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追録7-No.2340記事旧記雑録暫定版・確認中

島津重豪の千眼寺観音堂造営記事

文政12年7月10日の命令から文政13年5月6日の開堂法まで(本文年次)/整理ID 旧記雑録追録7_文書2340

確認度高
この文書は暫定版です

現在、内容を確認中です。概要・人物・宛先・キーワード等は後日修正される可能性があります。

概要

重豪が前年七月十日に江戸高輪邸から千眼寺住持別峯へ、国家報恩のため観音堂を修め祝国開堂するよう命じた経緯を記す。別峯は江戸から京都へ行き、万福寺に許可を求め、九月二十五日に発江戸、十二月三日に千眼寺へ入った。文政十三年正月二十三日に起工し、同年五月六日に祝国開堂の法を行う計画とするが、観音堂はなお完成していないため小屋を仮設した。重豪の家系・国家の安泰と長久を祈念し、川田信濃佐模を千眼寺へ遣わして堂前で詩を掲げたことも述べる。起工・仮堂での開堂法と、次項棟札が記す後年の完成を区別して保持する。

登場人物

島津重豪、別峯、万福寺住持、千眼寺住持、島津斉興、川田信濃、佐模

宛先

記事(個人宛名なし)

キーワード

島津重豪、千眼寺、観音堂、造営、祝国開堂、国家報恩、江戸高輪邸、別峯、万福寺、京都、文政十二年七月十日、同年九月二十五日、十二月三日、文政十三年正月二十三日起工、同年五月六日開堂法、仮堂、川田信濃、佐模

冊子頁

827頁

読込量

小

面白さ

★★★★☆

原文を確認

(5)698~928頁(文政7~天保3).pdf