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HP-1304巻11:212公開可

HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE

島津忠衡

異名・検索語:島津忠衡/島津伯耆守忠衡/伯耆守/入道ト波/義岡氏/久豊公/豊久公/島津勝久/府内/天文七年/一翁道純居士

試験導入中の史料別人物解説です

この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。

DESCRIPTION

本文内容説明

島津伯耆守忠衡は入道してト波と号した。本文は久豊の五男・伯耆守豊久の二男とし、子孫に義岡氏を掲げる。勝久の鹿児島没落・府内出奔に続けて、忠衡が家督を命じられた記事を載せる。ただし、命令者を『豊久公』とする本文と、前段の豊久の戦死年注には年代上の疑問があり、継承の経緯は確定を保留する。天文七年八月十五日没、八十六歳。法名は一翁道純居士。本人の具体的な合戦武功、没地・埋葬地は本条には記されていない。

系譜・人物関係

本文は久豊の五男・伯耆守豊久の二男とする。子孫義岡蔵人の注。兄播磨守忠憲、嫡子薩摩守忠常、志和地氏元祖という系譜記述を関連人物として保持し、旧説明の忠綱を採用しない。父豊久の朱注の生没・戦死を本人の生没にしない。

奉公・役職

勝久公の鹿児島没落と府内出奔に続き、豊久公より忠衡へ家督を仰せ付けたと本文に記す。前段の豊久の戦死年注との年代上の疑問があるため、命令者を別人名に補正したり継承年月を断定したりしない。

軍役・事績

飫肥鎌ヶ倉嶽の戦死は前段豊久の朱注であり、忠衡本人の武功として採用しない。本条に本人の具体的な合戦武功は見当たらない。家督継承の伝承を本文の疑義と併記する。

生没・法名等

天文七年八月十五日没、八十六歳。一翁道純居士。旧天文十年を七年に訂正。前段の応永二十八年生・文明十六年戦死・六十四歳という朱注は豊久に関するもので、忠衡の生没ではない。没地・埋葬地は記載なし。

統合人物ID
HP-1304
原人物ID群
11-212-01
氏・分類
島津
掲載巻頁
巻11:212
主題・活動
系譜・奉公・役職・軍役・生没
人物関係要約
本文は久豊の五男・伯耆守豊久の二男とする。子孫義岡蔵人の注。兄播磨守忠憲、嫡子薩摩守忠常、志和地氏元祖という系譜記述を関連人物として保持し、旧説明の忠綱を採用しない。父豊久の朱注の生没・戦死を本人の生没にしない。
検索キーワード
島津忠衡/島津伯耆守忠衡/伯耆守/入道ト波/義岡氏/久豊公/豊久公/島津勝久/府内/天文七年/一翁道純居士
公開区分
公開可
精読・確認状況
従来記録:精読済(今回の再精読は未実施)
公開判定根拠
従来判定を継承。新基準による個別再判定は未実施。
説明作成区分
AI用PDF全頁精読
本文境界判定
修復後AI用PDF全2頁を視読。冊子212頁上段の忠衡見出し・豊久系譜注から同頁下段の系譜・家督・没年・法名まで。本人注と没年法名の列を収めた確認用・AI用2PDFへ差替え、旧2PDFは保存。第1頁端部の小さな印刷痕・隣接残片は説明に含めず、本人朱注を保持。次の忠実見出しは含まない。系譜は関連説明で新規採番なし。
判読保留
前段の豊久戦死年注と後段の豊久公による家督命令の年代整合は未確定。系譜の細部・出奔の主体も独断で補正しない。見出しはト波であり友波の当て字を確定しない。没年天文七年・享年八十六歳・法名を確認し、家督記事の疑義を公開文にも明記して公開可。

出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』