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追録4の目録

暫定版です。原文との照合により、概要や文書の区切り等を修正する場合があります。

全2,674件中 1901~2000件・20 / 27ページ

  1. 追録4-No.1874 宗信元服時に吉宗から拝領した刀の保管目録

    宗信が元文四年十二月十一日の元服で、江戸城黒書院において吉宗から拝領した刀を記録する。刀は太守の納戸で譲り物として保管され、三所物・鍔・鞘・小刀・袋などの拵えと折紙を列挙する。後年の混同を防ぐため帳面への記載を命じ、種子島時成・椛山久初・島津久豪・島津久審が連署した。

  2. 追録4-No.1875 松平信祝から吉貴への宗尹婚儀祝賀返書

    松平信祝は公方・右大将・大納言の健勝を伝え、吉貴が前年冬に徳川刑部卿宗尹の婚儀が済んだことを喜ぶと書き送った旨を承知した。書状の趣旨を老中間で相談し、将軍に上聞した。

  3. 追録4-No.1876 松平乗賢から吉貴への宗尹婚儀祝賀返書

    松平乗賢は公方・右大将・大納言の健勝を伝え、吉貴が前年冬に徳川刑部卿宗尹の婚儀が済んだことを喜ぶと書き送った旨を承知した。書状の趣旨を将軍に上聞した。同日付の信祝書状と同件である。

  4. 追録4-No.1877 継豊による吉宗六十賀の鮮鯛献上

    継豊は吉宗の六十歳の賀を祝い、家臣を使者として江戸城桧之間へ登らせた。奏者番松平豊後守資訓に鮮鯛一折を献上し、老中から返書を受けた。

  5. 追録4-No.1878 松平信祝から継豊への吉宗六十賀祝儀返書

    松平信祝は、継豊が吉宗の六十賀の祝儀として鯛一折を献上したことを披露し、喜ばしいと返答した。

  6. 追録4-No.1879 松平信祝から宗信への吉宗六十賀祝儀返書

    松平信祝は、宗信が吉宗の六十賀の祝儀として鯛一折を献上したことを披露し、喜ばしいと返答した。同日付の継豊宛書状とは献上者が異なる。

  7. 追録4-No.1880 豊岡・浦尾・高瀬から吉貴への宗尹婚儀返書

    豊岡・浦尾・高瀬は、吉貴の十二月二十三日付書状を受け、徳川刑部卿宗尹とその御簾中が無事に十一月二十五日の婚儀を済ませたことへの祝いを謝した。吉貴が宗尹夫妻へ祝意を述べた書状の趣旨も伝え、返礼を申し上げた。

  8. 追録4-No.1881 荻原・岡田・藤枝の新春祝賀と贈物謝礼

    荻原・岡田・藤枝は、吉貴らが健勝で新春を迎えたことを喜び、自分たちも大守らとともに祝っていると知らせた。春の祝儀として受けた書状と目録記載の贈物に礼を述べ、今後も近況を知らせるよう頼む。

  9. 追録4-No.1882 荻原・岡田・藤えの竹姫・菊姫登城報告

    荻原・岡田・藤えは吉貴方の近況を尋ね、竹姫が菊姫とともに正月十六日に本丸へ年礼に入り、祝いを受けたと知らせる。公方から拝領物があり、その一部が関係者にも分けられたことを伝えた。

  10. 追録4-No.1883 土岐頼稔の歳暮御内書交付通知

    土岐頼稔は、歳暮の祝儀に対する御内書を渡すため、翌二十一日の五ツ半時に家来を江戸城へ登らせるよう継豊へ通知した。

  11. 追録4-No.1884 土岐頼稔から吉貴への増上寺法事香奠返書

    土岐頼稔は、増上寺で執行された法事に際し、吉貴が使者を通じて香奠を献上し、寺へ奉納したと知らせた。この件は将軍にも言上した。

  12. 追録4-No.1885 土岐頼稔から吉貴への東叡山御霊屋参詣返書

    土岐頼稔は公方の健勝を伝え、吉貴が正月十日に東叡山の御霊屋へ参詣したとの報告を承知したと返す。書状の趣旨を老中間で相談し、将軍に上聞した。

  13. 追録4-No.1886 土岐頼稔から吉貴への竹姫・菊姫拝領物返書

    土岐頼稔は公方・右大将・大納言の健勝を伝え、正月十六日に竹姫が大奥へ入った際、菊姫が丁重な上意を受け、公方・右大将から拝領物、右衛門督・刑部卿から贈物を受けたとの報告を承知した。さらに継豊・宗信にも公方から拝領物があったと記す。

