HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
川上愛久
異名・検索語:川上愛久/川上武蔵守愛久 入道昌孫/武蔵守/愛久/昌孫
試験導入中の史料別人物解説です
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
注記付き公開可
未確定事項:避難前後の人物名・事件の細部、および相伝誓詞に付く朱注の月表記は追加校合を要する。/高江への帰還後に没年記事が続くが、没地を高江と確定しない。父道安の没年・法名・給地を本人へ転用しない。
DESCRIPTION
本文内容説明
川上武蔵守愛久、入道昌孫は、義久入道道安の三男。文明十七年に高江で生まれ、初め出家して妙円寺にいた。文亀三年、十九歳で忠昌の命により還俗し家督を継いだ。翌年に身を避けたことを記し、その後、貴久に召し出されて奉公した。高江に在城し、父から受け継いだ弓馬の道を貴久へ伝授したと記し、誓詞の存在を付記する。天文十二年に伊集院へ移り、同二十二年に高江へ戻った。永禄二年、七十五歳で没し、法名は林翁昌孫居士。没地・墓所は明記されない。父道安の弓馬書預かり・給地・没年の記事は、愛久本人の経歴とは区別する。
系譜・人物関係
義久入道道安の三男、武蔵守、入道昌孫。文明十七年高江生まれ。経久は昌孫嫡子とする次条の別人物。
奉公・役職
文亀三年十九歳で忠昌の命により還俗家督。翌年避難、その後貴久に召され奉公。高江在城。
軍役・事績
父道安から弓馬の道を受け継ぎ貴久へ相伝、誓詞の存在を記す。天文十二年伊集院移住、二十二年高江帰還。軍役の具体的戦功は記載されない。
生没・法名等
永禄二年七十五歳没、法名林翁昌孫居士。没地・墓所は明記なし。父道安の没年・雪翁道安居士の法名を混同しない。
- 統合人物ID
- HP-0929
- 原人物ID群
- 05-074-01
- 氏・分類
- 川上
- 掲載巻頁
- 巻5:74
- 主題・活動
- 系譜・奉公・役職・軍役・生没
- 人物関係要約
- 義久入道道安の三男、武蔵守、入道昌孫。文明十七年高江生まれ。経久は昌孫嫡子とする次条の別人物。
- 検索キーワード
- 天文/永禄/父/孫/卒/法名/歳/家系由緒・奉公・軍役
- 公開区分
- 注記付き公開可
- 精読・確認状況
- 通常AI各全2頁・原冊74~75頁・細字拡大確認済。
- 公開判定根拠
- 父道安と本人の由緒を区別し、還俗家督・避難召還・弓馬伝授・移住没年を具体化。細字留保を示して公開する。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁追加精読・原冊照合
- 本文境界判定
- 冊子74頁下段の一川上武蔵守愛久入道昌孫から、父道安の関連小伝を挟んだ本人の出家還俗・奉公・相伝、冊子75頁上段右端の移住・没年・法名まで通常AI各2頁。次の〇川上武蔵守経久入道芳麟は既存HP-0947/05-075-01で別人物。父の記事は系譜・伝授の由緒として関連するため新規分割・採番を行わず、主語を区別してPDF範囲を維持。
- 判読保留
- 避難前後の人物名・事件の細部、および相伝誓詞に付く朱注の月表記は追加校合を要する。/高江への帰還後に没年記事が続くが、没地を高江と確定しない。父道安の没年・法名・給地を本人へ転用しない。
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』