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附録1の目録
旧記雑録 年代不詳の文書・記事です。
全1,072件中 101~200件・2 / 11ページ
附録1-No.101 長寿書状
長寿が、師匠以来奉公してきた僧について上原筑前守へ伝えた書状。その人物は普通の平僧ではなく、特別な奉公と命令を担ってきたとして、相応の知行を与えて遇することや、関係者と相談して処置することを求める。
附録1-No.102 青巌寺法印政遍書状
青巌寺法印政遍が、少将の勘気を受けて流浪していた矢野主膳について、川上四郎兵衛尉・本田源右衛門尉へ取り成しを依頼した書状。矢野主膳を青巌寺に招いて勤めさせているが、俗人の寺住まいは不相応であるため、少将への赦免の働き掛けと惟新への伝達を求める。
附録1-No.103 某書状
差出人不詳の者が、御狩蔵に関わる猪行事の統制について命じた書状。猪行事が下知に背いた場合は、両国の者であれば身分を問わず処罰するとし、関係者へ厳重に申し付けるよう求める。
附録1-No.104 町田久倍書状
町田久倍が、山城入道の居所と城屋敷の配当について蒲地伊賀入道・大野将右衛門尉へ伝えた書状。山城入道が城屋敷へ移ったかを尋ね、麓に人がいないため城屋敷へ移す方針を述べる一方、配当については当面差し控え、あらためて相談するよう求める。
附録1-No.105 町田久倍書状
町田久倍が、出米と人別銭の処理について大野将右衛門尉へ指示した書状。石見九兵衛尉へ担当させ、石高に応じた出米量を定め、来月二日に京へ上る船へ積み込むこと、人別銭を早急に送って当地の京上衆へ渡すことを求める。
附録1-No.106 本田親貞書状
本田親貞が、公儀の用務に関する人員招集と家名帳の作成を蒲地伊賀入道へ命じた書状。公儀の許可なく上洛することを禁じ、蒲地本人または所衆二人を今月二十四日までに出頭させること、二十石以下の者は敬称を除いて家名を帳面に記すことを求める。
附録1-No.107 町田久倍書状
町田久倍が、奥向きで召し使う女性の名乗りと帳簿記載について大野将右衛門尉へ指示した書状。「きりつぼの下女」ではなく兄の名字に基づく「玉利名字の下女」と記すこと、門屋敷・浮免の持合人や耕作しない田の記載を現地で調べ、帳面を差し越すことを求める。
附録1-No.108 町田久政書状
町田久政が、公役人員の名簿と門前屋敷をめぐる処理について蒲地伊賀入道へ回答した書状。別紙の人数書付を送り、新城にいる山田藤内左衛門への連絡を求めるとともに、門前屋敷の持合や旧来の墨付をめぐる問題は、存松の帰着後に協議する方針を示す。
附録1-No.109 進藤久治書状
進藤久治が、前夜の厚いもてなしに対して蒲地二郎四郎へ礼を述べた書状。ひどく酔って直接礼に参上できないことを詫び、無沙汰を避けるため祝儀として五明二本を贈り、後日あらためて礼を述べると伝える。
附録1-No.110 喜入忠続・川上久国連署書状
喜入忠続と川上久国が、当年の諏訪祭礼の居頭役について連署した書状。役が町田名字・長野名字に当たるため、当地の長野彦右衛門尉と同名字の衆が同心し、来月二十日に必ず参上するよう申し渡すことを求める。
附録1-No.111 川上某・伊地知重起連署書状
川上某と伊地知重起が、船便と陸路移動の延期について連署した書状。夜中でも船が来れば出立させる予定だったが、大雨による河川の洪水で陸路越山も困難なため延期するとし、事情を使者から報告させ、維新へも言上するよう求める。
附録1-No.112 伊勢貞知書状