  14. 追録4-No.1887 松平乗賢から吉貴への竹姫・菊姫拝領物返書

    松平乗賢は、正月十六日に竹姫が大奥へ入った際、菊姫が丁重な上意を受け、公方・右大将から拝領物、右衛門督・刑部卿から贈物を受けたとの吉貴の報告を承知した。継豊・宗信にも公方から拝領物があったことを記す。同日付の頼稔書状と同件である。

  15. 追録4-No.1888 豊岡・浦尾・高瀬から吉貴への継豊年頭拝謁返書

    豊岡・浦尾・高瀬は、吉貴の二月十二日付書状を受け、継豊が正月七日に幕府へ年頭の礼に出て、将軍への目見えを許され、上意と料理を賜ったことを喜ぶ。吉貴がこの慶事への礼を述べた書状の趣旨も伝えた。

  16. 追録4-No.1889 土岐頼稔から吉貴への増上寺御霊屋参詣返書

    土岐頼稔は公方の健勝を伝え、吉貴が正月二十四日に増上寺の御霊屋へ参詣したとの報告を承知したと返す。書状の趣旨を老中間で相談し、将軍に上聞した。

  17. 追録4-No.1890 中山王尚敬の諏訪瀬島船琉球水主帰還謝礼

    中山王尚敬は、那覇の百姓二人が諏訪瀬島船に雇われ八重山へ渡り、帰帆中に船とともに唐へ漂着した経過を述べる。二人は前年五月に長崎へ送られ、吟味の後に不問とされて琉球へ戻された。尚敬は幕府の威光によって無事に帰還できたことへの謝意を老中へ伝え、将軍への披露を頼んだ。

  18. 追録4-No.1891 松平乗邑から継豊への香具・丸熨斗献上返書

    松平乗邑は、継豊がこの朝に御香具一箱と丸熨斗一箱を献上したことを披露し、喜ばしいと返答した。同日付の乗賢書状と同件である。

  19. 追録4-No.1892 松平乗賢から継豊への香具・丸熨斗献上返書

    松平乗賢は、継豊がこの朝に御香具一箱と丸熨斗一箱を献上したことを披露し、喜ばしいと返答した。同日付の乗邑書状と同件である。

  20. 追録4-No.1893 松平乗邑から吉貴への天英院霊前参詣返書

    松平乗邑は公方の健勝を伝え、吉貴が二月二十八日に増上寺の天英院霊前へ参詣したとの報告を承知したと返す。書状の趣旨を老中間で相談し、将軍に上聞した。

  21. 追録4-No.1894 松平信祝から吉貴への刑部卿邸御成返書

    松平信祝は公方・右大将・大納言の健勝を伝え、三月十三日に公方が徳川刑部卿宗尹の邸へ赴いたことを吉貴が喜んだと承知した。書状の趣旨を老中間で相談し、将軍に上聞した。

  22. 追録4-No.1895 松平乗賢から継豊への大納言宛菖蒲兜献上返書

    松平乗賢は、継豊が使者を通じ大納言へ菖蒲兜一飾を献上したことを、滞りなく披露したと知らせた。

  23. 追録4-No.1896 種子島時成の島津家系図系譜記載指示

    種子島時成は、御記録奉行に対し島津家の系図・系譜へ載せる人物と順序を指示した。姫君の母方では清閑寺家の官位と実名を記し、於喜代は養女となった年限だけでなく実際の出生順と養女の格式を考慮して記載する。佐土原家へ縁組した島津久茂・久供の娘については、養女関係や後年の居住先に応じ、系図と御譜への記載範囲を…

