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附録1の目録
旧記雑録 年代不詳の文書・記事です。
全1,072件中 201~300件・3 / 11ページ
附録1-No.201 新納某書状
新納弥七郎が新納仲左衛門尉に、新年を祝うとともに吉松衆中の入組問題を報じた書状。刑部大輔の依頼を受け、上使方へ説明する際は一人では首尾を述べにくいため自ら同道すること、刑部殿からの返答後に使者を送ることを伝える。
附録1-No.202 島津久慶・川上久國連署書状
島津久慶と川上久國が、上様の下向に備えて当地から御道具衆二十人を御舟本まで差し上げたと知らせた連署書状。相手方にも手持ちの御道具衆を今晩から順次差し上げ、油断しないよう命じる。
附録1-No.203 島津久慶・島津久元連署書状
島津久慶と島津久元が、羽嶋蔵人家の事情により、その子一人を当地へ置く願いが認められたと伝えた連署書状。蔵人の宗領の子へ知行四十五石を付け鹿児島へ召し置くため、相手方の高から分けるよう求める。
附録1-No.204 島津久元外二名連署書状
島津久元・伊勢貞昌・比志嶋國隆が、新納仲左衛門尉に縣へ使者として赴くよう命じた連署書状。当日には間に合わないため翌朝早く参上して意向を承り、本田源右衛門尉・比志嶋掃部助と相談して出発するよう指示する。
附録1-No.205 島津久元書状
島津久元が新納仲左衛門尉に、又八郎様から五月二十三日付の書状を受け取り、当地が無事であるとの知らせを喜んだ書状。黄門様が長く患い、とりわけ近頃は衰弱していて心配であること、詳しくは本田新右衛門尉が口上で伝えることを述べる。
附録1-No.206 伊勢貞昌書状
伊勢貞昌が新納仲左衛門尉に、両寺中への反銭・段米を差し置くことや老母の無事を伝えた書状。京都へ送る土産の取次、二十二日に出立する旅庵への同行準備を頼み、船賃は不要で、上下五十日分の兵糧と遣銭二貫文が任世から支給されると知らせる。
附録1-No.207 八重尾久重覚書
八重尾久重が、家から受け継いだ土地と八重尾の範囲・境界を記した覚書。山・谷・道・田畑をどの地点で区切るか、各所を誰が受け取るかを列挙し、過去の祈念や土地分配の経緯を後日の証拠として書き留める。
附録1-No.208 八重尾某覚書
八重尾氏の人物が、木浦木への移住と小林・須木間の山林境界、狩場利用の先例を記した覚書。先祖以来の境を示し、須木衆による木場利用、村尾殿への鹿倉貸与、地頭上井次郎左衛門時代の境界神事、米十五石・銭十五貫文の支給などを詳述する。
附録1-No.209 八重尾某祈願神事次第注進状
八重尾氏が、天正十六年以降に行った祈念・神事を年代順に記した文書。心経千巻、木之山神への祈念、榊・柴・しめ、各山神への奉納、参詣、差刀の上申などを年月ごとに列挙する。
附録1-No.210 御記録所帳留
御記録所の帳留として、新納四郎左衛門久辰の祖先以来の戦功・国老職と知行由緒を記録した文書。島津家久から大隅国桑原郡三躰堂村の山林・土地を与えられたこと、歴代当主への奉公、蒲生家との関係、没年などをまとめる。
附録1-No.211 留守家由緒書
留守家の由緒・系譜・奉公歴を年代順にまとめた文書。文明年間の出陣、木房村拝領、留守藤景の上京や肥前有馬合戦での軍忠、島津義久・忠恒らへの奉公、歴代当主の婚姻・知行・役職・改名・没年を詳細に記録する。
附録1-No.212 寺社奉行所達書
寺社奉行所が国分宮内與頭中へ、宮内社家所持の嘉禄三年下知状写一通と建長~嘉暦の下知状写一冊を御文書所へ提出させた達書。御用が済み次第返却するため、持主へその旨を伝えるよう命じる。
附録1-No.213 記録所請取状
記録所が古目録・坪付・文書・開本など多数の旧記を受け取った請取状。各冊数・通数と所持者を列挙し、御用のため一時預かり、用済み後に返却すると明記する。
附録1-No.214 某書状
