HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
島津以久
異名・検索語:島津以久/島津右馬頭以久/入道宗恕/弾正房/又四郎/島津忠将/佐多忠成/肝付兼続/高原/高城/水俣/八代/岩屋城/豊後/清水/島津彰久/種子島/屋久島/口永良部島/垂水/佐土原/徳川家康/篠山城/天文十九年/慶長十五年/宗恕居士/大雲院
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
未確定事項:名乗り小注(尭仁房様)の字形と嫡孫又四郎の諱。/献上した肩衝茶壺の名称細字、殉死者の氏名・年月小注の細部。
DESCRIPTION
本文内容説明
島津右馬頭以久(又四郎、入道宗恕)は忠将の子で、母は佐多忠成の娘。天文十九年六月二十日生。天正元年、父の仇と記される肝付省釣の軍と戦い、先登して高山本城へ退けた。高原・高城・水俣・八代・豊後などの軍役を重ねる。犬追物の射手も務め、福山城内に父の石塔を建て大安寺を創建した。天正十五年、秀吉に嫡子彰久を人質として差し出し、清水を彰久に譲って上井に隠居。のち種子島・屋久島などを領し、慶長四年に下大隅へ替地され垂水へ移る。同六年に佐土原の警衛を命じられ、同八年、家康への訴願を経て佐土原三万石を拝領。下大隅を嫡孫に譲り、佐土原は二男忠興に与えた。慶長十五年四月九日、篠山城普請の役で上洛中に伏見で没、六十一歳。法名は高月院仁雄宗恕居士。京都四条寺町の大雲院に葬られた。
系譜・人物関係
忠将の子、母は佐多忠成の娘。天文十九年六月二十日生。嫡子彰久へ清水を譲り、下大隅は嫡孫又四郎、佐土原は二男忠興へ譲ったと記す。名乗り小注と嫡孫の諱は判読保留。
奉公・役職
永禄八年八月二十四日に義久から帖佐を拝領。天正元年に肝付退治へ派遣され西隈で戦い高山本城へ退ける。慶長六年に佐土原警衛、同八年佐土原三万石拝領。
軍役・事績
犬追物は天正三年二月十五日十四匹、四月九日六匹、同十二日七匹。同年四月二十一日は琉球人御会の断射手。父大安居士の石塔を福山城内に建立し大安寺を創建。高原・高城・水俣・八代・岩屋・豊後に出陣。天正十五年に彰久を人質、清水を譲って上井隠居。文禄四年替地、慶長二年に種子島・屋久島・永良部島の一万石、四年種子島御繰替で下大隅を受け垂水へ移る。家康への訴願後慶長八年佐土原三万石、肩衝茶壺を献上。下大隅は嫡孫又四郎、佐土原は二男忠興に譲渡と記す。
生没・法名等
慶長十五年四月九日、篠山城普請の役で上洛中、城州伏見で卒。六十一歳。法名高月院仁雄宗恕居士。洛陽四条寺町大雲院へ埋葬。殉死者四人と年月等の小注、末尾花見の和歌は関連付記。
- 統合人物ID
- HP-1279
- 原人物ID群
- 10-193-02
- 氏・分類
- 島津
- 掲載巻頁
- 巻10:193
- 主題・活動
- 系譜・奉公・役職・軍役・生没
- 人物関係要約
- 忠将の子、母は佐多忠成の娘。天文十九年六月二十日生。嫡子彰久へ清水を譲り、下大隅は嫡孫又四郎、佐土原は二男忠興へ譲ったと記す。名乗り小注と嫡孫の諱は判読保留。
- 検索キーワード
- 島津以久/島津右馬頭以久/入道宗恕/弾正房/又四郎/島津忠将/佐多忠成/肝付兼続/高原/高城/水俣/八代/岩屋城/豊後/清水/島津彰久/種子島/屋久島/口永良部島/垂水/佐土原/徳川家康/篠山城/天文十九年/慶長十五年/宗恕居士/大雲院
- 公開区分
- 注記付き公開可
- 精読・確認状況
- AI用PDF全2頁を追加精読し原冊193~194頁と照合済み
- 公開判定根拠
- AI用PDF全2頁・原冊を追加照合。犬追物・大安寺創建・佐土原拝領・伏見没を具体化。名乗り・孫の諱・茶壺等の細字を注記し、記載箇所へ案内できるため注記付き公開可。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁追加精読・原冊照合
- 本文境界判定
- 原冊193頁下段〇島津右馬頭以久から194頁上段の殉死者付記・花見和歌まで。AI1頁末の同と2頁二十六日が連続。第2頁末尾の和歌を保持し次の〇島津右衛門尉彰久は含まない。前忠将の法名墓所も含まない。PDF修復・新番号不要。
- 判読保留
- 名乗り小注(尭仁房様)の字形と嫡孫又四郎の諱。/献上した肩衝茶壺の名称細字、殉死者の氏名・年月小注の細部。
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』