伊勢貞知が、吉田殿へ渡す銀子十枚の取り扱いについて本田助丞へ指示した書状。使者が持参した銀子を受け取り、支障がなければ吉田殿へ渡して請取を得るよう求め、江戸行きの無事を祈る。
附録1-No.113 伊勢貞知書状
伊勢貞知が、吉田殿による祈祷と預かり物の処理について本田助丞へ報告した書状。祈祷が成就し神の祟りはないとの返答を伝え、銀子・織物・書付などを関係者へ渡したこと、惟新への書状を適切に取り次ぐことを求める。
附録1-No.114 本田正親書状
本田正親が、今朝の面談後の相談について本田助允へ送った書状。翌朝の出仕後に暇を申し出る予定を伝え、源右殿への奉公に関わる重要な局面なので、互いに一晩よく思案し、さらに談合したいと求める。
附録1-No.115 海老原為信書状
海老原為信が、過去の物品立替に伴う借状と借用金の精算について本田助丞へ回答した書状。複数の借用案件と同様に初秋に精算する方針であること、関係者にも繰り返し申し入れており、自身も処理を怠っていないことを説明する。
附録1-No.116 比志島国幸書状
比志島国幸が、鹿児島へ提出する日記と京都での給銀精算について本田助丞へ指示した書状。処理を今明日中に済ませて遅延しないこと、公儀へ披露する準備を整えることを求め、京都の馬一疋衆への銀子三百目支給の風聞は源右衛門と相談したいと伝える。
附録1-No.117 五代友喜書状
五代友喜が、受け取った写しと条書の内容について本田助允へ回答した書状。写しはひとまず預かって比志島殿へ伝えるとし、本田正親に関わる条書の相違や、書状中の両舌・置目違反について、項目ごとの条書を作成して送るよう求める。
附録1-No.118 比志島国貞・伊勢貞昌連署書状
比志島国貞と伊勢貞昌が、川辺宝福寺領内の加世田小湊にある塩屋について連署した書状。塩屋の加子役を免除する一方、その地で殿役などが課される場合は確実に勤めるよう申し付ける。
附録1-No.119 平田増宗書状
平田増宗が、熊嶽に以前付属させた柴屋一間の引渡しについて本田助左衛門尉へ命じた書状。近年破損していたものを再度付属させたので、現地で確認して異議なく引き渡すよう求め、詳細は使僧から説明させると伝える。
附録1-No.120 鎌田政近・比志島国貞連署証状
鎌田政近と比志島国貞が、熊嶽に対する諸所からの勧進・寄進の継続を保証した連署証状。領国内の制度改定以来、寄進が途絶えた所があるとの申し立てを受け、旧来どおり復活させ、異議を差し挟まないことを認める。
附録1-No.121 鹿屋某申状
鹿屋某が、関ヶ原合戦後に肥後八代へ赴き、黒田如水・加藤主計正らの軍勢に交じって情勢を探り、惟新らへ報告した奉公歴を申し立てた文書。その後も筑前・京都への使節や上洛供奉を重ね、入来市比野村で知行十石と屋敷一所を与えられた経緯を列挙する。
附録1-No.122 島津家久掟書
島津家久の掟として鹿屋壱岐守が示した条書。夜間の門限と門番の厳守、夜間外出時の町田勝兵衛発給の切手、大酒・見物の禁止、喧嘩口論の禁止、普請その他の公役を怠る者の拘束、無断外出の禁止を定める。
附録1-No.123 原田某申状
原田市兵衛が、天正十五年の平佐城攻めにおける祖父原田帯刀の軍功を申し立てた文書。籠城戦で寄手の大将九鬼八郎を弓で射たこと、直後に和談となり、矢をめぐって小出大隅守方の家老らが確認した経緯を述べる。
附録1-No.124 伊勢貞成達書
伊勢貞成が、平佐城普請に従事する人夫への兵糧支給について鬼塚主税助・宮路三之允へ達した文書。一日三度、一人につき七合五勺ずつ支給すること、蔵入から用米を出し、普請衆は触れに従うことを命じる。
