嘉辰令月や千秋の喜びを述べる漢詩句に続き、「君が代は」と始まる和歌で長久を寿ぐ。

  67. 追録4-No.1443 島津継豊届書

    島津継豊は松平伊豆守信祝へ、嫡子宗信の五節句出仕が許され、御目見以後に出仕するよう命じられた旨を届ける。上巳の出仕・御目見時に礼を述べること、年頭の祝儀にも参上したいが礼の手順に差し支えがあることを申し達する。

  68. 追録4-No.1444 「全上」「口上…」の断片

    冊子577頁のNo.1444欄は「全上」と「口上…」の短い断片のみで、連署書状としての独立した本文や差出人・宛先を確認できない。隣接するNo.1445の長文返書との境界に注意を要する。

  69. 追録4-No.1445 嶋津大蔵・樺山主計連署返書

    嶋津大蔵・樺山主計は、宗信が元服後初めて年頭登城し、持参太刀を献じて礼を述べ、白書院で着座を命じられた経過を報告する。将軍・大納言・一位や老中らへの礼、御盃・時服の拝領、西の丸への出仕までを記す。先例照会と儀式の稽古、諸大名による取次ぎ・助言、姫君や継豊への報告も詳述し、宗信の振舞いが滞りなく済んだ…

  70. 追録4-No.1446 宗信年頭祝儀の詰役人書立

    宗信の年頭祝儀に関する詰役人の書立。「御着座之御仰渡」の項に、松平伊豆守・稲生下野守・松波筑後守ら御用番・目付の名を列記する。

  71. 追録4-No.1447 松平信祝書状

    松平信祝は島津継豊から若菜の祝儀に鯛一折を献上した件について、滞りなく披露され、格別の仕合せであると返答する。一月七日付。

  72. 追録4-No.1448 松平乗賢書状

    松平乗賢は島津継豊から若菜の祝儀に鯛一折を献上した件について、滞りなく披露され、格別の仕合せであると返答する。一月七日付。

  73. 追録4-No.1449 島津継豊吉書

    島津継豊の吉書。正月十一日、神社仏閣の修造・興行、領内の勧農、諸役の年貢納入をそれぞれ滞りなく行うよう、右の三箇条を申し渡す。

  74. 追録4-No.1450 松平信祝書状

    松平信祝は島津継豊から年頭の祝儀に使者を通じて太刀一腰と馬代黄金十両を献じた件について、滞りなく披露されたと返答する。正月十一日付。

  75. 追録4-No.1451 松平乗賢書状

    松平乗賢は島津継豊に、継豊が大納言と竹千代への年頭祝儀として使者を通じて太刀と馬代黄金を献じ、滞りなく披露されたと知らせる。No.1450の将軍宛献上に続く返書。

  76. 追録4-No.1452 本多忠良・松平信祝・松平乗邑連署書状

    本多中務大輔忠良・松平伊豆守信祝・松平左近将監乗邑は吉貴に、年頭祝儀として使者が太刀一腰と馬代黄金十両を献じた件を披露し、格別の仕合せであると返答する。

  77. 追録4-No.1453 松平乗賢書状

    松平乗賢は吉貴に、吉貴が大納言と竹千代への年頭祝儀として使者を通じて太刀と馬代黄金を献じ、滞りなく披露されたと知らせる。

  78. 追録4-No.1454 宗信元服時の折紙の書判・黒印に関する照会

    宗信の元服に際して拝領した折紙が書判付きであったことから、以前の元服・一字拝領の折紙が書判か黒印かを記録奉行に調べさせた。大玄院の事例、吉貴・継豊への折紙、当代の取扱いに違いがある理由を問い、他家の元服例も聞き合わせて報告するよう求める。

  79. 追録4-No.1455 No.1454折紙照会への行間朱書返答

    No.1454の行間に朱書された返答。元服時の一字拝領折紙は本来将軍の書判で渡すが、常憲院が高齢で書判を記し難かった時期と、有章院が幼少だった時期には黒印を用いたという先例を述べる。吉貴・継豊の黒印もその時期によるもので、宗信への書判を異例とはみなさないと説明する。

  80. 追録4-No.1456 宗信元服を賀する寺社への白銀献納記事

    宗信の元服を賀して、江戸での元服後に南泉院など複数の寺社へ白銀を献納した記録。十二月二十一日と翌正月十三日などに分けて献納先と白銀の枚数を列挙する。

  81. 追録4-No.1457 豊岡・八嶋・浦尾連署返書

    豊岡・八嶋・浦尾は吉貴の十二月十八日付の文を披露し、将軍・大納言・竹千代の無事を伝える。十一月十八日の菊姫の紐直しに際し、将軍と大納言からの上使を通じて継豊・菊姫へ拝領物があったこと、吉貴の祝意を大納言へ伝えることを返答する。

  82. 追録4-No.1458 秀小路・櫻井・植松連署返書

    秀小路・櫻井・植松は吉貴の十二月十八日付の文を披露し、将軍・大納言・竹千代・一位の無事と祝意を伝える。菊姫の紐直しの祝儀に将軍と大納言から上使を介して継豊・菊姫へ拝領物があったことを述べ、吉貴の丁重な祝意を喜ぶ。

  83. 追録4-No.1459 継豊が与えた印章の時期に関する注記

    越前島津氏忠紀の譜に、継豊が東武で授けた印章について、その授与と元服当日の関係を説明する注記。印章が元服の日付と符合しないように見える理由を述べ、後世の疑いを避けるよう記す。

  84. 追録4-No.1460 島津継豊の「忠」字授与状

    継豊が島津周防に「忠」の一字を与えた一字状。元文五年二月六日付で、継豊の花押を据える。前のNo.1459はこの授与の時期を説明する注記である。

  85. 追録4-No.1461 島津継豊の「忠」字授与状(別伝本)

