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附録1の目録

旧記雑録 年代不詳の文書・記事です。

全1,072件中 401~500件・5 / 11ページ

  1. 附録1-No.401 伊勢貞昌書状

    伊勢貞昌が、病中の又八郎を特別に世話してもらっていることに謝意を示した書状。旅先で療養上の不自由があるため一層の助力を頼み、疱瘡を診た者や安斎による脈・顔色の見立てを尋ね、返事を求める。

  2. 附録1-No.402 伊勢貞昌書状

    伊勢貞昌が本田源右衛門に、使者普賢院が九日に到着し、惟新様の書状を受け取ったと伝えた書状。奥州様の上洛延期をめぐり、本多佐州父子や山口殿らが心配していること、駿府・江戸や鹿児島との連絡、御座間敷の整備や進物の沙汰などについて報告する。

  3. 附録1-No.403 伊勢貞昌書状

    伊勢貞昌が三左金らに、前日の次郎四郎による丁重な振舞いへの礼を述べた書状。酒宴で長居し、帰宅後まで酒気が残ったことを恐縮しつつ、荒地や屋敷・奉公人の扱いについても意見を述べ、今後の相談を願う。

  4. 附録1-No.404 伊勢貞昌書状

    伊勢貞昌が有川治部左衛門尉・八木民部左衛門尉に、吉加江内膳の居屋敷を早急に渡すよう求めた書状。自らの知行や屋敷が荒れていることを受け、田掃部・東長左らに管理を命じ、孫八・甚左衛門らの働きや掃除・馬場の整備、小姓らの派遣について具体的に指示する。

  5. 附録1-No.405 伊勢貞昌書状

    伊勢貞昌が本牛兵に、病気見舞いへの礼を述べたうえで、前日に下屋敷で行われた成敗について論じた長文の書状。殿様が処刑を見なかったことを惜しみ、為政者は人の死を軽く扱うべきでないとして、宣王・孟子の故事や牛を羊に替えた譬えを引き、仁道と慎重な裁断の必要を説く。

  6. 附録1-No.406 伊勢貞昌書状

    伊勢貞昌が敷三十らに、茶の進上と隠岐守・志摩守の来訪が首尾よく済んだことを喜んだ書状。初雪に際して黄門様が詠んだ歌と、それに和した漢詩を書き送り、慰みとして披露する。

  7. 附録1-No.407 伊勢貞昌書状

    伊勢貞昌が蜜乗坊に、加治木まで見送られたことへの礼を述べ、殿様の逗留が短く十分に話せなかったことを惜しんだ長文書状。旅の途上での追憶や武士の戦場心得、主君への奉仕、旧知との再会などを論じ、東越前殿の歌を添える。

  8. 附録1-No.408 伊勢貞昌書状

    伊勢貞昌が花林寺に、薩州尊君の疱瘡が早く快方に向かったことを大いに喜び、祈祷の霊験に謝意を示した書状。伊勢鶴の無事にも安堵し、今後御曹子・御姫様が疱瘡に罹る際にも祈祷と守護を頼む。

  9. 附録1-No.409 伊勢貞昌書状

    伊勢貞昌が霧島山座主に、入寺を祝って素紙一箱を贈った書状。寺の由緒と御譜代の関係、参詣者が絶えない霧島山の重要性を述べ、国政の善悪に関する評判にも留意して、勤行・祈祷に励むよう求める。

  10. 附録1-No.410 伊勢貞昌書状

    伊勢貞昌が座主に、遠方から使僧を通じて届いた初物の松茸五本への礼を述べた書状。黄門様の参詣が満足に終わったことを祝い、当地への参府を期待し、弘法大師八百年忌に関する詩序の清書を進献すると伝える。

  11. 附録1-No.411 伊勢貞昌書状

    伊勢貞昌が花林寺に、屋敷の火事後、遠方から早々に見舞いの品を贈られたことへの礼を述べた書状。殿様も深く感悦したと伝え、火災時の驚きと、その後無事に快気したことを報告し、屏風についても尋ねる。

  12. 附録1-No.412 伊勢貞昌書状

    伊勢貞昌が霧島座主に、書状を繰り返し拝読したことへの礼を述べ、花林寺逗留中に受けた祈祷札・守などへの謝意を伝えた書状。それらを江戸へ向かう有川治部左衛門尉に託し、虎寿様のため引き続き精誠を込めた祈念を頼む。

