HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
赤松二郎左衛門義則
異名・検索語:赤松二郎左衛門義則/赤松義則/二郎左衛門/赤松則村/円心/赤松満祐/教康/日向志布志/義季/義久公/伊東御退治/三町/島津修理亮忠廉
試験導入中の史料別人物解説です
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
注記付き公開可
未確定事項:中間系譜の官途・諱の一部は追加校合を要する。
DESCRIPTION
本文内容説明
赤松二郎左衛門義則条は、赤松則村(円心)から満祐へ続く播州赤松氏の系譜を掲げる。満祐切腹後、その子教康が日向志布志へ逃れ、松山中島に住んだと伝え、越中守則重・次郎四郎則季を経て肥前守義季へ至る。義季は義久公に仕え、伊東氏退治で軍功を挙げて新恩地三町を与えられ、島津修理亮忠廉の娘を妻とした。家系の薩摩下向由緒を示す記事である。
系譜・人物関係
赤松則村・満祐の系統。教康が志布志へ下向し、則重・則季を経て義季へ続く。
奉公・役職
記事後半の義季は義久公に奉公し、新恩地三町を拝領。
軍役・事績
義季が伊東氏退治で軍功。
生没・法名等
義則本人の生没年・法名・墓所は記載なし。
- 統合人物ID
- HP-0910
- 原人物ID群
- 08-149-08
- 氏・分類
- 赤松
- 掲載巻頁
- 巻8:149
- 主題・活動
- 系譜・奉公・役職・軍役・生没
- 人物関係要約
- 赤松則村・満祐の系統。教康が志布志へ下向し、則重・則季を経て義季へ続く。
- 検索キーワード
- 子/女/軍役・由緒・役職
- 公開区分
- 注記付き公開可
- 精読・確認状況
- 既存の全頁精読・境界確認記録を確認(今回の再精読なし)
- 公開判定根拠
- 既存の全頁精読・境界確認記録と現行PDFのID対応を確認。今回のPDF再精読は行っていない。本文無記載と未確定を区別し、疑義がある場合も注記して出典へ案内する。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁精読
- 本文境界判定
- 人物別AI用PDF全頁を原画像と照合し、前後人物の混入がないことを確認。
- 判読保留
- 中間系譜の官途・諱の一部は追加校合を要する。
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』