    継豊が島津周防に「忠」の一字を与えた一字状。元文五年二月六日付で継豊の花押を据える。No.1460と同文の別伝本で、こちらは「正文在嶋津周防家記」と伝来先を記す。

  86. 追録4-No.1462 吉貴、宗信の元服・叙任を祝し献上

    宗信が元文四年十二月十一日に将軍吉宗から一字を与えられて宗信と改名し、従四位下侍従に叙任された報に、国元の吉貴が祝意と謝意を表す。吉貴は使者を通じて将軍に縮緬十巻と樽肴、世子家重にも樽肴を献じ、幕府老中から返書を受ける。

  87. 追録4-No.1463 本多忠良書状

    本多忠良は吉貴の書状を受け、宗信が元服に際して将軍の一字を与えられ、従四位下侍従に叙任され、御盃・肴・腰物を拝領したことへの謝意を承知する。継豊の名代島津但馬守による礼も受け、吉貴が使者を通じて献じた縮緬十巻と樽肴を披露したと返答する。

  88. 追録4-No.1464 松平乗賢書状

    松平乗賢は吉貴の書状を受け、宗信の元服・一字拝領・従四位下侍従叙任と、御盃・肴・腰物の拝領への謝意を承知する。継豊の名代島津但馬守による礼も受け、吉貴が使者を通じて献じた樽肴を披露したと返答する。

  89. 追録4-No.1465 秀小路・櫻井・植松連署返書

    秀小路・櫻井・植松は吉貴の正月十一日付の文を披露したと返し、年始の安否を伝える。宗信の元服と改名を吉貴が喜んでいること、大納言と竹千代が無事であることを受け、吉貴の祝意を一位へ伝えたと述べる。

  90. 追録4-No.1466 秀小路・櫻井・うゑ松連署返書

    秀小路・櫻井・うゑ松は吉貴の文を披露し、宗信の元服・着座が済んだことを祝う。将軍・大納言・竹千代の無事と、宗信が年始の御目見を果たした喜びを述べ、吉貴の祝意を一位に伝える。

  91. 追録4-No.1467 松平乗邑書状

    松平乗邑は島津継豊に、歳暮に関する御内書を渡すので、翌日の五つ半時に家来を登城させて受け取るよう通知する。

  92. 追録4-No.1468 近衛家久書状

    近衛家久は吉貴から寄せられた文を受け取り、青陽の賀儀に添えた贈答を謝す。宮中が平安であることを伝え、以後も変わりなく交流するよう述べる。

  93. 追録4-No.1469 秀小路・櫻井・うゑ松連署返書

    秀小路・櫻井・うゑ松は吉貴の正月十五日付の文を披露し、宗信の御目見と着座が滞りなく済んだことへの吉貴の祝意を一位へ伝えたと返す。一位も喜び、宗信と大納言の無事を重ねて祝う。

  94. 追録4-No.1470 とみ・岡田・藤え連署返書

    とみ・岡田・藤えは吉貴からの文と年始の知らせを受け、一同の安否を喜ぶ。宗信が登城して将軍へ礼を述べ、着座と拝領を滞りなく終えたことを祝う。大納言・竹千代らの無事、年頭の贈答と吉貴の祝意についても伝える。

  95. 追録4-No.1471 宗信の叙位任官礼に対する女房奉書

    女房は御いまの御局へ、宗信が叙位・任官の礼として黄金百両と絹二十疋を進上し、披露したところ喜ばれたと知らせる。その返答を宗信へ伝えるよう求める。朱書の日付は元文五年二月二十九日。

  96. 追録4-No.1472 鹿児島浄光明寺新鋳鐘銘

    鹿児島松峯山浄光明寺の古鐘を新鋳した際の鐘銘。島津氏の薩隅日三州領有以来の寺の由緒、弘安七年に三代当主が先代の回忌供養で鐘を懸けたこと、旧鐘が損じて住持が勧進し鋳直した経緯を記す。鐘の音が遠近に響き、祖先の追善と国の安泰に資することを願う銘を掲げ、鋳工黒木安左衛門と撰者町田俊雄を記す。

  97. 追録4-No.1473 宗信の痘疹罹患と快復の記事

    宗信は三月二日に痘疹を患った。四日には将軍吉宗が上使松平右近将監武元を通じて干鯛一箱を下賜し、島津但馬守忠就が宗信に代わって拝領した。六月十二日に全快すると、宗信は老中らの邸を訪れて見舞いへの礼を述べた。

  98. 追録4-No.1474 島津忠紀の元服儀礼と進物・拝領

    島津壮之助は三月二日、大隅館で元服し、病により江戸に滞在する継豊に代わって島津貴儔が加冠し、比志島範房が理髪を務めた。継豊から「忠」の一字を賜って島津周防忠紀と名乗り、太刀・弓矢・馬などを進上し、盃と短刀を拝領した。次いで吉貴にも礼を述べ、太刀・縮緬・白銀・樽肴を進上し、短刀・旗・鎧などを受ける。竹…

  99. 追録4-No.1475 忠紀に賜った旗と家紋に関する達書

    島津久道は忠紀に、元服に際して継豊から拝領した旗には十文字紋と桐の丸紋があるが、桐の丸は継豊が使用するため、忠紀の家紋は十文字紋とするよう命じる。二男用の替紋を独自に定めないようにも伝える。

  100. 追録4-No.1476 「紀」「久」の通字使用に関する達書

    島津久道は忠紀に、以後の二男以下について、人物に応じて「紀」「久」の二字を実名に用いるよう命じる。No.1475の家紋に関する達書と同日付。