  24. 追録4-No.1897 吉宗の端午帷子単物献上受領の御内書

    吉宗は、継豊が端午の祝儀として帷子単物を献上したことを喜んで受領したと御内書で伝えた。詳しい返答は松平左近将監に託すと記す。

  25. 追録4-No.1898 松平乗賢から継豊への端午帷子単物献上返書

    松平乗賢は、継豊が端午の祝儀として使者を通じ帷子単物を献上した件を披露し、喜ばしいと返答した。同日付の吉宗御内書と対応する。

  26. 追録4-No.1899 本多忠良から吉貴への東叡山御霊前参詣返書

    本多忠良は公方の健勝を伝え、吉貴が四月二十日に東叡山の御霊前へ参詣したとの報告を承知したと返す。書状の趣旨を老中間で相談し、将軍に上聞した。

  27. 追録4-No.1900 本多忠良から吉貴への増上寺御霊屋参詣返書

    本多忠良は公方の健勝を伝え、吉貴が四月晦日に増上寺の御霊屋へ参詣したとの報告を承知したと返す。書状の趣旨を老中間で相談し、将軍に上聞した。

  28. 追録4-No.1901 土岐頼稔から吉貴への酷暑見舞い・鰹節献上返書

    土岐頼稔は、吉貴が酷暑の折に公方・右大将・大納言の機嫌を尋ねたことに答え、三人の健勝を伝える。添えて献上された鰹節一箱を老中間で相談して披露し、喜ばしいと返した。

  29. 追録4-No.1902 松平乗賢から吉貴への酷暑見舞い・鰹節献上返書

    松平乗賢は、吉貴が酷暑の折に公方・右大将・大納言の機嫌を尋ねたことに答え、三人の健勝を伝える。鰹節一箱の献上を披露して喜ばしいと返した。同日付の頼稔書状と同件である。

  30. 追録4-No.1903 土岐頼稔から継豊への琉球産物献上返書

    土岐頼稔は、継豊がこの朝に琉球布一箱・砂糖漬天門冬一器・赤貝塩辛一器・琉球泡盛酒二壷を献上したことを披露し、喜ばしいと返答した。

  31. 追録4-No.1904 松平乗賢から継豊への琉球産物献上返書

    松平乗賢は、継豊がこの朝に琉球布一箱・砂糖漬天門冬一器・赤貝塩辛一器・泡盛酒二壷を献上したことを披露し、喜ばしいと返答した。同日付の頼稔書状と同件である。

  32. 追録4-No.1905 松平乗邑の端午御内書交付通知

    松平乗邑は、端午の祝儀に対する御内書を渡すため、翌二十五日の五ツ半時に家来を江戸城へ登らせるよう継豊へ通知した。

  33. 追録4-No.1906 豊岡・浦尾・高瀬から吉貴への土用見舞い返書

    豊岡・浦尾・高瀬は、吉貴の五月二日付書状を受け、公方・右大将・大納言の健勝を伝える。吉貴が土用中にも右大将の機嫌を尋ねたことを承知し、その趣旨を丁重に伝えたと返す。

  34. 追録4-No.1907 荻原・岡田・藤えの八朔祝賀と近況

    荻原・岡田・藤えは、吉貴らの健勝を喜び、江戸でも菊姫を含む一同が無事であると伝える。八朔の祝儀を述べ、目録に記された贈物を受けて祝ったことを知らせ、相手方の近況を引き続き求めた。

  35. 追録4-No.1908 松平乗邑から継豊への生見玉祝儀返書

    松平乗邑は、継豊が生見玉の祝儀として黄金十両を献上したことを披露し、喜ばしいと返答した。同日付の乗賢書状と同件である。

  36. 追録4-No.1909 松平乗賢から継豊への生見玉祝儀返書

    松平乗賢は、継豊が生見玉の祝儀として黄金十両を献上したことを披露し、喜ばしいと返答した。同日付の乗邑書状と同件である。

  37. 追録4-No.1910 松平乗邑から吉貴への東叡山御霊前参詣返書

    松平乗邑は公方の健勝を伝え、吉貴が五月八日に東叡山の御霊前へ参詣したとの報告を承知したと返す。書状の趣旨を老中間で相談し、将軍に上聞した。

  38. 追録4-No.1911 吉宗の御鷹雲雀下賜と宗信の謝礼

    吉宗は島田荘五郎政氏を芝邸へ遣わし、御鷹所で捕らえた雲雀を継豊に下賜した。同日、嗣子宗信が継豊に代わって老中各位の屋敷へ赴き、拝領の礼を述べた。

  39. 追録4-No.1912 「全上、正文在右筆所」のみを記す注記

    この印刷番号には「全上、正文在右筆所」という所在注記のみがあり、独立した書状本文・日付・差出人は掲載されていない。前後の文書本文から用件を補わない。

  40. 追録4-No.1913 琉球進貢・接貢料銀吹替え謝礼手続の報告

    中山王が清国向け進貢・接貢料銀の吹替え許可への謝礼書状と贈物を送った件について、江戸での手続きを報告する。正徳三年の先例を調べ、南風原親方の書状を持参した伊地知猪兵衛らが老中へ書状・進上物目録を提出し、受理・返書の扱いを確認した。姫君・太守・薩州様や家老向け贈物の披露、先例と異なる書状文言の修正、使…

