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追録4の目録
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追録4-No.1277 うへ松外二名連署消息
秀小路・さくら・うへ松の連署消息。吉貴の十一月十一日付の手紙を披露し、将軍・大納言・竹千代と一位の機嫌を伝える。厳しい寒さの中でも一位は健やかであるとして、目録どおりの進上品を受けたことにも触れ、吉貴へ返事を送る。
追録4-No.1278 松平乗邑書状
松平乗邑は松平上総入道島津吉貴に、将軍・大納言・竹千代の機嫌を伝えた。文昭院二十七回忌の法事が増上寺で執行され、将軍が十月十四日に御霊屋を参詣した件につき、吉貴の書状を承知し上聞に達すると返答した。
追録4-No.1279 吉貴、一門家への触流の法式を定む
吉貴は十二月十九日、一門となった玄蕃・壮之助・兵庫の三家への触流の書付を、一所持と混同せず家老から別に伝えるよう命じた。壮之助は幼少で城中に住み、まだ公事を勤めないため、成長後にこの方式に従わせるとし、頴娃久周が山澤盛香に伝えた経緯を記す。
追録4-No.1280 頴娃久周申渡書
頴娃久周は玄蕃・壮之助・兵庫の三家に、一所持から離れ別格となったため、今後の触流は一所持と別立てにして家老から伝えるよう申し渡した。壮之助には将来触流を行うときから適用し、家老と関係者にも伝えるよう指示した。
追録4-No.1281 吉貴、一門家の敬称・格式を定む
吉貴は十二月二十二日、親族である玄蕃・壮之助・兵庫の三家への書付の敬称を定めた。大身分・家老らは「様」、若年寄以下は「殿」の字を用い、この区別を家格として維持するよう頴娃久周から山澤盛香へ伝えた。
追録4-No.1282 頴娃久周申渡書
頴娃久周は壮之助に、親族関係により大身分・家老などからの書付には「様」、若年寄以下の書付には「殿」の字を用いるよう申し渡した。以後もその敬称を家格として維持する。
追録4-No.1283 一門家の乗輿の格式を定む
吉貴は十二月二十五日、玄蕃・壮之助・兵庫の三家を親族として国元での乗物使用を許し、その嫡子にも同じ扱いを認めた。島津久春が戸田成紹を通じて山澤盛香に伝えた経緯を記す。
追録4-No.1284 島津久春申渡書
島津久春は国元での乗物使用を許す条件を山澤盛香に申し渡した。玄蕃・壮之助・兵庫の三家は部屋住まで年齢を問わず許し、他家の家督や万石未満の大身分・大目付以上には石高・年齢・役職による条件を設ける。江戸で既に許可された者の国元での扱いも定める。
追録4-No.1285 島津忠紀の年賀太刀献上を定む
吉貴は十二月二十八日、幼少の壮之助(忠紀)が年頭の太刀一腰・馬一匹を正月元日に継豊・吉貴・忠顕へ進上するよう命じた。山澤盛香が代理し、頴娃久周から戸田成紹を通じて伝達された。
追録4-No.1286 頴娃久周申渡書
頴娃久周は壮之助と山澤十太夫に、年頭の太刀を正月元日に太守・又三郎へ進上し、継州側への進上品も同日に届けるよう申し渡した。既に伝達済みの件を改めて確認し、今後も同様に行うよう命じる。
追録4-No.1287 徳川吉宗御内書
徳川吉宗は島津継豊に、歳暮の祝儀として小袖一重が届いたことを喜び、詳しい返事は松平左近将監を通じて伝えると記した御内書。元文三年十二月二十七日付。
追録4-No.1288 松平乗賢書状
松平乗賢は松平大隅守島津継豊に、歳暮の祝儀として使者が小袖一重を献上した件を披露し、喜ばれたと返答した。元文三年十二月二十七日付。
追録4-No.1289 松平乗賢書状
