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附録1の目録
旧記雑録 年代不詳の文書・記事です。
全1,072件中 301~400件・4 / 11ページ
附録1-No.301 川上久国書状
川上久国が豊後守に、陣中の大将役二人と談合衆六人が任命され、今後の調整はこの体制で行うとの命令を伝えた書状。児玉筑後守からの仰せを受け、甲斐掃部介・有馬左近将監にも申し含めたとしている。
附録1-No.302 渋谷氏鹿児島参仕座配書立状
渋谷氏が鹿児島へ参仕した際の座配を書き立てた文書。忠隆公の御代における主居・客居の配置を示し、入来院・伊地知・高城・祁答院・東郷・樺山・北郷など各家の席次を図示する。
附録1-No.303 伊地知重貞・本田兼親連署書
伊地知重貞・本田兼親が新納家中に、若殿から初めて書状を受けたことを祝い、太刀一腰と馬一疋の進上に対する礼を述べた連署書状。年末で日数がないため、返礼の件を披露するよう依頼する。
附録1-No.304 村田経安書状
村田経安が新納家中に、新年の祝意と、前年以来の長期在陣への労いを述べた書状。本田から事情を伝えるとし、たびたびの懇意と音信に謝意を示す。また屋形様の気分が平癒したため、土用中は養生していると報告する。
附録1-No.305 喜入忠誉書状
喜入忠誉が新納に、海路が不便で長く無音となったことを詫び、懇切な音信に謝意を示した書状。使僧が相州へ越山する件を承知し、詳細はその使僧に託したとしている。
附録1-No.306 伊東祐商書状
伊東祐商が新納に、以前使僧を受けたことへの謝意を述べ、今後も懇意を願った書状。新納方の母堂への依頼、庄内城の番衆などの用件について触れ、委細は使者に託す。
附録1-No.307 新納忠勝書状
新納忠勝が杉三河守に、乱劇のなかで不適切な事態があったことに触れ、義伝芳院が事情を詳しく知っているので確認できると伝えた書状。従来の親交を踏まえて、今後も変わらぬ助力と取り計らいを依頼する。
附録1-No.308 新納忠勝書状
新納忠勝が本庄に、近年音信を欠いたことは本意ではなく、今後は以前のように交誼を結びたいと伝えた書状。取り持ちを依頼し、贈物として厚板一端を進上する。
附録1-No.309 島津忠朝書状
島津忠朝が本庄に、祭礼に関する音信を謝し、妻の落髪を思い留まらせたとの知らせを喜んだ書状。鷹がまだ渡ってこないことや古い鷹は役に立ちにくいことを述べ、新たな鷹を所望している。
附録1-No.310 彦山政所坊信梁書状
彦山政所坊信梁が新納家中に、吉例として祈祷巻数と牛王宝印を進上し、嘉運長久の祈念を怠らないと伝えた書状。遠方のため無音となったことを詫び、詳細は使僧の口上に託す。
附録1-No.311 島津忠朝書状
島津忠朝が新納に、安千代への懇意や楠間での一夜滞在について取り計らいを求め、音問への謝意を述べた書状。当所の神事は親の代から恒例に行っており、見物に来るよう勧め、委細は使者に託す。
附録1-No.312 島津忠朝書状
島津忠朝が新納に、先日の対面後もそのことを話していると伝え、小笠懸の見物に来訪するよう勧めた書状。本田が前日に到着したことを知らせ、詳細は豊州から伝えるとしている。
附録1-No.313 島津忠弘書状
島津忠弘が新納近江守に年頭の慶賀を述べ、先方で弓箭の事態が不慮に進んだとの風聞を案じた書状。従来の交誼に基づき、便宜を得て書状を送り、表革三枚・七領形一双を進上する。
附録1-No.314 相良義滋書状
