HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
川上久通
異名・検索語:川上久通/川上瀬兵衛久通/瀬兵衛/久通
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
未確定事項:本文は慶長三年に朝鮮国で病死と明記。小注末尾の泗川合戦に続く細字は未確定で、死去の経緯との関係を追加校合する。戦死・合戦参加を確定事項として加えない。/見出しの本田家関連小注は細字判読を留保。家系を確定追加しない。/兄久利の先行帰国と久通の渡海を区別する。次条久貞の文禄元年生・慶長十六年没等を久通へ転記しない。
DESCRIPTION
本文内容説明
川上瀬兵衛久通は久隅の二男で、母は兄久利と同じ。兄が不忠・不孝により家督を継がなかったため、一時家督代を務めた。久通の嫡子を父久隅の後嗣とし、久通自身の家は二男彦十郎久続が相続した。高麗御供として朝鮮へ渡り、本文は慶長三年に朝鮮国で病死したと記す。法名は閑室助三居士。小注には、兄久利が義弘より先に朝鮮から帰国したため、久隅が久通を家督代として渡海させたとの説明がある。続く泗川合戦に関する細字は判読を留保し、病死を戦死とは言い換えない。生年・享年、没月日、朝鮮国内の具体的な没地・墓所は記されない。
系譜・人物関係
久隅の二男、久利の同母弟。嫡子を久隅の後嗣とし、二男彦十郎久続が久通跡を相続。次条久貞は本人と区別。
奉公・役職
兄久利の家督不継承により一時家督代。小注は兄が義弘より先に朝鮮から帰国した後、久隅が久通を家督代として渡海させたと記す。
軍役・事績
高麗御供・朝鮮渡海。泗川合戦に続く小注細字は留保し戦功・戦死を断定しない。
生没・法名等
慶長三年、朝鮮国で病死。閑室助三居士。生年・享年、没月日、朝鮮国内の具体的没地・墓所は無記載。
- 統合人物ID
- HP-0941
- 原人物ID群
- 05-070-03
- 氏・分類
- 川上
- 掲載巻頁
- 巻5:70
- 主題・活動
- 家督代・養嗣相続・朝鮮渡海・病死
- 人物関係要約
- 久隅の二男、久利の同母弟。嫡子を久隅の後嗣とし、二男彦十郎久続が久通跡を相続。次条久貞は本人と区別。
- 検索キーワード
- 川上久通/瀬兵衛/久隅/久利/彦十郎久続/家督代/朝鮮/高麗御供/義弘/慶長三年/病死/閑室助三居士/泗川合戦小注
- 公開区分
- 注記付き公開可
- 精読・確認状況
- 通常AI各全2頁・原冊70頁と小注拡大を照合。病死本文と泗川合戦小注を区別。
- 公開判定根拠
- 家督関係・渡海・病死・法名を確認。泗川合戦小注と家系細字を留保して注記付き公開。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁追加精読・原冊照合
- 本文境界判定
- 巻五70頁上段左端の一川上瀬兵衛久通から下段右端の本文末尾・閑室助三居士まで。通常AI各2頁は刊本1頁の上下段を分割したもの。途中の家督相続と小注は同人の関連叙述。前の久利・次の久貞は別人物で含まない。既存境界・ID維持、PDF変更なし。
- 判読保留
- 本文は慶長三年に朝鮮国で病死と明記。小注末尾の泗川合戦に続く細字は未確定で、死去の経緯との関係を追加校合する。戦死・合戦参加を確定事項として加えない。/見出しの本田家関連小注は細字判読を留保。家系を確定追加しない。/兄久利の先行帰国と久通の渡海を区別する。次条久貞の文禄元年生・慶長十六年没等を久通へ転記しない。
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』