  41. 追録4-No.1914 継豊の野間御崎沖唐船難破・救助届

    継豊は、薩摩国加世田村の野間御崎沖で唐船が暴風により難破したと届け出た。乗組員七十四人のうち六十人が助かり、十四人が溺死した。生存者を保護して飢えを救い、遺体・荷物・船の扱いを警固したうえ、唐人の希望に従い薩摩の船と役人を付けて長崎へ送る方針を記す。

  42. 追録4-No.1915 宗信から中山王への年頭使翰・贈物謝礼

    宗信は、中山王から年頭の賀儀として使いの書状と別目録記載の贈物を受けたことを喜び、後日の対面を期すと返答した。同日付の継豊書状と対応する。

  43. 追録4-No.1916 継豊から中山王への年頭使翰・贈物謝礼

    継豊は、中山王から年頭の賀儀として使いの書状と別目録記載の贈物を受けたことを喜び、後日の対面を期すと返答した。同日付の宗信書状と対応する。

  44. 追録4-No.1917 松平信祝から継豊への八朔祝儀返書

    松平信祝は、継豊が八朔の祝儀として使者を通じ太刀一腰と馬代黄金十両を献上した件を披露し、喜ばしいと返答した。同日付の乗賢書状と同件である。

  45. 追録4-No.1918 松平乗賢から継豊への八朔祝儀返書

    松平乗賢は、継豊が八朔の祝儀として使者を通じ太刀一腰と馬代黄金十両を献上した件を披露し、喜ばしいと返答した。同日付の信祝書状と同件である。

  46. 追録4-No.1919 松平信祝から吉貴への東叡山位牌所参詣返書

    松平信祝は公方の健勝を伝え、吉貴が六月九日に東叡山の位牌所へ参詣したとの報告を承知したと返す。書状の趣旨を老中間で相談し、将軍に上聞した。

  47. 追録4-No.1920 豊岡・浦尾・高瀬の菊姫拝領物報告返書

    豊岡・浦尾・高瀬は吉貴の七月二十七日付書状に答え、竹姫が六月二十八日に使者を遣わし、菊姫が公方から藍摺縮一重を拝領したことへの吉貴の喜びを伝えた。吉貴の礼の書状の趣旨も申し上げると返した。本文末には寛保三年とのみあり、月日は記されていない。

  48. 追録4-No.1921 本多忠良から吉貴への刑部卿簾中安産祝儀返書

    本多忠良は、徳川刑部卿の御簾中の安産を祝って吉貴が干鯛一箱を献じたことを披露し、喜ばしいと返答した。No.1922は同じ献上について松平乗賢が吉貴へ送った返書である。

  49. 追録4-No.1922 松平乗賢から吉貴への刑部卿簾中安産祝儀返書

    松平乗賢は、徳川刑部卿の御簾中の安産を祝って吉貴が使者を通じ干鯛一箱を献じたことを披露し、喜ばしいと返答した。No.1921の本多忠良書状と同件である。

  50. 追録4-No.1923 本多忠良から継豊への刑部卿簾中安産祝儀返書

    本多忠良は、徳川刑部卿の御簾中の安産を祝って継豊が干鯛一箱を献じたことを披露し、喜ばしいと返答した。No.1924は同じ献上について松平乗賢が継豊へ送った返書である。

  51. 追録4-No.1924 松平乗賢から継豊への刑部卿簾中安産祝儀返書

    松平乗賢は、徳川刑部卿の御簾中の安産を祝って継豊が使者を通じ干鯛一箱を献じたことを披露し、喜ばしいと返答した。No.1923の本多忠良書状と同件である。

  52. 追録4-No.1925 本多忠良から宗信への刑部卿簾中安産祝儀返書

    本多忠良は、徳川刑部卿の御簾中の安産を祝って宗信が干鯛一箱を献じたことを披露し、喜ばしいと返答した。No.1926は同じ献上について松平乗賢が宗信へ送った返書である。