相良義滋が新納に年頭の慶賀を述べ、交通が途絶して音信を欠いたことを詫びた書状。猶妙法寺が来訪するので事情を託し、表革三枚・七領形一双などの進上品を添える。
附録1-No.315 新納忠勝進上品注文
新納忠勝が進上する品々を書き上げた注文。太刀一腰(友成)や栗毛の馬一疋などを列記し、各品の特徴・付属物を注記する。
附録1-No.316 進藤長英書状
進藤長英が島津豊後守に、未だ直接交信していないため書状で事情を伝え、家門や匠作への助成・取り成しを依頼した書状。公私の零落を訴え、委細は使節の節春色山伏に託す。
附録1-No.317 島津忠朝書状
島津忠朝が進藤筑後守に書状の披見を伝え、修理大夫任官に際する厚意を謝した書状。糸や五明三本の贈物を受け取り、京都の不慮の錯乱下での馳走を求め、詳細は使節に託す。
附録1-No.318 近衛信尹書状
近衛信尹が喜入摂津守に、京都で不慮の錯乱が起こり諸事に窮しているため、この機会の助力を求めた書状。詳しい事情は進藤筑後守から伝えるとしている。
附録1-No.319 近衛尚通書状
近衛尚通が京都の不慮の錯乱に際して助力を求めた書状。在謙方舎人家来の小林が中宿野田和泉家にいるとの伝来注記があり、五明三本を遣わし、詳細は進藤筑後守から伝えるとしている。
附録1-No.320 近衛信尹書状
近衛信尹が新納武蔵守に、京都で不慮の錯乱が生じ諸事に頼る先がないため、奔走と助力を求めた書状。詳細は進藤筑後守から伝えるとしている。
附録1-No.321 川上忠智書状
川上忠智が神力坊に、相良家との干戈によって交通が不自由な状況を述べ、二度派遣された使僧への謝意を伝えた書状。仲陽以前に清坊中平から申し上げた件は上聴に達したが、国内が戦闘の最中で海陸とも不自由なため実現困難としている。
附録1-No.322 新納忠元書状
新納忠元が神力坊らに、番所の人員不足を補うため二十人余を配置し、肝要の場所を堅固に守るよう命じた書状。勤務日数を閉じて報告すること、諸事の処置を怠らないことを求める。
附録1-No.323 新納忠元書状
新納忠元が丸田久右衛門尉に宛てた書状。馬越之前目を加増として拝領したことを伝え、明後日二十六日を吉日として、加増地に関する段取り、槍兵への指示、大隅殿への案内と番衆一人の派遣などを命じている。前段には丸田久右衛門尉について、天正五年以来の合戦歴、十六歳以来三十八人を討ち取ったこと、加藤式部左衛門尉を…
附録1-No.324 新納忠元書状
新納忠元(抽斎)が丸田仲右衛門尉に宛てた書状。普請の労苦を察し、人衆二十人を加勢させるよう申し付けたことを伝える。工事の進み具合を尋ね、参加した者を日記に記して報告すること、各人の苦労についても知らせることを求めている。
附録1-No.325 新納忠元書状
新納忠元(抽斎)が丸田久右衛門尉に宛てた書状。鯨一疋の件と客来への対応について、申し入れが届かないため直書を送ったことを伝える。宮路早右衛門にも帰宅時に堅く申し付けたが、兵粮・雑事などが十分に届かず意外千万であるとして、油断の事情や野心の有無を問い、詳しい返答を求めている。
附録1-No.326 三献式次第覚書
年頭の三献式における参加者の座次・献数を書き留めた覚書。惟新をはじめ川上・新納・北郷・樺山・入来院・吉利・菱刈・伊地知・根占などを列挙し、三献・一献等の区分を示す。
附録1-No.327 梅北国兼書状
梅北国兼が鹿屋に、返事を承知したが世上の隔たりによって申し通じにくい状況を述べた書状。一家中が同心して大事を請け合うよう求め、老名とも急ぎ相談して道行きを整えることを依頼する。
附録1-No.328 某書状