  13. 附録1-No.413 伊勢貞昌書状

    伊勢貞昌が野州・喜入摂津守・比志島宮内少輔に、帖佐長右衛門尉夫妻の処遇を相談した書状。夫妻は又八郎の上洛に供奉し、妻は御姫様誕生時に乳母として留められ、九年間勤仕したため、帰国に際して屋敷・扶持・米などを与えるよう求める。

  14. 附録1-No.414 伊勢貞昌書状

    伊勢貞昌が川上勘解由長官に、木綿足袋三足を贈り、前日に届けられた鹿肉への礼を述べた書状。寒中の薬として数日服用するとし、せっかく来訪を受けながら十分に話せなかったことを惜しみ、再会を期す。

  15. 附録1-No.415 伊勢貞昌書状

    伊勢貞昌が曾木五兵衛尉に、書状を受け取り、小林殿の書状を奥州様へ披露して相談する旨を述べた書状。道頓の書状を進上し忘れたため同封し、内膳の口上や五嶋殿の能、龍伯様から比紀伊までの内証、翌日の国府参府予定などを報告する。

  16. 附録1-No.416 伊勢貞昌書状

    本文はNo.384と同文として省略される。No.384によれば、伊勢貞昌が種子島武蔵守に、進上された二つの茶入、とくに茄子形の茶入を見事と賞し、一つは所望者があれば取り計らうため預かると伝えた書状。屋敷の件は内膳から申し達すること、貞昌の孫と又三郎との縁組・祝言が整ったことも述べる。

  17. 附録1-No.417 島津久慶・川上久国連署達書

    島津久慶と川上久国が新納久辰に、祖先の戦功と代々の家老職における忠勤を中納言様が殊に神妙と評価したことを伝え、その褒賞として大隅国桑原郡踊の三躰堂村・大鹿倉を与える旨を達した連署文書。

  18. 附録1-No.418 伊勢貞昌書状

    伊勢貞昌が、竹與殿の長旅からの無事な帰国を祝い、笛の上達を賞して今後も稽古を続けるよう勧めた書状。当世の芸について新九郎・長右衛門らは拍子を心得る程度で、樋口らの芸風は聞いたこともないと評し、指導者を欠く世情を嘆く。相手の笛で二番舞いたいと述べ、内膳からも事情が伝わること、時節の品を進上することを付…

  19. 附録1-No.419 伊勢貞昌書状

    伊勢貞昌が大嶋久左衛門に、帰国の際に知行を与えるよう薩州様から命が出ていると知らせた書状。出立時に書状を付すべきところ、麓から連絡がなかったため、この方で承知している事情を先方からも申し入れるのがもっともであるとして、一書を送る。

  20. 附録1-No.420 伊勢貞昌書状

    本文は『旧記雑録後編二』No.106と同文である旨のみを掲げ、本文を省略する。この冊の記載からは書状の具体的内容と宛先を確定できない。

  21. 附録1-No.421 伊勢貞昌書状

    本文はNo.403と同文として省略される。No.403によれば、伊勢貞昌が三左金らに、前日の次郎四郎による丁重な振舞いへの礼を述べた書状。酒宴で長居し、帰宅後まで酒気が残ったことを恐縮しつつ、荒地や屋敷・奉公人の扱いについても意見を述べ、今後の相談を願う。

  22. 附録1-No.422 島津久慶・頴娃久政連署廻文

    島津久慶と頴娃久政が諸所の噯衆に、江戸奉行衆の奉書が早飛脚で下されたため写しを地頭衆へ回したことを伝え、前年の指示と相違なく油断せず申し付けるよう命じた廻文。御兄弟衆が巡見するので、不行届きの場所は直ちに報告されることを心得、少しも疎略にしないよう戒める。

  23. 附録1-No.423 北郷久加外二名連署廻文

    本文はNo.223と同文として省略され、あわせて『旧記雑録追録二』No.688と同文である旨を掲げる。No.223によれば、北郷久加ら三名が、根占七郎による沿岸各地の巡見に際し、宿の用意を念入りに行うこと、宿の亭主から礼物を受け取らないことを命じ、鹿児島・横井・伊集院・神川・日置へ順次伝達させた廻文…