  53. 追録4-No.1926 松平乗賢から宗信への刑部卿簾中安産祝儀返書

    松平乗賢は、徳川刑部卿の御簾中の安産を祝って宗信が使者を通じ干鯛一箱を献じたことを披露し、喜ばしいと返答した。No.1925の本多忠良書状と同件である。

  54. 追録4-No.1927 琉球進貢・接貢料銀吹替許可後の謝礼手続

    前年、継豊が幕府に願い出た琉球から清国へ送る進貢・接貢料銀の吹替えが許可され、その旨を琉球へ知らせた。中山王は謝礼の書状を南風原親方に託して薩摩へ送り、継豊は伊地知猪兵衛にその書状を江戸へ運ばせた。猪兵衛は本多忠良邸で中山王の書状と継豊の上書を差し出し、奉書を受けた経緯を記す。

  55. 追録4-No.1928 継豊による中山王謝礼書状の幕府への提出

    継豊は、領内の琉球から清国へ送る進貢・接貢料銀の吹替えが願いどおり許可され、前年秋に中山王へ知らせたと述べる。このたび中山王から謝意を記した書状が継豊宛てに届いたため、その書状を差し出して幕府に報告した。

  56. 追録4-No.1929 琉球進貢・接貢料銀吹替え謝礼の正徳三年先例

    琉球から清国へ送る進貢・接貢料銀の吹替えについて、正徳三年に幕府が許可した際の先例を記す。在国中だった吉貴に中山王から謝礼書状が届き、薩摩から使札で幕府へ報告して書状を当時の御用番井上河内守へ内見として差し出した、と確認する。

  57. 追録4-No.1930 継豊から中山王への吹替許可謝礼手続の返書

    継豊は、清国向け進貢・接貢料銀の吹替えが幕府から願いどおり許可されたことを受け、謝礼のため南風原親方を薩摩へ遣わした中山王の書状を読んだ。書状の趣旨を老中たちに申し伝えた旨を中山王に返答する。

  58. 追録4-No.1931 吉宗から継豊への重陽祝儀御内書

    吉宗は、重陽の祝儀として継豊から小袖一重が届いたことを喜び、詳しい返答は本多中務大輔忠良から伝えると記した。No.1932は同じ献上に対する松平乗賢の返書である。

  59. 追録4-No.1932 松平乗賢から継豊への重陽祝儀返書

    松平乗賢は、継豊が重陽の祝儀として使者を遣わし、小袖一重を献じたことを将軍へ披露し、喜ばしいと返答した。No.1931の吉宗御内書と同件である。

  60. 追録4-No.1933 宝島に漂着した唐人四人の救護と長崎移送届

    継豊は、薩摩領七島の宝島沖に七月九日小船が現れ、翌十日に荒磯へ打ち寄せられて唐人四人が上陸したと報告した。四人は厦門から乗船し六月十三日の暴風で漂流したと述べた。島では食事と住まいを与え警固し、唐人の希望で破損船を処分した。八月七日に山川港へ送り、荷物とともに役人・警固を付けて長崎へ移す方針を記す。

  61. 追録4-No.1934 野間御崎沖難破唐船の長崎引渡し報告

    継豊は、先に加世田村野間御崎沖で難破した唐船の乗組員と荷物を、薩摩から船と警固を付けて長崎へ送ったと追加報告した。八月九日に長崎奉行側が異状なく受け取ったとの国元家来からの知らせを伝える。No.1914の難破届の後報に当たる。

  62. 追録4-No.1935 本多忠良から継豊への中山王謝礼書状返書

    本多忠良は、琉球から清国へ送る進貢・接貢料銀の吹替えが許可されたことについて、中山王から届いた謝礼書状と継豊の書状を受け取ったと伝える。書状の趣旨を関係者と相談し、将軍に上聞したと返答する。

  63. 追録4-No.1936 中山王謝礼書状と幕府奉書受領の経過報告

    樺山・鎌田は、進貢・接貢料銀吹替え許可への謝礼として中山王が送った書状を本多忠良に提出した後の経過を報告する。九月十八日に本多邸へ出向いて御用人石原と面談し、幕府からの奉書を受領した。中山王宛て返答書状の扱いも確認し、奉書と関係書状を国元へ送る旨を記す。