差出人守邦が鹿屋に、龍右記方へ伝えた書状の趣旨を承知し、詞堂料足十貫文を受け取ったと報告した書状。詳しい用件は相手が来訪した際に相談するとし、返事を求める。
附録1-No.329 新納久利書状
新納久利が山田安藝に、先日の使者と狩物に関する知らせへの対応を述べ、近日の出仕・会合や兵衆の手配について相談した書状。急用があれば中野方を通じて知らせるよう求める。
附録1-No.330 限江匡久書状
限江匡久が山田安藝守に、愛元の処遇や北原との親類関係、豊州の命令に伴う調法について相談した書状。鹿児への使僧を上洛させること、折節殿の道場法事、関係者の出仕などを取り計らうよう求める。
附録1-No.331 限江匡久書状
限江匡久が山田安藝守に、豊州への出船・旅程、紀伊守や池袋方との連絡、使僧・使者の取り扱いなどを相談した長文の書状。梶原・原殿らへの働きかけ、贈物や宿所、両所へ遣わす書状の処置を詳しく指示する。
附録1-No.332 限江匡久書状
限江匡久が山田安藝守に、先日の面談を喜び、城誘に対する用心を第一とするよう求めた書状。西賢が自邸に滞在していること、伝言を承ったことを知らせ、今後の成り行きへの配慮を促す。
附録1-No.333 限江匡久書状
限江匡久が山田安藝守に、来訪と音信への謝意を述べ、渡海が祢寝殿・肝付殿を待つため延引していると知らせた書状。十六日に舟津へ向かい、両家を立てて相州へ飛脚を出すことなどを相談する。
附録1-No.334 限江匡久書状
限江匡久が山田安藝守に、名乗りの扱いをよく検討するよう求め、当地滞留中の音信を披露したと伝えた書状。御屋形・豊殿から腰物を受け取ったこと、出頭や相州への働きかけについて依頼する。
附録1-No.335 限江匡久書状
限江匡久が山田安藝守に、鞍に用いる冬毛の皮一枚を所望し、所持者がいれば取り次ぐよう頼んだ書状。四ヶ所衆や蒲生・北郷・佐多らの動向、番城誘や三夜の滞在、祢寝・肝付との連絡についても報告する。
附録1-No.336 限江匡久・中野歳信連署書状
限江匡久・中野歳信が山田安藝守に、番城誘を堅く守り油断しないよう命じた連署書状。境目に敵が見える場合は毎日人数を出して時機を示すこと、本田紀伊や北郷方との連絡、清水の警固を怠らないことを求める。
附録1-No.337 限江匡久書状
限江匡久が山田安藝守に、本田紀伊が伯耆方へ礼のため赴くことを知らせ、当地の人数が少ないため清水の番に配備するよう求めた書状。尾州清水への移動や北郷方の動向を見極め、番衆を整えるよう指示する。
附録1-No.338 限江匡久書状
限江匡久が山田安藝守に、山東・池袋・都城から相次いで使僧や使者が来訪し、寸暇もない状況を伝えた書状。相手方の落ち着いた暮らしを羨むと述べ、当地の多忙な政務・取次事情を知らせる。
附録1-No.339 限江匡久書状
限江匡久が山田安藝守に、北郷方が心変わりすれば都城へ攻め懸かる可能性があるので油断しないよう警告した書状。今明日の間に情勢が明らかになるとして、北郷との談合、城戸の守備、弓矢を備えた番衆の配置を求める。
附録1-No.340 限江匡久書状
限江匡久が山田安藝守に、末吉から帰って肝付へ赴いた労苦と、主君の帰着を報告した書状。三俣の風説が急迫しているため豊州との参会を求め、伊地知・梶原・池袋方との同心、武具と境目の備えを依頼する。
附録1-No.341 限江匡久書状
限江匡久(正久)が山田安藝守に、樺山殿・三河殿の来訪を伝え、来る十三日に廻へ出動するため殿四郎を出張させ、十五歳以上六十歳以下の者と出家を残らず動員するよう命じた書状。重ねて油断なく軍勢を整えるよう求める。
附録1-No.342 限江匡久書状