  24. 附録1-No.424 北条泰時書状

    北条泰時が豊後四郎左衛門尉に、薩摩国御家人の揖宿平四郎忠秀と頴娃平太との間で争われた開門神領の件について、豊後三郎左衛門尉とともに双方を召して裁決し、その結果を申告するよう命じた書状。

  25. 附録1-No.425 頴娃忠永一流系図

    頴娃忠永を祖として、その子孫の諸流を示した系図。忠方・忠光らの系統と、頴娃本地頭・指宿本地頭・指宿郡司などの称号・職名、太郎・平四郎・郡司小次郎・彦鶴丸などの通称を系線で結び、頴娃氏の一流と指宿地域の所職との関係を示す。

  26. 附録1-No.426 某書状

    義宗が大平左京に、国中の乱悪に際して長唯と固く申し合わせ、部輔永と在府中に日夜奔走した結果、敵陣が各所で敗れたことを報告した書状。帰宿の状況を伝え、今後も親密な交誼を続けるよう望む。

  27. 附録1-No.427 島津常陸証状

    島津常陸が大平藤太と梅田八千に、天草越前の押領に関する働きとして、難所の海を渡り早速に注進した功績は言葉に尽くせず忠節が重いと賞し、後日の恩賞を約した証状。

  28. 附録1-No.428 従儀師幸雅施行状

    従儀師幸雅が日野祖賢に、浄光明院領の日向国柏原・財部両郷の収納使職を仰せ付けたことを伝え、年貢以下を怠りなく執行するよう命じた施行状。

  29. 附録1-No.429 長倉祐省外三名連署書状

    長倉祐省ら四名が、以前から願い出られていた梁瀬屋敷の件を披露し、早々に移って奉公するようとの意向を伝えた連署書状。小原の百姓に関する訴えや質・免・貢免、舎弟の奉公、新恩としての扶持についても経緯を記し、後日のため詳細を書き付ける。

  30. 附録1-No.430 某書状

    差出人不詳の人物が野辺讃岐守に、十三日の衝突で孫三郎らが討ち合った件について、無事であったことをめでたいと伝えた書状。本文末尾には判読困難な箇所があり、事件の具体的経過と差出人は確定できない。

  31. 附録1-No.431 村田経安・平田兼宗連署書状

    村田経安と平田兼宗が、水引の惣官職をめぐる相論について連署した書状。当面は争いを差し置き、惣官職は以前からの筋目に従って執印が勤め、社司・神官も先例どおりその指示に従うよう命じる。No.128と同文。

  32. 附録1-No.432 肝付氏弁済使職系図

    肝付郡弁済使職に関わる肝付氏の系譜を示した系図。阿佛を上位に置き、兼石・岸良兼基・東方兼廣・河南兼秀らの諸系統と、宮内左衛門尉・新左衛門尉・左衛門太郎などの通称・官途を系線で結び、弁済使職をめぐる一族の構成を示す。

  33. 附録1-No.433 正賢奉書

    正賢が肝付郡弁済使に、左近将監兼元の申し出を受け、舎弟の身として嫡子の命に従うべきこと、嫡子側も舎弟を憐れんで取り計らうべきことは以前の下知にも載せたとして、その趣旨に違わず早々に処置するよう命じた奉書。

  34. 附録1-No.434 某下文

    兼基の次男である左兵衛尉伴兼村に、岸良村の田畠・山野・狩倉などを相伝して知行させる下文。兼基の父阿佛から伝来した所領で、兼基が配分を定めないまま死去したため、妻子の処遇と証文を踏まえ、兼村に相続・領掌させる旨を命じる。

  35. 附録1-No.435 行恵書状

    行恵が岸良村弁済使に、諸事の扱いと自身が他行していた間の状況を問い、昨年以来、伯著らが年貢を納めていないとの報告を問題視した書状。当年分については三月中に沙汰するよう命じる。

  36. 附録1-No.436 行恵書状

    行恵が岸良村弁済使に、前年十二月二十日付の書状を当年三月二十六日に受け取ったと返答した書状。相手の在所が焼失したことを重ねて気遣い、約束していた行騰の皮を忘れず送ってくれたことに感謝し、詳しい用件は使者に申し含めたと伝える。