差出人不詳者が、薩摩国関係の安堵状案文を急ぎ作成し、南蛮船着岸時に上乗を添えて送ることを求めた書状。馬・太刀の進上、京都への使節と板倉殿の指南、伊集院山城守・別府殿への書状、案内役石塚殿の必要性などを指示する。
附録1-No.215 町田家久(満忠)書状
町田家久が苧河殿に、石塚大和入道の下向時に受け取った書状への礼と、南蛮船をめぐる戦闘を報じた書状。上方からの指示で出津準備中、先月二十三日に大軍と敵船数百艘が来襲したため防戦したが、南蛮船は綱・碇を切って退散し、目的を果たせなかったと述べる。
附録1-No.216 渋川道鎮(頼満)書状
渋川道鎮が町田飛騨守に、唐津・博多へ着岸予定の南蛮船が海上を恐れて相手方の地に逗留しているとの注進を受けて送った書状。京都へ報告済みであり、助力して早急に船を送ること、迎船を出し、津々浦々の警固を固めることを求める。
附録1-No.217 明真書状
明真が斎藤次郎左衛門尉に、島津殿に関する用件で使節に選ばれたため、急いで渡海・参向するよう求めた書状。松浦山代方へも書状を送り、決して等閑にせず対応するよう念を押す。
附録1-No.218 某覚書
記主不詳者が鎌倉殿の最期と葬送前後の出来事を記した覚書。六月二十一日の三島参詣と管弦・仏事、御酒・名馬・鷹狩、その後の発病と医師の治療、二十六日の臨終、諸大名・番衆の出家、鎌倉新造御所への移住から死去までを詳述する。
附録1-No.219 某覚書
記主不詳者が、鎌倉・幕府周辺で起きた戦闘と政争の経過を記した覚書。各武将・奉行・使者の動向、在府衆の招集、敵方との合戦、戦死・負傷、所領や沙汰をめぐる訴訟・裁許などを伝聞と実見を交えて書き留める。
附録1-No.220 島津実久書状
島津実久が奈良原殿に、今度の弓矢で子息三人が比類ない高名を立てたことを賞した書状。無礼を詫びつつ、いずれ相手方へ赴くので対面の機会に詳しく話すと伝える。
附録1-No.221 島津実久書状
島津実久が奈良原八郎左衛門尉に宛てた書状。本文はNo.601と同文のため省略されている。No.601本文によれば、先便の趣旨を承知し、当該の件を早々に取り計らって下すよう求め、実現すれば喜ばしい旨を伝える内容である。
附録1-No.222 島津忠興書状
島津忠興が本田因幡守に宛て、新年の祝意を述べた書状。祝詞を受けたことへの返礼として慶書を送り、今後も互いに満足すべき関係が続くよう祈念し、祝儀の品を進上するので、その旨を披露するよう求めている。
附録1-No.223 北郷久加外二名連署廻文
北郷久加ら三名が、根占七郎による沿岸各地の巡見に際して回した廻文。各地では宿の用意を念入りに行うこと、宿の亭主から礼物を受け取らないことを厳命し、鹿児島・横井・伊集院・神川・日置へ順次伝達するよう指示している。
附録1-No.224 堀某口達覚
堀四郎左衛門が安養院へ伝えた口上覚。島津綱久の厄年に伴い、西原山王へ年数珠を当年から三年間奉納する誓願について、当年三月から十二月まで十一か月分の年数珠を届けるので、吉日を選んで奉納し祈祷するよう依頼している。
附録1-No.225 島津久儀書状
島津久儀が安養院に宛てた礼状。島津綱久の厄年に際して諏訪社へ寄進するため送った刀が、早速神前へ納められたとの報告に謝意を示している。
附録1-No.226 伊地知重行・有川貞政連署書
伊地知重行・有川貞政が安養院に宛てた連署書。島津久儀の上洛中の祈念として、毎月大明神で神楽を行う立願に基づき、二月から十二月までの三か月分として八木五斗二升五合を届け、翌七日の吉日に神前で祈念するよう依頼している。
附録1-No.227 細川高国書状
細川高国が島津豊後守に宛てた書状。渡唐船について先に詳しく申し入れた件を重ねて頼み、今後も懇意にしてもらえれば本望であると述べ、詳しい説明は桂樹院に託している。
附録1-No.228 新納忠清書状
