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附録1の目録

旧記雑録 年代不詳の文書・記事です。

全1,072件中 1~100件・1 / 11ページ

  1. 附録1-No.1 沢某覚書条書

    沢氏所蔵文書から、萬善六町内二町九段、正八幡宮領の稲林寺平村田薗、大隅国栗野郷村下八町などを列挙した覚書。氏久の天授三年八月十九日判や、正八幡宮の造営料・立願に関する寄進状、元久の明徳三年・応永三年の判、神宮寺大智庵の記事を控える。

  2. 附録1-No.2 土持摂津入道雲也書状

    土持摂津入道雲也が沢永温らに、早風殿の仮屋地が完成したことを喜び、御簾に関する相談を了承した書状。事情に不案内なので現地で調え、必要な代物は自方から進上すると伝え、留守中の紀左丹後守らの帰宅後に改めて礼を述べるとする。追而書で曾木利右衛門尉への取次ぎも頼む。

  3. 附録1-No.3 本田重経書状

    本田重経が沢殿に、祈祷のため馬二疋を神宮へ進上し、そのうち鹿毛で斑文のある一疋を現地に留め置くよう伝えた書状。本文は『旧記雑録前編二』No.1153と同文である旨が注記される。

  4. 附録1-No.4 盛朗書状

    本文は『二六二二号文書と同文』との注記だけを掲げて省略されている。巻末目録では盛朗書状・十月廿九日とするが、確認した『旧記雑録前編一』No.2622は島津貞久書下で日付・標題が一致せず、参照先または目録表記の再確認を要する。

  5. 附録1-No.5 島津氏重書注文

    藤野氏伝来分を含む島津氏関係の重書を、巻数・通数、正文・案文の別、案件別に列挙した注文。異国降伏祈祷、蒙古人襲来、薩州御家人の守護催促、警固、悪党・博奕、市来院、筥崎宮、走湯山、殺害人行延男、将軍家御書、元暦・承久年間の下文などを記録している。

  6. 附録1-No.6 島津氏重書注文

    藤野氏伝来分を含む島津氏関係の重書を列挙した注文。殺害人行延男の件、宮崎宮祭、市来院、走湯山、官途、大隅・日向両国の守護職、市来井田郷、船上からの将軍家御書・返事、貞和・康永・観応・正平年間の御教書・綸旨・合旨などを、巻・通数と正文・案文の別を付して控える。

  7. 附録1-No.7 相馬胤綱一流系図

    相馬胤綱一流の系図に関する記事。本文は別番号文書と同文である旨を注記し、この箇所では系図本文を省略している。

  8. 附録1-No.8 四条東洞院敷地相伝系図

    四条東洞院の敷地相伝を示す系図の記事。本文は別に収録された系図の一部に当たるため、この箇所では省略した旨を注記する。

  9. 附録1-No.9 島津国久書状

    島津国久が、信輔を相手方の地に逗留させたことを伝え、信輔は若輩なので隔心なく意見を加えてほしいと頼んだ書状。滞在は長くない見込みであるため、芳意を添えて世話をしてほしいとし、後便を期す。

  10. 附録1-No.10 近衛前久書状

    近衛前久が改年の賀詞を述べ、龍山宛の書状を披見したこと、長く音信が途絶えていたことへの思いを伝えた書状。見参のしるしとして扇三本を送り、詳しいことは大蔵少輔から申し伝えるとする。

  11. 附録1-No.11 近衛信尹書状

    近衛信尹が、龍山から相手方へ送られた書状を披見したことを伝え、長らく音信が途絶えていたことへの遺憾を述べた書状。見参のしるしとして扇三本を送り、詳しいことは大蔵少輔が申し伝えるとする。

  12. 附録1-No.12 近衛信尹書状

    近衛信尹が、前年秋に禁裏近辺へ堂上衆が派遣されて以後、家門の諸事が不如意であると伝えた書状。助成を求めて古川主膳入道を遣わしたので馳走してほしいと頼み、扇子五本を送り、詳細は進藤筑後守から伝えるとする。