  64. 追録4-No.1937 中山王への奉書・返書の扱いに関する追記

    No.1936の行間に朱書された追記である。中山王の謝礼書状を幕府に提出して奉書を受けたことを中山王へ伝えるべきか、先例を調べたが見当たらず、伺った結果、今回特段の書状は不要とされた。また、琉球使者への返書は先月十五日に先例どおり渡し、奉書は手元に保管したと記す。独立した連署書状とは扱わない。

  65. 追録4-No.1938 宝島漂着唐人四人の長崎引渡し報告

    継豊は、宝島へ漂着して船が破損した唐人四人と荷物を八月に山川へ送った後、船と警固の者を付けて長崎へ送ったと報告する。先月八日、長崎奉行側が異状なく受け取ったとの国元家来の知らせを伝える。No.1933の後報である。

  66. 追録4-No.1939 本多忠良から継豊への重陽御内書受取通知

    本多忠良は、重陽の御内書を渡すため、翌日の五ツ半時に家来を江戸城へ差し向けるよう継豊に通知した。漂着者・船荷の返答ではない。

  67. 追録4-No.1940 土岐頼稔から吉貴への将軍家・刑部卿簾中安産近況返書

    土岐頼稔は吉貴の書状を読み、公方・右大将・大納言の健勝を伝えた。吉貴が徳川刑部卿の御簾中の安産を聞いて喜んだことを承知し、その旨を書状の趣旨とともに将軍へ上聞したと返答する。

  68. 追録4-No.1941 松平乗賢から吉貴への刑部卿簾中安産返書

    松平乗賢は吉貴の書状を受け、公方・右大将・大納言の健勝を伝えた。吉貴が徳川刑部卿の御簾中の安産を聞いて喜んだことを承知し、その趣旨を将軍に上聞したと返答する。No.1940の土岐頼稔書状と同件である。

  69. 追録4-No.1942 藤ゑ・岡田・荻原から島津権左衛門への近況返書

    三人は島津権左衛門宛てに、諸方と大守・姫君・子らの健勝を喜び、刑部卿の御簾中の安産について公方・右大将から大守・姫君へ祝儀の品が下されたこと、重陽にも例年どおり拝領物があったことへの謝意を伝えた。返事を一通の書状にまとめた旨も記す。

  70. 追録4-No.1943 松平信祝から吉貴への寒中伺い・献上返書

    信祝は、吉貴が寒中に公方・右大将・大納言の機嫌を伺った書状に返事し、三者とも健勝であると伝えた。あわせて吉貴から一箱の品が献上されたことを披露し、喜ばしいと述べる。献上品名はこの画像では判読を保留する。

  71. 追録4-No.1944 松平乗賢から吉貴への寒中伺い・献上返書

    乗賢は、吉貴が寒中に公方・右大将・大納言の機嫌を伺った書状に返事し、三者とも健勝であると伝えた。あわせて吉貴から一箱の品が献上されたことを披露し、喜ばしいと述べる。献上品名はこの画像では判読を保留する。

  72. 追録4-No.1945 吉貴への御鷹鶴下賜と種子島久達の謝礼使節

    吉宗が御鷹所の鶴一隻を薩摩の吉貴へ奉書とともに下賜した。十二月十八日に薩摩へ届き、吉貴は返書と謝礼使節を江戸へ送った。使節の種子島弾正久達は翌年二月に江戸へ到着し、三月に吉宗・家重に拝謁して太刀・馬代・紗綾などを献上した。幕府からの返書を受け、五月に薩摩へ戻って復命するまでの経過を記す。

  73. 追録4-No.1946 老中四人から吉貴への御鷹鶴宿継送付通知

    松平乗邑・信祝・本多忠良・土岐頼稔は連署して、公方・右大将・大納言の健勝を伝え、吉貴が拝領した御鷹の鶴を宿継ぎで送ったと通知した。No.1945の下賜経過、No.1947の輸送文書と同件である。

  74. 追録4-No.1947 御鷹鶴と書状箱の江戸・薩摩間輸送指示

    幕府が、吉貴宛ての書状箱と鶴一隻を江戸から薩摩の鹿児島まで宿継ぎで届けるよう命じた通行文書。返札を江戸月番の老中へ急いで持参することも指示する。No.1946の老中連署通知と対応する。