附録1-No.125 有馬純房書状
有馬純房が、天山三次の成敗を命じられた経緯を報告した書状。大井七左衛門とともに正月四日に伏見から大坂へ下り、翌五日に三次へ切腹を申し渡して無事執行し、七日に伏見へ戻った後、九日に殿様に供奉して再び大坂へ下ったと述べる。
附録1-No.126 有馬純房書状
有馬純房が、伏見城をめぐる戦況と自身の奉公について知らせた書状。内府の内衆が籠城する伏見城を諸軍が昼夜攻撃し、惟新以下が戦う中、自身も大坂から召されて城際に配置され、鉄砲による負傷者が出たことを報告し、千代丸兄弟の養育も依頼する。
附録1-No.127 新納忠元書状
新納忠元が、遠隔地の前田久右衛門尉から京都経由で届いた書状に返答したもの。喜入衆の多くが大坂へ参上し、残留者が二、三人しかいないことを問題とし、交替要員を上らせるよう求め、鎌田出雲守とも相談するよう伝える。
附録1-No.128 村田経安・平田兼宗連署書状
村田経安と平田兼宗が、水引の惣官職をめぐる相論について連署した書状。当面は争いを差し置き、惣官職は以前からの筋目に従って執印が勤め、社司・神官も先例どおりその指示に従うよう命じる。
附録1-No.129 村田経安書状
村田経安が、惣官職を執印職に定めた件について回答した書状。執印の子息が実際にその役を取り扱っていることは明白であり、現地で事情を披露したうえで濃州とも連絡して処理すると伝える。
附録1-No.130 伊集院忠棟外二名連署書状
伊集院忠棟・町田久倍・平田光宗が、寺社の造営と千部会について執印河内守へ連署した書状。八城へ上る諸人の中でも執印は造営に特に尽力すべきこと、千部会の実施や祈祷を滞りなく進めることを求める。
附録1-No.131 平田宗親・喜入久正連署書状
平田宗親と喜入久正が、新田宮への社参や鹿児島方への連絡などについて連署した書状。現地の扱いは旧冬の申し付けを維持し、内々の書札を用いること、名の処置については五大村の希望に応じて行う方針を伝える。
附録1-No.132 落合兼朝覚書
落合兼朝が、国分宮内の社家に伝わる祭礼・年中行事の先例を詳細に記した覚書。式引物、座次、祝儀、馬、太刀、社参、饗応、神事、諸寺社の役割などについて、野村方・落合方・祐國方をはじめとする関係者の配置と作法を列挙する。
附録1-No.133 伊集院忠棟外二名連署書状
伊集院忠棟・町田久倍・平田光宗が、福昌寺への合力について諸地頭へ連署した書状。三か国の人勢に関する相談を踏まえ、当年は日州へ回るため、各地で福昌寺に相応の助力を行うよう求め、詳細は寺から伝達するとする。
附録1-No.134 片山重次書状
片山重次が、城中で初めて対面した指宿内蔵助の戦功を称賛した書状。指宿が敵二人の首を切り捨てた手柄は比類なく、自身も敵一人を切り捨てたものの首を取らなかったことを悔やむと述べ、薩州衆の前日の働きも報告する。
附録1-No.135 進藤長治書状
進藤長治が、伊地知備前守の上洛に際して寄せられた書状と音信への礼を島津相模入道へ述べた書状。今後も京都での用向きに尽力することを約束する。本文はNo.753と同文のため本箇所では省略され、参照先本文で内容を確認した。
附録1-No.136 新納忠元書状
巻末目録が『十二月七日・新納忠元書状』として掲げる文書。掲載本文は「年やかく嘗ても盡し廻り」と読める短句と「義弘」の名のみで、書状本文・日付・忠元の署名は紙面上で確認できない。本文・巻末目録・前後境界の切り抜きを照合し、B・C・D列は目録どおりで、本文との対応不一致は原資料内のものと確認した。