  37. 附録1-No.437 栄寂書状

    栄寂が岸良村弁済使に、七月中に申し付けた件がいまだ処理されていないことに驚き、早々に沙汰を済ませ、確かな返答を寄せるよう催促した書状。本文前半には判読困難な語がある。

  38. 附録1-No.438 行恵書状

    行恵が岸良村弁済使に、上洛時に申し上げた件について処置を求め、御舎弟側の奉行や使者の催促に関する事情を述べた書状。年内に京へ届くよう沙汰すべきことを重ねて求めるが、対象物を示す語には判読上の留保がある。

  39. 附録1-No.439 為成書状

    為成が岸良弁済使に、贈られた品への厚意を喜び、前日から客人が滞在して食事、とくに魚の用意に不足していた折だったため助かった旨を述べた礼状。贈答品名には判読上の留保がある。

  40. 附録1-No.440 某書状追而書

    差出人不詳の追而書。『御ふくしよ』が亡くなったことに伴い、百姓らに弔いをさせるよう申し付ける旨を、よく言い含めておくことを求めている。末尾の一部は欠損・判読不能。

  41. 附録1-No.441 某書状追而書

    差出人不詳の追而書。便宜の機会に承知してほしいとして、年貢の返抄と酒肴の用途請文二通が上位者の御教書に添えられていることを伝える。

  42. 附録1-No.442 名和慈冬書状

    名和慈冬が澁谷清式五郎に、詳細は使僧から伝えさせるとし、中村殿と相談を重ねるよう求めた書状。京都へ詳しい取りなしを行い、探題の書状も添えて送ったこと、三か国の軍勢を早急に動員するよう命があったこと、本領安堵の件も名和が取り次いだことを伝え、諸事を慎重に処理するよう促す。

  43. 附録1-No.443 今川了俊挙状

    今川了俊が左衛門佐に、澁谷五郎重頼の本領安堵を取り計らうよう求めた挙状。重頼が薩摩国で相応の忠節を尽くしているので恩賞を申し行うべきであり、本来の知行にも相違がないよう、その趣旨を披露してほしいと述べる。

  44. 附録1-No.444 今川了俊書状

    今川了俊が澁谷五郎に宛てた書状。安堵の件は名和氏が取り次いだため注進し、齋藤美濃入道にも内状を送ったことを伝える。薩摩国の情勢は島津伊久の振る舞いによって今月・来月中に沙汰される見込みであるとし、名和氏と引き続き相談すること、必要な時には軍勢を派遣することなどを述べ、御家のため同心するよう求めている…

  45. 附録1-No.445 今川了俊書状

    今川了俊が齋藤美濃入道に、澁谷五郎重頼の本領安堵を執り申すよう求めた書状。一族中には野心を抱く者もいるが、重頼らは当初から味方に同心して忠節を尽くしたので特別に処置すべきであり、不忠の者への見せしめにもなるとして、十分な取りなしを求める。

  46. 附録1-No.446 今川三雄書状

    今川三雄が周防右京亮に、長く注進がないことを案じ、早々に来援して力を添えるべきところ、高久勢を待っているため果たせていないと伝えた書状。翌日にも軍勢が到着すれば急ぎ赴くこと、大手からの書状一通を送ること、以後も諸事を知らせるよう求める。

  47. 附録1-No.447 今川三雄書状

    今川三雄が周防右京亮に、郷北方・中村郷楠本村・市比野名地頭職・倉野村について、澁谷五郎重頼の申請どおり相違なく沙汰してほしいと求めた書状。

  48. 附録1-No.448 今川三雄挙状

    今川三雄が清色五郎に、澁谷五郎重頼の当知行分の安堵について、相違なく沙汰するよう取り計らってほしいと依頼した挙状。この時期に重頼が忠節を尽くしたことを評価し、機会があれば京都にも申し上げるよう求める。

  49. 附録1-No.449 今川了俊書状

    今川了俊が澁谷一族に新年の祝意を述べ、両国の事と島津の進退、京都の御使や名和在陣をめぐる情勢を伝えた書状。公方への申入れや安国寺への相談などを通じて事態を調整する意向を示し、相手方にも協力と連絡を求める。

  50. 附録1-No.450 今川了俊書状

    今川了俊が澁谷庶五郎に、正月十九日付の注進状を二月二十二日に受け取ったと伝え、同心の人々と速やかに肥州へ打ち越して忠節を尽くすよう命じた書状。功績があれば恩賞を与えるとして、計策を巡らし一同で忠勤するよう促す。

