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島津実久
異名・検索語:島津実久/久意/千代太郎/三郎/八郎左衛門尉/薩摩守
試験導入中の史料別人物解説です
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
DESCRIPTION
本文内容説明
薩州家四世忠興の子で、母は相良氏。永正九年生。出水郡を伝領し、高城・水引・谷山・加世田・川辺などにも所領を持ち、姉は勝久の夫人となった。大永七年、勝久の守護復帰を促し、日置・伊集院を攻略して貴久を鹿児島から退かせ、政務を握った。天文四年には勝久とも対立し、鹿児島へ兵を入れて放火。守護職を望んだが国人の支持を得られなかった。忠良の和睦案を拒み、天文八年三月十三日、谷山紫原で貴久に敗れた。その後の対戦は旧記に見えず、本文は和睦の可能性を論じる。天文二十二年閏正月に上洛し、将軍義輝に拝謁。帰途に発病し、七月七日に出水へ戻り、同二十一日死去、四十二歳。法名昌岳源久大禅伯。
系譜・人物関係
父は薩州家四世忠興、母は相良氏。姉は勝久夫人。子は義虎。忠良・貴久と対立。
奉公・役職
出水郡を伝領。高城・水引・谷山・加世田・川辺にも所領。勝久を守護へ復帰させ政務を執る。
軍役・事績
大永七年の日置・伊集院攻略と貴久追撃。天文四年の鹿児島出兵・放火、同六年の忠良の和睦案拒否、同八年三月十三日の紫原敗戦。
生没・法名等
永正九年生。天文二十二年閏正月上洛・義輝拝謁、帰途発病。七月七日出水帰還、同二十一日死去、四十二歳。昌岳源久大禅伯。
- 統合人物ID
- HP-1293
- 原人物ID群
- 13-236-01
- 氏・分類
- 島津
- 掲載巻頁
- 巻13:236~237
- 主題・活動
- 系譜・奉公・役職・軍役・生没
- 人物関係要約
- 父は薩州家四世忠興、母は相良氏。姉は勝久夫人。子は義虎。忠良・貴久と対立。
- 検索キーワード
- 島津実久/島津実久/久意/千代太郎/三郎/八郎左衛門尉/薩摩守/出水郡を伝領。高城・水引・谷山・加世田・川辺にも所領。勝久を守護へ復帰させ政務を執る。/大永七年の日置・伊集院攻略と貴久追撃。天文四年の鹿児島出兵・放火、同六年の忠良の和睦案拒否、同八年三月十三日の紫原敗戦。/永正九年生。天文二十二年閏正月上洛・義輝拝謁、帰途発病。七月七日出水帰還、同二十一日死去、四十二歳。昌岳源久大禅伯。
- 公開区分
- 公開可
- 精読・確認状況
- 従来記録:精読済(今回の再精読は未実施)
- 公開判定根拠
- 従来判定を継承。新基準による個別再判定は未実施。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁精読
- 本文境界判定
- 旧全5頁を確認。旧2・3頁は原表紙画像で人物本文ではないため除外。本文は冊子236下段・237上下段の全3頁に復元。〇印は経歴・考証の続き。末尾の伯まで保持し、次の和泉忠辰を除外。
- 判読保留
- 守護就任を実久の確定した官職としない。帖佐地頭昌久や加治木城主伊地知の職を実久へ転記しない。天文八年以後の和睦は編者の推定。勝久の豊後逃亡を実久の活動地としない。別記の久意を久逸と誤読しない。
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』