新納忠清が司馬老・自閑老に、遠路からの書状への礼を述べ、道純作の籠について以前取り次いだ件の首尾を尋ねた書状。当分当地に滞在しているため喜入休右衛門尉にも書状を送り、詳しく言い含めるよう求める。道純の病状が快方に向かわないことを惜しみ、今月中も変わらなければ翌月早々に鹿児島へ赴いて世話をすると述べる…
附録1-No.229 酒匂伊景書状
酒匂伊景が村尾三河に宛てた書状。福田陣で承った谷山関係の一筆について、取り込みのため遅延したことを詫び、今回送付するので適切に処理してほしいと伝え、返答を求めている。
附録1-No.230 酒匂伊景書状
酒匂伊景が市来殿に宛てた書状。満色殿から申し入れのあった所領・田数の件について、在所に関わるため私的に決められないとし、相手方からの申入れを受けて等閑なく処理すると回答する。河辺の情勢を待つと遅れるため、急ぎ道行きについて談合するよう求め、厚地殿にも詳しく伝えたとしている。
附録1-No.231 入来院定仏(重経)書状
入来院定仏が諏方入道に宛てた書状。三人の子息が奉公している旨を述べたうえで、与二重員と七郎頼重が定めに背いて他方へ参じたため、今後は父子の関係を断ち不孝者として扱うことを伝え、折を見て披露するよう求めている。
附録1-No.232 大内義興書状
大内義興が入来院氏に宛てた書状。長年にわたり大内家との交際に等閑がないと聞いたことを喜び、今後も変わらず一味して協力するなら本意であると伝えている。
附録1-No.233 大内義興書状
大内義興が入来院氏に宛てた書状。願いの件を疎略なく承ったことを喜び、相手方とも特に申し通じているので、今後も二心なく協議し、一味して相談を続けたいと述べている。
附録1-No.234 大内義興書状
大内義興が入来院加賀守に宛てた書状。先の書状への丁重な返答を喜び、今後も交流を続けたいと述べる。前年十二月晦日に当国へ移ったことを報じ、上意に従って天下のために力を尽くすので、今こそ忠節を励み、諸事を相談するよう求めている。
附録1-No.235 相良為続書状
相良為続が入来院氏に宛てた書状。道中が滞り音信できなかったことを詫び、八代滞在中の情勢と当国の平穏を図る考えを伝える。薩摩から来る客僧を支障なく扱うよう頼み、加世田新・大方殿をめぐる関係では、親子以上に互いを大切にして表裏なく結束するよう諭している。
附録1-No.236 石田三成書状
石田三成が入来院又六の宿所へ送った書状。名護屋へ出陣せず人数も遅参していることを厳しく問題視し、島津氏への不届きはもちろん、唐入りの軍役を公儀の道理に反して怠れば上聞に達して身上を失いかねないとして、早急な着陣を命じている。
附録1-No.237 近衛尚通書状
近衛尚通が島津右馬頭に宛てた書状。京都で思いがけない騒乱が起こり諸士が頼る先を失っているため、匠作へ使札を送り、この機会に尽力してもらえればありがたいと依頼し、詳細は進藤筑後守に託している。
附録1-No.238 伊集院忠朗書状
伊集院忠朗が本田因幡守に宛てた書状。先に贈った弓木への礼は不要とし、相州入道から贈られた鯨油について上田殿から受けた礼を披露したことを報告する。鯨油は珍品で島津忠良・貴久も大いに喜び賞翫したため、重ねて礼を伝えるよう求めている。
附録1-No.239 鮫島氏古系図
鮫島氏の祖先から諸流・分家へ至る系譜を図示した古系図。家光・茂光らを起点に、子女、婚姻先、通称、官途、所領・在地関係、戦死や継承などの注記を伴い、鮫島氏と島津氏家臣層・地域諸家との結び付きを示している。
附録1-No.240 某書状
『志布志宝満寺文書焼切古写』所収の欠損文書。順某が某仙御坊に、日向国宝満寺は西殿の祈祷所で、寄進状もあることを述べ、同寺を願寺として取り立て、将来にわたり仏法を興隆させるよう求めた書状。焼損のため差出人・宛所の一部と多くの字句が欠けている。
附録1-No.241 本田宗親書状
本田宗親が帖佐彦左衛門尉に宛てた書状。長年の在陣・在京や関ヶ原以後の困窮、子の在京による借銀増大を訴え、現状では知行を受けても軍役を果たせないため、知行目録を召し上げるよう取り次いでほしいと依頼している。