松平乗賢は松平大隅守島津継豊に、竹千代への破魔弓一飾を使者が献上した件を披露し、滞りなく受け入れられたと返答した。元文三年十二月二十八日付。
追録4-No.1290 島津宗信吉書
宗信の譜に収める元文四年正月元日付の古詩と和歌。賀詞「嘉辰令月敢無極、高歳千秋楽未央」に続き、誠の道にかなえば祈らずとも神が守ると詠む。又三郎忠顕の署名・花押を記す。
追録4-No.1291 松平信祝書状
松平信祝は松平大隅守島津継豊に、若葉の祝儀として鯛一折を献上した件を披露し、喜ばれたと返答した。元文四年正月七日付。
追録4-No.1292 松平乗賢書状
松平乗賢は松平大隅守島津継豊に、若葉の祝儀として鯛一折を献上した件を披露し、喜ばれたと返答した。元文四年正月七日付。
追録4-No.1293 本多忠良・松平信祝・松平乗邑連署書状
本多忠良・松平信祝・松平乗邑の連署書状。松平上総入道島津吉貴に、年頭の祝儀として使者が太刀一腰・馬代黄金十両を献上した件を披露し、喜ばれたと返答した。
追録4-No.1294 松平乗賢書状
松平乗賢は松平上総入道島津吉貴に、年頭の祝儀として使者が大納言・竹千代へ太刀と馬代黄金を献上した件を披露し、喜ばれたと返答した。
追録4-No.1295 島津継豊吉書
継豊の元文四年正月十一日付吉書。神社・仏閣の修造と興行、農事の勧奨、国々の年貢徴納の三項を掲げ、各条の実施を命じる。継豊の判を付す。
追録4-No.1296 松平信祝書状
松平信祝は松平大隅守島津継豊に、年頭の祝儀として使者が太刀一腰・馬代黄金十両を献上した件を披露し、喜ばれたと返答した。元文四年正月十一日付。
追録4-No.1297 松平乗賢書状
松平乗賢は松平大隅守島津継豊に、年頭の祝儀として使者が大納言・竹千代に太刀と馬代黄金を献上した件を披露し、喜ばれたと返答した。
追録4-No.1298 うらを外二名連署消息
豊岡・八嶋・うらをの連署消息。吉貴の正月二日付の書状に返答し、将軍・大納言・竹千代の機嫌を伝える。継豊がなお病気で江戸滞府して養生したいとの願いを幕府が許したことを喜び、その趣を伝える。
追録4-No.1299 藤え外二名連署消息
藤え・岡田・とみの連署消息。正月三日の書状に返答し、継州・御前・大守・菊姫・姫君・又三郎らの年始の機嫌を伝える。正月三日の又三郎の登城と用事が無事に済んだこと、二十一日の家族の対面や、目録どおりの年始贈答について報じる。
追録4-No.1300 本多忠良書状
本多忠良は松平大隅守島津継豊に、歳暮の御内書を渡すため翌日五つ半時に家来を登城させるよう指示した。元文四年二月二十日付。
追録4-No.1301 本多忠良書状
本多忠良は松平上総入道島津吉貴に、将軍・大納言・竹千代が健やかであると返答した。先に御鷹に関する品を拝領したことへの吉貴の謝意も承知し、書面の趣を関係者で取り次ぐと伝える。
追録4-No.1302 植松外二名連署消息
秀小路・櫻井・植松の連署消息。吉貴の手紙を披露し、一位や継豊らの機嫌を伝える。正月七日に継豊の使者津田が本丸に登城し、将軍・大納言に御目見して丁重な言葉と料理を賜ったことを喜び、その趣を吉貴へ知らせる。
追録4-No.1303 頴娃久周申渡書
頴娃久周は玄蕃・壮之助・兵庫の三家に、進上物や拝領物の数量、元服の儀式、席や供廻りの差は家格の上下を示さないと申し渡した。壮之助の元服は先例がないため時期に合わせて格式を決める。三家の家来各三人の御目見と脇差の扱いも定め、後年の混同を防ぐ。
追録4-No.1304 堀興昌申渡書
堀興昌は山澤十太夫に、薩州吉田高牧野の牧地と馬を壮之助の一所地として与えると伝えた。引渡し前は従来どおり公の物とし、引渡し後は牧を存続・廃止しても、耕作や竹木を植えても壮之助の自由とする。
追録4-No.1305 吉貴、一門三家の家格を定む
