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HP-1306巻11:212公開可

HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE

島津忠俊

異名・検索語:島津忠俊/島津五郎四郎忠俊/五郎四郎/当岸恵剣上座

試験導入中の史料別人物解説です

この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。

DESCRIPTION

本文内容説明

島津五郎四郎忠俊は忠実の子で、母は鮫島氏。元亀二年、伊地知氏との戦いで下大隅海潟に戦死した。二十一歳。本人の記事は九月二十七日とするが、義岡久延の記事は八月十七日と記し、月日が一致しない。法名は当岸恵剣上座。後掲の久延条は久延を忠俊の養子とし、久延の代に義岡氏へ改めたと記す。義岡条には忠俊の戦死後に嗣子がなく、義久の命で久延が後嗣となった経緯がある。喜入家の摂津介忠俊とは別人である。

系譜・人物関係

忠実の子、母鮫島氏。久延条11-212-04は忠俊養子蔵人久延と記し、義岡条06-093-05は忠俊伝記への参照と、戦死・無嗣子・義久命による久延後嗣を記す。生前に忠俊自身が養子縁組を行ったとは断定しない。喜入家忠誉子の摂津介忠俊HP-1299とは父・通称・没年が異なる。

奉公・役職

元亀二年の伊地知氏退治に出陣。具体的な役職・知行高は本条にない。

軍役・事績

下大隅海潟で戦死。本人伝の九月二十七日と義岡久延伝の八月十七日は不一致。元亀二年・海潟・二十一歳は一致する。義岡氏後嗣の由緒説明は久延の記事であり、忠俊本人の別の軍功にしない。

生没・法名等

元亀二年九月二十七日、下大隅海潟で戦死、二十一歳と本人伝に記す。義岡伝は同年八月十七日。両説を保持。法名は当岸恵剣上座と拡大確認。生年月日・墓所は本条に記載なし。

統合人物ID
HP-1306
原人物ID群
11-212-03
氏・分類
島津
掲載巻頁
巻11:212
主題・活動
系譜・奉公・役職・軍役・生没
人物関係要約
忠実の子、母鮫島氏。久延条11-212-04は忠俊養子蔵人久延と記し、義岡条06-093-05は忠俊伝記への参照と、戦死・無嗣子・義久命による久延後嗣を記す。生前に忠俊自身が養子縁組を行ったとは断定しない。喜入家忠誉子の摂津介忠俊HP-1299とは父・通称・没年が異なる。
検索キーワード
島津忠俊/五郎四郎/忠実/鮫島氏/伊地知氏/元亀二年/下大隅/海潟/戦死/二十一歳/当岸恵剣上座/義岡久延/養子/後嗣
公開区分
公開可
精読・確認状況
従来記録:精読済(今回の再精読は未実施)
公開判定根拠
従来判定を継承。新基準による個別再判定は未実施。
説明作成区分
AI用PDF全頁精読
本文境界判定
本人AI11-212-03全1頁を視読、末尾法名を拡大確認。久延11-212-04全1頁、義岡久延06-093-05全2頁も全視読して相互参照と戦死日を照合。本人条は忠実子・母鮫島氏から戦死・享年・法名まで。次の久延は独立見出しで既存別人物ID。混入なし、PDF変更・新規採番なし。
判読保留
法名当岸恵剣上座を確認し旧直前一字保留を解消。本人条九月二十七日と義岡条八月十七日の違いは解消できず、公開文に明示。生年や役職を推定で補わない。久延の後嗣成立を生前の養子縁組と断定しない。本人の親子関係・戦死地・享年と法名を確定し公開可。

出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』