  51. 附録1-No.451 今川了俊書状

    今川了俊が澁谷庶五郎に、前月十八日付の注進を承知したと返答し、菊池肥前守以下の凶徒を蛤打で討ち、肥後平定も間近であると伝えた書状。今川兵部大輔と協力して忠節を尽くせば、本来の知行に相違がないよう取り計らうと述べる。

  52. 附録1-No.452 今川了俊書状

    本文は『旧記雑録前編二』No.372と同文である旨を掲げる。本文の再掲はなく、この冊の記載からは具体的用件を確定できない。包紙には澁谷清敷五郎宛、差出人了俊とある。

  53. 附録1-No.453 今川了俊書状

    今川了俊が澁谷庶五郎に、島津が牛屎へ馳せ越して合戦したと聞いたため、味方の同心者と相談して忠節を尽くすよう求めた書状。こちらの事態は近日中に落着する見込みと伝え、合戦中の相良近江守前頼への援助をとくに命じる。

  54. 附録1-No.454 今川了俊書状

    今川了俊が清敷に、豊前合戦で味方が勝ち八山少輔以下を討ち取ったこと、筑前合戦では不慮の事態があったが再出陣して平定は近いことを伝えた書状。相良近江守が合戦中なので、怠りなく早々に加勢し忠節を尽くすよう強く命じる。

  55. 附録1-No.455 今川了俊書状

    今川了俊が澁谷清敷に、依頼された件を書き整えて送ると返答し、自身の渡海は京都から再度下向する使者を待っていると伝えた書状。その間に八代を平定する方針を示し、相手方の軍勢にも協力を求め、水軍を急ぎ派遣するよう催促する。

  56. 附録1-No.456 今川貞臣書状

    今川貞臣が澁谷清敷に、書状への謝意を述べ、島津方が軍勢を集めていると聞いたことから、現実に動けば渡海する軍勢もあるだろうと伝えた書状。八代の件は進展しており、相手方の軍勢がなお遅れている事情を問い、早急な参陣・協力を求める。

  57. 附録1-No.457 今川了俊書状

    今川了俊が澁谷清敷庶五郎に、兵部大輔が下向した際の請文を受け取り、同人に詳しく申し含めたと伝えた書状。大隅・薩摩の事では相手を特に頼みにすると述べ、御下の近日到来と早い対面を望み、合戦が決着すれば諸将と同心して国中へ打ち出すよう求める。

  58. 附録1-No.458 今川了俊書状

    今川了俊が澁谷清敷に、伊久が参陣すると申し出たため御教書を作成したこと、その後の長尾らとの交渉・軍事情勢を伝えた書状。相手方に引き続き同心と忠節を求めるが、本文の一部に判読上の留保がある。

  59. 附録1-No.459 今川了俊書状

    今川了俊が澁谷清敷に、氏久・伊久が参陣して忠節を尽くす旨を申し、起請文を提出したことを伝えた書状。その忠節を前提に安堵を申し行う意向を示し、澁谷一族が同心して参陣することを喜び、下向する久庵主と急ぎ同行するよう求める。

  60. 附録1-No.460 今川了俊書状

    本文は『旧記雑録前編二』No.356と同文である旨を掲げ、本文を省略する。包紙・宛所には澁谷五郎宛、差出人了俊とあるため書状の当事者は確認できるが、具体的内容はこの冊から確定できない。

  61. 附録1-No.461 今川了俊書状

    今川了俊が澁谷庶五郎に、味方として忠節を尽くす意向を聞いて喜び、京都の御教書も到来するだろうと伝えた書状。今後の注進を受けて重ねて申し入れること、この地域では支障がないので安心するよう述べる。

  62. 附録1-No.462 酒匂伊景書状

    酒匂伊景が市来殿に宛てた書状。満色殿から申し入れのあった所領・田数の件について、在所に関わるため私的に決められないとし、相手方からの申入れを受けて等閑なく処理すると回答する。河辺の情勢を待つと遅れるため、急ぎ道行きについて談合するよう求め、厚地殿にも詳しく伝えたとしている。 No.230と同文。