元文四年二月七日、吉貴は親族の玄蕃・壮之助・兵庫の三家について家格の詳細を改めて定めた。頴娃久周が中野駒右衛門を通じて山澤盛香へ伝え、進上物・元服・家来の御目見などの扱いを次の申渡書に記した。
追録4-No.1306 頴娃久周申渡書
頴娃久周は玄蕃・壮之助・兵庫の三家に、進上物の馬代が三・二・一枚と異なっても家格に差はないと申し渡した。壮之助の元服の格式はその時に決め、拝領物や供廻りの差も家格と結び付けない。三家の家来各三人の御目見と脇差の着用条件を定める。
追録4-No.1307 壮之助に別邸・牧野を与う
元文四年二月十日、壮之助に鹿児島城下の新築地を別邸として与え、埋立て・石垣・植栽の工事を命じた。同二十八日には薩州吉田郷の高牧野を馬とともに壮之助の一所地に加え、堀興昌から山澤盛香へ伝えた。
追録4-No.1308 堀興昌申渡書
堀興昌は山澤十太夫に、薩州吉田郷の高牧野の牧地と馬を壮之助の一所地に加えると申し渡した。引渡しが済むまでは従来どおり公有とし、引渡し後は牧の存廃、耕作、竹木の植付けを壮之助の裁量に委ねる。
追録4-No.1309 松平乗邑書状
松平乗邑は松平上総入道島津吉貴に、将軍・大納言・竹千代の機嫌を伝えた。将軍が正月二十日に東叡山の御霊屋を参詣したことについて吉貴の書状を承知し、上聞に達すると返答した。
追録4-No.1310 松平乗邑書状
松平乗邑は松平上総入道島津吉貴に、正月二十一日の竹姫の大奥入りに際して賜った将軍・大納言の言葉と拝領物、右衛門督らからの贈物を吉貴が謝した件を承知した。継豊と又三郎にも拝領物があったことを併記し、関係者に伝えると返答した。
追録4-No.1311 松平乗賢書状
松平乗賢は松平上総入道島津吉貴に、将軍・大納言・竹千代の機嫌伺いを承知したと返答する。正月二十一日の竹姫の大奥入りに際し、吉貴が将軍・大納言からの拝領物や右衛門督らからの贈物を謝し、継豊と又三郎にも拝領物があったと報じたことを承知した。
追録4-No.1312 松平乗邑書状
松平乗邑は松平上総入道島津吉貴に、将軍・大納言・竹千代の機嫌伺いと、将軍が正月二十四日に増上寺の御霊屋へ参詣したことを祝う書状を承知したと返答する。書面の趣を関係者に伝え、将軍へ取り次ぐと記す。
追録4-No.1313 頴娃久周申渡書
頴娃久周は山澤十太夫に、島津壮之助の私領の総称を「重富」と名付けたので、その旨を壮之助に伝えるよう申し渡す。左京の指示として元文四年三月の日付を記す。
追録4-No.1314 うへ松外二名連署消息
秀小路・さくら・うへ松の連署消息。松平上総入道島津吉貴の書状を披露したことに礼を述べ、一位の近況と機嫌がよいことを伝える。季節の暑さに触れ、吉貴の健康と近況をたびたび知らせてほしいと願う。
追録4-No.1315 松平信祝書状
松平信祝は島津継豊に、継豊がその朝献上した御香具一箱と丸薬一箱を披露し、首尾よく受け入れられたことを知らせる。
追録4-No.1316 松平乗賢書状
松平乗賢は島津継豊に、継豊がその朝献上した御香具一箱と丸薬一箱を披露し、首尾よく受け入れられたことを知らせる。No.1315と同じ献上を別の差出人が通知した書状。
追録4-No.1317 松平乗賢書状
松平乗賢は島津継豊に、竹千代への端午の贈物として菖蒲御兜一飾を使者を通じて献上し、首尾よく披露されたと伝える。
追録4-No.1318 薩摩守縁組祝儀献上伺書
島津継豊は、尾張宰相の娘と島津薩摩守との縁組を命じられたことを受け、将軍・大納言・竹千代への献上と、国元の吉貴による礼の仕方を伺う。行間の朱書は、継豊と薩摩守の将軍・大納言への献上物の種数を指定し、竹千代への献上は不要、吉貴は松平能登守へ使札を送るよう指示する。