  13. 附録1-No.13 進藤長治書状

    進藤長治が、御殿焼失への助成を求めて同族の左馬允を派遣したことを伝えた書状。別途送った書状の内容に従い、相手方が左馬允を馳走してくれるよう頼む。

  14. 附録1-No.14 進藤長治書状

    進藤長治が、同族の左馬允の上洛時に書状と唐糸一斤を贈られたことへ謝意を述べた書状。不断光院が帰国するので、相手方の家門で諸事を取り計らい馳走してほしいと頼む。

  15. 附録1-No.15 進藤長治書状

    進藤長治が、相手方の上洛後に連絡が途絶えたことを詫び、修理大夫の使者として古市長門守が上洛したと伝えた書状。修理大夫が筆を染めた短冊十枚を進上し、詳しくは後便で述べるとする。

  16. 附録1-No.16 進藤長治書状

    進藤長治が、家門の使者として不断光院が下向するので、添えた書状の趣旨を心得てほしいと頼んだ書状。貴国で諸事を馳走することは家門の祝着になるとし、修理大夫への取成しも求める。

  17. 附録1-No.17 進藤長治書状

    進藤長治が、便がなく長く連絡できなかったことを詫び、両殿への取成しと近況の知らせを求めた書状。兵部大輔には別紙を送れないため伝達を頼み、詳しいことは新介から申し入れるとする。

  18. 附録1-No.18 進藤長治書状

    進藤長治が、使者として長く滞在した際に受けた種々の馳走と懇意へ謝意を述べた書状。家門への進物を披露し、祝着の旨を記した書状と、合点を得た一巻を進上すると伝える。

  19. 附録1-No.19 進藤長治書状

    進藤長治が、先に贈られた和歌への感謝を述べ、急便のため自作を返せないことを詫びた書状。予期せず下向した際の馳走と懇意に謝し、早速上洛して家門へ報告するとし、兵部大輔や光明寺寒汀齋らへの取次ぎも頼む。

  20. 附録1-No.20 進藤長治書状

    進藤長治が、懇ろな使者と種々の音信に謝し、龍山からの書状の趣旨を披露して返書を出したことを伝えた書状。好便がなく連絡できなかったことを詫び、家門が当地へ来るため距離が近くなることを喜び、詳報を後に期す。

  21. 附録1-No.21 進藤長治書状

    進藤長治が、使者の古川主膳入道を遣わしたことを知らせた書状。家門の御殿が禁裏近所へ移され、諸事不如意で調達が難しいため、助成と使者への馳走を頼み、家門の祝着になると伝える。

  22. 附録1-No.22 進藤長治書状

    進藤長治が、特別な用件はないが好便を得て消息を伝えた書状。相手方が以前上洛した際に進上した沈香は念入りに選ばれた良香で、家門がたびたび祝着の意を示していると述べ、京都で相応の用件があれば申し入れるよう勧める。

  23. 附録1-No.23 進藤長治書状

    進藤長治が、長く好便がなく音信できなかったことを詫び、前年の書状が届いたかを尋ねた書状。領国の無事と肥州方面の事が意向どおりに収まったことを祝し、機会があれば相応の取成しを頼む。

  24. 附録1-No.24 進藤光盛書状

    進藤光盛が、使者として左衛門大夫を派遣したので、領国内の事情に不案内な同人を馳走してほしいと頼んだ書状。以前不断光院の下向時にも書状を送ったこと、相手方から贈られた笠子を秘蔵していること、過去の懇意を忘れず上洛を待っていることを述べる。

  25. 附録1-No.25 進藤光盛書状

    進藤光盛が、派遣した左衛門大夫が受けた種々の馳走を聞き、謝意を述べた返書。紅花一斤の贈与にも感謝し、以前自ら下向した際の懇意を今も忘れず、再び訪ねて対面したいと伝える。