限江匡久(正久)が山田安藝守に、去る二十二日夜に相州方が伊作城へ攻め入り有力者を多数討ち取ったこと、南郷も掌握したことを報じ、来月三日から廻・敷根方面へ三日間続けて出動するよう命じた書状。軍事行動に備えて油断しないよう促す。
附録1-No.343 限江匡久書状
限江匡久(正久)が山田安藝守に、蒲生衆・祁答院衆の働きを賞し、北原・伊作方などの動向と城中の警固、祁答院衆と御屋形衆の合戦・死傷状況を伝えた書状。神水を用いた結束にも触れ、情勢に即した対応を求める。
附録1-No.344 限江匡久書状
限江匡久(正久)が山田安藝守に、廻で勝利を得たことを喜び、その後の山東方面への進発について伝えた書状。鷹を所望した件への謝意を述べ、引き続き油断なく備えるよう求める。
附録1-No.345 島津道恵(伊作宗久)書状
島津道恵(伊作宗久)が山田三郎に、津野殿の使者が持参した二月三日付書状を三月十一日に受領したと返答した書状。国内がなお静謐でないため情勢の報告を求め、所持品・身辺への配慮を述べるとともに、七、八月頃の下向を見込み、早急に城を普請しておくよう命じる。
附録1-No.346 島津道恵(伊作宗久)書状
島津道恵(伊作宗久)が、山伏の便で届いた書状への返答として、国内ではなお城一つも落ちず静謐まで二、三年を要しそうだとの情勢を述べた書状。しばらくして下向する意向を示し、和田城を堅固に普請して領内の拠点を整え、諸事を入道殿と相談するよう求める。
附録1-No.347 東郷重位書状
東郷重位が児玉筑州に、長らく音信がなく会う機会もないことを案じ、山陰での暮らしを迷惑に感じている心情を和歌に託して送った書状。末尾で歌を一笑して火中に投じるよう述べる。
附録1-No.348 某申状
差出人不詳の者が、三十余年前に仁礼右近を頼って御老中へ医道稽古のための暇を願い、許可された経緯を記した申状。島津家久から児玉筑後を介して懇意の上意を受けたこと、今回の下向に際して桂八左衛門・伊東次郎右衛門らを通じ再び訴状を提出し、国元での披露を願ったことを述べる。
附録1-No.349 児玉利昌書状
児玉利昌が伊東新兵衛の近習に、伊東の健康状態を聞き及んで養生を勧め、篳篥を稽古するため長吉兵左衛門から一節借り受けたことを伝えた書状。その篳篥は兵右衛門家伝来の品であり、自分の物を入手した際には返却するよう求め、召し下された名誉を踏まえて稽古に励むよう勧める。
附録1-No.350 近衛尚通書状
近衛尚通が上井伊勢守に、初めて書状を送り、今度の京都での不慮の錯乱により諸事に対処し難いため、匠作への使札について然るべく取り成すよう依頼した書状。品三本を送ったことを付記し、詳細は進藤筑後守から伝えるとする。
附録1-No.351 諏訪某起請文前書
差出人不詳の者が、龍伯・惟新・少将を同等に仰ぎ、別心なく奉公することを誓った起請文前書。少将に疎意を持つ者には親子兄弟であっても同心せず、若輩ゆえの不届きには折檻を受け、家中で私的な入魂・連判を行わず、身上に疑いがあれば糺明を受けると誓約する。
附録1-No.352 伊勢貞知書状
伊勢貞知が上井伊勢守に、先の使者への謝意を述べ、家門からの書状と品十本を取り次いだことを伝えた書状。近く参上する意向を示し、以前からの交誼を懐かしみ、今回会えなかったことを惜しんで、関の小刀五本を音信として贈る。
附録1-No.353 有馬晴信書状
有馬晴信が伊集院右衛門大夫・上井伊勢守に、相手方の堺への着陣と二国掌握を祝し、自身が西目へ渡海して各地を調略したことを報じた書状。大村丹後入道の子を長崎まで出して懇望を受け入れたこと、伊佐早・津境方面の処置と援兵を求め、少人数でも派遣されれば当国の静謐は速やかに実現すると訴える。