  75. 追録4-No.1948 継豊への御鷹鶴下賜と宗信の謝礼

    十月十五日、吉宗は使者大津式部基寛を芝邸へ遣わし、御鷹所で捕らえた鶴一隻を継豊に下賜した。継豊の嫡子宗信は同日、継豊に代わって老中各位の屋敷へ赴き、拝領の礼を述べた。No.1945の吉貴への鶴下賜とは別件である。

  76. 追録4-No.1949 松平信祝から継豊への蜜柑・炙鮎献上返書

    信祝は、継豊が同朝に蜜柑二箱と炙鮎一箱を献上した件を披露し、喜ばしいと返答した。No.1950は同じ献上に対する松平乗賢の返書である。

  77. 追録4-No.1950 松平乗賢から継豊への蜜柑・炙鮎献上返書

    乗賢は、継豊が同朝に蜜柑二箱と炙鮎一箱を献上した件を披露し、喜ばしいと返答した。No.1949の松平信祝書状と同件である。

  78. 追録4-No.1951 京泊唐船難破と乗員六十二人の救護届

    継豊は、薩摩国水引村京泊に唐船が漂着し、荒天で岸近くの砂瀬に乗り上げて破損したと届けた。乗員六十二人のうち六十一人を救助し、一人は溺死した。生存者に食事と住まいを与え、警固を付けて荷物と船を調べた。船を修理して長崎へ送れるか見極め、使えなければ別船で乗員・荷物を長崎へ移す方針を記す。

  79. 追録4-No.1952 吉宗から継豊への歳暮小袖受領御内書

    吉宗は、歳暮の祝儀として継豊から小袖一重が届いたことを喜び、詳しい返答は松平伊豆守信祝から伝えると記した。No.1953の松平乗賢書状と同件である。

  80. 追録4-No.1953 松平乗賢から継豊への歳暮小袖献上返書

    松平乗賢は、継豊が歳暮の祝儀として使者を通じ小袖一重を献上したことを披露し、喜ばしいと返答した。No.1952の吉宗御内書と同件である。

  81. 追録4-No.1954 本多忠良から継豊への若菜祝儀返書

    本多忠良は、継豊が若菜の祝儀として鯛一折を献じたことを披露し、喜ばしいと返答した。単なる年頭祝儀とはせず、本文の「若菜」を記す。

  82. 追録4-No.1955 本多忠良から継豊への年頭太刀・馬代返書

    本多忠良は、継豊が年頭の祝儀として使者を遣わし、太刀一腰と馬代黄金十両を献じた件を披露し、喜ばしいと返答した。宛先は吉貴ではなく松平大隅守の継豊である。

  83. 追録4-No.1956 継豊の神仏施設修造・勧農・年貢徴納三箇条

    継豊が正月十一日に出した吉書。神社仏閣の修造・興行、勧農への専念、国々の年貢の徴納という三箇条について、条文どおり処置するよう命じる。本文には軍馬に関する指示はない。

  84. 追録4-No.1957 老中四人から吉貴への年頭太刀・馬代返書

    松平乗邑・信祝・本多忠良・土岐頼稔は連署して、吉貴が年頭の祝儀として使者を遣わし太刀一腰と馬代黄金十両を献じたことを披露し、喜ばしいと返答した。継豊宛てのNo.1955とは献上者を区別する。

  85. 追録4-No.1958 松平乗賢から継豊への若菜鯛献上返書

    松平乗賢は、継豊が若菜の祝儀として鯛一折を献じたことを披露し、喜ばしいと返答した。正月七日付のNo.1954と同じ若菜の贈答に関わる。

  86. 追録4-No.1959 松平乗賢から継豊への右大将・大納言年頭祝儀返書

    松平乗賢は、継豊が年頭の祝儀として使者を遣わし、右大将と大納言に太刀・馬代黄金を献じたことを披露し、喜ばしいと返答した。献上先は大納言のみではなく右大将と大納言の二者である。

  87. 追録4-No.1960 松平乗賢から吉貴への右大将・大納言年頭祝儀返書

    松平乗賢は、吉貴が年頭の祝儀として使者を遣わし、右大将と大納言に太刀・馬代黄金を献じたことを披露し、喜ばしいと返答した。No.1959は同趣旨の継豊宛て返書である。