附録1-No.137 樺山久高書状
樺山久高が新年を祝し、川幡新左衛門への知行四百石の目録を月末に下すという旧冬の内意を伝えた書状。在所は現住地に置き、名については五大村の望みに応じて処置するよう指示する。
附録1-No.138 島津久元外二名連署書状
島津久元・喜入忠政・川上久國が、野田感応寺の重物である絵二軸の管理について連署した書状。黄門様の御覧後に旧寺へ返されたため、他所へ出さず厳重に保管するよう住持へ申し渡すことを執印丹波守に命じる。
附録1-No.139 新納忠元書状
新納忠元が土持大膳亮に、火元と噂されて退去させられた被官・供木の処遇を申し入れた書状。供木は先祖代々の被官で、出火を否定していると説明し、処罰によって面目は失わせたとして、慈悲をもって本服・復帰させるよう求め、明確な返答を促す。
附録1-No.140 忍性入道江鯉書状
忍性入道江鯉が大膳亮に、約束していた訪問・遊山の延期を伝えた書状。二十日頃に万部の開白があり、僧衆の参着も重なるため今回は差し控え、時期を見て僧から連絡させ、改めて相談・訪問すると述べる。
附録1-No.141 伊集院久治書状
伊集院久治が、立願した千句連歌を翌月朔日に始めるため、土持大膳亮に執筆役として来訪するよう依頼した書状。二十八、九日頃の到着を望み、執筆役や連衆の確保が難しい事情を述べて協力を求める。
附録1-No.142 上井秀秋書状
上井秀秋が土持大膳亮に、当地で逗留している博士・田上左京進がそちらを徘徊する予定だと知らせた書状。旅人であるため、万一困窮・不都合が生じた際には援助するよう頼む。
附録1-No.143 上井秀秋書状
上井秀秋が、図田帳の借用について土持大膳亮と瀧聞越後守へ協力を求めた書状。迫田次郎左衛門尉と相談し、南郷の福永が所持すると聞く図田帳も調査・借用して差し上げるよう依頼する。
附録1-No.144 上井秀秋書状
上井秀秋が、内山の番役を早急に立てるよう土持大膳亮と瀧聞越後守へ求めた書状。御老中の指示に従い必要な人数を手配し、中山にもこちらから番衆を置くので、双方で相談して進めるよう伝える。
附録1-No.145 伊集院是心書状
伊集院是心が土持大膳亮に、先日の依頼に関する書状と礼の音信を受け取ったことを謝し、対象を早々に厳重に保管・守護することが肝要だと伝えた書状。詳細は再会時に述べるとする。
附録1-No.146 瀧聞宗運書状
瀧聞宗運が土持大膳亮に、川邊豊州入道の病状を知らせた書状。前日に聞いた話として、川邊が中風と眼病を併発していると伝え、急便の機会に一書を送ったもの。
附録1-No.147 瀧聞宗運書状
瀧聞宗運が、浜市での面会とその後の手配について土持大膳亮へ返答した書状。受け取った糧を配分し、役人へ引き渡したことを報告し、上洛後は京都での諸事に助力してほしいと依頼する。
附録1-No.148 市来家親書状
市来家親が、京都御門柱に関する処置と日程について土持大膳亮へ相談した書状。関係者の到着・引き渡し時期を調整し、刑部左衛門尉とも内談したうえで日限を知らせるよう求める。
附録1-No.149 上床国寿書状
上床国寿が土持大膳亮に、順喜の宿所と小舟の調達を頼んだ書状。町役人と相談して町近辺の空家を探し、順喜本人の負担で小舟一艘を借りられるよう取り計らうことを求め、関係諸氏への取次も依頼する。
附録1-No.150 伊集院久治書状
伊集院久治が、兒玉新四郎による衣類盗難事件の処置を土持大膳亮と瀧聞越後守へ求めた書状。新四郎が在所で衣類を盗み、当地で売却して露見したため、盗人として適切に詮議・処分するよう依頼する。