附録1-No.242 入来院重豊契状
入来院重豊が島津大夫判官に提出した契状。当国の凶徒を討つため善悪を問わず一味同心し、山北の敵対者を誅伐するまでは在陣を解かず帰宅もしないこと、公私の大事には互いに身命を支え合うことを神々に誓っている。
附録1-No.243 本田宗親書状
本田宗親が枇山美濃入道に宛てた書状。寺柱の仮屋について、宮丸が赴いて委細を承ったため、適切に処理される見込みであることを喜ぶ。また、先に増五郎が訪れた際に十分な応対ができず、無沙汰となったことを詫びている。
附録1-No.244 明見書状
明見が『みの殿』に宛てた仮名書状。健康を案じ、暑い時に小屋へ籠もらないこと、夜間の身の回りに気を付けること、人々を打つなどせず穏やかに扱うこと、体を大切にすることを繰り返し諭している。
附録1-No.245 北郷知久書状
北郷知久が枇山殿に宛てた書状。京都から僧の使者が鹿児島へ到着し、屋形が財部へ出向いて同地で対面する予定であることを、淡路方からの連絡として知らせる。不明点があれば知らせるよう求めている。
附録1-No.246 北郷知久書状
北郷知久が枇山殿に宛てた書状。前日に訪問を受けたものの夜に帰ったため十分なもてなしができなかったことを詫び、改めて礼を述べる意向を伝える。また、先方からの返書を確認して返答と案文を送るとしている。
附録1-No.247 伊集院忠朗書状
伊集院忠朗が二乗院の同宿衆に宛てた書状。重信の身上については大興寺と相談する意向を示す一方、本田幡守父子が他出中のため、当地での処理には多少時間がかかる見込みであると伝え、その旨の披露を求めている。
附録1-No.248 頼忠法印書状
頼忠法印が肝付三郎に宛てた書状。肝付氏が帰依する高崇寺について、根来寺住山中に法流相承の約束をしていたことを述べ、自身が老齢であるため急ぎ来訪し、法流を正式に継承するよう求めている。
附録1-No.249 島津久逸書状
島津久逸が二乗院に宛てた書状。新春の祝意を述べ、先に依頼した祈祷への配慮と、自身に関わる名の拝領を喜ぶ。宝生院が使僧として祈祷の巻数を持参した際、鹿児島不在で会えなかったことを残念がり、改めて参上して礼を述べたいとしている。
附録1-No.250 島津運久書状
島津運久が一乗院の同宿衆へ、新春の賀意を本来こちらから申し上げるべきところ、遠方から先に挨拶と贈物を受けたことに謝意を示し、先方が無事に落ち着けば渡海して早々に参上すると伝える書状。『旧記雑録前編二』No.2336と同文。
附録1-No.251 島津忠廉書状
島津忠廉の書状。久しく音信がなかった相手と対面できたことを喜び、来る二十六日に東郷へ赴いて用務を行う予定を伝える。また、大膳金剛の看経を依頼しており、改めて面会して相談したいとしている。
附録1-No.252 別府某書状
別府信濃守景が枇山權左に宛てた書状。奥州様が在国中順調で、早い下向を祝う旨の使書を受けたことを報告する。久太郎も今回の奉公に精を入れ、喜ばれていると述べ、詳しくは使者に伝えたとしている。
附録1-No.253 琉球国中山王書状
琉球国中山王が島津陽久に宛てた回章。梭巌寺住持の為龍節が海を渡って来訪し、書簡と贈物を受領したことへの謝意を示す。返礼として琉球側の産物である蘇木二千斤を進呈している。
附録1-No.254 琉球国三司官書状
琉球国三司官が市来因幡守ら五名に宛てた書状。文船派遣の依頼に対し、古来の交流は重んじるものの、近年は日本の賊船往来で海路が不穏となり、島々や港の警固に追われているため、現時点では要請に応じ難いと説明する。贈物への返礼として鹿錦三十把を進呈している。
附録1-No.255 某書状
泰朝が冠嶽座主御坊に宛てた書状。長らく音信がなかったことを心外としつつ、疎略にしたためではないと弁明し、相手が同心してくれれば本望であると述べる。この間の無沙汰については、岩野対馬を遣わしたので、委細を申し上げるとしている。