  63. 附録1-No.463 市来家親書状

    市来家親が澁谷五郎に、たびたびの相談で望みが満たされたと喜び、荒河の件は自身が初めて申し沙汰したため、まず当該在所を知行できれば外聞・実益とも望ましいと述べた書状。ほかの在所についても總州方へ申し入れ、決して等閑にしないことを使節に説明させる。

  64. 附録1-No.464 直忠書状

    直忠が澁谷左馬助に年頭の祝意を述べ、相良・島津又三郎以下の凶徒が当方へ攻め寄せるとの情報を受けて用意中であると伝えた書状。相手方にも境目の計策を急ぎ相談するよう求め、合戦に勝てば直ちに山西へ赴いて面会し、諸事を申し付けると述べる。

  65. 附録1-No.465 今川了俊書状

    今川了俊が澁谷左馬助に、公方の使者と会見したうえで島津を速やかに退治し、援軍も必ず送ると約した書状。宮里地頭職を預けて下文を発給すること、澁谷一家の面目が立つよう取り計らうこと、名和を派遣するのも一家のためであることを述べ、今後は澁谷一家を頼みとすると伝える。

  66. 附録1-No.466 宮内大輔守政書状

    守政が左馬助に、下村殿へ伝えるべき件として、柏原方の使僧帰参時に入道方の書状を送ったこと、十八日夜以前に山城・櫻崎城の二か所が落ちたとの報を喜ぶこと、周辺の対治が近いとの見通しを知らせた書状。入道方からの書状に加え、自身も一通を認めて送り、鷹を給わりたい旨も申し入れる。

  67. 附録1-No.467 入来院氏給地反町付帳

    入来院氏領内の給地を、給地人ごとに田畠・屋敷・門・浮免などの地目と町・反・升単位の面積で列記した反町付帳。家臣団に加え寺社領・神領なども記し、末尾で田畠五百六十一町余、籾大小二万二千八十七俵余と総計する。入来院氏の知行構成、家臣団編成、寺社領と村落景観を復元できる基礎史料。

  68. 附録1-No.468 川上忠兄書状

    川上忠兄が入来院又五郎に、仮屋所を進上されたことを受け、その掃除料として水田十町を加えると通知した書状。水田の所在は翌春に坪付をもって示すので、まずは承知しておくよう伝える。

  69. 附録1-No.469 石田三成書状

    石田三成が入来院又六の宿所へ送った書状。名護屋へ出陣せず人数も遅参していることを厳しく問題視し、島津氏への不届きはもちろん、唐入りの軍役を公儀の道理に反して怠れば上聞に達して身上を失いかねないとして、早急な着陣を命じる。本文はNo.236と同文のため省略される。

  70. 附録1-No.470 入来院重時宛行状案

    入来院重時が東郷兵部少輔に、宮里のうち西の薗門一町二反が空き所領となったため、これを確保して知行するよう宛行った文書案。本文はNo.382と同文のため省略され、目録の日付欄は空欄である。

  71. 附録1-No.471 桂忠詮書状

    桂忠詮が、高麗方面へ江南仁を派遣する重大事について相談したいとして、早急に来訪するよう求めた書状。鎌田雲州も当地に滞在して昼夜談合中であり、少しも油断せず急いで越すことが肝要だと伝える。

  72. 附録1-No.472 本田正親書状

    本田正親が、高麗をめぐる雑説への対応として船を差し渡すことを知らせた書状。鹿児島から有川仲右衛門尉が乗船して相手方の津へ回るので、同船して談合し方針を定めること、荷物をいったん降ろして船の到着後に積み替えることを命じ、油断のない才覚を求める。

  73. 附録1-No.473 島津重豪達書

    島津重豪が役人任用の適正化を命じた達書。家老中へ別紙の趣旨を伝え、不正な人物を役職に就けないよう表方とも相談し、役付きから小役人まで不正が判明した者は速やかに吟味して処罰するよう厳命する。

  74. 附録1-No.474 島津重豪達書

    島津重豪が領国の風俗・綱紀を立て直すため家老中に示した達書。近年の夜行・徒党・奢侈・博奕・派閥争い・役人の不正などを挙げ、法令と分限を守り、公私の区別なく公平に吟味して悪弊を改めること、家中から領内まで一統して倹約と秩序を徹底することを命じる。