附録1-No.354 某覚書
差出人不詳の覚書。日州への使者、安国寺からの書状、島津忠棟の納得を前提とする礼物・役人への依頼、京都周辺での金銀借用などを条々に記す。京都の薩州関係者や飫肥方面の動向、福地・福田との交渉、畿内へ向かう船便、日州口の防備について上井伊勢守側の判断と早急な対応を求める。
附録1-No.355 近衛前久書状
近衛前久が上井伊勢守に、豊薩の和睦についてたびたび申し越していたが、春以来の大坂での奔走により返答が遅れたと述べた書状。織田信長のため伊勢因幡守を下向させることを伝え、双方が同心するよう取り成すこと、大鷹を差し上げることを求め、扇十本を送ったと付記する。
附録1-No.356 島山直興書下
島山直興が入来院氏側に、先月二十八日付の注進状を当月五日に受領したと返答した書下。薩州の凶徒らが味方に参じたことを喜び、所望された御教書二通を送付するとともに、相手の疲労を気遣う。
附録1-No.357 入来院重門書状
入来院重門が澁谷新平次入道に、櫛など預けた品の扱いをめぐる事情を伝え、とら五郎を介して品を受け渡すよう依頼した書状。品々の返却・保管について指示し、七月中に所領を寄進する意向も伝える。
附録1-No.358 今川了俊書状
今川了俊が澁谷美濃守に、音信を祝し、前年にも申し伝えた一揆の件を再び聞いたため案文一通を送った書状。後日に内容が変われば双方にとって不都合であるとして、案文の趣旨をよく理解して対応するよう求める。
附録1-No.359 今川了俊書状
今川了俊が澁谷馬五郎に、河辺庄をめぐって谷山・鮫島らが命令に従わない件への対応を述べた書状。守護人の再出兵や八代方面での私戦を戒め、国人・一族は公方の御用に立つべきこと、京都で沙汰を受ける可能性を伝えて心得を求める。
附録1-No.360 今川了俊書状
今川了俊が名和に、澁谷五郎の本領安堵について注進し、斎藤美濃入道への書状も送ったので支障はないと伝えた書状。澁谷五郎への特別な評価をすでに京都へ申し入れたことを述べ、今月・来月頃の島津方の動向にも触れる。
附録1-No.361 今川了俊書状
今川了俊が、島津氏久・伊久らの帰属と九州の軍事情勢について指示した書状。島津両人が味方であることを京都へ報告したとし、八代へ出陣して忠節を示すこと、国人・一族が公方の命に従うことを求める。自身の上洛中は安国寺に事情を尋ね、名和と協議するよう命じる。
附録1-No.362 今川了俊書状
今川了俊が澁谷氏一門に、島津氏久父子がなお参陣しない場合は討治し、参陣した場合は速やかにこちらへ出陣するよう指示した書状。氏久討治の際には兵部大輔と合戦して忠節を示すこと、一門内の所領相論は一時差し置き、双方の文書に基づいて裁定を受けることを求める。
附録1-No.363 今川了俊書状
今川了俊が澁谷氏・和泉氏らに、両島津の振る舞いが改善したとして一揆の結束を固め、その旨を京都および大隅・薩摩の人々へ通知するよう求めた書状。国人の力を借りて守護人の不儀に対処した経緯を述べ、天草郡人との一揆は伊予守が同行するため不要であると伝える。
附録1-No.364 今川了俊書状
今川了俊が澁谷馬五郎に、麾下へ参じたことを祝し、薩州守護人の違乱は天下のため度々成敗してきたので私情を捨てるべきだと述べた書状。事情を記した自筆状一通を一門へ送り、今後いっそう大功を立てるよう期待する。
附録1-No.365 今川了俊書状