附録1-No.256 正八幡宮宝殿鎮壇祭次第覚書
正八幡宮の宝殿鎮壇祭について、餅・魚介・酒・武具・布帛など多岐にわたる供物と調度の品目・数量を列記し、祭儀の次第と準備内容を伝えた覚書。六月十一日付で泰朝が冠嶽座主御坊に宛てている。
附録1-No.257 喜入久供寄進状
喜入久供が正八幡宮御宝前へ、国武銘の刀一振と脇指一振を奉納した寄進状。武運長久・子孫繁昌・領内安全・敬愛を祈願し、承応二年十二月吉日付で寄進の趣旨を明記する。
附録1-No.258 市来家賀寄進状
市来次左衛門尉惟宗家賀が正宮へ鎧一領、甲一頭、籠手・佩楯一具を奉納し、現病平癒、息災延命、武運長久、如意成就を祈願した寄進状。本文の日付は「寛文元年辛丑六月十三日」だが、巻末目録は「寛文二年六月十三日」とする。
附録1-No.259 森澄秀書状
森澄秀が澤殿ら三人に宛て、遠国のため音信が途絶えていたことを詫び、来訪する三人への支援を依頼した書状。宮主・法納所の件や、日向方面の境界・道中・宿所、神道に関する取り計らいを求め、詳細は使者三人から伝えるとしている。
附録1-No.260 祐身書状
祐身が、立願に伴う燈明料として十二貫文の布施を受けたことと、善哉坊が社参したことを伝え、今後も永く祈念する旨を述べた書状。
附録1-No.261 宗安書状
宗安が澤殿に、越山の際の厚遇を謝し、長らく書状を送らなかったことを詫びた書状。老妹の身上について近日中に澤殿宅へ参上して相談する意向を告げ、事前の案内と取り計らいを依頼する。
附録1-No.262 盛朗書状
盛朗が宛先不詳の人物に、正八幡へ寄進された刀は新納家重代の品であり、後に必ず請け戻す旨が申し出られているため、事情を十分に心得て申し出るよう求めた書状。刀の固有名や寄進者に関わる一部字句は判読を留保する。
附録1-No.263 伊地知重房書状
伊地知重房が澤永登に、正宮の小節供に伴う苦労をねぎらい、実施日は十一日がよいと提案した書状。代参の衆への指示を求め、入用として青銅一貫二百文と中紙一束三帖を送っている。
附録1-No.264 伊集院忠棟書状
伊集院忠棟が権執印に新年の祝意を述べた書状。諸勢が概ね引き揚げ、宛先方の手勢も先々帰還していることを伝え、権執印自身の動向について聞き及んだため、追って連絡するとしている。
附録1-No.265 樺山久高書状
樺山久高が権執印に宛てた書状。本文はNo.237と同文として省略されている。参照先によれば、京都の不慮の錯乱で諸士が頼る先を失うなか、匠作への使札と援助を依頼し、詳細を進藤筑後守に託す内容である。
附録1-No.266 左衛門尉時性書状
左衛門尉時性が座主御房に、来月十五日の当社放生会神事について、在京中で院所の役務も多忙な状況を踏まえ、延期するか在国代官らへ命じるか、その意向を知らせるよう求めた書状。
附録1-No.267 亀山上皇院宣
亀山上皇の意向を按察使頼親が伝えた院宣。新田宮造営について領家沙汰分を三分の一とし、神領では祈祷料田を除く残余田地から急ぎ負担させ、国衙料所分は従前の命令どおり実施するよう命じる。
附録1-No.268 亀山上皇院宣
亀山上皇の意向を按察使頼親が伝えた院宣。新田宮造営料所について、未作地を含む負担と社家の合力で造営を完成させるよう求め、地頭・郡司らの年々の妨害を考慮して、既定の年限をさらに三年間延長すると伝える。
附録1-No.269 石清水八幡宮別当家奉書
石清水八幡宮別当家の法眼性禅が新田宮所司等に宛てた奉書。執印尼公が去る五月一日に他界したと聞いたことを受け、執印職については後に下知するので、それまで仏神事を怠りなく勤行し、下知を待つよう命じている。本文には虫損・欠字がある。
附録1-No.270 石清水八幡宮別当家奉書
