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追録4の目録
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追録4-No.1177 松平乗賢書状
竹千代へ破魔弓一飾を使者が献上したことを承知し、首尾よく披露した旨を通知する。
追録4-No.1178 島津宗信吉書
宗信が正月元日に嘉辰と長寿・繁栄を祝う賀詞を記す。
追録4-No.1179 松平信祝書状
若菜の祝儀として鯛一折が献上された件を披露した旨を通知する。
追録4-No.1180 松平乗賢書状
若菜の祝儀として鯛一折が献上された件を披露した旨を通知する。
追録4-No.1181 松平乗邑外二名幕府老中連署状
島津家からの年頭祝儀として、使者が太刀一腰と馬代黄金十両を献上した。幕府老中の本多忠良・松平信祝・松平乗邑は松平上総入道に、献上の趣を披露し承知したと連署で返答した。
追録4-No.1182 松平乗賢書状
松平乗賢は松平上総入道に、年頭祝儀として使者が大納言と竹千代へそれぞれ太刀・馬代黄金を献上した件を受け、披露して承知した旨を伝えた。
追録4-No.1183 島津継豊吉書
島津継豊の年頭吉書。神社仏閣の修造・興行、農事の奨励、諸国の年貢徴収の三箇条を掲げ、これらを沙汰するよう命じた。
追録4-No.1184 松平信祝書状
松平信祝は松平大隅守に、年頭祝儀として使者が太刀一腰と馬代黄金十両を献上した件を受け、披露して承知したと返答した。
追録4-No.1185 松平乗賢書状
松平乗賢は松平大隅守に、年頭祝儀として使者が大納言と竹千代へそれぞれ太刀・馬代黄金を献上した件を受け、披露して承知した旨を伝えた。
追録4-No.1186 松平信祝書状
松平信祝は島津又三郎に、年頭祝儀として使者が太刀一腰と馬代黄金十両を献上した件を受け、披露して承知したと返答した。
追録4-No.1187 松平乗賢書状
松平乗賢は島津又三郎に、年頭祝儀として使者が大納言と竹千代へそれぞれ太刀・馬代黄金を献上した件を受け、披露して承知した旨を伝えた。
追録4-No.1188 島津忠紀、吉貴より脇刀を拝領
元文三年正月十三日、島津吉貴が壮之助に脇刀拵一腰を与えたことを記す記事。巻末目録は島津忠紀の拝領記事として掲げる。
追録4-No.1189 脇差拵書
元文三年正月十三日付の脇差二腰の拵書。柄の色絵や鞘の意匠に加え、鐺・縁・目貫・小柄・笄など各部の材質と装飾を箇条書きで記す。
追録4-No.1190 竹姫、菊姫を伴い登営す
元文三年正月二十二日、竹姫が菊姫を伴って登営した記事。吉宗らからの贈物を受け、竹千代を含む将軍家の人々との対面・進物の授受を記し、島津家側の謝礼に至る経過を伝える。
追録4-No.1191 松平信祝書状
松平信祝は松平上総入道に、その書状を受け取ったと答え、将軍・大納言・竹千代が健やかであることを伝えた。あわせて鷹に関する書面を一覧し、その件を承知した旨を返答した。
追録4-No.1192 島津継豊、御鷹の鶴を拝領
元文三年正月二十五日、上使の津田外記が、鷹所で捕らえた鶴一隻を芝の島津邸へ届けた。島津家がこれを拝領した経過を記す。
追録4-No.1193 うへ松外二名連署消息
植松・桜井・秀小路の連署消息。前年十二月二十一日付書状への返答として、一位の機嫌を伝え、目録に記された進物を受け取ったことや御礼を取り次いだことを知らせる。
追録4-No.1194 藤え外二名連署消息
藤江・岡田・樋嶋の連署消息。菊姫の登営と初春の祝儀についての書状に返答し、竹千代・菊姫らの機嫌、進物や御礼の披露、祝儀後の取次ぎを伝える。
追録4-No.1195 本多忠良書状
本多忠良は松平大隅守に、歳暮の御内書を渡す用件があるため、翌日五つ半時に自邸へ来るよう命じた書状。
追録4-No.1196 藤え外二名連署消息