今川了俊が澁谷清敷に、これまで大将への合力を尽くしたことを評価し、今後も将軍家への忠節を専一にするよう求めた書状。島津方の進退を注視し、一族が一致して凶徒に加担しないよう命じ、軍勢を速やかに集めて五日以内に出陣させるよう督促する。
附録1-No.366 酒匂伊景書状
酒匂伊景が村尾三河に宛てた書状。福田陣で承った谷山関係の一筆について、取り込みのため遅延したことを詫び、今回送付するので適切に処理してほしいと伝え、返答を求めている。No.229と同文。
附録1-No.367 伊勢貞豊書状
伊勢貞豊が澁谷五郎に、質人が到着すれば翌日に帰り、五日以内に軍勢を引き揚げる予定を伝えた書状。先手衆を川向こうへ移し、小早川・柳川らの陣所や軍勢配置を知らせ、油断なく武庫・久保にも連絡するよう求める。
附録1-No.368 渋谷重村着到状
渋谷重村が御奉行所に、美作国河某所の地頭である渋谷五郎四郎重村および原八郎が参洛したことを届け、奉行所で披露するよう求めた着到状。
附録1-No.369 島津常久書状
島津常久が入来院三左衛門尉に、京都滞在中に石州から事情を聞き、先方が諸事に辛労していることを労った書状。留守中のことを特に心配しているが、下向の時期も近いと聞くので安心するよう伝え、詳しくは面談時に話すとする。
附録1-No.370 入来院重高書状
入来院重高が入来院尾張守・東郷吉兵衛に、江戸から赤子を殺す行為を禁じる命令が下されたことを伝えた書状。分国全体で同様に徹底し、家中の歴々から百姓以下、男女・子供を問わずよく申し付けるよう命じ、詳細は口上で伝えるとする。
附録1-No.371 入来院重朝書状
入来院重朝が入来院尾張守に、敵味方の動向と境目の警固について報じた書状。又八郎兄弟への扶持や本瀬越中の雇用を相談し、麓の用心が必要として内手衆に働きかけ、足軽二、三十人を翌日派遣すると伝える。あわせて馬一疋を贈り、適切に扱うよう頼む。
附録1-No.372 入来院重次書状
入来院重次が入来院尾州の人々に、本名字の回復について祁答院播磨守を頼み、一書を得て本意を遂げたことへの謝意を述べた書状。源左衛門尉の一門となったことを老齢の身の満足とし、礼が遅れたことを詫びる。
附録1-No.373 入来院重次書状
入来院重次が下村左衛門尉に、以前和泉へ赴いた際の面談を懐かしみ、系図を書写して送られたことを多年の本望として深く感謝した書状。系図を末代の重宝とし、今後も必要時には相互に披見し、隔心なく交誼を続ける意向を述べる。
附録1-No.374 入来院重高書状
入来院重高が下村左衛門尉に、船の建造について大口・高尾野両所と相談するよう求めた書状。自身の帰宅後に木材・軍役人数などを具体的に決めるとし、年内は日数がないため無理に進めず、改めて指示すると伝える。
附録1-No.375 入来院重頼書状
入来院重頼が大井十右衛門に、五郎兵衛へ課した役儀に対する詫言について回答した書状。家中に役を命じられる人材が乏しいため、一時でも勤めれば本人のためになると説き、過去の遠流は惜しいが公儀上やむを得なかったとして、再度役儀を命じて勤めさせるよう求める。
附録1-No.376 出水公方用途支配注文
出水において公方関係に用いる用途金を村別に割り付けた注文。御酒などを含む総額・用途額を掲げ、御内分・惣村分・東郷・車内・田海・烏丸・南瀬・斧淵・崎浦・宍野・藤河・山田などについて、町反数と負担額を列記する。出水郷内の費用調達と村別支配の実態を示す。
附録1-No.377 入来院重高書状
入来院重高が宮里治部左衛門尉に、志岐小左衛門尉の身上について、兵部少輔の取り成しにより薩州様・式部様から扶持を与える話がまとまったと知らせた書状。正式な仰せがあるまで重高の知行所に滞在させ、扶持が出るまでは現地で世話をするよう依頼し、追って使者を下すと伝える。