  26. 附録1-No.26 不断光院清誉書状

    不断光院清誉が、使者の進藤左衛門大夫を通じて伝授の件を整えたと知らせた書状。大閤が病気で自筆できないため原本を送り、相手方で書写してこの便で返すよう求め、詳細は岩崎新介が説明するとする。

  27. 附録1-No.27 不断光院清誉書状

    不断光院清誉が、進藤の上洛時に受けた懇ろな書状へ謝意を述べた書状。古今集に関する相談と進上物を喜び、天目を贈るとの申し出に恐縮し、翌年には下向して礼を述べたいと伝える。

  28. 附録1-No.28 不断光院清誉書状

    不断光院清誉が、当年の下向を予定していたが近衛殿の強い要請で延期したと詫びた書状。翌年の下国を期し、進藤左衛門大夫への厚遇に感謝し、大閤の死去や御聞書の受領にも触れ、岩崎新介が詳述するとする。

  29. 附録1-No.29 飛鳥井雅教書状

    飛鳥井雅教が、好便を得て消息を伝え、前年に橘陰から聞いた委細を踏まえて翌年の下向を予定すると知らせた書状。太守への取成しを頼み、詳しいことは使僧から説明させるとする。

  30. 附録1-No.30 飛鳥井雅教書状

    飛鳥井雅教が、前年の上洛時にたびたび会ったことを懐かしみ、約束どおり下向する予定が大内周防介の強い引留めで延期になったと伝えた書状。翌春の下国を約し、橘景への伝達を頼み、板物一端を贈って詳細は平田兵衛尉に託す。

  31. 附録1-No.31 四辻季遠書状

    四辻季遠が、宗養の宿所で対面できたことを喜び、その後の様子を尋ねた書状。座右に置いていた勅筆の掛字を贈り、今後はたびたび音信したいと述べ、詳しくは瀬尾某左衛門尉に託す。

  32. 附録1-No.32 近衛信尹書状

    近衛信尹が、京都で不慮の錯乱が起こり諸事に方策がないため、匠作へ使者の書状を送ったと伝える文書。この機会に匠作を馳走してほしいと頼み、詳細は進藤筑後守から伝えるとする。

  33. 附録1-No.33 本多正純書状

    本多正純が、奥州様が下向して両御所へ礼を述べ、無事に帰国したことを伝えた書状。琉球での苦労と尽力に謝意を示し、同行した久太郎の成長を喜び、太刀一腰・馬代銀子三枚・段子二巻の贈答にも礼を述べる。

  34. 附録1-No.34 飛鳥井雅庸蹴鞠伝授状

    飛鳥井雅庸が、蹴鞠の門弟であることを示す十骨扇の所持を枇杷山久太郎に許可した伝授状。

  35. 附録1-No.35 近衛稙家書状

    近衛稙家が三十首の和歌を一首ずつ披見し、いずれも優れていると評価した書状。自らの批評は信用に足りないと謙遜しつつ墨付を施し、練子一端の贈答に謝意を述べ、後便を期す。

  36. 附録1-No.36 近衛稙家書状

    近衛稙家が、長く音信できなかったことを詫び、前年春の病中には他筆で書状を送ったと述べた書状。丁子香五斤の贈与に感謝し、百人一首は誤りが多いものの染筆したと伝え、今後の交信を期す。

  37. 附録1-No.37 松尾頼元書状

    松尾頼元が、前年の下向時に受けた厚遇へ謝意を述べた書状。入江殿が上洛して進物を届けたこと、官位について本所から尽力することを伝え、青蓮院殿筆の天神名号を贈り、詳細を侍者に託す。

  38. 附録1-No.38 日野町資将書状

    日野町資将が、上洛後に便りがなかったところ思いがけず書状を受けたことを喜んだ書状。春に福昌寺僧の下国に託した書状の到着を尋ね、家門への願いを披露して返書と百人一首の御本を得たことを伝え、唐皮・瑠璃瓶・唐食籠・緞子を贈る。