藤江・岡田・樋嶋の連署消息。菊姫の登営・祝儀への返答として、竹千代らの機嫌や贈物の披露を伝え、菊姫の装束・登城の経過を喜び、御礼の取次ぎを知らせる。
追録4-No.1197 浦尾外二名連署消息
浦尾・豊岡・八嶋の連署消息。二月六日付書状に返答し、大納言・竹千代の機嫌を伝える。年始祝儀に伴う御目見えや御料理、御礼披露の経過にも触れる。
追録4-No.1198 島津忠紀領所を重富と称せしむ
元文三年三月十五日、島津忠紀の領地について、壮之助が領する土地を「重富」と称するよう命じた。家臣を介してその名を申し渡した経過を記す。
追録4-No.1199 頴娃久周申渡書
頴娃久周は山澤十太夫に、島津之助の私領を「重富」と呼ぶことになった旨を壮之助方へ伝えるよう申し渡した。元文四年三月十五日付の申渡書。
追録4-No.1200 島津貴儔ら一門の格式を定めしむ
一門の貴儔・壮之助らについて、席次と礼式上の上下関係を定めた記事。子弟の序列と同席する者の扱いを示し、各人へ申し渡す内容を記す。
追録4-No.1201 頴娃久周申渡書
頴娃久周が島津家一門に申し渡した儀礼上の規定。登城時の控え所と着座順、城門内での馬礼、城下や領地での礼式を具体的に定め、貴儔・壮之助ら関係者へ伝える。
追録4-No.1202 松平乗邑書状
松平乗邑は松平上総入道に、将軍・大納言・竹千代の機嫌を伝え、将軍が正月十日に東叡山の御霊屋を参詣した件を書状で承知したと返答した。
追録4-No.1203 継豊、竹千代の生誕を賀し幕臣を招宴す
竹千代の生誕を祝って島津継豊が幕臣らを芝邸に招いた記事。病後の養生を経て催した宴で、料理や贈答を用意し、老中・若年寄らの席次と応接、来訪した使者への対応を記す。
追録4-No.1204 松平乗邑書状
松平乗邑は将軍・大納言・竹千代の機嫌を伝え、菊姫の件についての書状を承知したと返答した。竹千代の初御目見えと、将軍らからの拝領物・贈物にも触れる。
追録4-No.1205 松平乗賢書状
松平乗賢は松平上総入道に、菊姫の件についての書状を承知したと返答した。竹千代が初めて御目見えして贈物を受けたことや、将軍・大納言らの機嫌を伝える。
追録4-No.1206 うらを外二名連署消息
浦尾・豊岡・八嶋の連署消息。二月二十二日付書状に返答し、竹千代の初御目見えや菊姫の登城を喜ぶ。将軍・大納言らの機嫌、贈物と御礼の取次ぎを知らせる。
追録4-No.1207 うらを外二名連署消息
浦尾・豊岡・八嶋の連署消息。二月二十二日付書状に返答し、竹千代の初御目見えと菊姫の登城を喜ぶ。将軍・大納言の機嫌や拝領物、右衛門督らの御礼披露を伝える。
追録4-No.1208 うへ松外二名連署消息
植松・桜井・秀小路の連署消息。正月二十二日に竹姫が菊姫を伴って本丸へ登城し、竹千代も初御目見えしたことを祝う。拝領物や御礼の取次ぎ、一位らの機嫌を伝える。
追録4-No.1209 松平乗邑書状
松平乗邑は松平上総入道に、将軍・大納言・竹千代の機嫌を伝え、将軍が正月十四日に東叡山の御霊屋を参詣した件を書状で承知したと返答した。
追録4-No.1210 藤え外二名連署消息
藤江・岡田・樋嶋の連署消息。竹姫が菊姫を伴って登城した年頭の祝儀について返答し、竹千代・菊姫らの機嫌、進物の披露と御礼の取次ぎを知らせる。
追録4-No.1211 松平信祝書状
松平信祝は松平大隅守に、今朝使者から丸熨斗一箱が献上された件について、披露して承知した旨を返答した。元文三年四月十九日付の書状。
追録4-No.1212 松平乗賢書状
松平乗賢は松平大隅守に、今朝使者から丸熨斗一箱が献上された件について、披露して承知した旨を返答した。元文三年四月十九日付の書状。
追録4-No.1213 松平乗賢書状
松平乗賢は松平大隅守に、竹千代へ菖蒲御兜一飾を使者が献上した件を受け、披露して承知したと返答した。元文三年四月二十一日付の書状。