石清水八幡宮別当家から新田宮権執印に宛てた奉書。領家関係の焼失、年貢の抑留、当社造営と十二月十四日の遷宮、放生大会の料足・雑事などについて沙汰を求め、正氏を派遣したので便宜の事項を伝えるよう依頼する。本文の日付は二月十日で、目録の一月十日と相違する。
附録1-No.271 新田宮法印某申状
法印棟清が、新田宮神王面の修復・清祓について、宣旨・大府宣を受けた以上は疑義がないと主張し、請文や府官への照会、目代の費用負担などを論じ、先例に従った下知を求めた申状。
附録1-No.272 宇佐宮宗覚書状
宗覚が執印社司に、宇佐宮造営の薩摩国課役から新田宮領を免除することについて、院宣と六波羅御教書の正文を閲覧したと報告し、その旨を披露するよう求めた書状。
附録1-No.273 某書状
重命が大かた殿に宛てた仮名書状。長く取り次がれてきた訴訟について、知行や塩入地の扱いに支障はないことを述べ、使者を立てられない事情を伝える。さらに、ふなつ田・ひら田・とうゆでんの三町などの知行について取り計らうよう求めている。土地名など一部の読みは判読を留保する。
附録1-No.274 新納久了覚書
地頭新納加賀の遠行に伴い、当地の仕置に特に注意するよう命じた覚書。法度違反、喧嘩の下知への不服従、地域の妨げとなる者があれば身分を問わず速やかに届け出て、後任地頭が定まるまで警戒するよう求める。本文末の日付は十二月廿七日と読め、目録の二月廿七日と相違する。
附録1-No.275 石田三成書状
石田三成がよし久に、九日の祝儀として念入りに仕立てた小袖三つを受け取ったことへの謝意を述べ、末永く用いる旨を伝えた書状。
附録1-No.276 近衛信尋書状
近衛信尋が島津義久に、仙洞の平癒を喜び、公家も大いに慶賀していると伝えた書状。あわせて筆五本・帷五つ・太刀一腰・馬代黄金十両の贈答に謝意を示し、詳細は使者の口上に託す。
附録1-No.277 甲斐重政書状
甲斐重政が、今月三日の晩に長崎へ到着し、八人分の揚物・荷物を現地奉行へ引き渡した経過を報告した書状。八人への尋問が続いていること、返事を受け次第帰還して詳しく報告することを伝える。
附録1-No.278 近衛信尹書状
近衛信尹が京都の不慮の錯乱で諸士が頼る先を失っている状況を伝え、匠作へ使札を送り、この機会に援助してほしいと依頼した書状。詳細は進藤筑後守に託している。
附録1-No.279 近衛信尹書状
近衛信尹の書状。本文は既収文書と同文で、京都の不慮の錯乱により諸士が頼る先を失うなか、匠作への使札と援助を依頼し、詳細を進藤筑後守に託す内容である。本文配置上、宛先の対応に留保がある。
附録1-No.280 近衛信尹書状
近衛信尹が喜入式部大輔に宛て、京都の不慮の錯乱で諸士が頼る先を失っているため、匠作への使札に応じて援助するよう依頼した書状。詳細は進藤筑後守に託している。
附録1-No.281 近衛尚通書状
近衛尚通が島津又六郎に、家門間の由緒を踏まえて消息を送り、公方の祝言と三月の若公誕生を祝した書状。都鄙の乱逆で家領が押領され家の断絶さえ危ぶまれるとして、旧好に基づく扶助・奔走を依頼する。
附録1-No.282 近衛尚通書状
近衛尚通が島津又六郎に、久しく書状を送らなかったことを詫び、乱世のため処理できない事柄が多いと述べた書状。今後は力を合わせて諸事を進めたいとし、九澤軒から伝える用件への助力を求める。
附録1-No.283 近衛尚通書状
近衛尚通が島津豊後守に、長く音信を欠いたことを詫び、乱世で諸事が滞るなか相互に力を合わせたいと伝えた書状。九澤軒の口上を通じて用件を伝え、助力を依頼する。
附録1-No.284 進藤長英書状
進藤長英が島津豊後守に、公方の祝言と若公誕生を祝し、近衛家門の慶事を伝えた書状。一方で都鄙の乱逆により家領が押領され断絶の危機にあるとして、九澤軒を介した扶助・奔走を依頼する。
附録1-No.285 近衛植家書状
近衛植家が島津豊後守に、国中が無事であるとの報を喜び、深い由緒がありながら無音であったため短冊を送った書状。九澤軒を通じて依頼した件への奔走を求め、詳細は長英朝臣に託す。