  39. 附録1-No.39 日野町資将書状

    日野町資将が、上洛後に会えず残念に思っていたところ書状を受けたことを喜んだ書状。丁子香二斤の贈与を重ねて秘蔵すると述べ、再会を願い、詳しいことは本庄右兵衛尉から伝えるとする。

  40. 附録1-No.40 尊朝法親王書状

    尊朝法親王が、長期の在陣の苦労を察し、前年に当門の大工新四郎の件で受けた厚意へ謝意を述べた書状。新四郎が再び下国するため、相応の下知と配慮を加えてほしいと頼む。

  41. 附録1-No.41 角田広継書状

    角田広継が、前年の下向時に家門の書状を私的に樺山殿へ差し出したとの風聞を否定し、天文十九年の使者下向では本所方の書状と御屋形様への二箇条だけを携えたと弁明した書状。大和殿らの証言を挙げ、飛鳥井殿下向時に初めて樺山殿と対面したとして、疑念を解くよう求める。

  42. 附録1-No.42 新納忠元書状

    新納忠元が、瀬戸に滞在していたため返書が遅れたことを詫びた書状。相手の意向を本右・白次の両人から披露させ、上洛については事情を詳しく聞いたものの、当面は思いとどまるのがよいとの返答を伝える。

  43. 附録1-No.43 末弘入道鈎江書状

    末弘入道鈎江が、孤舟斎が用事で蒲生へ赴いて当地に滞留していることを知らせた書状。囲碁の相手として長道守・王佐渡が同心している近況を伝え、相手が二日ほどのうちに鹿児島へ来るかどうか返事を求める。

  44. 附録1-No.44 長積書状

    長積が、重田備州を介した書状への返礼とともに、当地の難しい事情を報じた書状。新納武州の関与、地下年寄衆の異見、十郎左衛門尉の他出を経て大口の争いが無事に収まったと伝え、鹿児島に出頭した新納武州とも相談して善左衛門尉の進退を支援するよう頼む。

  45. 附録1-No.45 某書状

    差出人不詳の人物が、久しく出入りしなかった八代へ赴き、牧弥五郎の件が義陽の代に定められた成敗どおり処理されたことへの謝意を述べた書状。弥五郎の兄が自分たち親子を狙うとの風聞に対し強い措置を求め、子孫のためにも今後の支援を頼む。あわせて双方の近況と女子衆の消息を伝える。

  46. 附録1-No.46 島津義虎書状

    島津義虎が、以前借りた六巻書について、弓箭が続いて写し取れなかったため、なお借用して静かに書写したいと頼んだ書状。必要な時にはすぐ返すとし、書札の書や残存する巻についても確認を求め、あわせて近況と贈物を伝える。

  47. 附録1-No.47 本田親歳書状

    本田親歳が、若い者の心得のため検断に関する古い証跡を送った書状。以前の証跡は東福寺脇の役所で失われ、家に残る証跡を持たせたと述べる。親類に写させて原本を返すこと、祖父・父の筆録には落字や仮名遣いの不備があり得ること、享禄元年以来の書付を閲覧に供することを伝える。

  48. 附録1-No.48 鑑法書状

    鑑法が、先春の申し入れに対する丁寧な返書と内々の取り成しへ謝意を述べた書状。遠国のため音信が滞ったとし、真光寺の使節が出国する機会に書状を託し、その寺が当地の事情に不案内なので万事支援してほしいと頼む。別紙で贈られた二品も受領したと伝える。

  49. 附録1-No.49 津興書状

    津興が、前年夏の上洛後に音信が途絶えていたことを詫び、国中の静謐を尋ねた書状。長年の大望に関わる用事が多いため帰国を延ばし、来春から夏ごろの下向を見込むと伝える。御屋形様父子・典厩様への取り成しと、寺家の修理・諸役・公事を怠りなく処理し、老齢の報忍寺にも配慮するよう求める。

