HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
川上久辰
異名・検索語:川上久辰/川上左近将監久辰
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
未確定事項:家臣戦死者の総数と名の細字は追加判読を要する。列名者と『其外十人』を区別する。/見出し右脇の地頭時期小注等の細字は留保する。本文の敵軍人数・軍功評価は史料の叙述であり、独立に検証した数値とはしない。
DESCRIPTION
本文内容説明
川上左近将監久辰は久朗の嫡子、永禄二年生まれ。谷山地頭を務め、高原・耳川・水俣の軍役に出た。文禄元年五月、家臣八十人を率いて朝鮮へ渡海。六月十五日、釜山から都へ向かう深山で伏兵に囲まれ、雨で火縄が消える中で戦い、家臣を失い自身も十七か所を負傷した。清州の小早川隆景陣へ逃れ、療養の支援を受けた。一度帰国後に再渡海し、慶長三年の泗川合戦に出陣。同年十一月十八日の番船取合では頭に石二つを受け船中に倒れたが、家臣と嫡子久首(後の久国)が奮戦して救い、治療後に快復した。この時四十歳と記す。没年月日は不詳との朱注があり、久国の没年・墓所とは区別する。
系譜・人物関係
久朗の嫡子。永禄二年生まれ。左近将監。嫡子久首は後の久国で別人物。
奉公・役職
谷山地頭。高原・耳川・水俣の軍役に出る。地頭時期小注の細字は留保。
軍役・事績
文禄元年五月に家臣八十人と渡海。六月十五日に深山で伏兵に遭い十七か所負傷。清州の小早川隆景陣で療養支援。帰国後再渡海、慶長三年泗川・十一月十八日番船戦。頭に石二つを受け家臣・嫡子の奮戦で逃れ治療快復。
生没・法名等
番船戦当時四十歳。末尾朱注は卒去年月詳ナラス。没年月日・没地を久国条から転用しない。
- 統合人物ID
- HP-0940
- 原人物ID群
- 05-071-02
- 氏・分類
- 川上
- 掲載巻頁
- 巻5:71
- 主題・活動
- 系譜・奉公・役職・軍役・生没
- 人物関係要約
- 久朗の嫡子。永禄二年生まれ。左近将監。嫡子久首は後の久国で別人物。
- 検索キーワード
- 永禄/天正/慶長/元和/寛文/地頭/近習/家臣/出陣/合戦/戦死/渡海/朝鮮/大坂/耳川/加治木/嫡子/子/父/孫/女/法名/歳/家系由緒・奉公・軍役
- 公開区分
- 注記付き公開可
- 精読・確認状況
- 旧通常AI各全2頁・原冊71頁・修復候補通常AI各全2頁確認済。
- 公開判定根拠
- 本文に基づく生年・渡海人数・負傷と快復を具体化し、細字留保を明示して公開する。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁追加精読・原冊照合・境界修復
- 本文境界判定
- 第1頁は冊子71頁上段の久辰見出し・系譜・軍歴・療養支援、第2頁は同頁下段の帰国再渡海・泗川・番船戦から治療後の快復、当時四十歳と卒去年月詳ナラスの朱注まで。旧第2頁の左端欠落を回収し頁番号と隣記事微小片を除去。後続の一川上因幡守久国入道入覚は既存HP-1938/05-071-02-02として分離済みで、新規採番不要。各2頁維持。
- 判読保留
- 家臣戦死者の総数と名の細字は追加判読を要する。列名者と『其外十人』を区別する。/見出し右脇の地頭時期小注等の細字は留保する。本文の敵軍人数・軍功評価は史料の叙述であり、独立に検証した数値とはしない。
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』