HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
島津信久
異名・検索語:島津信久/島津相模守信久/又四郎/昌嶽元盛居士
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
DESCRIPTION
本文内容説明
島津相模守信久(又四郎)は彰久の嫡子で、母は義久の二女。天正十三年生まれ。慶長八年、祖父以久から下大隅を付属され、垂水に在城した。同十五年の以久没後、家臣川上出羽を駿河へ派遣し、山口直友を通じて佐土原相続を願った。その後、母の老齢と竜伯(義久)の病を挙げ、忠将以来相伝の城地があるので島津宗家に奉公したいと家久に申し出て、佐土原を辞退した。本文では、代わって幼少の弟忠興が将軍家に拝謁し佐土原を安堵されたと記す。寛永十四年五月十一日没。享年は本文二十三に、五十三の誤りではないかとする朱注がある。法名は昌嶽元盛居士。没地は記載されない。
系譜・人物関係
彰久嫡子、母義久第二女、天正十三年生。祖父以久。忠興は本文で弟と記すため、その史料上の呼称を保持。見出しは又四郎(旧二郎を訂正)。別の小字初名は字形を留保し公開文には入れない。
奉公・役職
慶長八年、祖父から下大隅を付属され垂水に在城。以久没後の佐土原継承を願い、のち忠将以来相伝の城地と宗家奉公を理由に辞退。佐土原を実際に領したとはしない。
軍役・事績
慶長十五年以久死去後、家臣川上出羽を駿河に遣わし山口直友へ佐土原跡目を申し出た。その後、母の高齢と竜伯の病を挙げ、佐土原拝領による近仕をありがたいとしながら家久へ辞退を申請し、その通りになった。本文の弟忠興が将軍家に拝謁して佐土原安堵。信久本人の合戦記事なし。旧返答なしという説明は撤回。
生没・法名等
天正十三年生。寛永十四年五月十一日卒。本文享年二十三、脇に五ノ誤ナランの朱注があり五十三への訂正案と理解する。生年との計算も五十三に対応するが本文を無注記で置き換えない。法名昌嶽元盛居士。没地・墓所なし。
- 統合人物ID
- HP-1298
- 原人物ID群
- 10-194-02
- 氏・分類
- 島津
- 掲載巻頁
- 巻10:194
- 主題・活動
- 系譜・奉公・役職・軍役・生没
- 人物関係要約
- 彰久嫡子、母義久第二女、天正十三年生。祖父以久。忠興は本文で弟と記すため、その史料上の呼称を保持。見出しは又四郎(旧二郎を訂正)。別の小字初名は字形を留保し公開文には入れない。
- 検索キーワード
- 島津信久/彰久/義久/以久/家久/忠将/忠興/垂水/佐土原/川上出羽/山口直友/駿河/相続/辞退/宗家奉公/昌嶽元盛居士
- 公開区分
- 公開可
- 精読・確認状況
- 従来記録:精読済(今回の再精読は未実施)
- 公開判定根拠
- 従来判定を継承。新基準による個別再判定は未実施。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁精読
- 本文境界判定
- 現行AI全1頁を視読。信久見出しから垂水在城、佐土原跡目願・辞退、忠興安堵、信久没年月日・享年朱注・次列法名まで連続。忠興・川上出羽・山口直友・家久・竜伯は相続交渉の関連人物で別人物伝ではない。PDF変更・新規採番なし。
- 判読保留
- 跡目願の後の無日能被仰出候に相当する句は逐字・解釈を保留し、旧返答を得られなかったとは断定しない。川上出羽の諱は本条から補わない。見出し又四郎を確認し旧二郎を訂正。享年本文二十三と五ノ誤ナランの注を公開文に明示。初名小字を留保。垂水在城・佐土原辞退の理由・没年月日と法名を確認して公開可。
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』