  50. 附録1-No.50 某条書

    戦陣での処置と恩賞の基準を箇条書きにした文書。伊東との合戦時の命令、下地に背く者の連座、豊後守殿・北郷殿の衆や城の切岸に関する扱い、熟練者の披露、征矢・手火矢による忠節、未熟者への所領安堵、親子が同じ戦場に出た際の高名者への所領給付などを定める。

  51. 附録1-No.51 島津義虎書状

    島津義虎が、若手火矢の狙いに関する秘伝を贈られたことと、書物を多数借りたことへ謝意を述べた書状。書札の巻物は書写して返し、六巻書も静かに読み終えて来春早々に返すと約束し、年賀のしるしとして一品を贈る。

  52. 附録1-No.52 法印頼金書状

    法印頼金が、使僧を遣わし、判物と福寿院への取り成しに謝意を述べた書状。一瓢様の意向で平原之門と十穀園之門を替えて与えられたため、後日の証文として十穀園五十貫の員数を記し、金吾様の判を添えて交付してほしいと頼む。

  53. 附録1-No.53 島津久元・山田有栄連署書状

    島津久元と山田有栄が、老齢で病を得た本仏寺の僧に帰寺して養生するよう勧めた連署書状。来年三月には薩州様の帰国前に再び上るよう求め、乗船については当地の船奉行へ申し渡したので心得るよう伝える。

  54. 附録1-No.54 島津忠嘉書状

    島津忠嘉が、帖佐衆中の安楽五郎左衛門尉と伊地知丹波守との入組を処理するよう求めた書状。両者は以前にも公儀へ事情を申し上げ、再び参上したので、事情を知る相手方から当奉行衆へ相談し、解決に導くよう頼む。

  55. 附録1-No.55 安楽兼惟申状

    安楽兼惟が、自力で高麗へ渡って鎌田主助のもとで二年奉公したこと、鎌田玄蕃に従って出陣し惟新の帰国に供奉したことを列記した申状。奉公の認定を豊州・惟新へ求めたものの、隠居や談合未決、中納言様・薩州様の上洛で返事が延びたため、今度は地頭を頼って披露と取り成しを願う。

  56. 附録1-No.56 肝付兼続証状

    肝付兼続が、当家へ忠節を尽くした安楽大和守の筋目を踏まえ、安楽因幡守を二男として扶持すべき旨を認めた証状。先神領のうち借屋之門と同屋敷二所を与え、社頭の儀に異議がないよう定めて証文を渡す。

  57. 附録1-No.57 山田有信書状

    山田有信が、安楽大炊助が自分の負担分を皆済し、三か月分の用意銀を自力で持参したことを高く評価した書状。三か月を過ぎた後は、上米の割当または国元から出す軍役米の内から支給するよう伝える。

  58. 附録1-No.58 伊集院久治書状

    伊集院久治が、石槽船の遅延を受け、帖佐・鹿児島からの出船状況を報じた書状。すでに二十二、三艘ほどが出たとし、肝付殿や内場方からも十~十五艘を回し、一人の奉行を乗せて国分方の船元と連携させ、油断なく早々に多数出船するよう命じる。

  59. 附録1-No.59 安楽兼申状

    安楽兼が、各地での軍役と戦功を箇条書きにした申状。水俣・天草方面、有馬、八代、島原、岩屋、豊後の竹宮・阿蘇の竹宮などで、自力による長期奉公、番役、攻城、敵将・敵兵の討取を重ねた経歴を列挙し、奉公の実績として申告する。

  60. 附録1-No.60 伊勢貞昌書状

    伊勢貞昌が、肝付兼弘の病状を案じた書状。六左衛門尉の書状を見たいこと、快気すれば訪ねたいことを述べ、長い在陣による咳ではないかと推量する。若衆の手伝いや薬代にも触れ、自身も気詰まりで度々患うとして、十分な休息が肝要だと勧める。

  61. 附録1-No.61 伊勢貞昌書状

    伊勢貞昌が、六殿の病気平癒を願って先に差し出した願文の案文を写してほしいと頼んだ書状。前日の厚遇へ謝意を述べ、八月十五夜に暇があれば宴を催したいので光臨してほしいと招く。