  75. 附録1-No.475 島津市正某達書

    島津家の隠居の意向として、江戸瑞聖寺に圓徳院・正覺院と歴代先祖の位牌・過去帳を納め、高輪に霊屋・真像・髪塔を安置して永久の修復料を備える計画を島津市正へ伝えた達書。出火時には火消人数を差し越すなど、祭祀施設を永続的に守るための管理・防火措置を命じる。

  76. 附録1-No.476 島津重豪達書

    島津重豪が、江戸・京・大坂での借金増大、利払い、諸用金、産物収入不足など藩財政の窮迫を示し、産物・勤事の立て直しと倹約を命じた達書。派閥や私情に流されず、諸役人が一致して改革を進め、国中の飢渇を避けるため速やかに処置するよう求める。

  77. 附録1-No.477 島津斉宣達書

    島津斉宣が家老中に、身分の上下を問わず幼少時から我儘に育てれば成人後に国家の用に立たないとして、家族・親類が相互に教導するよう命じた達書。家法・礼儀・文武・家訓を守り、奢侈や不才を戒め、若者を有用な人材に育てることを求める。

  78. 附録1-No.478 島津斉宣遺物注文

    島津斉宣の遺物として伝えられた刀剣・金工品等の注文。手縫、対鎚、長刀、刀、馬具などについて、薩州住藤原正清・平安代・山城守國重らの作者名、寸法、金具・漆塗・唐草毛彫などの意匠、数量を列記する。

  79. 附録1-No.479 遺物注文

    島津家に伝来した刀剣・武具・馬具・調度類を記した遺物注文。御手鎚・御長刀・刀・鐔・柄・目貫・馬具・袋物などを、材質、金銀の金具、漆塗、唐草毛彫、作者・伝来、数量とともに詳細に列挙し、納置先や記録上の扱いも記す。

  80. 附録1-No.480 頴娃信濃宛達書

    頴娃信濃に対し、実母は琴であるが、このたびの意向により伊尾を母として定めたので、その旨を帳面に記し、御記録奉行へ申し渡して関係先にも伝えるよう命じた達書。家内の母子関係を公式記録上整理する内容である。

  81. 附録1-No.481 市田某達書

    市田某が御記録奉行に、秩父新太夫家の御番勤仕と免除の由緒を調査・記録するよう命じた達書。曽祖父十郎兵衛・養父十太夫の代に由緒を理由として御番免除を受けた経緯を確認し、帳面に記して関係先へ申し渡すよう指示する。

  82. 附録1-No.482 北郷某書状

    北郷某が、八代長門守に関する照会へ答えた書状。天文元年十一月七日、島津豊後守・北原氏・北郷讃岐守忠相の三家が高城へ向かって合戦し、長門守以下伊東一門と雑兵三百八十人余を討ち取ったとの伝承を報告する。

  83. 附録1-No.483 北郷某・土持某連署覚書

    北郷某と土持某が、高城をめぐる過去の合戦について照会に答えた連署覚書。伊東・北原方の攻撃に対して城方と梶山・勝岡・山之口衆が迎撃し、敵数十人を討ち取ったこと、北原方の白坂下総守を討ち、志和池城麓まで追撃したことなどを記す。

  84. 附録1-No.484 新納忠元書状

    新納忠元が前朝日寺らに、銀一匁二分の贈答へ礼を述べ、国元の政務転換に伴って自身が大口を離れることや、坂与右入道の進退、寺家地の移転、父母の無事などを伝えた書状。下向後に直接事情を聞くよう求める。

  85. 附録1-No.485 島津忠隣書状

    島津忠隣が阿多若州老に、いしん様への酒進上の意向、当地や紀州の情勢、中嶋から届いた兵糧夫役の件などを知らせた書状。兵糧・人夫の扱いは国の定めに従い、少数の私的な者だけで処理せず、内容を他言しないよう慎重な対応を求める。

  86. 附録1-No.486 比志島国貞書状

    比志島国貞が本田長右衛門入道に、上洛に必要な銀子を借り受けたいと依頼した書状。手元に銀がなければ長崎方面で調達するよう求め、後日の返済条件は別途相談するので、十分念を入れて才覚するよう申し入れる。

  87. 附録1-No.487 島山政長書状

    島山政長が、たびたび参洛を求められている相手に、京都周辺の時勢と敵方の動向を踏まえ、諸将と相談のうえ時日を移さず上洛して戦功を挙げるよう促した書状。詳細は管領から伝えるとして、速やかな参洛を要請する。