追録4-No.1319 徳川吉宗御内書
徳川吉宗は島津継豊に、端午の祝儀として贈られた帷子の単物が届いたことを喜び、詳しくは松平左近将監から伝えさせると記す御内書。
追録4-No.1320 松平乗賢書状
松平乗賢は島津継豊に、継豊が端午の祝儀として使者を通じて献上した帷子の単物を披露し、首尾よく受け入れられたと知らせる。
追録4-No.1321 頴娃久周申渡書
頴娃久周は島津玄蕃・壮之助・兵庫の三家に、家格に応じた登城・下乗・脇差の扱いを申し渡す。御目見までは脇差を差し、御目見後は外すこと、城下屋敷や寺では三家の下乗札前で下りず門前で下乗することを定める。壮之助は城内居住中のため例外とし、後に屋敷へ移ったときから同じ扱いとする。
追録4-No.1322 藤え外二名連署消息
藤え・岡だ・とみの連署消息。島津隼人と島津権左衛門に、三月六日付の返書や祝いの手紙への礼を述べる。土用の暑さの中、吉貴をはじめ家中の健康を問い、御前様・太守・姫君・子らの近況を伝えて、引き続き知らせてほしいと頼む。
追録4-No.1323 松平乗邑書状
松平乗邑は松平上総入道島津吉貴に、酷暑の折に将軍・大納言・竹千代の機嫌を伺い、鰹節一箱を献上した書状を承知したと返答する。三人とも健やかであると伝え、献上品は関係者に相談して披露したと記す。
追録4-No.1324 松平乗賢書状
松平乗賢は松平上総入道島津吉貴に、酷暑の折に将軍・大納言・竹千代の機嫌を伺い、鰹節一箱を献上した書状を承知したと返答する。三人とも健やかであり、献上品を披露したと伝える。
追録4-No.1325 藤え外二名連署消息
藤え・岡だ・とみの連署消息。暑い土用に吉貴の安否を問い、三月の使者を通じて寄せられた手紙への礼を述べる。菊姫が御前様に対面して祝われたこと、端午の祝いが喜ばれたことを知らせ、御前様・太守・姫君・子らの近況も伝える。
追録4-No.1326 松平乗賢書状
松平乗賢は島津継豊に、その朝献じた琉球布一箱、砂糖漬天門冬一器、赤貝塩辛一器、泡盛酒二壺を披露し、首尾よく受け入れられたと伝える。
追録4-No.1327 松平乗邑書状
松平乗邑は島津継豊に、その朝献じた琉球布一箱、砂糖漬天門冬一器、赤貝塩辛一器、琉球泡盛酒二壺を披露し、首尾よく受け入れられたと伝える。No.1326と同じ献上を別の差出人が通知した書状。
追録4-No.1328 松平乗邑書状
松平乗邑は島津継豊に、端午の御内書を渡すので、翌日の五つ半時に家来を江戸城へ差し出すよう通知する。
追録4-No.1329 松平信祝書状
松平信祝は松平上総入道島津吉貴に、将軍・大納言・竹千代の機嫌を伝え、将軍が五月八日に東叡山の御霊前へ参詣したことを祝う吉貴の書状を承知したと返答する。書面の趣を関係者に伝えて上聞に達すると記す。
追録4-No.1330 松平信祝書状
松平信祝は島津継豊に、生見玉の祝儀として黄金十両を献上したことを披露し、首尾よく受け入れられたと知らせる。
追録4-No.1331 松平乗賢書状
松平乗賢は島津継豊に、生見玉の祝儀として黄金十両を献じたことを披露し、首尾よく受け入れられたと知らせる。No.1330と同じ献上についての別の通知。
追録4-No.1332 継豊、御鷹の雲雀を拝領
元文四年七月二十二日、将軍吉宗は使者の徳山五兵衛を通じ、御鷹で捕らえた雲雀三十羽を継豊の芝邸へ贈った。鳥居伊賀守忠胤が継豊に代わって受領の役を務めた。
追録4-No.1333 頴娃久周申渡書
頴娃久周は玄蕃・壮之助・兵庫の三家に、八朔の進上物の差し出し方を申し渡す。玄蕃と兵庫は対面所下の敷居から三畳目の端に品を置き、奏者番に渡す。進上順は当面の三家の関係に従い、後にはその時々の座順に従う。壮之助も将来進上するときは同じ扱いとする。