附録1-No.378 吉枝名実検帳
吉枝名の庶子らが分領する土地を実検して記した帳簿。右衛門入道本忍・河縁入道日傳・南入道忍性・馬場入道日性・武光五郎三郎入道主禅らの名を挙げ、保佐田・樺丸・橋口・武津町などの田地を町・段単位で列記し、惣領の日妙知行分も示す。
附録1-No.379 入来武光氏系図
高城郡弁済使ならびに吉枝名の相伝関係を示す武光氏系図。高信・信康・信久・光信・實信・高重らから師重・師永・兼光・盛光・兼重・兼我・伊兼などへ続く系譜を図示し、入来院八代重長・九代重茂の法名や婚姻・親族関係に関する注記も付す。
附録1-No.380 入来院重時書状
入来院重時が東助左衛門に、ある者へ持たせた一種の件は評判が悪いと聞くため差し置くよう伝え、自分に有利になるよう調法を依頼した書状。下総守の船が来た際に一札を預けたこと、遣わされた品への謝意、帰国時期が未定であること、木の子・舞茸の贈答、下総守・杢七郎の無事を喜ぶ旨を述べる。
附録1-No.381 入来院重長一流系図
入来院八代重長を起点とする一流の系図。重長の法名に関する注記を付し、出羽守・越前守・山城守・左馬助・宮内少輔などへ続く子孫・一族関係を系線で示す。入来院氏の支流と家臣層の系譜を伝える記事である。
附録1-No.382 入来院重時宛行状
入来院重時が東郷兵部少輔に、宮里のうち西の薗門一町二反が空き所領となったため、これを確保して知行するよう宛行った文書。所領の所在と面積を簡潔に示す。
附録1-No.383 伊勢貞陸書状
伊勢貞陸が島津豊後守に、渡唐船に関する忠節について池水新左衛門尉から注進があり、上聞に達したところ神妙で感賞すべき旨が示されたと伝えた書状。相手の面目を祝し、詳細は潮口孫右衛門尉が申し伝えるとする。
附録1-No.384 伊勢貞昌書状
伊勢貞昌が種子島武蔵守に、進上された二つの茶入、とくに茄子形の茶入を見事と賞し、一つは所望者があれば取り計らうため預かると伝えた書状。屋敷の件は内膳から申し達すること、貞昌の孫と又三郎との縁組・祝言が整ったことも述べる。
附録1-No.385 島津久元・伊勢貞昌連署書状
島津久元と伊勢貞昌が種子島左近大夫に、茶入への礼として種子島にある蔵入を残らず給付する旨と、西村越前から進上の趣旨が披露され、機嫌よく受け取られたことを伝えた連署書状。贈答への謝意と知行給付を結び付けて通知する。
附録1-No.386 島津久元書状
本文はNo.296と同文のため省略される。島津久元が種子島左近大夫に、茶入の礼として西村越前を遣わし、種子島蔵入四千石余を拝領したこと、銀子一枚の贈答への謝意を伝え、詳細を西村越前に託した書状。
附録1-No.387 本田親存書状
本田親存が伊勢兵部少輔らに、加治木付近に知行を得られれば幸いであり尽力してほしいと依頼した書状。隠居の身で知行がなく思うようにならない事情を述べ、先方に知行の取り口があれば少しでも手を付け、過分にならないよう適切に調達してほしいと求め、詳細は源左衛門に託す。
附録1-No.388 鎌田政統等連署書状
鎌田政統らが本田蔵人に、上使下向に伴う石原での宿泊施設と振舞いの準備を指示した連署書状。宿は仮設程度に軽く造り、数百人の供衆には五、六か所で簡素な食事を供し、普請では前方衆の大工を使わず加治木の使衆と相談して整えるよう命じる。
附録1-No.389 新納久饒書状
