HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
島津常久
異名・検索語:島津常久/島津下総守常久/袈裟菊丸/又吉/島津忠隣/島津歳久/宮之城/入来院重時/日置/山田/神之川/祁答院/船木/駿府/江戸/喜界島/落合長作/上之山城/日置/知覧/指宿/天正十五年/慶長十九年/芳春天沢
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
DESCRIPTION
本文内容説明
島津下総守常久(袈裟菊丸・又吉)は忠隣の子で、母は歳久の娘。天正十五年正月十八日生まれ。文禄元年、祖父歳久の自害後、六歳で祖母・母と宮之城に籠った。家中は再三の下城勧告に応じなかったが、所領・身上の安堵を伝えられ、三人は八月に下城した。のち日置山田・神之川、祁答院船木などを与えられた。慶長十三年、家久の年頭祝儀使として駿府・江戸へ赴く。駿府二丸の火災に銀千枚を差し出し、百枚が受納され九百枚は返された。帰国時には喜界島の流人落合長作を引き取り、硫黄島へ移した。同十五年に上之山城を預かり、同十七年の加増で九千八百石余を領する。同十八年に妻子も日置から上之山へ移り、翌十九年五月二十九日、上之山で没、二十八歳。法名は芳春天沢。
系譜・人物関係
父忠隣、母は歳久の娘。幼名袈裟菊丸、又吉。下総守のほか見出し注に常陸守。六歳時の宮之城籠城は祖母・母・家臣を含む集団の行動で、交渉を幼児本人だけの決断として扱わない。次項久慶は独立人物として区別。
奉公・役職
日置山田・神之川、祁答院船木、黒木の加増。慶長十三年家久の年頭祝儀使として駿府・江戸へ赴く。同十五年、上之山城を預かり作亭後に移住。同十七年の伊作・知覧・指宿などの加増を含め九千八百石余。その後の四分の一上地記事は細字に時期疑義があり別途保持する。
軍役・事績
文禄元年の宮之城籠城と下城交渉。義久の所領・身上安堵を受け、祖母・母と八月十一日に下城したと記す。駿府二丸火災に銀千枚を進上したうち百枚受納・九百枚返還。常久帰国の際、喜界島の落合長作を受け取り、帰国後に硫黄島へ送る。具体的な本人の合戦武功を推定しない。
生没・法名等
天正十五年正月十八日生。慶長十九年五月二十九日、上之山で没、二十八歳。法名芳春天沢。直前の慶長十七・十八年に続く同十九年、干支寅、本文の二十八歳、生年の整合を確認。旧説明の寛永十九年(1642)・五十六歳を慶長十九年(1614)・二十八歳へ訂正。埋葬地は本文に明記なし。
- 統合人物ID
- HP-1297
- 原人物ID群
- 10-196-01
- 氏・分類
- 島津
- 掲載巻頁
- 巻10:196
- 主題・活動
- 系譜・奉公・役職・軍役・生没
- 人物関係要約
- 父忠隣、母は歳久の娘。幼名袈裟菊丸、又吉。下総守のほか見出し注に常陸守。六歳時の宮之城籠城は祖母・母・家臣を含む集団の行動で、交渉を幼児本人だけの決断として扱わない。次項久慶は独立人物として区別。
- 検索キーワード
- 島津常久/島津下総守常久/袈裟菊丸/又吉/島津忠隣/島津歳久/宮之城/入来院重時/日置/山田/神之川/祁答院/船木/駿府/江戸/喜界島/落合長作/上之山城/日置/知覧/指宿/天正十五年/慶長十九年/芳春天沢
- 公開区分
- 公開可
- 精読・確認状況
- 従来記録:精読済(今回の再精読は未実施)
- 公開判定根拠
- 従来判定を継承。新基準による個別再判定は未実施。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁精読
- 本文境界判定
- AI用PDF全2頁を再読。冊子196頁上段の常久見出しから下段の上之山移住・没年・法名まで。旧第2頁左端の次項久慶の文字片を除外し、冒頭の本人注も保持した確認用・AI用2PDFへ差替え。旧2PDFを専用バックアップ保存。祖母・母・家臣と流人の記述は本人伝に関連。既存ID維持、新規採番なし。
- 判読保留
- 慶長六年の加増地小地名、慶長十七年の給地細字は追加校合対象。四分の一上地記事には元和八年の制度開始かという注があり、その実施を常久在世中に断定しない。没年の同十九年は慶長、年齢は二十八歳と確認。銀千枚のうち九百枚返還という内訳も反映。採用した経歴・使務・没年月日と場所により公開可。
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』