追録4-No.1334 一門の八朔進上の格式を定む
元文四年七月二十四日、一門の玄蕃・壮之助・兵庫を特別に遇し、八朔の太刀を城中の対面所下の間で奏者番に差し出すよう定めた。壮之助は幼く城内に住んでいるため、成長して公務を務めるようになってから従う。有川孝右衛門が山澤盛香へ伝えた。
追録4-No.1335 頴娃久周申渡書
頴娃久周は玄蕃・壮之助・兵庫の三家に、八朔の進上物を対面所下の敷居から三畳目の端に置いて奏者番に渡すよう申し渡す。進上順は当面の三家の関係に従い、後にはその時々の座順による。壮之助も将来進上するときは同じ扱いとする。No.1333と同内容の日付入り申渡書。
追録4-No.1336 本多忠良書状
本多忠良は島津継豊に、八朔の祝儀として使者を通じて太刀一腰と馬代の黄金十両を献じたことを披露し、首尾よく受け入れられたと知らせる。
追録4-No.1337 松平乗賢書状
松平乗賢は島津継豊に、八朔の祝儀として使者を通じて太刀一腰と馬代の黄金十両を献じたことを披露し、首尾よく受け入れられたと知らせる。No.1336と同じ献上についての別の通知。
追録4-No.1338 継豊嫡子忠顕より代々松平姓を許される
元文四年八月四日、将軍吉宗は老中松平乗邑を通じ、継豊の嫡子又三郎忠顕が竹姫の猶子であるため、忠顕以後の嫡子が代々「松平」を名乗るよう命じた。乗邑は水野壱岐守忠定へ伝え、忠定が継豊らの芝邸に赴いて知らせた。
追録4-No.1339 幕府老中達書
幕府の達書は、継豊の嫡子又三郎が竹姫の猶子になったことを踏まえ、新たな称号の下賜を待たず、今から松平を名乗るよう命じる。今後も代々の嫡子が別の称号を待たずに松平を名乗ることを定める。
追録4-No.1340 忠顕より代々松平姓を許される
将軍吉宗は、竹姫の猶子となった継豊の嫡子忠顕に松平の称号を許し、嫡子が代々称するよう命じた。老中松平乗邑がその命を受け、水野壱岐守忠定が芝邸で継豊と忠顕に伝えた。
追録4-No.1341 幕府老中達書
幕府の達書は、継豊の嫡子又三郎が竹姫の猶子になったことを踏まえ、別途の称号下賜を待たず今から松平を名乗り、今後も代々の嫡子が同様に松平を名乗るよう命じる。No.1339と同内容の別記録。
追録4-No.1342 樺山久初書状
樺山久初は頴娃左京ら国元の役人に、八月四日、水野壱岐守忠定が病中の継豊と又三郎に、竹姫の猶子となった又三郎と代々の嫡子が松平を名乗る将軍の命を伝えた経過を報告する。継豊・又三郎の礼、名代による老中への挨拶、吉貴への急報、献上物の伺い、家中への祝儀の触れを記す。
追録4-No.1343 島津継豊伺書
島津継豊は、嫡子又三郎が松平を名乗るよう命じられた礼として、将軍と大納言への献上物と謝礼の方法を伺う。継豊が病中のため名代で礼を述べたいこと、国元の吉貴も使札と献上で謝意を表したいことを記す。添えた品目表には太刀・馬代、巻物十や綿三十把などを挙げる。
追録4-No.1344 幕府老中達書
幕府は、島津継豊の家では次男以下は分地せず陪臣として扱ってきたと聞いているため、次男以下への松平称号の下賜については沙汰しないと達した。この旨を継豊へ伝えるよう命じる。
追録4-No.1345 頴娃久周添書
頴娃久周は、前年九月十日付の別紙書付について、松平乗邑から水野壱岐守忠定へ伝わり、忠定が当方へ知らせて了承を得たうえ、乗邑へ報告したとする江戸からの返答を記す。
追録4-No.1346 継豊の嫡母死去
元文四年八月五日、継豊の母で吉貴の室が高輪邸で死去した。六日に将軍吉宗が増山河内守正任を芝邸へ弔問に遣わし、十一日に遺骸を谷中瑞林寺へ移し、十二日に同寺で葬儀を営んだ。
