HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
土持親成
異名・検索語:土持親成/土持右馬頭親成/土持右馬頭田部親成
試験導入中の史料別人物解説です
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
注記付き公開可
未確定事項:皇統に遡る系譜小注の細字人名は留保。系譜・没地は本書の記事として扱い、他史料との一致は未検証。/見出し脇の初名の細字は未確定。浦辺を現代の地名へ置換しない。
DESCRIPTION
本文内容説明
土持右馬頭田部親成。本文は、宇佐八幡宮の惣弁官から門川を領した祖先、門川七郎則綱とその嫡子土持冠者栄妙に続く家の由緒を記す。遠江守頼宜が戦功で県を与えられ、親成は頼宜から十代とする。天正五年冬に島津義久へ味方し、翌年四月、大友軍の県城攻撃に抗戦したが、大軍を防ぎきれなかった。妻の兄弟清田重忠を頼って豊後の浦辺という所へ移ったところ、再び敵が攻め寄せ、ついに打死し、県城も落城したと記す。子孫に土持新八を挙げる。生年・享年・法名・墓所は記載されない。
系譜・人物関係
門川七郎則綱の嫡子栄妙に続く由緒を記し、頼宜から十代を親成とする。清田重忠は妻の兄弟、土持新八は子孫。
奉公・役職
天正五年冬、島津義久へ味方。右馬頭は見出しの呼称。祖先の惣弁官職と親成本人の役職を区別。
軍役・事績
翌年四月の大友軍による県城攻撃に小勢で抗戦。防ぎ難く妻の兄弟清田重忠を頼って豊後浦辺へ移る。捕縛とする記述ではない。
生没・法名等
本文は天正五年の翌年四月の抗戦に続け、豊後浦辺で再び敵に攻められて打死と記す。具体的な没日・享年・法名・墓所は記載なし。浦辺は原表記を保持。
- 統合人物ID
- HP-1269
- 原人物ID群
- 06-102-15
- 氏・分類
- 土持
- 掲載巻頁
- 巻6:102~103
- 主題・活動
- 系譜・県城抗戦・豊後浦辺での打死
- 人物関係要約
- 門川七郎則綱の嫡子栄妙に続く由緒を記し、頼宜から十代を親成とする。清田重忠は妻の兄弟、土持新八は子孫。
- 検索キーワード
- 土持/田部/県城/門川/頼宜/天正五年/天正六年/島津義久/大友軍/清田重忠/豊後/浦辺
- 公開区分
- 注記付き公開可
- 精読・確認状況
- 旧AI全3頁・原冊102~103頁・修復全2頁確認済。系譜小注・初名の細字は留保。
- 公開判定根拠
- 義久への味方・県城抗戦・清田重忠を頼った豊後浦辺移住と打死を本書の記載として整理。細字と現代地名比定を留保して検索公開。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁追加精読・原冊照合・境界修復
- 本文境界判定
- 冊102頁下段左端の一土持右馬頭田部親成(初名小注・子孫土持新八)から冊103頁上段右端の系譜小注と本文を含め『県城終ニ落去也』まで。次の○土持弾正忠久綱は別人物で除外。旧AIの切断された系譜小注を回収し通常AI各2頁へ再構成。既存ID維持・新IDなし。
- 判読保留
- 皇統に遡る系譜小注の細字人名は留保。系譜・没地は本書の記事として扱い、他史料との一致は未検証。/見出し脇の初名の細字は未確定。浦辺を現代の地名へ置換しない。
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』