  62. 附録1-No.62 伊勢貞昌書状

    伊勢貞昌が、このところ面会できないことを詫び、内々の書物について相談したいと伝えた書状。当日は使務で雲州のもとに終日いるため後日連絡するとし、先刻贈られた見事な二種の品へ謝意を述べ、詳しくは面会時に話すとする。

  63. 附録1-No.63 伊勢貞昌書状

    伊勢貞昌が、相手が釜山浦から帰ったと聞きながら、多忙で連絡できなかったことを詫びた書状。贈られた品に感謝し、内々に話していた書物は国元から取り寄せて見せたいが、当日は番役のため、翌日改めて連絡すると伝える。

  64. 附録1-No.64 北郷時久書状

    北郷時久が、益田勘解由左衛門尉の逗留で返書が遅れたことを詫び、今後の協力を約した書状。日杵院南方は土持太郎兵衛入道の恩賞地で豊前介が知行し、北方には土持宮大丸に関する事情があると説明し、公方の裁定に委ねる意向を示して御教書案文を確認する。

  65. 附録1-No.65 新納忠元書状

    新納忠元が、長く借りていた大切な書物について、体調が戻ってようやく書写できたため返却した書状。写し取りが遅れたことを詫び、幸便に託して返進するので、その旨を適切に披露してほしいと頼む。

  66. 附録1-No.66 川上忠智書状

    川上忠智が、長く借りていた抄物二冊を、詳しく披見したため返却が遅れたことを詫びた書状。源介の便に託して返し、他の書物は自ら持参すると伝える。来春には書写のため再び借りたいので了承を求める。

  67. 附録1-No.67 不断光院清誉書状

    不断光院清誉が、以前の下向時に受けた厚遇への礼が遅れたことを詫びた書状。相手の国元での高名を喜び、帖佐のうち寺家二所を預けられたことを祝う。今後の取り成しを頼み、平穏になれば上洛を待つと伝える。

  68. 附録1-No.68 細川忠興書状

    細川忠興が、加藤肥後父子の国が召し上げられ、江戸から上使が派遣された情勢を知らせた書状。必要なら黒田殿・鍋島殿らと兵を出せるよう準備し、熊本城も命令に従って城を渡すため掃除を進めていると報じ、近隣の相手方の状況を尋ねる。

  69. 附録1-No.69 島津久元書状

    島津久元が、五月中に届いた四通の書状へまとめて返答した長文書状。上洛・知行・扶持、家臣や奉公人の処遇、諸役・贈答・縁組、船便など多数の政務について指示と見解を伝える。問題となった者は扶持を放して追放し、詳しくは摂州老の下向時に相談して返答するとする。

  70. 附録1-No.70 鎌田某・有馬某連署書状

    鎌田与兵衛尉と有馬藤兵衛尉が、久四郎の上洛に際して贈られた餞別への謝意を伝えた連署書状。その厚意を幸相殿へ披露し、武林にも詳しく申し含めたと述べ、今後も適切に取り成すよう頼む。

  71. 附録1-No.71 豊臣秀吉朱印状

    豊臣秀吉が、見舞いとして味噌百桶が到来したことを喜び、詳しいことは石田本頭から伝えるとした朱印状。

  72. 附録1-No.72 豊臣秀吉朱印状

    豊臣秀吉が、年頭の祝儀として太刀一腰と馬代銀子三枚を受け取ったことを喜び、詳しいことは石田治部少輔から伝えるとした朱印状。

  73. 附録1-No.73 豊臣秀吉朱印状

    豊臣秀吉が受領した品々の目録を記した朱印状。砂糖五百斤、大壺一つ、花入二つ、唐金製品一つ、大小の茶碗三つ、唐津物三つ、鍋一つ、金板二十枚、金箔五十枚などを列挙する。