追録4-No.1347 吉貴室死去
吉貴の室が八月五日に江戸高輪邸で死去した経過を記す。吉宗の使者と天英院からの弔意を受け、十一日に谷中瑞林寺へ移し、十二日に葬儀を営んだ。法号は霊龍院殿潜頴妙能日淵大姉。鹿児島へ訃報を送り、後に身延山久遠寺へ納骨・位牌安置と石塔建立を行った。
追録4-No.1348 松平乗邑外二名連署奉書
本多忠良・松平信祝・松平乗邑の連署奉書。松平上総入道島津吉貴の妻の死去が将軍へ伝わり、将軍が吉貴の悲嘆を思いやっている旨を上意として知らせる。
追録4-No.1349 松平乗賢書状
松平乗賢は松平上総入道島津吉貴に、妻の死去を将軍に伝えたところ、将軍が吉貴の悲嘆を思いやっていると返答し、その言葉を伝える。
追録4-No.1350 植松外二名連署消息
秀小路・櫻井・植松は松平上総入道島津吉貴に、一位が健やかで吉貴の悲しみを案じていると伝える。一位からの目録の品が慰めになればと述べ、吉貴の健康を問い、朝夕涼しくなる季節なので体を大切にするよう気遣う。
追録4-No.1351 島津吉貴書状
島津吉貴は松平乗邑ら幕府の五人に使札を送り、将軍・大納言・竹千代の機嫌を喜ぶ。継豊の嫡子又三郎が竹姫の猶子となり、今後は代々の嫡子が別途の称号下賜を待たず松平を名乗る命令を承知したと述べ、謝意を伝える。
追録4-No.1352 本多忠良書状
本多忠良は松平上総入道島津吉貴に、将軍・大納言・竹千代の機嫌を伝える。将軍が六月九日に東叡山の御位牌所へ参詣したことについて吉貴が寄せた祝いの書状を承知し、書面の趣を上聞に達すると返答する。
追録4-No.1353 島津吉貴書状
島津吉貴は松平乗邑ら幕府の五人に使札を送り、妻の死去に際し将軍と大納言へ報告したところ、それぞれから弔意の奉書を受けたことを謝する。執政らの取り次ぎにも礼を述べる。
追録4-No.1354 島津吉貴書状
島津吉貴は松平乗邑・松平信祝・本多忠良に、妻の死去を将軍へ報告した際に、悲嘆を思いやる上意の奉書を受けたことへの謝意を使札で伝える。
追録4-No.1355 島津吉貴書状
島津吉貴は幕府へ、妻の死去を将軍へ報告し、将軍の弔意の言葉を受けたことをありがたく思うと述べ、その礼を伝える。
追録4-No.1356 松平乗邑書状
松平乗邑は松平上総入道島津吉貴に、将軍・大納言・竹千代の機嫌を伝える。継豊の嫡子又三郎が竹姫の猶子となったので、以後は松平を名乗り、代々の嫡子も別途の称号下賜を待たずに同様に名乗るとした吉貴の書状を承知し、その趣を上聞に達すると返答する。
追録4-No.1357 松平乗賢書状
松平乗賢は松平上総入道島津吉貴に、継豊の嫡子又三郎が竹姫の猶子となり、以後は松平を名乗り、代々の嫡子も同様に名乗る命令を承知したと返答する。将軍らの機嫌も伝える。
追録4-No.1358 浦尾外二名連署消息
豊岡・八嶋・浦尾の連署消息。松平上総入道島津吉貴が八月二十一日付書状で知らせた、継豊の嫡子又三郎の竹姫猶子入りと、代々の嫡子が松平を名乗る命令を喜び、将軍・大納言・竹千代の健康も祝う。
追録4-No.1359 植松外二名連署消息
秀小路・櫻井・植松は松平上総入道島津吉貴へ、八月二十一日付の書状を受け取ったと伝える。継豊の嫡子又三郎が竹姫の猶子となり松平を名乗ること、代々の嫡子も同じ扱いになることを一位が喜び、吉貴にも祝意を伝える。
追録4-No.1360 浦尾外二名連署消息
豊岡・八嶋・浦尾は松平上総入道島津吉貴に、八月二十一日付の書状を受け取ったと返答する。将軍・大納言・竹千代の健康を喜び、又三郎の竹姫猶子入りと代々の松平称号についての上意を祝う。
追録4-No.1361 植松外二名連署消息