附録1-No.151 伊勢貞真書状
伊勢貞真が、京都からの命に基づく諸地頭の談合について通知した書状。栗野での会合に向け、鹿児島の殿中番を務める刑部左衛門尉を含む関係者を集め、五月二十五日までに栗野へ参着するよう求める。
附録1-No.152 伊勢貞昭書状
伊勢貞昭が霧島座主に、大御前様の病気平癒祈願を依頼した書状。薩州様から寄進された脇差を差し上げたことを伝え、病状が重いのでこの機会に精誠を尽くして祈念するよう求める。
附録1-No.153 諏訪兼延書状
諏訪兼延が、伏見で病気となった中将様の祈願について通知した書状。霧島山権現へ青毛の馬一疋を寄進し、使者の新納仁左衛門尉が届けるので、御老中の指図どおり受け取るよう伝える。
附録1-No.154 川上久隅書状
川上久隅が河上次郎左衛門尉に、久しく音信がなかったことへの案じと、上洛により延期された企てについて返答した書状。愚息左衛門尉の行末を頼み、贈られた中紙二束への礼を述べる。本文末尾は八月十二日、巻末目録は八月十一日であり、切り抜き照合により原資料内の日付異同と確認した。
附録1-No.155 川上久隅書状
川上久隅が河上次郎左衛門尉に、次郎左衛門尉の役務が無事に整ったことを喜び、今後も励むよう求めた書状。途絶えかけた連歌を再興するため連衆を差し出したこと、日州の役務も御老中衆と相談して進めることを伝える。
附録1-No.156 仁礼頼景書状
仁礼頼景が川上勘解由に、双方の家族・在所の近況を伝えた書状。満吉が宮原長次郎のもとで謡を稽古していること、薩州様の帰国見込み、江戸滞在中の費用に備えて親父から借銀する相談などを報告する。
附録1-No.157 仁礼頼景書状
仁礼頼景が、江戸到着後の拝謁・饗応と今後の行程を報告した書状。八月二十四日に江戸へ着き、翌日御前に出て振舞を受け、九月十一日に京都へ向かったことを述べ、勝利して帰国する願いと、若衆に舞・兵法を励ませるよう求める。
附録1-No.158 川上忠豊書状
川上忠豊が河上二郎左衛門尉に、当年の諏方神事で川上名字に回ってきた社役について通知した書状。十九、二十日頃に父子二人で参上し、名字中で相談済みの序列・役の上下に従って勤めるよう求める。
附録1-No.159 川上忠豊書状
川上忠豊が河上二郎左衛門尉に、川上名字の社役へ必ず出席するよう重ねて求めた書状。尉畋老や紀州老とも連絡しており、二十、二十一日頃に到着するよう勧め、贈られた木綿一反への礼も述べる。
附録1-No.160 島津忠廣書状
島津忠廣が川上篠右衛門尉に、久しく会えず音信も途絶えていたことを詫び、互いの近況を尋ねた書状。上様が下向して当地へも来訪する見込みなので、その際に積もる話をしたいと述べ、江戸からも便りを送れなかったことを謝する。
附録1-No.161 川上某書状
川上某が川上篠右衛門に、雑金入りの鉄砲を見せてほしいと頼んだ書状。覚之介の帰宅に合わせて一書を送り、相手方が秘蔵する鉄砲を便の折に送るよう求め、詳細は覚之介から伝えるとする。
附録1-No.162 川上久國書状
川上久國が、長期滞在中の饗応への礼と出立後の無事を川上篠右衛門へ報告した書状。天候に恵まれて細島へ着いたこと、翌夏には早々に下る予定を伝える。本文末尾は「三月念三日」(三月二十三日)、巻末目録は三月三日であり、切り抜き照合により原資料内の日付異同と確認した。
附録1-No.163 川上久國書状
川上久國が川上篠右衛門に、贈られた生姜への礼を述べ、植え付けて大切に育てると伝えた書状。前年に依頼した大六葉の種子が届いたかを尋ね、八月にはその種子を送ってほしいと改めて頼む。