追録4-No.1214 島津継豊伺書
島津継豊は、有章院の法事に際して娘姫から御香奠を使者に託して献上したいとして、これを差し出してよいか幕府側に伺った。元文三年四月二十一日付。
追録4-No.1215 島津継豊疏
島津継豊が有章院の二十三年忌に寄せた追善の疏文。仏前で故人の徳を述べ、供養と読経の功徳によって冥福が得られるよう祈る。
追録4-No.1216 継豊、家継の遠忌に代参せしむ
元文三年四月二十九日の有章院徳川家継の二十三年忌に先立ち、幕府は四月二十五日から増上寺で法会を営んだ。島津継豊は五月一日に白銀十枚を霊前へ献じ、有川幸右衛門貞利を使者とした。
追録4-No.1217 うへ松外二名連署消息
植松・桜井・秀小路の連署消息。一位の機嫌を伝え、暑さを迎える松平上総入道の体調を気遣う。目録に記された贈物や書状の趣を披露し、一位の謝意を伝える。
追録4-No.1218 藤え外二名連署消息
藤江・岡田・樋嶋の連署消息。又三郎・姫君らの機嫌を伝え、三月二十一日に老中を招いて又三郎が接待したことを喜ぶ。祝意を関係者に伝えるよう依頼する。
追録4-No.1219 植松外二名連署消息
植松・桜井・秀小路の連署消息。五月十一日付書状への返答として一位の機嫌を伝える。先月十五日の訪問と目録に沿った進物について謝意を述べ、書状の趣を披露したと知らせる。
追録4-No.1220 植松外二名連署消息
植松・桜井・秀小路の連署消息。一位の機嫌を伝え、松平上総入道からの書状を披露したと答える。以前の訪問と目録に沿った贈物をありがたく受け取った旨を伝える。
追録4-No.1221 徳川吉宗御内書
徳川吉宗は薩摩中将島津継豊に、端午の祝儀として雉子の早物が届いたことを喜び、詳しい返事は松平乗邑を通じて伝えると記した御内書。
追録4-No.1222 松平乗賢書状
松平乗賢は松平大隅守に、端午の祝儀として使者が雉子の早物を献上した件を披露し、承知した旨を返答した。
追録4-No.1223 領国産物絵図註書に関する連署書状
丹羽正伯から相良菊一兵衛に、領国産物の絵図註書について、古来の記録や絵師・記述者の名を調べるよう照会があった。島津久豪・久貫は国許にも確認して書付を提出し、産物の絵図と註書の扱いを報告した。
追録4-No.1224 産物絵図註書に関する返書
島津久春らは、六月十五日付の産物絵図註書についての報告を承知し、別紙の名書を添えて上申したと返答した。七月十一日付の短い返書。
追録4-No.1225 産物絵図註書の作成者届書
相良長主は、領国産物の絵図註書について古くからの控えがないため、新たに作成して提出すると報告した。作成に関わる儒医・医師・絵師の名を列挙する。
追録4-No.1226 産物帳秋冬の部の絵図註書に関する連署書状
島津久豪・久貫は、産物帳秋冬の部の絵図註書下書を丹羽正伯に見せ、清書して提出した経過を報告した。春夏の部も提出済みで、宰領を務めた日高十左衛門の用務が終わったことを伝える。
追録4-No.1227 産物絵図註書に関する返書
島津久春らは、産物帳秋冬の部の絵図註書について六月十五日付で報告された内容を承知し、上申したと返答した。七月十一日付の短い返書。
追録4-No.1228 松平乗邑書状
松平乗邑は松平上総入道に、酷暑の折の将軍・大納言・竹千代への機嫌伺いを受け、皆安泰であると伝えた。鰹節一箱の献上を披露して承知した旨も返答した。
追録4-No.1229 松平乗賢書状
松平乗賢は松平上総入道に、酷暑の折の将軍・大納言・竹千代への機嫌伺いを受け、皆安泰であると伝えた。鰹節一箱の献上を披露して承知した旨も返答した。
追録4-No.1230 松平乗邑書状
松平乗邑は松平大隅守に、使者が琉球布一箱、砂糖漬天門冬一器、赤貝塩辛一器、琉球泡盛酒二壺を献上した件を披露し、承知したと返答した。
追録4-No.1231 松平乗賢書状
