HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
島津義虎
異名・検索語:島津義虎/島津薩摩守義虎/薩州家/出水/東郷重治/湯田兵庫/深迫/尻無/長島/天草越前守/菱刈/馬越城/高城/水引/湯田/西方/京泊/相良氏/芦北/水俣/八代/島津忠辰/天正十三年/大通玄広庵主
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
DESCRIPTION
本文内容説明
島津薩摩守義虎は実久の子で、出水を本拠とする薩州家当主。東郷重治と長く抗争し、その発端は家臣の飼犬を巡る事件だったと記す。永禄八年、長島の天草越前守を攻めて同島を領した。貴久・義久の菱刈攻めでは、出水の兵を城々へ配置。元亀元年、東郷・入来院の降伏後に高城・水引・湯田・西方・京泊を与えられた。天正九年の相良攻めでは先陣を務め、水俣城攻囲では勝泉岡に陣を取った。同十年冬は肥後八代に在陣。出水・野田・阿久根・長島などを領し、知行高は三万一千九百五石と記される。本文は天正十三年七月二十五日没、四十二歳、法名大通玄広庵主とする。同十四年の筑紫出陣は史料自身が忠辰の代の記事かと疑っており、義虎本人の事績には含めない。
系譜・人物関係
薩州家の用久・国久・成久・忠興・実久と続く由緒を伴い、義虎は実久の子。嫡子忠辰の代に家が断絶したとの見出し注。義久の嫡女の出生・没年記事は義虎本人の生没ではない。出生年は本文天文五年に十三の朱注があるため留保。
奉公・役職
出水を居城とし、野田・阿久根・長島・高城・水引・山野など九城・二十六村、三万一千九百五石と記す。元亀元年、高城・水引・湯田・西方・京泊を拝領。山野城の拝領記事もある。第4頁の義虎老中欄には市来肥前守・古垣大炊介を列記。
軍役・事績
家臣の飼犬事件を発端とする東郷氏との長期抗争、深迫・尻無の合戦。永禄八年長島攻略、菱刈攻めでの出水勢配置。天正九年の相良攻め先陣、水俣城攻囲の勝泉岡布陣、十年冬八代在陣。天正十四年筑紫出陣は没後として史料自身が忠辰代の記事かと疑うため帰属未確定。
生没・法名等
本文は天正十三年七月二十五日申刻没、四十二歳、法名大通玄広庵主と記す。生年・没年付近の朱注は本文と区別。寺院注は出水竜光寺と同所大禅寺の画像に関する付記で、没地と解釈しない。没地の直接記載は確認できない。
- 統合人物ID
- HP-1281
- 原人物ID群
- 10-187-14
- 氏・分類
- 島津
- 掲載巻頁
- 巻10:187
- 主題・活動
- 系譜・奉公・役職・軍役・生没
- 人物関係要約
- 薩州家の用久・国久・成久・忠興・実久と続く由緒を伴い、義虎は実久の子。嫡子忠辰の代に家が断絶したとの見出し注。義久の嫡女の出生・没年記事は義虎本人の生没ではない。出生年は本文天文五年に十三の朱注があるため留保。
- 検索キーワード
- 島津義虎/島津薩摩守義虎/薩州家/出水/東郷重治/湯田兵庫/深迫/尻無/長島/天草越前守/菱刈/馬越城/高城/水引/湯田/西方/京泊/相良氏/芦北/水俣/八代/島津忠辰/天正十三年/大通玄広庵主
- 公開区分
- 公開可
- 精読・確認状況
- 従来記録:精読済(今回の再精読は未実施)
- 公開判定根拠
- 従来判定を継承。新基準による個別再判定は未実施。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁精読
- 本文境界判定
- AI用PDF全4頁を再読。第1~3頁は冊子187頁下段から188頁末の由緒・妻・軍役・没年法名・寺院注、第4頁は189頁冒頭の義虎老中二名欄。第4頁を没年記事の続きとした旧記録を訂正。家臣名欄は関連付記として保持し、後続の島津忠清は含まない。新規採番・PDF変更なし。
- 判読保留
- 見出しの初名・改名細字、生年天文五年/十三の朱注、没年付近の異注、領地名の細字は追加校合対象。旧初名「久義」は字形の裏付けを確認できず公開文・検索語から除いた。天正十四年の軍役は帰属を断定しない。没年月日等は本文の記載として明示し、本人に確実に帰属する軍役・領知と分けて公開可と判断。
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』