  74. 附録1-No.74 豊臣秀吉朱印状

    豊臣秀吉が、唐船の到着に伴い目録どおり多種の品が取り揃えられて届いたことを特に喜び、詳しいことは石田本頭から伝えるとした朱印状。

  75. 附録1-No.75 豊臣秀吉朱印状

    豊臣秀吉が、遠路から鷹一連が到来したことを喜び、詳しいことは石田本頭から伝えるとした朱印状。

  76. 附録1-No.76 豊臣秀吉朱印状

    豊臣秀吉が、音信として紅糸三十斤が遠路から到来したことを喜び、詳しいことは石田治部少輔から伝えるとした朱印状。

  77. 附録1-No.77 伊集院忠棟・村田経定連署書状

    伊集院忠棟と村田経定が、木原十郎兵衛尉の子息を当年の市来・伊集院間の頭取に定めた連署書状。前年は事情により差し置かれたが、神慮と奉公に関わるため、異議なく了承して役目を命じるよう寄合中へ求める。

  78. 附録1-No.78 山田有栄書状

    山田有栄が、当年最初の鴨を贈られたので十分に料理すると伝え、先日も青鷺を贈られたことに重ねて謝意を述べた書状。後日面会して礼を申し上げたいとする。

  79. 附録1-No.79 本多正信書状

    本多正信が、伽羅二十両と唐の沈香を贈られたことへ謝意を述べた書状。当春の将軍上洛と陸奥守の供奉・逗留を祝い、誓詞以来の親交を確認する。証人衆を下すための使者や宿の手配、大久保相模守・土井大炊頭との相談、翌年の陸奥守下向予定を伝える。

  80. 附録1-No.80 伊勢貞成書状

    伊勢貞成が、翌日に惟新のもとへ赴く予定を知らせた書状。終日雨なら出立は難しいが、朝から晴れれば出立して訪問するので、そのつもりで心得るよう伝える。

  81. 附録1-No.81 伊勢貞成書状

    伊勢貞成が、相手の今朝の登城を喜び、祝儀の品についてまず相手方から申し出てほしいと頼んだ書状。久保与九に関する九年前の件は舎弟甚吉が知っているため、尋ねて調整し、同意してほしいと伝える。

  82. 附録1-No.82 新納久元書状

    新納久元が、先日の参上時に受けた厚遇へ謝意を述べ、惟新の体調を尋ねた書状。川上四郎兵衛尉と本田源右衛門尉へも書状で事情を伝えたので、相手方と相談して適切に披露するよう頼む。

  83. 附録1-No.83 新納忠元書状

    新納忠元が、御馬追に三町衆を出すよう命じられた件について事情を説明した書状。火事で所領持ちの人々の晴着や帷子・肩衣などが焼失し、当日の支度ができる者がいないため、怠慢ではないことを理解してほしいと伝える。

  84. 附録1-No.84 新納忠元書状

    新納忠元が、和野太夫や寺院に関する所領問題を列挙して取り成しを求めた書状。肥後隈府の沙汰人であった和野太夫の扶持・神領、文珠院の隠居付所領、松限寺東堂が願う所領交換などを説明し、事情を聞き分けて配慮するよう頼む。

  85. 附録1-No.85 新納忠元書状

    新納忠元が、鎌田少外記から度々申し越された勘左衛門尉の件に返答した書状。二人の意向を聞き取り、その事情に応じて取り成すと伝える。

  86. 附録1-No.86 新納忠元書状

    新納忠元が、鎌田少外記と同名の外記殿に仕える内衆を返す件について回答した書状。外記殿の意向を詳しく確認するため留めていたが、異議がない旨の一通を受け取れば、本人にも帰るよう固く申し付けると伝える。

  87. 附録1-No.87 新納忠元書状

    新納忠元が、鎌田少外記の被官に関する件へ返答した書状。池上藤右衛門尉の書状も添えられ、勘左衛門尉の意見や成敗の意向を承知したとし、頼って来た者の申し分を踏まえた回答と、詳細は使者から説明させる旨を伝える。