松平乗賢は松平大隅守に、使者が琉球布一箱、砂糖漬天門冬一器、赤貝塩辛一器、琉球泡盛酒二壺を献上した件を披露し、承知したと返答した。
追録4-No.1232 松平乗邑書状
松平乗邑は松平大隅守に、端午の御内書を渡す用件があるため、翌日五つ半時に登城するよう指示した。元文三年六月十四日付の書状。
追録4-No.1233 藤え外二名連署消息
藤江・岡田・樋嶋の連署消息。又三郎・姫君らの機嫌を伝え、継豊からの書状と贈物を受け取ったと答える。四月十二日の贈答や御礼の披露に触れ、今後の取次ぎも依頼する。
追録4-No.1234 松平乗邑書状
松平乗邑は松平上総入道に、将軍・大納言・竹千代の機嫌を伝えた。有章院の二十三回忌法会が増上寺で営まれ、四月二十九日の御霊屋参詣についての書状を承知したと返答した。
追録4-No.1235 松平信祝書状
松平信祝は松平大隅守に、生見玉の祝儀として黄金十両を献上した件を披露し、承知した旨を返答した。元文三年七月六日付の書状。
追録4-No.1236 松平乗賢書状
松平乗賢は松平大隅守に、生見玉の祝儀として黄金十両を献上した件を披露し、承知した旨を返答した。元文三年七月六日付の書状。
追録4-No.1237 松平信祝書状
松平信祝は松平上総入道に、将軍・大納言・竹千代の機嫌を伝えた。将軍が五月八日に東叡山の御霊屋を参詣した件を書状で承知したと返答した。
追録4-No.1238 継豊、御鷹の雲雀を拝領
元文三年七月十九日、上使が御鷹所で捕らえた雲雀を芝の島津邸へ届けた。島津継豊がこれを拝領し、松平隠岐守らが取次ぎを務めた経過を記す。
追録4-No.1239 藤え外二名連署消息
藤江・岡田・樋嶋の連署消息。継豊からの書状に返答し、大守・姫君らが健やかであることを伝える。贈答や御礼の趣を披露し、暑中の安否を気遣う。
追録4-No.1240 本多忠良書状
本多忠良は松平大隅守に、八朔の祝儀として使者が太刀一腰と馬代黄金十両を献上した件を披露し、承知したと返答した。
追録4-No.1241 松平乗賢書状
松平乗賢は松平大隅守に、八朔の祝儀として使者が太刀一腰・馬代黄金十両を献上した件を披露し、承知したと返答した。元文三年八月四日付。
追録4-No.1242 本多忠良書状
本多忠良は松平上総入道島津吉貴に、大納言・竹千代らの機嫌を伝えた。浄円院十三回忌法事が東叡山で執行され、将軍が六月九日に位牌所を参詣したことについて吉貴の書状を受け、恐悦の趣を上聞に達すると返答した。
追録4-No.1243 吉貴、忠紀に平松等の地を与う
吉貴は元文三年八月二十七日、島津越前家を継ぐ壮之助(忠紀)に、隅州帖佐郷の平松・脇元・船津・春花の各村と薩州吉田郷内の一村を与えるよう命じた。壮之助が幼少のため代理を立て、鎌田政興の書付を山澤十太夫へ伝えた経過を付記する。
追録4-No.1244 鎌田政興覚書
鎌田政興が山澤十太夫に、壮之助の越前島津家相続に際して約束された一所の地を、帖佐・吉田両郷の絵図に示すとおり与える旨を伝えた。玄蕃からの指示を須磨と壮之助へ知らせ、壮之助本人から礼を申し上げるよう求める。
追録4-No.1245 島津吉貴内意書
鎌田政興が山澤十太夫に、壮之助の越前島津家相続に伴う知行地の付与を玄蕃から申し渡されたと伝える。帖佐・吉田両郷の地は絵図のとおりとし、須磨と壮之助に知らせたうえで、壮之助本人から礼を述べるよう指示する。島津肥前忠紀家に伝わる写し。
追録4-No.1246 島津継豊伺書
島津継豊は、竹千代の誕生を祝って琉球中山王が本部王子を薩摩へ派遣し、国元から使者を立てて書翰・献上物を届けた件を幕府に伺った。先例に従う拝領物と使者への下賜に対し、継豊が江戸在府中の礼をどう申し上げるべきか尋ね、老中への使者による礼でよいとの付紙の回答を得た。
追録4-No.1247 島津継豊書状