附録1-No.164 喜入忠続書状
喜入忠政(のち忠続)が、薩州様の息災、黄門様の江戸在府、若君様の成長、美作守の快気を喜び、帖佐長右衛門尉に薩州様への取次を頼んだ書状。本文は「喜入摂津守忠政」署名、巻末目録は改名後の「喜入忠続」名で掲げており、同一人物の改名前後名として整理した。
附録1-No.165 喜入忠続書状
喜入忠政(のち忠続)が、薩州様の繁昌と御曹子様の成長を祝い、諏訪仲右衛門尉を介して献上した水指を薩州様が見た際の反応を尋ね、帖佐長右衛門尉に取次を頼んだ書状。本文は「喜入摂津守忠政」署名、巻末目録は改名後の「喜入忠続」名で掲げており、同一人物の改名前後名として整理した。
附録1-No.166 島津久慶書状
島津久慶が帖佐長右衛門尉に、薩州様・虎寿様への使者派遣と黄門様の上洛予定などを知らせた書状。肩衣・袴一具を添えて送り、国元の無事を伝えつつ、上洛や在旅中の取次・奉公について配慮を求める。
附録1-No.167 島津久慶書状
島津久慶が帖佐長右衛門尉に、光久様が大事な役を無事に務め、疱瘡後に湯治を終えたことを喜んだ書状。自身も疱瘡を二度経験したため案じていたと述べ、快復の知らせに安堵し、若衆や関係者の近況も尋ねる。
附録1-No.168 島津久慶書状
島津久慶が、薩州様の疱瘡快気と虎寿様の疱瘡が軽症であることを喜び、再び使者を進上した書状。野州老から届いた知らせに安堵し、薩州様が当年下国するとの噂について、確かな吉報を待っていると伝える。
附録1-No.169 川上久國書状
川上久國が帖佐長右衛門尉に、琉球から取り寄せる馬や数寄道具の調達状況と各種進物を知らせた書状。水指・籠・福昌寺の達磨図と梅図・金襴切などを送り、光久様の交替・下向の有無も尋ねる。
附録1-No.170 新納忠清外二名連署書状
新納忠清・肥後盛行・大寺政安が、大脇舎人佑の知行高十四石の算入先について連署した書状。当初は相手方の高へ籠めるよう伝えたが、改めて山田民部少輔を通じて当地の高へ算入せよとの命が出たため、その処理を通知する。
附録1-No.171 川口重昌書状
川口重昌が新納仲左衛門尉に、向町與三右衛門尉による禁制違反の処置について返答した書状。横目衆が披露したため公儀から詳しい裁定が出るのを待ち、その際に相手の書状内容を申し入れ、年行司へも通達するとする。
附録1-No.172 頴娃久政・新納忠清連署書状
頴娃久政と新納忠清が、唐物屋千左衛門・帯屋四郎兵衛尉・下人長五郎の三人に宮内八幡参詣のための書状を付した連署書状。参詣先以外の在郷へ立ち寄らないよう厳命することを求める。
附録1-No.173 東郷重盛・川上忠位連署書状
東郷重盛と川上忠位が、新納忠左衛門尉に百目掛銀の配分変更を頼んだ連署書状。当月と翌三月に受け取る二回分のうち一回分を、借銀で困窮する相良土佐へ譲るよう求め、詳細は使者から説明するとする。
附録1-No.174 島津久慶・島津久元連署書状
島津久慶と島津久元が、八朔に献上する太刀・馬の先後争いについて連署した書状。玄蕃頭との席次・進上順を黄門様が先例に基づいて裁定すること、双方が証文を提出し、東郷肥前守を介して決着させることを伝える。
附録1-No.175 島津久元書状
島津久元が新納仲左衛門尉に、八朔の太刀進上をめぐる玄蕃との先後争いについて知らせた書状。又八郎から届いた書状を確認し、御殿の丁寧な意向を承知したとして、関係者へ適切に披露するよう求める。
附録1-No.176 川上久國書状
