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HP-1286巻13:252~253公開可

HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE

島津久憲

異名・検索語:島津久憲/島津大膳久予 後久憲

試験導入中の史料別人物解説です

この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。

DESCRIPTION

本文内容説明

島津大膳久憲は久慶の養子で、実父は喜入美作守忠高。三男として寛永十八年に生まれ、母は島津常久の娘で久慶の妹と注記される。本文によれば、養父久慶の死後、その野心について久憲が申し立て、吟味が行われた。万治二年十二月二十七日、喜入姓となり、摂津守忠長の弟として扱うよう命じられた。知行千五百石を与えられ、自分の買地六十石を合わせて千五百六十石余を領し、栗野地頭を務めた。後に種子島へ遣い置かれ、寛文三年に同島で没した。養父の宗教活動や毒害計画などの記事は訴え・風聞を記したもので、久憲自身の行為や確定した事実とは区別する。

系譜・人物関係

久慶養子、実は喜入美作守忠高三男。母は常久女、朱注で久慶妹。寛永十八年生。万治二年、喜入姓となり摂津守忠長の弟として罷出るよう命じられた。冒頭初名は久子・久予の字形が判然とせず確定しない。

奉公・役職

万治二年十二月二十七日の命令として、喜入名字・摂津守忠長弟、知行千五百石、自分買地六十石を合わせ千五百六十石余、栗野地頭と記す。後に種子島へ遣い置かれた。追放や処罰の理由は本条から補わない。

軍役・事績

久慶死後、久憲が養父の野心について申し立てたと本文に記す。宗教信仰・他家への働きかけ・盗刀・呪詛・毒害計画等は久慶と於長らについての訴えや風聞であり、久憲本人の行為にしない。長文部分は宝永七年五月十五日、市来半左衛門が御記録奉行として記し置いた説という出典注を持つ。本人の具体的合戦武功は記載なし。

生没・法名等

寛永十八年生。後に種子島へ遣い置かれ、寛文三年に同島で没したと記す。没月日・享年・法名・墓所は本文に明記なし。生没年から享年を補算しない。

統合人物ID
HP-1286
原人物ID群
13-252-12
氏・分類
島津
掲載巻頁
巻13:252~253
主題・活動
系譜・奉公・役職・軍役・生没
人物関係要約
久慶養子、実は喜入美作守忠高三男。母は常久女、朱注で久慶妹。寛永十八年生。万治二年、喜入姓となり摂津守忠長の弟として罷出るよう命じられた。冒頭初名は久子・久予の字形が判然とせず確定しない。
検索キーワード
島津久憲/大膳。後に喜入姓。栗野地頭。1560石余。/久慶養子。喜入忠高三男。母は常久女・久慶妹。後に喜入忠長弟として扱われる。/寛永18年生。後に種子島へ遣置、寛文3年同島没。
公開区分
公開可
精読・確認状況
従来記録:精読済(今回の再精読は未実施)
公開判定根拠
従来判定を継承。新基準による個別再判定は未実施。
説明作成区分
AI用PDF全頁精読
本文境界判定
現行AI用PDF全2頁を視読。冊子252~253頁の久憲見出しから養父久慶の事件伝承、久憲の申し立て・改姓・知行・栗野地頭・種子島没まで連続し、次人物の独立見出しは含まない。久慶・於長・真記らは養父の事件を説明する関連人物で新規採番しない。PDF変更なし。
判読保留
初名の字形は久子・久予が判然とせず公開文では久憲のみを使用。万治二年十二月廿七日を画像で確認。長文の告発・風聞は後年の記録者による説として扱い、実際の陰謀と断定しない。本文で確認した出自・改姓と家族上の扱い・知行・役職・没地没年を採用して公開可。

出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』