新納久饒が本田伊豆守に、駿河からの使者が前日に到着し、駿府の情勢は早晩勝ちに向かう見通しであると報じた書状。軽率に構えず賢慮を求め、その旨を伊勢兵部少輔にも書き送ったこと、自身は病後で直接申し上げられないため、本田から披露してほしいと依頼する。
附録1-No.390 町田久幸書状
町田久幸が比志島掃部助に、ある人物の疱瘡が順調で、道三の見立てでは二、三日中にすっかり回復する見込みだと知らせた書状。別条はなく、この状況を報告するため飛脚を差し下し、急使のため詳細は後便に譲るとして吉報を約す。
附録1-No.391 喜入忠続外四名連署書状
喜入忠続らが諸所の地頭・衆中に示した連署の法度。近年、衆中が生活難などから方々へ離散しているため、地頭へ届けず在所を離れた者は知行を召し上げて御内から離し、私に御内を離れて他人へ奉公する者は重罪とする旨を命じる。
附録1-No.392 喜入忠続・比志島国隆連署書状
喜入忠続と比志島国隆が本田源右衛門に、京都で調達すべき御用物の注文を御荷内衆に持たせたと知らせた連署書状。注文を渋谷四郎左衛門と上井東市正へ渡して品物を調達し、上洛を待つよう指示する。
附録1-No.393 島津久元外二名連署書状
島津久元・伊勢貞昌・比志島国隆が本田源右衛門に、御船の帆柱を蒲生米丸内の牧神山口から運び出すよう命じた連署書状。三百人ほどで曳く材木であるため、蒲生・吉田両所の衆中を動員して四、五日の間に帖佐口まで下ろし、急用に備えるよう指示する。
附録1-No.394 本田親存書状
本田親存が高崎民部少輔・新納小右衛門佐に、蒲生城米の借用に伴う受状について述べた書状。本来は伊地知対馬守の管掌だが、関係する三人を自ら下知して取り成したため未処理であり、使者に持たせて進上すると伝える。上納時に改めて連絡し、自身は加治木普請の見回りで多忙なため書状で済ませる。
附録1-No.395 島津久元・三原重種連署書状
島津久元と三原重種が本田源右衛門に、蒲生御城米の究帳を早急に差し出すよう命じた連署書状。算用奉行衆から度々催促があり、今月中に算用を済ませる必要があるため、これ以上の延引がないよう厳命する。
附録1-No.396 喜入忠続・川上久国連署書状
喜入忠続と川上久国が本田蔵人に、去々年分の煙草出銭がいまだ未納であることを厳しく咎めた連署書状。延引は重い曲事であるとして、三日以内に全額を揃えて当地の蔵衆へ渡し、少しも猶予しないよう命じる。
附録1-No.397 伊勢貞昌書状
伊勢貞昌が本田源右衛門らに、谷山衆中の有馬主馬之允が吉田町人から買い取った者が逃走した件について、仲介人が女房を有馬へ渡す旨の証文を作っていたと述べた書状。前年七月以来未解決であるため、公儀の判断に従って早急に処理するよう依頼する。
附録1-No.398 山田有栄・市来家繁連署書状
山田有栄と市来家繁が本田源右衛門らに、蒲生衆の天辰二右衛門から瀬口主税助が知行高九石余を永代買得した件を伝えた連署書状。現地で事情を詳しく聞き、従来から異儀がなければ、その高を瀬口の知行に加えるよう認める。
附録1-No.399 本田親商書状
本田親商が寺沢志摩守に、先日の来訪時に十分な対面ができなかったことを詫び、茶・酒や今焼の皿を贈られたことへの満足を伝えた書状。さらに見事な脇差など種々の贈物を拝領した厚意に深く謝し、詳細は使者に託す。
附録1-No.400 島津久元・伊勢貞昌連署書状
島津久元と伊勢貞昌が川上将監・弾正大輔に、甑島は海を隔てた一所で旅人が集まるため、奉行格の者を常置して統制すべきだと命じた連署書状。伊賀守を地頭兼申老者として琉球へ派遣した事情や、市来八左衛門らによる統治を踏まえ、無届の移動や他人への奉公を禁じる従来の法度を改めて徹底させる。