  88. 附録1-No.488 道澄書状

    道澄が島津陸奥守に、龍伯の髪形・装束の吉例、軍陣で用いる赤房や祈禱巻数、鎌田出雲守への伝達などを述べた書状。八代滞在や義久との相談、出陣・兵糧・人夫の手配にも触れ、内密に処理するよう求める。

  89. 附録1-No.489 近衛前久書状

    近衛前久が島津兵庫頭に、帰洛を命じられた件への無念を述べつつ、義久との相談と出陣準備、和泉逗留中の義虎との協議、軍勢の差配について伝えた書状。被申留の扱いと出馬命令を慎重に進めるよう求める。

  90. 附録1-No.490 近衛信尹書状

    近衛信尹が島津修理大夫に、肥州方面で一戦があり本意を遂げたとの報を受けたことを述べ、内使者から聞いた事情により急ぎ祝意を伝えた書状。詳細な戦況と国元の様子は追って知らせるよう求める。

  91. 附録1-No.491 近衛植家書状

    近衛植家が島津修理大夫に、南蛮人から直接伝授された鉄砲薬の調合法を武家の内書に基づいて知らせた書状。同類の者へむやみに伝えず、内容をよく聞き取って秘伝として扱うよう求める。

  92. 附録1-No.492 近衛植家書状

    近衛植家が島津三郎左衛門尉に、願いが成就したことを祖神の冥応による武運長久の兆しとして祝った書状。贈られた緞子二端への礼を述べ、返礼として短冊十枚と染筆を送る。

  93. 附録1-No.493 足利義昭御内書

    足利義昭が島津女房局に、島津修理大夫が近頃無事であることを喜び、唐織の小袖を贈るので着用するよう伝えた御内書。細川兵部大夫やさい阿からも詳しく申し伝えるとしている。

  94. 附録1-No.494 足利義昭御内書

    足利義昭が島津修理大夫に、日向衆に関する大儀の所望を承知し、到来すれば喜ばしいとして鑑を遣わした御内書。詳細は布施治部少輔に含め、昭光・昭秀からも説明させると伝える。

  95. 附録1-No.495 赤松政則書状

    赤松政則が島津修理大夫に、久しく音信がなかったことを詫び、刀一腰(国光)と太刀一振(国宗)を贈った書状。今後も祈念を頼み、贈答品を受け取るよう求める。

  96. 附録1-No.496 島津氏重書注文

    島津家に伝来した重書を箱・巻・通数別に列挙した注文。鎌倉幕府や六波羅、九州探題の御教書・下文・安堵状、薩摩・大隅・日向をはじめ諸国の所領・守護職関係文書、寺社・家臣・一族に関する文書を、年次や差出人の注記とともに整理する。島津氏文書群の構成と伝来を知る基礎目録である。

  97. 附録1-No.497 島津氏重書注文

    島津氏重書注文の別記事。大隅・薩摩両国奉行、島津庄内薩摩方補任、諸国守護職、寺社・荘園・地頭職、伊賀・越前・近江などに関する下文・御教書・施行状・補任状を列挙し、各文書の年次や巻数を記す。前号とあわせて島津家旧蔵文書の範囲と編成を示す。

  98. 附録1-No.498 相馬胤綱一流系図

    相馬小次郎左衛門尉胤綱を起点として、その子孫と諸流を系線で示した系図。子女、通称・官途、法名、婚姻や母方関係などの注記を伴い、相馬氏一流の分岐と継承関係を整理する。

  99. 附録1-No.499 四条東洞院敷地相伝系図

    四条東洞院の敷地相伝に関わる人々の系譜を図示した系図。相馬尼と和泉前司政景の家系を軸に、胤村・胤氏・道鑑・忠宗・道義・道智らの親子・婚姻関係、法名、通称などを記し、敷地の相伝主体となった一族のつながりを示す。

  100. 附録1-No.500 林信篤跋

    林信篤が鎌倉将軍右大将公の自筆文書の後に記した跋文。文書が永禄年間に器中へ封蔵され、豊臣氏滅亡後も島津家に伝わった経緯と、頼朝以来の由緒ある自筆を忠実に保存する意義を述べる。元禄十四年春三月に閲覧して作成した旨を記す。