川上久國が新納仲左衛門尉に、川野内記の申し分に関する談合への出席を求めた書状。江戸から示された意向に基づき、武部様から参会を命じられていること、公儀から別件の御用も仰せ付けられるため必ず来るよう伝える。
附録1-No.177 川上久國書状
川上久國が新納仲左衛門尉に、新春の祝意と近況を伝えた書状。又八郎が上洛するため相手方が寂しくなるだろうと察し、すでに出船したかを尋ね、武庫様への書状の取次も頼む。
附録1-No.178 川上久國外二名連署廻文
川上久國らが、江戸から下向する上使を迎えるため発した連署廻文。通行路の道・橋を念入りに普請し、上使通過時は下々まで見物に出ないこと、途中で出会った場合は平伏して慎むことを厳命する。
附録1-No.179 川上忠智・新納長任連署書状
川上忠智と新納長任が、長野織部佑に翌日高原へ赴いて京衆を取り持つよう求めた連署書状。隈内で問題が起きないよう随時出向き、馬・人夫を飯野公領から手配し、小林への通路にも配慮するよう指示する。
附録1-No.180 島津久慶書状
島津久慶が新納仲左衛門尉に、家譜へ記載するため過去の贈答・拝領記録を捜すよう頼んだ書状。関ヶ原後の伏見で黄門様が拝謁した際の進上・拝領物、惟新様病中の上使と拝領物、医者三官関係の書物などを詳しく調査して書き付けるよう求める。
附録1-No.181 新納忠清外二名連署書状
新納忠清・高崎能乘・山田有榮が、伊作中之里名の門内屋敷・加治屋屋敷・西中間屋敷の三人付について、會木新左衛門尉へ尋ねたいことがあるため、急ぎ参会させるよう求めた連署書状。延引しないよう念を押す。
附録1-No.182 某書状
差出人不詳者が矢野伊兵衛・大野吉兵衛へ、上方乱入の混乱下で自らがなお存命であることを伝え、三右衛門尉らの上洛や夫丸の派遣を指示した書状。自分が死亡した場合に備え、一人娘、借財の取納、後事の処置を五郎右様の判断で進めるよう詳細に申し置く。
附録1-No.183 新納長任書状
新納長任が大崎勘丞らに、福嶋様の振舞に招かれたこと、兵庫に着船した安藝少将が惟新様と会談し厚意を示したことを報じた書状。秀頼への目見得、馬一疋の贈与、銀子百貫目・米三千石の借用申出、龍伯様の好調など上方の政治的動向を詳報する。
附録1-No.184 新納忠清・高崎能乘連署書状
新納忠清と高崎能乘が、鍛冶・番匠衆の知行に関する依頼へ回答した連署書状。御老中衆が聞き届けるべき案件であり、自分たちの支配所はすでに離れているため、直接御老中衆へ申し上げるよう勧める。
附録1-No.185 島津久薫書状
島津久薫が新納仲左衛門尉に、旅先で無事に勤め、薩州様の御前で遺漏なく奉公している近況を伝えた書状。相談事も少なくなり安堵していること、翌夏初めには帰国して相談する意向、内儀方の無事を聞いたことを述べる。
附録1-No.186 島津久薫書状
島津久薫が新納仲左衛門尉に、悪天候のなか遠方から勘負を遣わされたことへ謝意を示した書状。上洛人数の賦課が減少したため武庫様が鹿児島へ赴き、相手も供をして苦労したこと、従前どおりの人数賦で上洛できるとの報に満足したことを伝える。
附録1-No.187 島津久慶外二名連署書状
島津久慶・川上久國・伊勢貞昌が、根占殿の御蔵入方を會木弥兵衛尉と黒葛原吉左衛門尉へ命じたことを知らせた連署書状。吉左衛門尉は病気で参上が遅れたが当日出仕したため、その事情を披露するよう求める。
附録1-No.188 元代友泰書状
友泰が比志嶋掃部助らに、弾正様・川上左近将監様から相良清兵衛尉へ送る書状の取次経過を報じた書状。書状を横川から求廣へ持たせ、返書を相手方へ届ける一方、使者が鹿児島へ持参する場合の通行にも配慮するよう伝える。