附録1-No.286 正八幡宮宝殿鎮壇祭次第覚書
正八幡宮宝殿の鎮壇祭について、供物・神饌・武具・布帛などの品目と数量、祭儀の準備を記した覚書。本文は既収の二三五六号文書と同文として省略されており、本巻No.256にも同標題の本文が収められる。
附録1-No.287 川上久慶書付
川上久慶の書付。複数の姓・系統ごとに、白兎毛・鼠驪毛・鹿驪毛・黄騎毛・驢蝿毛・猿毛・雲雀毛・赤驥毛・儀渠毛・盗驪毛など、馬の毛色名と読みを系図状に整理する。川上十郎左衛門尉の自筆本を書き付けた旨を記す。
附録1-No.288 森澄秀書状
森澄秀が澤殿ら三人に、来訪する三人への支援を依頼した書状。宮主・法納所の件や日向方面の境界・道中・宿所、神道に関する取り計らいを求める。本文はNo.259と同文として省略されている。
附録1-No.289 祐身書状
祐身が、立願に伴う燈明料十二貫文の布施と善哉坊の社参を伝え、永く祈念する旨を述べた書状。本文はNo.260と同文として省略されている。
附録1-No.290 宗安書状
宗安が澤殿に越山時の厚遇を謝し、老妹の身上について近日中に参上して相談する意向を伝え、取り計らいを依頼した書状。本文はNo.261と同文として省略されている。
附録1-No.291 有馬純房書状
有馬純房が、天山三次の成敗を命じられた経緯を報告した書状。大井七左衛門とともに正月四日に伏見から大坂へ下り、翌五日に三次へ切腹を申し渡して無事執行し、七日に伏見へ戻った後、九日に殿様に供奉して再び大坂へ下ったと述べる。No.125と同文。
附録1-No.292 島津家久詠草
島津家久が、有馬丹波重純(初名次右衛門)の死去に際して与えた詠歌。うつろう枝、世の道、古語、残る歌、露、法の花、鳥の音などを題材に、死者を悼み仏道による救済を願う複数首を収める。
附録1-No.293 伊勢貞成達書
伊勢貞成が、平佐城普請に従事する人夫への兵糧支給について鬼塚主税助・宮路三之允へ達した文書。一日三度、一人につき七合五勺ずつ支給すること、蔵入から用米を出し、普請衆は触れに従うことを命じる。No.124と同文。
附録1-No.294 樺山久高覚書
樺山久高の覚書。普請、竹尻・板城戸、諸口番衆、弓・鉄炮、城屋敷、鹿屋周防介が担当する八木、富隈御蔵米、秋月殿の財部への移転、福島周辺の諸事など、領内の軍事・普請・配置・蔵米関係の懸案を箇条書きにする。
附録1-No.295 贈品目録
中山王へ贈る品として、白銀五千両と綿五百把を記した目録。返船と目録に関する林道春案の書は大橋長左衛門が所持する旨を付記する。
附録1-No.296 島津久元書状
島津久元が種子島左近大夫に、八月二日付書状を披見したと伝え、茶入の礼として西村越前を遣わし、種子島蔵入四千石余を拝領したことを報告した書状。銀子一枚の贈答にも謝意を示し、詳細は西村越前に託す。
附録1-No.297 島津久慶外三名連署書状
前年の国分下馬で起きた衝突を江戸へ報告し、関係者の処分を伝えた連署書状。本田蔵人ら五人は知行・屋敷没収と遠方への追放、下馬始の中間隼人ら三人は死罪とし、市来・左衛門への処置も命じる。
附録1-No.298 島津義久宛行状
島津義久が、古肝付弾正忠の武勇と、その家中の田代八の比類ない戦功を賞し、忠節への恩賞として高四十石を宛行った文書。本文には年号月日欠と明記される。
附録1-No.299 彦山福寿坊堯秀外三名書状
彦山の福寿坊堯秀ら四人が、従来国中各地へ下向して年二季の祈祷を行ってきたところ、年一度のみとする命令が出たため、従前どおり二度の下向を認めるよう求めた連署書状。新寄進が整っても御分裁判が確定しないことを訴える。
附録1-No.300 島津義久直書
島津義久の直書。彦山から年二季下向の儀について申し出があったことを受け、僧侶の秋月種実への入魂を問題視し、先規に従って処置するよう求める。満山の祈念に期待しつつ、彦山政所坊へ返答する。