秀小路・櫻井・植松は松平上総入道島津吉貴へ、八月二十一日付の書状を一位に披露したと伝える。吉貴の妻が病気の際、八月四日に将軍から見舞いの言葉、翌五日に拝領物を賜ったことについて、吉貴が礼を述べた旨を一位が喜んでいる。
追録4-No.1362 島津吉貴書状
島津吉貴はおたの御方・藤枝殿に、一位から亡妻へ香奠と丁重な弔意を受けたことを謝し、取り次ぎを頼む。付記の朱書は、公儀に出す書状では故人の名より「亡妻」と記すよう指示し、その理由と先例を説明する。
追録4-No.1363 松平乗邑書状
松平乗邑は松平上総入道島津吉貴に、妻の死去に際して将軍・大納言から継豊へ丁重な弔意が伝えられ、それを吉貴が謝した書状を承知したと返答する。書面の趣を上聞に達すると記す。
追録4-No.1364 松平乗賢書状
松平乗賢は松平上総入道島津吉貴に、妻の死去に際して将軍・大納言から継豊へ丁重な弔意が伝えられ、それを吉貴が謝した書状を承知したと返答する。
追録4-No.1365 壮之助に重富の印章を与う
元文四年九月二十五日、継豊は壮之助に「重富」の印章を与えた。これに続くNo.1366に重富の一所地を子孫まで領知させる宛行状を掲げる。
追録4-No.1366 島津継豊宛行状
継豊は壮之助に、薩摩国鹿児島郡と大隅国姶良郡にある所領を「重富」と名付け、一所地として宛行う。壮之助の子孫まで全て領知させると記す。
追録4-No.1367 島津壮之助の重富所領の境界を定む
十月、郡奉行・山奉行らが重富へ赴き、帖佐・吉田両郷の役人を集めて図に基づき境界を定めた。壮之助の家臣が将来移住するときは役所に告げ、定めた境界を失わないよう証書を作成した。
追録4-No.1368 城井三左衛門外三名連署証状
郡奉行と山奉行の連署証状。重富にまだ役人が常駐していないため、当面は帖佐・吉田の役人が所管地を引き渡し、後に重富の役人が移ってきた際は両方へ届け出て、定めた境界どおり引き継ぐとする。
追録4-No.1369 島津継豊宛行状
継豊は壮之助に、薩摩国鹿児島郡と大隅国姶良郡にある所領を「重富」と名付け、一所地として宛行う。壮之助の子孫まで全て領知させると記す。No.1366と同内容の別伝。
追録4-No.1370 島津継豊書状
島津継豊は中山王に、年始の祝儀として使者を送り、目録どおりの贈物を受け取ったことを喜ぶと返答する。詳しくは後日の便りに譲ると記す。
追録4-No.1371 島津継豊書状
島津継豊は中山王に、竹千代の誕生を祝って将軍・大納言・竹千代へ進上したところ、目録どおりの品と使者本部王子への拝領物を受けたという王の報告を承知したと返答する。王が使者の平良親方を通じて贈った目録の品を受け取り、喜びを伝える。
追録4-No.1372 松平乗邑書状
松平乗邑は島津継豊に、利根姫の安産祝いとして継豊が使者を通じ目録どおりの品を献上し、披露されたことを知らせる。
追録4-No.1373 徳川吉宗御内書
将軍吉宗は島津継豊に、重陽の祝儀として小袖一重が届いたことを喜び、詳しいことは松平伊豆守から伝えさせると記す御内書。
追録4-No.1374 松平乗賢書状
松平乗賢は島津継豊に、重陽の祝儀として継豊が使者を通じて小袖一重を献じ、披露されたと知らせる。
追録4-No.1375 島津継豊書状
島津継豊は中山王に、竹千代誕生の祝儀献上を終えて拝領物を受けた件について、王が差し出した書状を次の使者に託して幕府へ提出し、披露されたと知らせる。奉書を受け取ったので王へ送ると記す。
追録4-No.1376 松平信祝書状
松平信祝は松平上総入道島津吉貴に、妻の死去に際して将軍・大納言からの弔意を奉書で伝えたことに対する吉貴の謝意を承知したと返答する。吉貴の使者と書状の趣を将軍へ伝える。