島津継豊は琉球中山王に、中山王が年始の祝儀として使者を派遣し、目録どおりの品を贈ったことを喜ぶと返書した。元文三年九月二日付。
追録4-No.1248 島津継豊書状
島津継豊は琉球中山王に、前年秋の又三郎の御目見を祝って中山王が使者を派遣し、太刀一腰・馬代銀十枚と目録記載の品を贈ったことに礼を述べた。元文三年九月二日付。
追録4-No.1249 徳川吉宗御内書
徳川吉宗は薩摩中将島津継豊に、重陽の祝儀として小袖一重が届いたことを喜び、詳しい返事は松平伊豆守を通じて伝えると記した御内書。元文三年九月七日付。
追録4-No.1250 松平乗賢書状
松平乗賢は松平大隅守に、重陽の祝儀として使者が小袖一重を献上した件を披露し、承知したと返答した。元文三年九月七日付。
追録4-No.1251 島津継豊書状
島津継豊は琉球中山王に、竹千代誕生の祝儀として本部王子を派遣し、二通の書翰と目録記載の品を贈ったことを喜ぶと返書した。江戸での献上も滞りなく済み、目録どおりの拝領物を中山王が受け取るよう伝える。
追録4-No.1252 吉貴、病により参府を延期す
元文三年十月五日、吉貴は長年の病で歩行や乗輿が難しく、六十歳を越えたことも踏まえて参府を断った。病状が少し改善してから将軍への礼を尽くしたいとの意向を、江戸の継豊から幕府に申し出て了承を得た経緯を記す。
追録4-No.1253 島津継豊届書
継豊は松平上総入道吉貴が長年病を患い、歩行・乗輿も困難なため参府できないと幕府に届けた。自らも病気で帰国できず長く対面していないが、吉貴の快復後に参府して将軍に礼を述べたいと願う。付紙に了承の返答があり、十月八日に老中松平伊豆守から伝達されたことを記す。
追録4-No.1254 松平信祝書状
松平信祝は島津継豊に、重陽の御内書を渡すため、翌日五つ半時に家来を登城させるよう指示した。元文三年十月二十日付の書状。
追録4-No.1255 島津貴澄誕生
継豊の弟・島津貴澄は元文三年十一月一日に生まれ、幼名を小源太、のちに玄蕃と称した。母は郷田兼近の娘で、島津玄蕃の直子となったと記す。
追録4-No.1256 一門・一所持の席次を定む
一門と一所持のうち大身分の席次を定める覚書。一門で知之助に相当する者は一門部屋住の末席に置き、一所持で市太夫・千之丞に相当する者は表向きの大身分の次、場合によって大目付の次に置くとする。
追録4-No.1257 町田俊雄申渡書
町田俊雄は、十一月十日に吉貴から相良源太夫を介して伝えられた一門・一所持の区分を記録した。一門は玄蕃・壮之助・兵庫、一所持中の大身分は左衛門・周防・図書・筑後とし、川上大学以下を一所持として、記録所に表記させる。
追録4-No.1258 吉貴、一門・一所持の位次を定む
吉貴は十一月十一日、従来一所持に列していた島津玄蕃・壮之助・兵庫の三家を新たに一門とし、家の継承と親族関係を踏まえた席次を定めた。図書家も一所持中の大身分に加え、左衛門・周防・図書・筑後の順に置くと記す。
追録4-No.1259 頴娃久周申渡書
頴娃久周は玄蕃・壮之助・兵庫の三家を一所持から外して別格の「一門」とし、書付にもその名称を用いるよう申し渡した。三家の席次と家督時の扱い、玄蕃嫡子小源太の「殿」称、図書家を一所持中の大身分に加えることを定め、後年混同しないよう記録所への記載を命じた。
追録4-No.1260 頴娃久周申渡書
壮之助に対し、これまで親族関係によって別格だった扱いを改め、一所持の列から外すと伝えた。詳しい格式は後日渡す書付によって知らせるとし、吉貴の意向を了承するよう求める。
追録4-No.1261 吉貴、一門三家の格式を定む
吉貴は十一月十一日、親族の島津玄蕃・壮之助・兵庫の三家を一所持の列から外して「一門」と称するよう命じた。幼少の壮之助に代わって島津貴儔が受け、家老らの連署書付と頴娃久周から山澤盛香への通知で内容を伝えた経過を記す。
追録4-No.1262 頴娃久周申渡書
