HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
島津久定
異名・検索語:島津久定/島津右衛門太夫久定/島津国久/島津秀久/島津忠将/島津忠良/日新公/島津貴久/吉利/伊集院地頭/加世田城/谷山紫原/市来平城/大口/蒲生/祁答院/菱刈/天文五年/日山舜公
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
DESCRIPTION
本文内容説明
島津右衛門太夫久定は吉利家の忠将の子で、祖父は秀久。貴久から鹿籠に代えて吉利を与えられて移住し、伊集院地頭を務めた。天文五年の伊集院攻略をはじめ、犬迫・加世田・谷山紫原・市来平城などで軍功を重ねた。大口寺山の合戦では敵将を射殺したと記す。日置との戦いでは家臣若松備後が強弓で敵を退け、久定は他家の加勢を得て敵首を取った。久定自身も弓の名手とされ、加世田田布施や鹿児島の犬追物で射手を務めた。弘治元年、蒲生・祁答院・菱刈氏の反抗に際しても出陣。九月十二日に吉利で没したと記すが、生年・没年・享年には本文内の不整合と訂正注があり、確定を保留する。
系譜・人物関係
吉利家二代治部少輔忠将の子、祖父伊勢守秀久。薩州家国久の三男は秀久であり、久定を国久の孫とする旧説明を訂正。冒頭の忠将幼称虎乗丸を久定の幼名にしない。本人母の島津相模入道の名の細字は保留し、旧説明の忠良の妹を採用しない。初妻・後妻記事は親族表現の校合対象。末尾の子吉利忠澄への参照は関連付記。
奉公・役職
貴久から鹿籠の替地として吉利を与えられ、移住。伊集院地頭。天文九年十一月二十三日加世田田布施、同十年正月十二日鹿児島の犬追物に射手として参加。
軍役・事績
天文五年閏三月七日伊集院、六年犬迫、七年十二月二十八日加世田、八年三月十三日谷山紫原、閏六月十七日市来平城で軍功。日置対陣では家臣若松備後が強弓で敵を射払い、北原氏の加勢後に久定が敵首五級を取る。大口寺山では敵将島津中務忠辰と記す名に朱注を伴い、公開文では敵将とする。中ノ城攻撃と新納方降参・舟送の記事も本伝に関連。弘治元年蒲生・祁答院・菱刈反抗時に出陣。
生没・法名等
本人の生年は永正六年卯二月十五日と記す。末尾は弘治年間の朱訂正付き三・二年表記、九月十二日吉利没、三十九歳とあり、生年から計算する四十七・四十九歳と不一致。没年月日を推定補正せず年次・享年は未確定とする。法名本文は日山舜公と読めるが補助的校合対象。冒頭の弘治三年九月三十日・九十一歳と忠起忠友の戦死は本人の生没に含めない。埋葬地は確定せず。
- 統合人物ID
- HP-1289
- 原人物ID群
- 11-211-01
- 氏・分類
- 島津
- 掲載巻頁
- 巻11:211~212
- 主題・活動
- 系譜・奉公・役職・軍役・生没
- 人物関係要約
- 吉利家二代治部少輔忠将の子、祖父伊勢守秀久。薩州家国久の三男は秀久であり、久定を国久の孫とする旧説明を訂正。冒頭の忠将幼称虎乗丸を久定の幼名にしない。本人母の島津相模入道の名の細字は保留し、旧説明の忠良の妹を採用しない。初妻・後妻記事は親族表現の校合対象。末尾の子吉利忠澄への参照は関連付記。
- 検索キーワード
- 島津久定/島津右衛門太夫久定/島津国久/島津秀久/島津忠将/島津忠良/日新公/島津貴久/吉利/伊集院地頭/加世田城/谷山紫原/市来平城/大口/蒲生/祁答院/菱刈/天文五年/日山舜公
- 公開区分
- 公開可
- 精読・確認状況
- 従来記録:精読済(今回の再精読は未実施)
- 公開判定根拠
- 従来判定を継承。新基準による個別再判定は未実施。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁精読
- 本文境界判定
- 修復後AI用PDF全2頁を再読。冊子211頁下段の久定見出しから212頁上段の戦功・生没・子忠澄参照まで。右端の余白と第2頁左端の隣接文字片を修復し、確認用・AI用2PDFを差替え。旧2PDFを専用バックアップ保存。冒頭の父忠将・祖父秀久は系譜説明、若松備後などは関連する家臣記事。次の忠衡見出しは除外。新規採番なし。
- 判読保留
- 永正六年生と末尾三十九歳は不整合。弘治三・二年の朱訂正表記もあり没年享年は未確定。母の入道名、婚姻の親族表現、法名細部、大口敵将名朱注、小地名は追加校合対象。旧説明の国久の孫・虎寿丸・母忠良妹を解除。確認した役職・軍功・犬追物・吉利没を採用し、年次疑義を公開文にも明記して公開可。
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』