  88. 附録1-No.88 新納忠元書状

    新納忠元が、先日から続く被官の処遇について再度返答した書状。成敗を恐れて自分を頼った者が、今後は油断なく奉公すると申し立てているため、召し置くならまず糺明し、決着後に相談したうえで返すと伝える。

  89. 附録1-No.89 新納忠元書状

    新納忠元が、自分を頼って来た者を直ちに返すのは難しいため、何とか取り成す考えを述べた書状。詳しい使者を出すとの先の返事に対し、当地の祭礼で取り紛れて遅れたが、近日中に必ず使者を送ると約束する。

  90. 附録1-No.90 新納忠元書状

    新納忠元が、頼って来ていた者を園田狩野介方へ返す件について回答した書状。使者を通じて相談した内容に相違はなく、園田狩野介へ連絡して帰すと伝え、狩野介が留守だったため返事が遅れたことを詫びる。

  91. 附録1-No.91 新納忠元書状

    新納忠元が、頼って来た走者の身の振り方について鎌田玄蕃へ回答した書状。本人の進退と行末をよく確かめたうえで内々に相談するよう求め、園田狩野介が祈答院へ出向いて不在のため、十分な返報ができない旨を伝える。

  92. 附録1-No.92 新納忠元書状

    新納忠元が、鎌田玄蕃允から届いた書状の日付と到着日に隔たりがあることを不審とし、眼病のため印判を用いたと断った書状。同名の外記殿の内衆について以前に返答していたが、外記殿の急逝後に事情が改まったため、本人の申し分を十分に聞き届けるよう求める。

  93. 附録1-No.93 新納忠元書状

    新納忠元が、長菊殿の被官をめぐる再度の問い合わせに答えた書状。当人は暇を得て日向へ赴き不在なので、帰還後に存分を聞いて返答するとし、以前に外記殿から成敗の内意を承っていた経緯も踏まえ、事実を聞き届けた後に相談すると伝える。

  94. 附録1-No.94 新納忠元書状

    新納忠元が、求摩から届いた書状の内容を取り次いだ書状。奥州様の船を去る十六日に牛窓で見たとの舟衆の報告を注進し、確かな情報が当地では得られないため国分・鹿児島へはまだ報告せず、受取人の判断に委ねると伝える。

  95. 附録1-No.95 木原徳斎書状

    木原徳斎が、五本松で起きた山賊事件は管轄外なので追及しないよう新納忠元へ伝えた書状。領内の百姓には法度に従い寺社守からも刀狩を実施しており、鹿狩りなどで武具を携え山中で山賊が生じた場合は狩人の責任になると述べる。

  96. 附録1-No.96 三原重庸書状

    三原重庸が、京都で流行する弓矢の形状や好みを伝え、当地の矢筈・矢柄の調達を依頼した書状。細身の材料や焼き方などの仕様を示し、仁礼左近にも申し通じて、必要な品を整えるよう求める。

  97. 附録1-No.97 近衛信尹書状

    近衛信尹が、七月十七日に着岸した後の様子はいずれ詳しく伝えるが、使者が多忙であるため、ひとまず簡略な一書を送ると知らせた書状。

  98. 附録1-No.98 賦所達書

    賦所が、諸士と従者の人数、夫役、船数、乗船地、飯米の受領方法を定めて平田狩野介・上原源右衛門尉へ達した文書。如瀬浦・名護浦へ移動し、山田主計助の指示で乗船すること、三枚帆三艘への割付や三日分の飯米を用意することなどを命じる。

  99. 附録1-No.99 本多正信書状

    本多正信が、新納旅庵の急な上京と長雨の中での苦労を気遣い、国元の状況が良好であることを喜んだ書状。目録記載の品を贈り、近く参上して会うことを望むと伝える。

  100. 附録1-No.100 伊集院忠棟書状

    伊集院忠棟が、重久名を共同で持ち合うため問題が容易に決着しないことを述べた書状。各所で難しい事態が生じた際は、関係する二人が相談して処理するよう求め、まず当面はその方針とし、後日あらためて協議すると伝える。