頴娃久周は壮之助に、これまで親族関係を理由に別格だった格式を改め、今後は一所持の列から離すと吉貴の意向を伝えた。詳しい内容は別の書付で渡すとして、了承を求める。元文三年十一月十一日付。
追録4-No.1263 一門三家への連署申渡書
堀四郎太夫・頴娃左京・樺山主計らの連署書付。玄蕃・壮之助・兵庫の三家を一所持から離して別格の「一門」と称すること、家督時の席次、玄蕃嫡子小源太への「殿」称を定め、三家に申し渡した。
追録4-No.1264 頴娃久周申渡書
頴娃久周は壮之助に、現時点での親族関係により大身分・家老およびその子らに対する書付では「殿」の字を用いるよう指示した。この称呼を家格として長く維持する旨を伝える。
追録4-No.1265 島津久春乗物御免申渡書
島津久春は国元での乗物使用の許可条件を申し渡した。一万石以上および玄蕃・壮之助・兵庫の三家は部屋住まで年齢を問わず許し、その他の家督は年齢にかかわらず許す。万石以下の大身分・大目付以上は五十歳からとし、江戸で許された者の国元での扱いも定める。
追録4-No.1266 頴娃久周申渡書
頴娃久周は玄蕃・壮之助・兵庫の三家に、一所持の列から離れ別格となった後の家老との取次ぎを申し渡した。今後、嫡流などの件が生じた場合も一所持とは別立てで扱い、家老にもその旨を伝えるよう命じる。
追録4-No.1267 藤え外二名連署消息
藤え・岡田・とみの連署消息。厳しい寒さの中で相手方の機嫌を尋ね、継州・御前・大守・姫君・子どもたちの安否を伝える。大守には寒気の障りがなく、姫君らも健やかであるとして、寒中の消息を披露するよう頼む。
追録4-No.1268 松平乗邑書状
松平乗邑は松平上総入道島津吉貴に、将軍・大納言・竹千代の機嫌を伝えた。吉貴の病気がなお続き参府できず、快復後に参府したいという継豊からの申し出を承知し、その旨を返答した。
追録4-No.1269 松平乗賢書状
松平乗賢は松平上総入道島津吉貴に、将軍・大納言・竹千代の機嫌を伝えた。吉貴が病気のため参府を控え、少し快復すれば参府して将軍に礼を述べたいという継豊からの申し出を承知したと返答した。
追録4-No.1270 島津継豊願書
継豊は病気のため前年から江戸に滞府し養生していたが、翌年も全快と長途の帰国旅行が見込めないとして、再び滞府を願い出た。来春まで様子を見る前に申し出る理由を述べ、願いは認められて十二月七日に幕府から伝達された。
追録4-No.1271 松平乗賢書状
松平乗賢は松平上総入道島津吉貴に、寒中の将軍・大納言・竹千代の機嫌を尋ねた書状を受け、いずれも安泰であると返答した。吉貴が献上した魚一箱を披露し、喜ばれた旨も伝える。
追録4-No.1272 松平乗邑書状
松平乗邑は松平上総入道島津吉貴に、寒中に気遣った将軍・大納言・竹千代が健やかであると返答した。吉貴からの魚一箱の献上を関係者と相談して披露し、喜ばれたと知らせる。
追録4-No.1273 島津久春申渡書
元文三年十二月十五日付の島津久春(大蔵)から山岡権太左衛門に関する記事の見出しと差出・宛所を記す。本文は次のNo.1274に掲げられ、山岡家二男以下の名乗り字の拝領を扱う。
追録4-No.1274 島津久春申渡書
島津久春は山岡権太左衛門に、親族の山岡要三に新家を命じたことを踏まえ、山岡家で代々用いる「久」の字とは別に、二男以下の名乗り字を願い出た件を伝えた。二男以下に「英」の字を折紙で拝領させることとし、記録奉行へも通知するよう命じる。
追録4-No.1275 松平乗邑書状
松平乗邑は松平大隅守島津継豊に、今朝献上された蜜柑二箱と炙鮎一箱を披露したところ、喜ばれたと返答した。元文三年十二月十六日付の書状。
追録4-No.1276 松平乗賢書状
松平乗賢は松平大隅守島津継豊に、今朝献上された蜜柑二箱と炙鮎一箱を披露し、喜ばれたと返答した。元文三年十二月十六日付の書状。