附録1-No.189 喜入忠続書状
喜入忠政が比志嶋掃部助らに、初鷹を届けるので新納仲左衛門尉の奥方へ進上するよう依頼した書状。三日後に江戸へ向かう早便があるため、その件もあらかじめ申し入れておくよう求める。
附録1-No.190 山田有榮書状
山田有榮が新納仲左衛門尉に、薩州様が暇を得て十五日に江戸を出立するとの報を伝えた書状。若君様から袷五十と銀子千枚を拝領し、馬も給わったとの情報を付記し、帰着の折には兵庫頭様へ申し上げるよう促す。
附録1-No.191 山田有榮書状
山田有榮が新納仲左衛門尉に、江戸から下着した大井二右衛門が携えた武庫様より又八郎様宛ての書状を送付した書状。前日に当地へ届いたため差し上げるので、適切に披露するよう頼む。
附録1-No.192 島津久通・山田有榮連署書状
島津久通と山田有榮が新納仲左衛門尉に、加治木西町の次右衛門の下人が小船で逃走し、頴娃川尻へ漂着して舟を乗り捨て、山川で潜伏していたところを探索・捕縛され、こちらへ差し出されたと報じた連署書状。逃亡者を在所の関係から新納方へ送り届けるので、受け取るよう求める。
附録1-No.193 鎌田政統書状
鎌田政統が新納仲左衛門尉に、御姫様の誕生について忠平様の書状の趣旨を受け、奥方が喜んでいることを報じた書状。その様子を機会をみて披露するよう依頼する。
附録1-No.194 島津久元外二名連署書状
島津久元・川上久國・喜入忠政(のち忠続)が、新納仲左衛門尉・市来備前守・比志嶋掃部助に、薬師寺内蔵丞が養子となって当地の役儀を勤めているため、水引へ移すよう伊東二右衛門尉から申し入れがあったと伝え、支障がなければ相談するよう求めた連署書状。切り抜きにより、別掲されていた島津久元の署名を含む三名連署と…
附録1-No.195 川上久國書状
川上久國が新納仲左衛門尉・市来備前守に、大脇主馬丞の子息舎人佑へ肥後内膳正の知行の一部を分け与え、当地へ移すよう御老中が命じたことを伝えた書状。山田民部少輔が使者を務め、詳細は主馬丞から伝えるとする。
附録1-No.196 喜入忠続書状
喜入忠政(のち忠続)が市来備前守・新納仲左衛門尉に、又八郎様に奉公する局が近頃ことに患い、老齢のため当地での養生が難しいと伝えた書状。意向を得てこちらへ帰し、永吉などで療養させたいので、病中のうちに早々に暇を与えるよう取り計らうことを求める。
附録1-No.197 高崎能乘書状
高崎能乘が新納仲左衛門尉に、相手の書状の趣旨を披露し、祈念入具の件を物奉行へ申し渡したと知らせた書状。使者を待機させておくこと、八左衛門が当朝出仕しなかったため自ら返答したことを伝える。
附録1-No.198 山田有榮書状
山田有榮が新納仲左衛門尉・比志嶋掃部助に、切米取の者へ琉球米を支給してほしいとの依頼に回答した書状。琉球米が未着で、手元の米にも用途があると説明する。No.196切り抜きとの照合により、従来混入していた永吉・病人への暇に関する記述を除外した。
附録1-No.199 島津久茂外二名連署書状
島津久茂らが、兵庫守領内から有馬・天草へ移す百姓について、家族人数・牛馬・農具をどの程度伴わせるか回答した連署書状。国元から出す百姓頭百三十人の賦課を示し、詳細は御蔵入奉行三原左衛門尉と御家老衆が定めるため、直接協議するよう促す。
附録1-No.200 伊地知重時書状
伊地知重時が新納仲左衛門尉に、兵庫様が無事到着し登城・目見得を済ませたことを伝えた書状。自身は十三日から中務殿と加治木で御道具改めに従事し、村田平右衛門尉へ家中の件を申し渡す予定であること、親族も無事であることを報じる。