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HP-0917巻8:147-148注記付き公開可

HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE

赤塚源太左衛門尉真賢

異名・検索語:赤塚源太左衛門尉真賢/赤塚真賢/休意斎/太郎次郎/真重/重徳/蒲生/飯野/三ノ山地頭代/足軽大将/高原城/水俣/豊後/菅ケ迫/関ヶ原/蒲生新城

試験導入中の史料別人物解説です

この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。

注記付き公開可

未確定事項:合戦地名、使者先、討取数、末尾法号の細部は追加校合を要する。 弘治三年に十六歳という初陣年齢と寛永十四年に九十二歳という没年齢は整合しない。生年・享年の確定には追加校合が必要。

DESCRIPTION

本文内容説明

赤塚源太左衛門尉真賢は入道休意斎、太郎次郎真重とも称し、重徳の子。弘治三年、十六歳で蒲生菱刈陣に初首を取り、永禄七年に忠平公に従って飯野へ移った。三ノ山地頭代・足軽大将を務め、高原城攻めの偵察、霧島東御在所座主の誅伐、水俣・肥後・豊後での使者や城番退去支援に従事。関ヶ原後は奥方の帰国に供奉し、蒲生新城番を十年務めた。寛永十四年八月十四日没、九十二歳。

系譜・人物関係

父は赤塚源太左衛門尉重徳。母は満尾帰部兵衛貞利の女。

奉公・役職

三ノ山地頭代・足軽大将、蒲生新城番。偵察・忍び・諸使者をたびたび担当。

軍役・事績

蒲生菱刈陣、高原城攻め、水俣、肥後・豊後退却、関ヶ原後の帰国供奉などに従軍。生涯に多数の負傷・討取を記す。

生没・法名等

天文二十一年五月五日生。寛永十四年八月十四日没、九十二歳。法号は本文末尾にあるが判読保留。

統合人物ID
HP-0917
原人物ID群
08-147-05
氏・分類
赤塚
掲載巻頁
巻8:147-148
主題・活動
系譜・奉公・役職・軍役・生没
人物関係要約
父は赤塚源太左衛門尉重徳。母は満尾帰部兵衛貞利の女。
検索キーワード
天文/弘治/永禄/天正/慶長/地頭/城番/攻取/豊後/肥後/関ヶ原/飯野/子/母/女/歳/軍役・由緒・役職
公開区分
注記付き公開可
精読・確認状況
既存の全頁精読・境界確認記録を確認(今回の再精読なし)
公開判定根拠
既存の全頁精読・境界確認記録と現行PDFのID対応を確認。今回のPDF再精読は行っていない。本文無記載と未確定を区別し、疑義がある場合も注記して出典へ案内する。
説明作成区分
AI用PDF全頁精読
本文境界判定
2頁を通じて初陣、地頭代・足軽大将、諸国軍役、関ヶ原後、蒲生新城番、没年まで同一人物の記事。
判読保留
合戦地名、使者先、討取数、末尾法号の細部は追加校合を要する。

出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』