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HP-1300巻10:189注記付き公開可

HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE

島津忠栄

異名・検索語:島津忠栄/島津越前守忠栄/大雲源龍

試験導入中の史料別人物解説です

この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。

注記付き公開可

未確定事項:佐土原脱出後の大隅側地名は判読を留保し、説明に採用しない。/見出し傍記の子孫名・忠俊等を本人の改名と断定しない。喜入忠続の子で忠直家の婿となる同名人物とは区別する。/豊久の戦死を忠栄本人の軍功に転用しない。埋葬地は記載がなく、没地から推定しない。

DESCRIPTION

本文内容説明

島津越前守忠栄は義虎の四男。天正三年生まれで、母は兄忠辰と同じ御平様。天正十五年、秀吉の九州下向に際して忠辰の人質となり、細川幽斎預かりで豊前小倉に滞在した。忠辰改易後は小倉を立ち退き、日向佐土原で豊久を頼り、その姉を妻とした。豊久戦死後、豊久の家臣らが忠栄を殺害しようと企てていると聞き、佐土原を脱出。竜伯(義久)を頼って願い出たところ、母御平様の領知である踊内中津川村の千二百石を与えられ、母の跡目とされた。その後、飯野末永村へ領地を替えられた。寛永十九年九月晦日、牛屎で没、六十八歳。法名は大雲源龍。

系譜・人物関係

義虎四男、忠辰と同母で母は御平様。豊久の姉を妻としたと本文に記載。見出し傍記の子孫・忠俊等は本人の改名と断定しない。喜入忠続の子で忠直家の婿となる同名人物と、本条の義虎四男とを混同しない。

奉公・役職

天正十五年、忠辰の人質として細川幽斎預かりとなり豊前小倉に滞在。忠辰改易後に退去。豊久死後、竜伯へ願い出て、母御平様の領知踊内中津川村千二百石と母の跡目を認められた。後に飯野末永村へ替地。本文にない家老等の役職は補わない。

軍役・事績

佐土原で豊久を頼り、その姉と婚姻。豊久戦死後に家臣らの殺害計画を聞いたため脱出し、竜伯を頼ったという本文の経緯を整理。忠栄自身が豊久とともに戦ったとは記載されず、豊久の戦死を本人の軍功に転用しない。

生没・法名等

天正三年生。寛永十九年九月晦日、牛屎で没、六十八歳。法名大雲源龍はAI用PDF第2頁の拡大で再確認。埋葬地は記載なし。

統合人物ID
HP-1300
原人物ID群
10-189-02
氏・分類
島津
掲載巻頁
巻10:189
主題・活動
系譜・奉公・役職・軍役・生没
人物関係要約
義虎四男、忠辰と同母で母は御平様。豊久の姉を妻としたと本文に記載。見出し傍記の子孫・忠俊等は本人の改名と断定しない。喜入忠続の子で忠直家の婿となる同名人物と、本条の義虎四男とを混同しない。
検索キーワード
島津忠栄/島津越前守忠栄/島津義虎/島津忠辰/御平様/豊臣秀吉/細川幽斎/小倉/島津豊久/佐土原/竜伯/島津義久/踊/中津川村/飯野末永村/牛屎/天正三年/天正十五年/寛永十九年/大雲源龍
公開区分
注記付き公開可
精読・確認状況
AI全2頁再読、右端修復後通常AI各全2頁・原冊照合済。
公開判定根拠
人質・婚姻・母の跡目・没年月日と場所を確認。見出し傍記の見切れを修復し、地名・同名人物の留保を公開注記に示す。
説明作成区分
AI用PDF全頁追加精読・原冊照合・境界修復
本文境界判定
冊子189頁上段の一島津越前守忠栄から同頁下段冒頭の没年月日・牛屎・享年・法名まで全2頁。第1頁右端を194.695339から197.695339ptへ3pt拡張し藤四郎等の傍記を回収。第2頁は維持。通常AI各全2頁確認、前条忠清・次条尚久の混入なし。旧境界注記の忠倚は尚久へ訂正。新番号不要。
判読保留
佐土原脱出後の大隅側地名は判読を留保し、説明に採用しない。/見出し傍記の子孫名・忠俊等を本人の改名と断定しない。喜入忠続の子で忠直家の婿となる同名人物とは区別する。/豊久の戦死を忠栄本人の軍功に転用しない。埋葬地は記載がなく、没地から推定しない。

出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』