  88. 追録4-No.1961 藤ゑ・岡田・荻原らの年始祝儀返書

    藤ゑらは年始の祝儀の書状に答え、相手方の健勝と家中がにぎやかに春を迎えたことを喜んだ。こちらでも年始を祝っており、目録どおりの品を進めたことへの謝意を述べ、幾久しく平穏であるよう願う。

  89. 追録4-No.1962 藤ゑ・岡田・荻原らの年頭鏡飾り返書

    藤ゑらは年頭の知らせに答え、相手方の健勝を喜んだ。こちらでも大守らがそろって春を迎え、年頭の祝いとして鏡飾り一飾りを進めたことを感謝し、今後も変わらぬ健勝を願う。菊姫の病状に関する書状ではない。

  90. 追録4-No.1963 近衛内前から継豊への年甫祝賀返書

    近衛内前は、年初の祝賀と目録どおりの贈物を受けたことを喜び、継豊が無事に年を越したことを賀した。今後の便りを期す短い返書である。

  91. 追録4-No.1964 抱真院への虚空蔵菩薩一躯寄進証状

    鎌田太郎右衛門政直は、薩州様から寄進された虚空蔵菩薩一躯を抱真院に安置すべきことを証した。寄進物と安置先を明示する証状である。

  92. 追録4-No.1965 吉貴旧蔵の槍二本・長刀一振を忠紀に下賜

    二月三日、吉貴が家督時代に持っていた対の槍二本と持替えの長刀一振を忠紀に賜る命が出た。島津久道がこれを伝え、証書を添えた。No.1966は道具の由来と受領・保存についての書付である。

  93. 追録4-No.1966 槍二本・長刀一振の由来と拝領に関する久道証状

    久道は、対の槍二本と長刀一振について、槍は吉貴が家督のときに所持し、長刀は持替えの道具だったと記す。今回忠紀が拝領したため、家宝として大切にするよう求め、久道が取次をした証として書付を出した。

  94. 追録4-No.1967 菊姫の疱瘡後初参上を伝える連署消息

    藤ゑらは、菊姫が疱瘡後に初めて参上したことを伝える。正月十二日、姫君と菊姫が本丸へ出向いて将軍に対面し、将軍も菊姫の回復を喜んだという。菊姫の病中見舞いではなく、回復後の参上と祝賀を中心に記す。

  95. 追録4-No.1968 菊姫近況と島津宇平太の伝言に対する返書

    藤ゑらは、菊姫が元気でいることを喜び、近況を伝えた書状への謝意を述べた。また、今回上って来た島津宇平太を通じて伝えられた相手方の口上にも感謝し、当地の様子をさらに知らせてほしいと返答する。病状報告とは記さない。

  96. 追録4-No.1969 近衛内前から継豊への使者・書状返礼

    近衛内前は、継豊が使者に託して届けた書状と贈物を受け、季節の挨拶と平安を祈る言葉を返した。引き続き無事であることを伝える短い返書である。

  97. 追録4-No.1970 歳暮御内書の翌日受取を求める松平信祝通知

    松平信祝は、歳暮の御内書を渡すので、翌日の五ツ半時に家来を江戸城へ差し向けるよう継豊に通知した。御内書の受渡し日時と使者派遣だけを伝える文書である。

  98. 追録4-No.1971 江戸の延享改元と薩摩への伝達

    江戸で寛保四年二月二十九日に元号が延享へ改められ、その知らせが三月二十一日に薩摩へ届いたことを継豊の御譜が記す。No.1973は吉貴の御譜に同じ改元と到着日を記したもの。

  99. 追録4-No.1972 藤ゑ・岡田・荻原らの上巳祝儀返書

    藤ゑらは上巳の祝儀の書状に答え、相手方一同が健勝でにぎやかに祝ったことを喜ぶ。こちらも祝い、目録どおりの品を進めたことへの謝意を述べ、菊姫にも同じ趣旨を伝えるよう頼む。病中見舞いの書状ではない。

  100. 追録4-No.1973 吉貴御譜に記す延享改元と薩摩への伝達

    寛保四年二月二十九日に延享へ改元し、三月二十一日にその令が薩摩へ伝わったことを吉貴の御譜が記す。No.1971は継豊御譜の同趣旨の記載。